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Re: 「○○タラシ」

 投稿者:今井より  投稿日:2016年 9月11日(日)12時16分40秒 125-31-75-102.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.350[元記事へ]

福島雅彦さんへのお返事です。

> ※「狗奴國」=「高(氏)ン國」と認識しています。
> ・「高句麗」建国王「朱蒙」の姓は「高氏」。「高句麗」=「高(氏)グル(仲間)」か、と。
> ・「高…」の姓は関連があるかも、と思います。

早速のご教示ありがとうございます。
これから関連付けて
また精査に勤しみます。

当地の「韓国岳」や「韓国宇豆峯」らの由来も
踏まえて精進致します。

☆16-9-1:韓国岳
古代に噴火で上部が吹き飛んでいます。
えびの高原側から望む
案外、ここから古代は朝鮮が見えたかも?
現在、長崎の普賢岳は時々、近くに見えます。

☆韓国宇豆峯神社
ここから剣神社を勧請しています。

☆居世神社(垂水市)
朝鮮王朝の始祖??

http://yorihime3.net/

 
 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2016年 9月11日(日)11時56分14秒 p5031-ipad04fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  今井さんへのお返事です。

>「居住地に因んで名を賜う」

韓國===>>高原
改名していますが。

※「狗奴國」=「高(氏)ン國」と認識しています。
・「高句麗」建国王「朱蒙」の姓は「高氏」。「高句麗」=「高(氏)グル(仲間)」か、と。
・「高…」の姓は関連があるかも、と思います。
 

Re: 弥生の鉄器と馬

 投稿者:今井より  投稿日:2016年 9月10日(土)13時36分43秒 115-124-133-51.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.348[元記事へ]

かたばみさんへのお返事です。

> とみたさんへのお返事です。
>
> >朝鮮では断面梯形型鉄斧が作られますが、これは北部九州には入らず、沖ノ島経由で山陰に入ります。
>
> もう少し情報がほしいところです。


こんにちわ。

割り込みで恐縮です。


南九州の「馬」に関して

次にあります。

=====

『日本書紀』巻二二
推古天皇二十年(六一二)
正月丁亥《七》
◆廿年春正月辛巳朔丁亥。

置酒宴群卿。是日。大臣上壽。
歌曰。夜須彌志斯。
和餓於朋耆彌能。訶句理摩須。
阿摩能椰蘇訶礙。異泥多多須。
彌蘇羅烏彌禮麼。豫呂豆余珥。
訶句志茂餓茂。知余珥茂。
訶句志茂餓茂。
知余珥茂訶句志茂餓茂訶之胡彌弖。
兎伽陪摩都羅武。烏呂餓彌弖。
兎伽陪摩都羅武。宇多豆紀摩都流。

天皇和曰。
摩蘇餓豫。蘇餓能古羅破。

宇摩奈羅麼。辟武伽能古摩。

多智奈羅麼。句禮能摩差比。
宇倍之訶茂。

蘇餓能古羅烏。
於朋枳彌能。兎伽破須羅志枳

====

===>>宇摩奈羅麼。辟武伽能古摩。

馬なら日向の駒


○また、発掘遺跡等に関しては
出水貝塚から
縄文早期~中期 で出土しています。
トカラ午サイズだそうです。


○馬具は、近年、福岡の古賀市から
出土してますが、国内産かと
云ってましたがその後どうなったのでしょうか

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3440/1.html


○以前、お隣、宮崎県でも
宮崎市山崎町の
山崎下ノ原第1遺跡
金 銅 張 馬 具

===>>以前リンクしてたのですが
今日、検索でヒットしません。

○邪馬台国論争で有名な「西都原古墳」でも出土しています。


☆都井岬の日向駒
☆開聞岳のトカラ馬
☆当地のお祭り「初午踊り」

http://yorihime3.net/

 

弥生の鉄器と馬

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年 9月 9日(金)19時28分39秒 ae024212.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  とみたさんへのお返事です。

>朝鮮では断面梯形型鉄斧が作られますが、これは北部九州には入らず、沖ノ島経由で山陰に入ります。

もう少し情報がほしいところです。
韓半島における初期鉄器の年代と特質
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185003.pdf

