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物部守屋7

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月29日(土)14時31分33秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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   四天王寺の守屋祠は現在は朱塗りの美しい祠であり、元禄七年の石燈篭が建っている。江戸時代、守屋祠を見た参詣者は石礫を祠に投げつけたと言われる。一時、熊野権現と名を偽ったという。毎月21日に絵堂への扉が開くので、参拝できる。守屋祠を願成就宮と呼んでいるのは、聖徳太子の誓いによって物部氏の土地を没収し物部氏の部民を使役して四天王寺を建立したのであるが、これを守屋公の霊がお許しになった事、さらにお助けになった事で、無事四天王寺が出来た事を願いが成就できたとして、守屋公を祀ったと伝えられている。祟り神への褒め殺し策である。

 『紀』崇峻即位前期 時の人、相語りて曰く。「蘇我大臣の妻は、是物部守屋大連の妹なり。大臣、妄りに妻の計を用いて大連を殺せり。」という。谷川健一氏は*3で、馬子が守屋を殺す必然性がなかったことを暗示していると書く。

 『紀』時げ経て皇極二年 643 蘇我大臣蝦夷、病によりてつかまつらず。私(ひそか)に紫冠を子入鹿に授けて、大臣の位を擬(なずら)ふ。復(また)その弟を呼びて、物部大臣と曰ふ。大臣の祖母は物部弓削大連の妹なり。故母が財に因りて威(いきおい)を世にとれり。
 守屋の妹の思惑通りにことが運んだようだ。これでは守屋は怨霊になるしかない。四天王寺は守屋の財産の半分と家人半分で建造されたという。残り半分が妹の手に入った。

 ここから見えてくるのは四天王寺の建立の目的である。即ち、守屋鎮魂である。守屋を鎮魂せねばならないのは聖徳太子ではない。馬子である。四天王寺の建立は馬子によるものである。

 四天王寺は崇峻即位前の587に難波の玉造に作られ、推古元年593に現在地に移転したと考えられている。守屋鎮魂は急がれたであろうから、守屋の死後すぐに守屋の館を接収して霊魂を慰める社と原四天王寺にしたのであろう。現在の玉造稲荷神社の場所と思われる。若干高台になっていること、白竜が住むとされる亀池があること、西向きの鳥居があること、などが四天王寺と共通している。
 四天王寺は荒陵の地すなわち古墳の上に建立されたようである。この時代は古墳や神社の杜を寺院の建立場所と見なしていたのだろう。
 
 
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