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Re: 銅鐸分布と年代の一考

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年12月 2日(金)16時59分12秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.433[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

神社の場合は、平安中頃以降に記紀や先代舊事本紀の影響を受けたものが多いと思います。
単一事象だけでは神社と弥生をリンクさせるのはたいへん難しいと考えています。
複数の事象がなにかをみせてくれるかどうか。

淡路島の神社をCDでざっとながめてみました。
なんか神社の数がずいぶん多いように感じます。
大歳神、事代主命を祀る社が多いですね。

住吉あるいは応神を祀る社も多いですが、これは記紀の神功説話によるところかな。
中筒之男神と表筒之男神を祀るけれど底筒之男神がない社があった。
深読みすれば瀬戸内系海人と太平洋系海人の島であって、日本海系とは関係ないのか??

事代主命はエビスと同等とみれば海人で不思議はないですが、大歳神はこれいかに・・
大歳と称する場合は古事記の書く大年神グループのひとりの「御年神」を示すと考えています。
大年神グループは列島へ「弥生文化」を運んだ半島経由で渡来した人々とみています。

ひとつは春秋戦国からの脱出者で戦争避難民、おそらく水稲など高度文化を持つ人々を含む。
ひとつはBC1000以降の寒冷化からの脱出者で環境避難民、こちらはさしたる文化は持たない。

で、縄文と結合して北九州で拡大、これを持論では「アマテラス(グループ)」と称しています。
書紀の書く「天照大神」の原型です。
いわゆる弥生の始まりでもあります(BC500頃からか)。
(遠賀川土器や半島系無文土器)

半島から列島へ渡るそれらの人々(持論で初期開拓者)を救助あるいは輸送したのが安曇(阿曇)海人だと考えています。
本来は南西諸島から北九州あたりの漁労の民(大綿津見神)で、縄文からゴホウラ貝などの交易を行っていた。
後に安曇となって、瀬戸内での輸送も行うようになった。
その痕跡が淡路島の「大歳神」を祀る社の源流にあるのではないか。

記紀では素戔鳴尊の子とされる五十猛命や大屋彦命もこの流れにあるとみています。
屋久島などの杉を知る人物、台湾などのヒノキも(素戔鳴渡来BC190頃よりはるかに古い)。
海人に運ばれて紀ノ川遡上で植林(あいにくヤクタネゴヨウなどは育たなかった(^^; )
海人が現地で必要とするのは食糧と舟の補修用の木材。

木曽の山中にぽつんと銅鐸がある、この頃には林業集団が登場しているのかもしれない。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 
 

Re: 銅鐸分布と年代の一考

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年12月 2日(金)13時34分13秒 ag091055.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.433[元記事へ]

萩原秀三郎著『稲と鳥と太陽の道』に次のようなことが書いてありました。

古代中国では祖霊をよくまつれば季節の運行にも恵まれ、穀物の豊穣がもたされる。という考え方があった。死者の霊魂は地中に埋めた死体とともに地中で暮らし、子々孫々を見守ると言うのが中国の来世観である。

 魂魄に分かれて魄は地中にいて、魂は天に上り、時々降りてくる というイメージで、殷の時代に、そのような考え方があったと理解しておりましたが、意外な来世観にぶつかりました。
 もし、このような来世観が、日本列島にも来ていたとしますと、銅鐸の祀りは地中の祖霊を祀るという意味がありそうです。
 そこへ、いや、魂は天に上るから、天を祀るべきであると、銅鏡の祭祀が優位に立ったと、銅鐸から銅鏡への祭祀の転換を理解することができます。

 この来世観、本当なのでしょうか。
>
 

Re: 銅鐸分布と年代の一考

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月30日(水)15時32分16秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.430[元記事へ]

かたばみさんへのお返事です。


 銅鐸は謎の多いく、興味はつきません。

 最古の神であろう雷を呼び、豊作を祈願するとか、沼地にスズ(水酸化鉄のかたまり)が生成するようにとか、古代人が祈りに使用したもののようですが、目的などよくわかりません。

 地域別の銅鐸出土数と祭神について相関をとってみました。片や約2000年前、祭神数は現在の『平成祭データ』からとったという意味の分かりにくいものですが、何らかの参考になればと計算をしてみました。
基礎資料は、 http://www.kamnavi.jp/log/doutaknew3.htm  にアップしております。

 ニギハヤヒ      0.53
 海神         0.50
 アジスキタカヒコネ  0.49
 大国主・大物主    0.05
 ヒルコ        0.02