なぜかというと、持論にて大国主が九州を神武に譲ったのはAD30頃。
その後、綏靖、安寧、懿徳 92-105、までは神武朝であり、出雲との混合王朝であった、と考えているからです。
すなわち、この時代では出雲は伽耶や樂浪とも交易可能で、鉄の入手もできたと考えています。
田和山遺跡の硯の破片、大風呂南遺跡のガラス釧の輸入です。

出雲は大国主時代(紀元前後)では奈良の開発に成功し大発達中(唐古・鍵など)。
これあるゆえに大国主は九州を神武に譲った。
しかし対馬-伽耶の交易ルートを失うことは想定していなかった。
これをやったのが孝昭105-137、孝安137-175だと考えています。
北九州から出雲を排し半島との交易も遮断した(専有化する)。

困ったのは出雲文化圏、鉄器の使用は困難を極めるようになった。
黒姫山の褐鉄鉱や東北の餅鉄など必死の資源調達。
鉄器は錆びて消滅することもあるでしょうけれど、最後まで青銅剣を使わざるを得ず、武器の差=戦闘力の差は明白になっていたと考えています。
(開化225-248の奈良突入はせいぜいが数百人とみています、それでも制圧されてしまった)

交易ルートのひとつは北九州を通らず、山口県長門あたりから対馬へ密航するルート。
もうひとつは、島根半島あたりから半島東岸の高句麗へのルートです(山陰の四隅突出墓の源はこれにあると考えています)。
ま、しかし、自由に伽耶へ渡れた時代と比せば、鉄や最新文化の導入はできなくなったに等しいでしょう。


古事記に八千矛神が馬に乗って歌を詠むシーンがあります(大国主や大己貴の別名になってるけど)。
鞍と鐙が登場、これが事実とすればこの馬はどこから入手?
魏志倭人伝では牛馬なしとある。
高句麗からだと考えています。

応神386-402頃では百済から騎馬を入手しているはずで、これが山陰経由で蝦夷に渡る可能性あり。
だが、ひょっとしてひょっとすると・・八千矛神の馬は応神の百済系の馬よりはるか昔に蝦夷に渡ったかもかも。
馬具は作れないが繁殖はできた。
南部馬はすでに消滅のようですが(北海道に残滓が残る)、高句麗の馬は残っているのかなあ。
DNA分析はいかに・・

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:今井より  投稿日:2016年 9月 9日(金)09時14分51秒 119-47-51-132.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.346[元記事へ]

福島雅彦さんへのお返事です。

おはようございます。

早速のご教示ありがとうございます。

神社探訪を始めた頃

「保食神」の名称が各神社でまちまち
不思議に思ったものでした。

そして今度は江戸時代の史料らにも。

考えれば、昔は、文盲率が高かったわけで
神社仏閣の方々位が識者。。
お坊さんが重宝されたのも頷けます。


当地の苗字(姓)を暇に任せて
ピックアップしていて
ちょっと面白い現象を発見して
ついほくそえんでしまいました。


明治初期、平民苗字必称義務令で
苗字を名乗るようになります。

江戸時代、当地では「門割制度」があって
防災の要として威力を発揮したようです。

当地の場合、その集落の主に農民には
門割の字を付けたようです。
結構、重なる地域が多いのです。
ある集落は同姓が多くて
過疎地の場合は、皆親戚という処もあります。。

そう言えば、中世の頃にはこんなお話も。

=====

『続日本紀』巻■
延暦九年(七九〇)十一月壬申《十》◆壬申。

外從五位下韓國連源等言。
源等是物部大連等之苗裔也。夫物部連等。
各因居地行事。別爲百八十氏。是以。

源等先祖塩兒。以父祖奉使國名。
故改物部連。爲韓國連。
然則大連苗裔。是日本舊民。

今號韓國。還似三韓之新來。至於唱■。
毎驚人聽。因地賜姓。
古今通典。伏望。
改韓國二字。蒙賜高原。
依請許之。


=====

「居住地に因んで名を賜う」

韓國===>>高原
改名していますが。

ご多忙の処
ご教示ありがとうございます。

http://yorihime3.net/

 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2016年 9月 8日(木)23時18分42秒 p4043-ipad02fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  今井さんへのお返事です。
お目に留めていただき多謝 謝々!

