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物部守屋3

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月12日(水)11時54分25秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  2. 敏達天皇の時代
 敏達六年 577 「私部(きさいべ)」が設置された。従来は后紀(きさき)それぞれのための名代である部(例えば安閑皇后の春日山田皇女の部は「春日部」である。)が設置され、生活を支えていた。「私部」は后妃全般を資養する部として設定された大がかりなものである。これは豊御食炊屋姫(後の推古天皇)の権力基盤として機能した。
 豪族の奥方達から見ると実家からの仕送りに頼らざるをえない立場とは大きく違うもので、垂涎の的だったのだろうと思われる。

 敏達天皇は仏法を信(う)けたまわずして、文史を愛(めぐ)みたまふ、と『紀』に見えるよに、仏教受容には否定的であった。

 『元興寺縁起』敏達十二年 583 災いを得た蘇我馬子が筮卜で占ったところ、父の祀った神(仏)の祟りであることが判明した。驚愕した馬子は仏法を広め、仏の心を和らぐように出家する人を探した。渡来系の氏族の少女三人を見つけ、桜井道場に住まわせた。『紀』では、仏殿の石川精舎(橿原市)を作ったとある。「仏法の初め、慈(ここ)より作(おこ)れり。」とある。大臣が祀ったものだが、これは「和宅仏教」である。個人としての仏信仰は、もっと早い時期に九州などで行われていたと考えられている。

 『元興寺縁起』敏達十四年 585 豊浦碕に塔の心柱を建てて、舎利を柱頭に納める仏事法会が行われた。破仏の機会を待ち構えていた敏達天皇は命を下し、造立されたばかりの塔の心柱を伐り、仏像と安置している建物を焼いた。『紀』では、物部守屋・三輪逆・中臣磐余の三人が破仏に働いた。出家三尼は法衣を脱がされ、尻や肩の鞭打ちの刑を受けた。

 『紀』敏達十四年、天皇崩御。殯宮で、蘇我馬子は刀をさして誄をおこなった。守屋は大きい矢で射られた雀のようだとあざけた。守屋は物部流で足をふるえさせて誄を行ったのを見て、馬子は鈴を取り付けたらいいと笑った。大連と大臣とは互いに恨みを持った。
 
 
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