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蘇我氏2

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月16日(水)10時19分0秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  古墳の形に似合わない古い副葬品が出土している。祖先の墓を改装してシシヨツカ古墳が造営された。改装にはツカマリ古墳、アカハゲ古墳の被葬者が関与したと思われる。
用明陵や推古陵も改装されている。改装は蘇我馬子の意向が強く働いていた。

平石谷の古墳は大型方形墳で、同規模で並んでいる。飛鳥前期の造営で蘇我の全盛期に当たる。被葬者は皇族か蘇我氏の有力者の墳墓と思われる。

これらの古墳の被葬者は誰か。
 近つ飛鳥博物館の山本彰氏は、蘇我三代の蘇我馬子、蝦夷、入鹿と推測した。

これらの古墳は、蘇我氏に共通する特徴がある。それは、榛原石(流紋岩質溶結凝灰石) の利用である。普通は二上山の凝灰岩 蘇我の遺跡 島庄 甘堅丘東麓遺跡 飛鳥寺 山田寺 等 蘇我系の遺跡はことごとく榛原石を利用している。

さて、馬子の墓とされている石舞台古墳についてはどう考えるのか。
馬子は推古三四年(626)に死去した。桃原墓に葬るとある。弟の摩理勢が造営の為の庵を壊して帰ってしまった。推古の後の天皇について蝦夷は田村皇子を推し、摩理勢は山背大兄王を推して対立し、蝦夷によって殺された。馬子は桃原で殯が行われ、別所に造墓されたようだ。
石舞台古墳から出土した家形石棺の破片から、古墳の年代は馬子の没した624年より遡り、見瀬丸山古墳と同じ時期と確認された。500年代後半のもの、馬子とは時代があわない。

 シシヨツカ古墳、アカハゲ古墳、ツカマリ古墳は壮大な墳丘の方形墳 飛鳥前期の特徴であるほぼ同規格の横口式石槨がある。これらは手前から奥に造営されている。シシヨツカ古墳には500年代後半の須恵器が出土している。
シシヨツカ古墳は500年代後半の造営で稲目の墓。馬子の墓は不明。アカハゲ古墳、ツカマリ古墳は蝦夷・入鹿の墓と考えられる。
なお、シシヨツカ古墳とアカハゲ古墳の間に破壊された墳墓があり、馬子の墓かもしれないが、不明である。
 
 
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