>鹿児島には、中世の「薩摩弁」の辞書がロシアに残っています。
「ゴンザ辞典」。。これで、当時の薩摩弁が判って楽しいです。

江戸末期の坂本龍馬が当地へ新婚旅行に来た折、
近くの「犬飼滝」(いぬかい だき)を
地元民は鹿児島弁で「いんけん だっ」と呼んでいます。
龍馬はそれに充てて「陰見滝」としています。

>===>>ある識者はこれは聴き違い、間違いと。

*これは、聞き間違いではなく其の様に聞こえたのです。

・筑後弁でも「犬=いん」と発音します。
・「飼=けェ」と訛ります。“kai”の母音の二重母音化?
・筑後弁でも「カイツブリ(水鳥)」⇒「けェツグロ」と訛ります。
・「飼の」の意の「の」=格助詞で「ン」に訛ります。
・「滝」=“tak”と閉音化して促音になった?
∴「犬飼の滝」=「いんけぇンだッ」と聞こえた、と。

*薩摩=“?”(sa)投馬(つま)國=南・投馬(つま)國。

・投馬國=“??”(tuma)國=双山国(直訳)=筑肥山地と「水縄連山(耳納山地)」の間の国。
・「對馬國」も同義⇒“??”(tuma)國=双山国(直訳)=上県郡・下県郡。

*鹿児島=土地の人は「かごンま」と。
・“????”(kagon-maeul)=「行った人の村」(直訳)=投馬國の飛び地、かと。

∴薩摩弁と筑後弁は親戚?

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:今井より  投稿日:2016年 9月 8日(木)20時01分33秒 115-124-190-48.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  福島雅彦さんへのお返事です。

> かたばみさん、またまた横レス、失礼します。
>
> >後漢書東夷伝107に倭国王帥升の朝貢記事があります。
>  帥升とは何者か、持論年代にて孝昭105-137の送った使者となります。
>
> *倭王 「帥升」は、中国書記官の認識=“shuai-sheng”です。
> ・「倭人」が口述した音価に当て字しています。
> ・これは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」=“??”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」であろうと思います。
> *「生口」160人の献上は、曽尸茂梨???-???(soe-ssi-mori)=製鉄の頭(かしら=おさ)からの製鉄技術者であろう、と。
> 時のハイテク産業で最高の贈り物です。
>
> *文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
>

興味深く拝読しています。

鹿児島には、中世の「薩摩弁」の辞書がロシアに残っています。
「ゴンザ辞典」。。これで、当時の薩摩弁が判って楽しいです。

江戸末期の坂本龍馬が当地へ新婚旅行に来た折、
近くの「犬飼滝」(いぬかい だき)を
地元民は鹿児島弁で「いんけん だっ」と呼んでいます。
龍馬はそれに充てて「陰見滝」としています。

===>>ある識者はこれは聴き違い、間違いと。


古代の言語も国際交流となると当て字が多いでしょうから
先生方のお話は勉強になります。

http://yorihime3.net/

 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2016年 9月 8日(木)17時05分43秒 p4087-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  かたばみさん、またまた横レス、失礼します。

>後漢書東夷伝107に倭国王帥升の朝貢記事があります。
帥升とは何者か、持論年代にて孝昭105-137の送った使者となります。

*倭王 「帥升」は、中国書記官の認識=“shuai-sheng”です。
・「倭人」が口述した音価に当て字しています。
・これは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」=“??”(soe-sang)=鉄上=製鉄王=「素盞嗚尊」であろうと思います。
*「生口」160人の献上は、曽尸茂梨???-???(soe-ssi-mori)=製鉄の頭(かしら=おさ)からの製鉄技術者であろう、と。
時のハイテク産業で最高の贈り物です。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年 9月 7日(水)09時30分34秒 ai126188172090.59.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
  福島雅彦さん、かたばみさへ