 ニギハヤヒとかアジスキは後世にブームがあったような感じのしない神だと思います。それらに若干関係がありそうな雰囲気です。
 

弥生の海人

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月29日(火)22時43分3秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  銅鐸分布図に小銅鐸も追加しました、けれど暫定、最新版などで修正中です。
(PDF化の要領がいまいちよくわからない)
小銅鐸は海人の実用品とみていましたが、内陸にもあるのが不可解。
しかし弥生の海人が資源探査で行動をしていたと考えれば・・少なくとも関東では氷解(^^)

海人は土地に縛られず行動範囲が広くかつ移動が速い。
当初は一般的な輸送を行ったと思いますが、金属資源探査に従事する特化集団が登場したと考えています。

出雲系では安曇(阿曇)、大綿津見神の系譜。
西南諸島から南九州や北九州に至る広範囲です。
BC500あたりから中国の戦乱と寒冷化から逃れる人々が半島経由で列島にやってきた。
これの支援で漁労から離れて輸送に特化する海人がいた、これが安曇系海人の起源。

北九州の出雲勢力の拡大と共に瀬戸内への輸送開始。BC150頃からか。
瀬戸内へ運んだのは八島士奴美系の出雲。
そして一部が資源探査に特化、内陸にも入りさらに東北へ。

もうひとつが東シナ海系の海人。代表が大己貴と少彦名だと考えています。
登場はずっと新しく、北九州で弥生文化が形成されてからの渡来でBC180頃からか。
(古事記では少彦名を神皇産霊尊の手からこぼれた腕白坊主とする)
大己貴は素戔鳴の娘の婿となって北九州で勢力を急拡大。
北九州の開拓、福岡平野や吉野ヶ里など。山陰では鳥取あたりまでが行動範囲(因幡の白兎は医療伝承とみる)。
甕棺葬の風習を持ち、中国系の最新技術の導入。

もうひとつが物部系の海人。
原点は安曇と同じく大綿津見神と思いますが、輸送に特化するのは天孫降臨以降。BC130頃か。
天火明に随伴して日向から尾張へ、太平洋岸です。
天火明に随伴していた天之忍穂耳系(長江系)とまじりあった混成グループ。
(すなわち後の物部氏は単一の始祖を持たない)

安曇と同様に一部は資源探査に特化。内陸へも進出。
ただし、こちらには小銅鐸を使う習慣はなかったとみます(九州南岸~伊勢志摩に小銅鐸がない)。

資源探査の第一は鉄と銅でしょう。
安曇の発見したのがまずは琵琶湖の湖成鉄かな。ついで黒姫山の褐鉄鉱、秩父の自然銅、秋田の自然銅、そして岩手の餅鉄。
物部の発見したのは琵琶湖の湖成鉄程度でさしたる収穫なし(^^;
おそらく吉野の水銀も両者が発見していると思います。
奈良周辺で安曇と物部(天火明系譜)が接触する。

たぶん、この時代では大喧嘩にはならない。資源を共有できるなら約定締結あたりでOKとみます。
土地に縛られる農耕民ではないから。
そのルートのひとつが伊勢湾(尾張)~琵琶湖~若狭の内陸の道。
(後に若狭での天火明系譜と出雲系譜の鳥鳴海神系譜の結合へ、尾張では朝日遺跡の異文化の二重構造)
もうひとつが伊勢湾(津)~奈良~紀ノ川の道。
(こちらでも出雲系譜と天火明系譜の結合へ、記紀では長髄彦伝承の源)

淡路島は安曇海人の瀬戸内での拠点。
伊勢志摩は物部海人の近畿での拠点。
大己貴系海人の拠点は北九州の糸島半島と宗像あたりかな(安曇と共有)。


さて、関東で小田原から北へ内陸部で小銅鐸が発見されています。
安曇は姫川(糸魚川)を遡上して黒姫山の褐鉄鉱を発見。
諏訪の和田峠の黒曜石、信州縄文と東北縄文の交流ルートがあるはずです(碓氷峠経由と思う)。
安曇はここから岩手の餅鉄の存在を知る。
(安曇から碓氷峠を通る途中に巴型青銅器が出土)

そのルートの途中で秩父の黒谷の自然銅を発見。そこから南下すれば小田原、舟で自然銅を輸送できます。
後の武蔵国の国府の大国御魂神社は武蔵の六つの神社を武蔵六宮とする。
武蔵六宮の成立そのものが和銅の輸送路ではないか。
で、六宮の並びと小銅鐸の位置が重なります(^^)
関東の内陸での小銅鐸の意味はこれだと思います。

