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Re: 神功皇后の存在

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 2月 8日(水)18時19分16秒 ag091055.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  > No.467[元記事へ]

 『日本書記』神功皇后の記事
仲哀二年正月 気長足姫尊を皇后とする。
仲哀八年正月 筑紫の灘県に至り橿日宮に滞在する。皇后、橿日浦で髪を解いて禊をし、海に臨んで神占の儀礼を行った。巫女の行為。
仲哀八年九月 天皇が熊襲を討とうとすると皇后に神がかりし、新羅征討を指示するが神の言を信用しない天皇は熊襲と戦い敗北する。「皇后の御腹にいる御子が国を得られるだろう。」との託宣を行った。住吉大神の託宣とおもわれる。
仲哀九年二月 天皇が橿日宮にて突然没し、遺体を穴門に移し豊浦宮で密かに無火残警行う。
仲哀九年九月 師船を集め西海を望み神の託宣を得る。石で腰を挟み開胎をおさえる。
仲哀九年十月 対馬を発ち新羅に至り国王を服属させる。
仲哀九年十二月 新羅より帰還して筑紫の字瀰で誉田天皇を産む。
神功元年二月 穴門豊浦宮に移り、京へ帰還する。麑坂忍熊両王が反逆の兵を挙げるが、麑坂王は死ぬ。
神功元年三月 武内宿祢は忍熊王の軍勢を近江に撃滅する。
神功元年十月 皇后を尊び皇太后と称す。
神功三年正月 誉田別皇子を皇太子とし、都を磐余に造る。
神功十三年二月 皇太子が角鹿の笥飯大神を参拝した。
神功三十九年(239 卑弥呼) 「魏志に云はく、明帝の景初の三年の六月、倭の女王、大夫難斗米等を遺して、郡に詣りて、天子に詣らむことを求めて朝献す。太守都夏、吏を遺して将て送りて、京都に詣らしむ」。
神功四十年(240 卑弥呼) 「魏志に云はく、正始の元年に、建忠校尉梯携等を遺して、詔書印綬を奉りて、倭国に詣らしむ」。
神功四十三年(243 卑弥呼) 「魏志に云はく、正始の四年、倭王、復使大夫伊声者掖耶約等八人を遺して上献す」。
神功四十六年(364) 斯摩宿禰を卓淳国(大邱)に派遣。百済王と倭使との交渉を記す。百済国は日本の場所も通交手段も知らない。(矛盾)
神功五十一年三月 百済使久弖ら来朝、千熊長彦を百済へ派遣する。
神功五十二年九月(372) 百済使久弖ら来朝し七枝刀など種々重宝を献上する。
神功六十二年(382)新羅が朝貢しないので葛城襲津彦を派遣して討たせる。
神功六十六年(266 台与)「是年、晋の武帝の泰初の二年なり。晋の起居の注に云はく、武帝の泰初の二年の十月に、倭の女王、訳を重ねて貢献せしむといふ」。
神功六十九年四月 皇太后崩ず。
神功六十九年十月 狭城盾列陵に葬る。
 
 
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