 "裴世清は畿内には行っていない" のは、ありそうな話です。
 『魏志』の倭人伝さえ、陳寿は北部九州あたりを取材したに過ぎないかもしれませんね。
 いわゆる「邪馬台国」は、博多あたりのオジさんから聞いた噂をもとに書いたのかも。。。

 ところで、「タラシ」は7世紀初頭あたりではすでに尊称となっていると言うのもアリですね。
 もともと意味はあったはずなのに「足=たりる=十分で豊かな時代」などは、過去の天皇への諡号ですね。
 うがった見方をすれば。。。井沢元彦風に言うと "実はそんな時代ではなかったから" 祟りを恐れた後世の人が与えた名かもしれません(笑)

 あと、若干気になるのは「北」は「比」の誤写だとする説。。。これは同感なのですが、説としては「北狐=ペィコ(矛)」の可能性もありそうです。「銅矛」は北部九州や出雲の男王を擬人化したブランドでしょうか。
 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年 9月 7日(水)00時23分47秒 ae024212.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  琉球松さんへのお返事です。

>中国『隋書』には「タラシ彦」と、男王であるとしていますね

タラシ外伝ですね。
(隋書の多利思北狐は「北」と「比」の誤写だろうとみています)
新唐書に「用明亦曰目多利思比孤」もあります。
この時代では血脈は薄れて高級ブランド的タラシの尊称になっているかもしれないです。
また、タリシが発音に近いなら、この時代では「足りる」のイメージに近くなっている可能性もあり。

孝安137-175日本足彦国押人と天足彦国押人の流れに筑紫磐井がある、いまのところそう考えています。
書紀では懿徳 92-105-孝昭105-137-孝安137-175-孝霊175-204ですが、先代舊事本紀の天皇本紀ではいささか不可解。
懿徳-孝照-孝安-孝照-孝霊となっています。
「孝照」が二度登場、なんだこりゃ・・書紀のそれとは異なる情報を持っていることがうかがえます。
神武朝の終わりの時代であって、錯綜と混乱があるのでしょう。

後漢書東夷伝107に倭国王帥升の朝貢記事があります。
帥升とは何者か、持論年代にて孝昭105-137の送った使者となります。
神武朝に代わって新王朝が登場したことの報告でしょう。
位置はなんともいいにくいですが北九州ではあると思います。
神武朝が出雲との混合王朝であるのに対し、出雲を排した王朝。すなわち倭国争乱のはじまりです。

この流れが一方では日向宮崎の邪馬壹国へ(孝安137-175、卑弥呼、孝霊、孝元、開化225-248)。
もう一方が書紀にはでてこない北九州の天足彦国押人であり、旧事本紀が書くもうひとりの孝照でもあると考えています。
書紀が日本足彦国押人と天足彦国押人というそっくりの名を書くのには訳がある、といったところ。
その後の倭国争乱で天足彦国押人の系譜の記録は消滅かな。

筑紫磐井は天足彦国押人の末裔であり、おそらくは継体と同じく日本海系氏族(彦坐王)の流れも引く。
母系においては継体と筑紫磐井は縁戚者だと考えています。
で、欽明539-571は筑紫磐井の縁戚者(九州王)であって継体の子ではない。

以下用明585-586目多利思比孤(短命ではない、九州王)、多利思北狐(近畿王)と続くわけです。
敏達572-584は継体の子で近畿王、敏達死去して用明が近畿王兼務、用明に帯同した蘇我氏が物部氏を滅ぼす。
(物部滅亡によって敏達の子の押坂彦人大兄皇子は近畿王を継承できず)
で、書紀は推古と聖徳太子という創作を登場させるわけですが、また機会があれば・・

