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物部守屋2

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月 9日(日)12時58分26秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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   一方、仏教は私的にはすでに入って来ていた。卑弥呼の頃の銅鏡のなかに数面の三角縁仏獣鏡が入っており、また九州の寺院の創建年度が仏教公伝の時より古いものが見られる。雄略朝の豊国奇巫が登場しているが、仏教がらみかも知れない。

羽曳野市出土画文帯仏獣鏡

 各豪族は概ね仏教の概要を承知しており、自らの立場を決めていたと思われる。物部尾輿は反仏であり、蘇我稲目は奉仏であった。

 欽明天皇は聖明王から送られた仏像等を稲目に与え、彼は小墾田の家に安置した。渡来人の多くは仏教を奉じていたので、稲目は渡来人の支持を受けることになった。

 蘇我氏が仏事を行って一年後、疫病が広がり、多くの病死者が出た。反仏派は奉仏派が他国神を祀るから国神が祟ったと主張し、奉仏派は祀らないからと主張した。ここでは他国神も国神と同じく祟り神との理解である。

 国神とは地域の神であり、豪族の祭祀によって領有地の豊穣・安寧をもたらす神である。一方、他国神は国や地域を越えた普遍性があり、国神と他国神(仏)は基本的に対立するものではない。これは疫病によって被害を蒙った地域の反仏派と奉仏派の豪族間の反目と見ることができよう。

 欽明天皇は蘇我稲目に他国神を礼するは罪であり、奉仏を許すべきではないと告げた。これに対して稲目は表向きは反仏派のようにふるまうが、内心では他国神を捨てないと決意を述べ、欽明天皇も自分も同じ考えであると告げた。
 とにもかくにも反仏派が力を増し、物部尾輿らは蘇我氏の建立した堂舎を焼き、仏族・仏具を難波の堀江に流し百済に放逐した。

 欽明三十一年に蘇我稲目が死に、息子の馬子が大臣になった。

 
 
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