出雲崩壊の時その情報は隠蔽され、秩父の自然銅の存在はAD708まで知られることがなかった。
日本武尊の関東渡来で太平洋航路が復活したとき、随伴者は物部系の海人と兵士でしょう。
そのような過去があったことはつゆ知らず、東京湾の千葉県側へ上陸・・

さて、弥生の製鉄遺跡はまだ発見されていませんが・・
粒状褐鉄鉱を使う製鉄はタイのバンドンブロン遺跡にBC200頃に登場しています。
(1991に伊那史学会にて褐鉄鉱(鬼板)による製鉄実験に成功)

黒姫山の褐鉄鉱と岩手の餅鉄がクロスするのは諏訪(サナギの鈴あり)。
天竜川を下って浜松なら日本海経由で運び出すよりずっと近道。
安曇の重要な拠点が浜松周辺と小田原周辺にあった可能性大。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: どんたくさん

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月24日(木)10時44分42秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.429[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

どんたくさんなど、なつかしいお名前です。

>銅鐸が沢山出土している地点については、そのことがわかるような工夫ができたら

カシミール3Dという地図ソフトではオリジナルの地名データを記録することができます。
地名を地図にプロットするとそのサブデータ(250文字まで)も記録されます。
(弥生遺跡とか神社といったレイヤ別もできます)
また補助データとして画像などを含む任意のファイルをリンクさせることもできます。
私的なデータベースになっています。

それをベースにして全体を把握する目的で、画像ソフトにて色分け銅鐸を地図にプロット。
注目地域では拡大図を作っても良さそうですね。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

銅鐸分布と年代の一考

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月22日(火)23時32分26秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  銅鐸は自然神に対する農耕祭祀と考えています(山東半島の斉の瑯邪八主と推定)。
天秤棒のごときに銅鐸を吊して、キンコーンと鳴らしながら田畑を練り歩いていたのではないかなあ。
年代についてはちょいと修正(今後も常に修正がありえます(^^; )

初期開拓者(BC500以降によって青銅器が持ち込まれることがあっても、例外的と考えます。
持論:須佐之男渡来BC190頃、天之忍穂耳渡来BC150頃がすべての基本です。
少なくともこれ以前に銅鐸は存在しない(小銅鐸を除く≒海人御用達)。

天之忍穂耳渡来後の北九州では戦闘激化、青銅剣の生産優先と考えます。
参考図1 山口県長門市の向津具銅剣(明治時代に土中より出土)
参考図2 佐賀県吉野ヶ里の銅剣(甕棺内)対馬にも同形があるらしいけれど未確認
どうも半島系銅剣の由来と使用者を考えることに目をつぶるような傾向が・・(^^;

参考図3 大分県日田市 吹上遺跡の鉄剣(甕棺内) 北九州甕棺の東限
甕棺から鉄剣がでています。
持論にて甕棺葬は大己貴系譜の出雲と考えています。
大己貴系の海人が前漢か後漢初期に輸入していて不思議なし。

福岡県宗像の田熊石畑遺跡から15口の細身青銅剣出土。BC100~200とされるようですが、いいところかな。
須佐之男系譜と天之忍穂耳系譜、加えて地元縄文+初期開拓者(持論にてアマテラスと称す)の激戦の時代。
北九州の戦死者遺骨が大量にでる時代です。

だがBC100~BC60頃に出雲と天孫の政略結婚がうかがえる(深淵之水夜禮花の妃、淤美豆奴神の妃)
大国主の父の天之冬衣、なにゆえ「天」を冠するのか・・
ある程度の平穏期間もあったと考えています。
最初の祭祀用銅鐸、福田型が登場し得るのはそういう時代だと推定。

島根、鳥取、広島、岡山の福田型銅鐸は、出雲系の先駆者が瀬戸内と山陰へ開拓地探索で運ばれたものと推定。
(広島の福田型は細身銅剣とともに出土)
初期の農耕地開発はBC80頃か、北九州からの福田型銅鐸搬入は紀元前後頃か。

その後、山陰ではさしたる農耕適地なく開発は停滞、銅鐸の搬入はAD36頃(大国主の引退)以前では搬入されず。
瀬戸内では、岡山、兵庫、香川、徳島、河内などの沿岸部の開拓が進み、奈良盆地の発見。
銅鐸の生産が急拡大、おそらくは菱環紐式の始発。生産は岡山か兵庫西部あたりか。
神武朝(AD36-AD100頃)の直前か。