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

生駒と住吉 3

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年 9月 6日(火)12時44分35秒 ab131145.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   住吉大神に生駒山を神奈備としたのは、垂仁天皇(景行天皇との説あり。)・仲哀天皇の二代の天皇で、熊襲國・新羅國・辛嶋を服従させて帰国、長柄泊から生駒山へ登って献上を宣言した。
 この山の木実や収穫物をもって祭ると、天皇が国を平定し、もし乱すものがおれば、蹴り殺してくれる。
 倭国に日神を出すのは船木の遠祖の大田田神である。この神が造った二隻の船は生駒の長屋王の墓の側に石船を、白木坂の三枝(さきくさの)墓(聖徳太子の御子の三枝王か)に木船を納めてある。
 カラクニに大神が渡られた時に、乎理波足尼命(神主津守氏の祖)は生駒山の榊を以て迹驚岡(福岡の住吉神社)の神を降ろし祭った。時に恩地の神(八尾の恩地神社)がやって来て鎮座した。毎年の春と秋に墨江に通う。これにより猿の往来が途絶えた(猿楽の交流か)のはその印である。母木里と高安國との間に諍石(いさめいし)がある。大神はこの山に堅く誓って、「草焼く火あり、木は朽ちるとも、石は久遠(とは)に期(ちぎ)らむ。」と云われた。原田修氏は、東大阪市と八尾市とのほぼ境界を頂上に延長した所にある巨石群の三間石山巨石遺構(奈良県生駒郡平群町櫟原字三石)と見ておられる。

 さて、住吉の神々が生駒山を神奈備山としていたと云う物語であるが、現在の住吉大社の位置から見れば、真東は高安山や信貴山であり、生駒山系の南端に当たる。生駒山最高峰を真東とするのは大阪城付近である。有力な式内社としては、坐摩さんや生魂さんである。
 この内、坐摩さんについては、『神代記』に、以下のように書かれている。

猪加志利乃神ゐかしりの)神。、二前。一名爲婆天利(ゐばてりの)神、(元、大神居坐(ましまし)て。唐飯所聞食(からいひきこしめ)しける地(ところ)なり。
右大神は、難波の高津の宮に御宇天皇之の御世、天皇の子、波多毘若郎女(はたびのわかいらつめ)の御夢に喩覺(さと)し奉らく、「吾は住吉大神の御魂ぞ。」と爲婆天利神または猪加志利之神と号(まお)す。」託(かみかか)り給ひき。仍(かれ)、神主に津守宿禰を齋祀いつきまつ)らしめ、祝(はふり)に爲加志利の津守連等を奉仕(つかへまつ)らしむ。充(あ)て奉る神戸二烟。神田七段百四十四歩。即ち西成郡に在り。

 イカシリの神とは、住吉大神の御魂であると宣言されている。
別に坐摩神は生駒山中に鎮座していたとの伝承があるが、『神代記』からも納得できる伝承のようだ。この神社は現在は船場の一角に鎮座しているが、大川沿いにお旅所があり、元の社地を示している。大坂城築城に際し、遷座した。
お旅所には神功皇后が腰を下ろして食事をしたとされる石がある。磐座となっている。
『神代記』は、仁徳天皇の頃の住吉大神は八軒屋の近くに鎮座していたことになる


 どうやら、神功皇后の足跡と住吉大神の足跡は同じであったと見える。皇后は依り代であったと思われる。

 座摩神社から、寒い季節の夕暮れに、真東の生駒の山頂に縦に三つの星が登ってくる。オリオンザの三ツ星であり、カラスキの三つ星であり、これぞ住吉三神である。


 

十五夜 お月見

 投稿者:今井より  投稿日:2016年 9月 5日(月)16時05分23秒 115-124-190-183.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  この15日は、鹿児島神宮の例祭「十五夜」です。

幼い頃から、春の「初午祭り」が
賑やかなので「例祭」かと思ってましたが、、

こちらが「例祭」なんですね。

いつからの祭事なのかちょっと勉強不足ですが、、
他の地方では、どのような祭事があるのでしょうか
興味津々です。

壱岐対馬には「十五夜相撲」があるようですね。
幼い頃は、河原で、すすきから注連縄を作って
相撲大会がありました。
結構強かったので賞品が楽しみでした。

御天気が良ければ、のんびりお月見をしたいものです。

http://yorihime3.net/

 

琉球松さま

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2016年 9月 5日(月)14時58分16秒 p5059-ipad106fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ご高説を何時も興味深く拝読しています。
ご返信を賜り、多謝 謝々!

