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物部守屋5

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月21日(金)08時40分40秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  4.崇峻天皇の時代
 用明天皇は二年に病死した。物部守屋は穴穂部王を立てて即位させようと淡路島で挙兵しようと企てたが、その計画が洩れたとされる。なぜ淡路島なのか疑問。蘇我が流した噂に過ぎないかも知れない。
 蘇我馬子は炊屋姫を奉じて、穴穂部王と宅部皇子(宣化天皇の皇子とか穴穂部の同母弟などの説がある。)を殺害させた。蘇我氏は皇族を殺すことに躊躇がなかったようだ。
 殺された穴穂部王は皇位を狙っていた存在ではあるが、大人の皇子であれば皇位を望むのはあたりまえであり、いちいち殺されていてはかなわない。おそらくは恨みを残した死であったろうが、皇子としては日々暗殺の覚悟はあったのではなかろうか。怨霊にはならなったと思う。

 用明天皇は蘇我稲目の娘の堅塩媛と欽明天皇の間の皇子であり、所謂蘇我腹の天皇であった。蘇我氏は外戚として力を増し、物部大連を上回る力を持ってきた。仏教の受け入れについても、用明天皇の意思に見るように、奉仏派が優勢であり、物部大連の反仏の旗色が悪いことは明らかであった。ここに蘇我腹の崇峻天皇が即位するにあたって物部守屋は慣例通り大連になるだろうが、蘇我馬子大臣との力の差は大きかったと思われる。政治的には既に問題外の存在であったものと思われる。

 『紀』蘇我馬子の妻は物部守屋の妹であり、名前は伝わっていないが、『紀氏家牒』には、太媛とある。大媛の生活費は実家である物部本家(当主は守屋)が工面していたが、蘇我氏との対立激化、大和物部等の離反などがあり、本家は力を失いつつあった。それでも太媛が生活費に窮することはなかったと思いたい。しかし、夫の馬子の朝廷での力が増す従って、豊御食炊屋姫などの皇女との交際機会が多くなり、贅沢な交際に費用に窮することもあったろう。

 太媛は兄の守屋に支援の増額を求めたのであろうが、戦いの準備も必要と考えていた守屋には聞き入れられなかった。そこで、太媛が目を付けたのが物部本家の膨大な資産である。守屋を罪人として滅ぼせば、一族の者には相続ができず、朝廷が没収、また一部は妹である自分(太媛)のものになると考えても不思議ではない。

 川に落ちた犬はたたけ。この際、物部本家を滅ぼしてしまえ、後世の禍根を断て。守屋の実の妹である太媛が国家と蘇我家の将来を慮るふりをして夫の馬子をそそのかしたのであろう。



 
 
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