>中国『隋書』には「タラシ彦」と、男王であるとしていますね。
 当時は推古天皇の代で女王であるはずなのに、これは不可解です。

※私は、『日本書紀』が馬脚を現した部分だと観ています。

・即ち、『隋書』は九州皇統の「阿毎多利思比孤」に面会した、と。
・裴世清は畿内には行っていないのであろう、と観ています。
 

Re: 「○○タラシ」

 投稿者:初心者  投稿日:2016年 9月 5日(月)11時51分5秒 124-159-21-41.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.335[元記事へ]

福島雅彦さんへのお返事です。

> 横レス、失礼します。何時も興味深く拝読しています。
>
> ※この「○○タラシ」の初出は「天照大神」ではないかと、愚考します。
>
>    即ち、「阿毎」=「天(あま・あめ)」、「多利思」=「照」の事である。

ハングルについては、知識が全く及びませんが
>初出は「天照大神」ではないか
については、実は私も可能性を感じています。

>「多利思」=「照」
「多利思」については未考察ですが(全く頭が働きません)
 「照」=「帯」=「垂」の可能性についてのみ考えておりました。
 

Re:「○○タラシ」

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年 9月 5日(月)09時51分1秒 ai126166056136.48.access-internet.ne.jp
返信・引用
   中国『隋書』には「タラシ彦」と、男王であるとしていますね。
 当時は推古天皇の代で女王であるはずなのに、これは不可解です。

 そこで琉球古語で「タラシ」を解釈すると、「たらす(誑す)」。。。これは「騙す」や「躊躇する」という意味で、中国側に気を使って、躊躇しながらもあえて騙したのではないかと考えてみました。
 現代日本語でも「女タラシ」とかあるわけで、当時の倭国のしたたかさの表れでしょうか?

 まあ、他の「タラシ彦」にもそういう性格があるのか精査してみないと何とも言えないのですが。。。
 

タラシについて

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年 9月 5日(月)09時43分9秒 ae024212.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.334[元記事へ]

>(たぶん皇極と斉明の天豐財重日足姫が最後)

訂正(^^;
元正715-723が日本根子高瑞浄足姫がタラシで(いまのところ)最後。
天武673-685の子の草壁皇子の子で日本根子と足を共有する女帝。

非九州系大王、継体507-530-安閑531-534-宣化535-538-敏達572-584-舒明629-641-天武673-685-(草壁皇子)-元正715-723。
持論では宣化-敏達に重なって、九州系の欽明539-571-用明(推古)があります。

myHP倭王五代~聖徳太子~壬申の乱シミュレート参照
皇極と元正、共通するのは敏達の子の押坂彦人大兄皇子。
敏達は継体(彦坐王系譜とみる)の子。

なにゆえ押坂彦人大兄皇子は(近畿王)敏達の後を継承できず、(書紀では)推古や聖徳太子が割り込んでくるのか。
物部氏が蘇我氏に滅ぼされて背景とする豪族を失ったからだとみています。
皇極も元正も古い祖先に彦坐王、あるいはずっと近くに継体の妃の尾張連の目子媛、が存在するという共通項があります。
パズルですね(^^;

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

「○○タラシ」

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2016年 9月 5日(月)07時50分44秒 p1067-ipad109fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  横レス、失礼します。何時も興味深く拝読しています。

※この「○○タラシ」の初出は「天照大神」ではないかと、愚考します。

*「天照大神」=「天」は前述。(他のレジメ抜粋の為、後述)
・「照」=古代倭語“???”(ddal-li-da)[付く、属する、付いている]の語幹の当て字である。即ち、「高天原所属(出自)の大神」であり棚田での稲作農耕神。固有名詞ではないので、何代も何人(神)でも襲名できるし、性別は問わなくて良い。
・因みに高良大社の主祭神「高良・玉垂尊」=“?-?-?-??”(ta-ama-ddal-li)尊=「全・天照大神」=歴代「天照大神」。左右に「八幡神と住吉神」を従える神格。
・「阿毎多利思比孤」=同伝で「大神」が「比弧(日子)」に置き換わっているだけ。
   即ち、「阿毎」=「天(あま・あめ)」、「多利思」=「照」の事である。

*「天(あま・あめ)」は⇒「高天原」=神々が居るところ、天上界を思わせる記述であるが…。「タカマガハラ」と読んでいては地上の場所は見つからない。「たか・あま ン ばル」と読むべきである。
 ・「高」は高低の意ではなく、寄って「集(たか)って」の当て字、古代倭語で、“??-”(taka-)=[傍へ寄り付く、寄り添う、近付く、詰め寄る(民衆書林・韓日辞典)]と、語幹を同じくする語彙である。
・「天(あ・ま)」は、前章の東の意と「ま・め」=膨れている、山の意の古語との合成。「(国の)東の聖なる山」(水源のある山)となる。
・「原=ばル」とは、“?”(beol)[原;野原(民衆書林・韓日辞典)]で、筆者註としては、「耕作地=邑」である。従って、「東の山(聖地)に寄って集(たか)っている原」と成る。
水縄連山(耳納山地)の東の端のうきは市(旧・浮羽町)の狭い谷間に、百箇所近くの「○○原」の字地名が犇いている。此地に「日向」の地名が現存している。「浮羽」も“???”(u-kil-beol)[旭日原]の語尾子音欠落清音化であり、「高天原=阿斯達」とも同義。

※「天照大神」=「天(あま・あめ)出自の大神」。

∴「○○タラシ」とは「○○出自」を謳っているのでは?

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

 

Re: 生駒について

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年 9月 4日(日)21時42分20秒 ae024212.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.328[元記事へ]

初心者さんへのお返事です。

>「帯」については、私の聞いたお話は、字ではなく「タラシという音」に注目されている印象でした。

名からの推測・・
崇神248-273の御間入彦五十瓊植、垂仁273-311の活目入彦五十狭茅、垂仁の兄弟の豊城入彦、豊鋤入姫など今度は「入」が続々と登場。
これは新しい土地に「入城」の意味だと考えています。すなわち出雲の勢力地だった奈良への入城。

孝昭105-137の子の孝安137-175はタラシですが、続く孝霊175-204、孝元204-225、開化225-248では日本根子に尊称に変わります。
(書紀は日本ヤマトと書き古事記は倭ヤマトと書く)
倭根子とは「倭を祖先とする子」の意とみています(出雲とは無関係を強調する)。
孝霊175-204で倭国争乱の本格化、卑弥呼の登場(新羅本紀173に、倭の女王卑弥呼の使者来訪、の記述あり)

開化では稚日本根子になっています。稚とは稚児、幼いの意でしょう。
幼いとは孝霊-孝元と続いた倭根子(倭国)とは異なる「新しい倭国」の誕生を意味すると考えています。
新しい土地に新しい倭国を作った人物の意、ゆえに「開化」でもあるわけです。

書紀が書いていない(隠蔽)した部分にも(意図的に)痕跡は残している。
(古事記では単なる当て字少なからず、逆に発音を類推できる)
彦坐王など王の呼称、大国主の主の呼称、このあたりにも意味があるはず。

タラシの場合も人脈を調べるといろいろでてきますね(たぶん皇極と斉明の天豐財重日足姫が最後)。
ま、書紀には用意周到と不注意が混在しているとみてますので落とし穴には東注意ではあります(^^;

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: 生駒について

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年 9月 4日(日)21時09分55秒 ae024212.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.331[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

>多良斯」がタラシであろうからこれが初出ではないかと注目しています

遠津山岬多良斯神をいつ頃の人物とみるか、ですね。
大国主命の子の鳥鳴海神系譜の最後(8世孫)。
持論年代では大国主(国譲りAD30頃)から8世代でAD200~250頃の人物とみるところです。
すなわち孝安137-175(日本足彦国押人)より100年近く新しい人物。


山陰の弥生の状況を考慮中ですが先行しまして・・
参考図1 弥生の土笛分布
土笛は弥生前期頃の出土です、おそらくは半島経由の春秋戦国からの避難民が運んだ(作った)と考えています。
いかにも漂着しそうな場所、しかし小規模遺跡だけです。

大国主が国譲りにて島根に引っ越し、AD30頃(弥生中期)。
弥生中期以前では山陰にはこれといった遺跡がない、土笛の漂着者であろう痕跡のみ(土井ヶ浜は有名ですけど)。

ところが、弥生中期以降に田和山、妻木晩田、青谷上寺地、大風呂南、の有力遺跡が登場します。
(田和山からは硯の破片出土、楽浪郡系とみられている。大風呂南ではガラス釧、これも楽浪郡とみられる)
これらの遺跡はなにか・・大国主の子等、特に鳥鳴海神系譜による開発だと考えています。
(神武朝、出雲との混合王朝時代では出雲も樂浪系文物の入手可能)

参考図2 妻木晩田遺跡の位置
これは異様ともいえます。集落全体が山の上にある高地性集落。
「なにか」から防御する、あるいは恐れる、だと思います。
北九州で経験した素戔鳴~神武の戦闘、これを恐れた集落だと考えています。
参考図3 弥生北九州の戦死者(ただし残るは甕棺葬のみ、それ以外の戦死者ははるかに多いはず)
おそらくは黒どくろが素戔鳴時代、白どくろが神武時代の戦闘。

その東の青谷上寺地からは多数の殺傷痕の骨がでています。
この遺跡は平地でいまのところ環濠もみあたらない。
ゆえに女子供まで惨殺された。
妻木晩田では高地性集落が功を奏して避難できたのだろうと考えています。
どちらも消滅は古墳時代初期とされます。

大風呂南では戦闘痕跡はありません。
攻撃者は西から・・卑弥呼の侵略軍・・孝霊175-204以降かな(倭国争乱でもあります)。
出雲は防衛ラインを敷いた。
それが丹後半島から明石方面ライン(播磨の弥生街道)で、周辺に散在する兵主神社がその痕跡だと考えています。

鳥鳴海神系の最後の遠津山岬多良斯神は若狭。
ここで尾張からの天火明系末裔と結合した結果が「出雲の多良斯」だと考えています(AD200~250頃か)。
その後は奈良が開化に制圧(AD239)されて以降の系譜は不明となる(おそらく彦坐王系譜にバトンタッチ)。
遠津山岬多良斯神のタラシは大国主(の末裔)と天火明(の末裔)が混じり合った痕跡だと考えています。


ただし、尾張連のタラシが孝昭105-137頃とすると、朝日遺跡が大発達している時代。
すなわち尾張は出雲文化圏に吸収されているはずで、尾張での天火明系譜と出雲系譜の結合からタラシが登場している可能性があります。
しかしそうなると、孝昭(九州)が尾張から妃を取る理由がみえてこないのです。
(ちなみに倭国争乱≒邪馬壹国近畿論は私的に論外に近いです(^^; )
記紀での人名がどこまで正確に伝承されているかがありますが、孝安137-175日本足彦国押人にタラシを用いる理由もみえてこないのです。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: 生駒について

 投稿者:初心者  投稿日:2016年 9月 4日(日)19時36分9秒 p1471029-ipngn200602fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  > No.331[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

> 初心者さん
>
> > 世襲足姫がタラシに初出というお話は興味深いです。
>
> 古事記の出雲系図の最後に現れる
>  遠津山岬多良斯神
> の「多良斯」がタラシであろうからこれが初出ではないかと注目しています。
>
> この神が第6代孝安天皇「倭帯日子國押人」に当たるのではないか、と考えています。
>
> 詳しくは:http://www.dai3gen.net/izm_kssi.htm
> をご覧下さい。
>
ありがとうございます。タラシについては、いつかきちんと調べたいと思っておりました。
しかし、私の能力では、出雲系図には絶対に気付かなかったと思います。
勉強させて頂きます。
大三元さまのHPとは気付いておりませんでしたが、「鳥と船」の頁をお気に入りに登録していました。
古文献中の生物(動植物)と船に特に惹かれております。
 

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