大国主は瀬戸内や奈良の開発が進んでいることをみこして、九州を神武に譲って島根に引退ということです。
山陰開拓は大国主の子の鳥鳴海神系譜が鳥取から若狭まで進出。
使う銅鐸は外縁付紐式から扁平紐式へ変化して、これが山陰にも登場する。AD50~AD150あたり。
銅鐸は作れる場所でどんどん作られた(^^;
弥生の寒冷化がはっきりしてくる時代で、銅鐸が大型化し祭祀も盛大となる時代。

大阪には銅剣鋳型が2ヶ所、奈良盆地には石剣はあるけれど銅剣は出土していません。
奈良は武器の必要のない平穏な弥生世界だったと推定(奈良湖の干拓(^^) )。
名古屋の朝日遺跡も大環壕はあるけれど戦闘痕跡はない。

北九州では神武朝が終了して争乱の時代へ。孝昭105-137、後漢へ王朝交代の使者=後漢書の倭国王師升。
倭国争乱となって邪馬壹国台頭(日向宮崎)、そして卑弥呼登場(新羅本紀、卑弥呼の使者AD173)


淡路島では・・
南あわじ市の古津路から銅剣14本が出土しています。
そのうちの2本が大分県大分市と広島県尾道市の中型細身銅剣と同じ鋳型の銅剣。
銅鐸に先行する重要なリンクとみています。
この銅剣がいつ持ち込まれたかはなんともいえず、ですけれど。

淡路島に後期型銅鐸がないのは、農耕不向きの土地で初期開拓だけで終了したためではなかろうか。
周囲には大阪や播磨など農耕適地がたくさんある、開拓の主力(人手)はそちらへ展開。
新しい銅鐸を追加する必要がなかった・・ということですね。

現在の淡路嶋の農業はタマネギやレタス。
「古代淡路国の社会・経済的特性」によると、律令時代では海産物と塩が租税だったようで、淡路島は海人の国だった。
(伊勢志摩も類似みたい)

淡路の五斗長垣内遺跡の鉄製品出土詳細を把握していませんが、毎度ヤマタイコクの鉄器うんぬん論・・(^^;
この遺跡は周辺で使われた鉄器(農耕具)のリサイクル工房じゃなかろうか。
鉄原料をここへ運んで生産、は考えにくい(褐鉄鉱なら長野県の黒姫山、餅鉄なら岩手、砂鉄はまだ無理と推定)。

破損したりちびてしまった鉄器を再生利用するための工房です。
出荷品のメインは釣り針・・弥生の海人の必需品だと思います。
錆びてめったに残らないと思うけど、広島市の長う子遺跡ナガウネや,福岡県(豊前)徳永川ノ上遺跡などから出土。

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

どんたくさん

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月22日(火)21時37分15秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  銅鐸については、学者さんも一目置いている どんたく さんにマップを紹介しましたら、次のようなコメントをいただきました。披露します。

大変な労作ですね。

突線鈕式銅鐸は、色を変えて、青色にしている点、わかりやすくていいですね。

あと、銅鐸が沢山出土している地点については、そのことがわかるような工夫ができたら
よいのになあ、と感じました。

神奈備の注
http://pcrescue.b.la9.jp/kodai3.html
小銅鐸の出土表は氏の作成です。
http://pcrescue.b.la9.jp/syoudoutaku.html

 

Re: 比屋武

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月22日(火)21時27分24秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.426[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  琉球の『おもろさうし』など、古文書にも小書きのひらがながありません。
>  王都首里は「しより」などと記されていますから「ショリ」と訓むべきでしょう。
>
>  聖地「比屋武」は、実際には「ヤブ」だった可能性はあるかもしれません。
>  「藪」を「ヒャブ・ィヤブ」に近い発音をする古老は多いですね。
>  世界遺産に登録されている首里の「園比屋武御嶽石門」は拝所であり、聖地本体は背後の藪全体ですから「藪薩御嶽」と同じなのでしょう。
>  「藪薩御嶽」の「ツ」が、接続詞「の」だとすると「藪サの御嶽」となり、面白くなるのですが。。


面白いですね。

藪サの御嶽 この サ がまた、社の訛りとすると、どうなってくるんでしょう・
 

Re: 銅鐸の分布図

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月21日(月)17時52分20秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.419[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> moritayaさん、移転中のようです・

面白いと思ったWEBはそのときに保存しておくべきですね。
以前にみたんだけど・・みつからない、というのが結構あります。

プロットミスやプロット忘れ、あります(^^; ま、各種情報を加えてぼちぼち修正。
正確な位置を特定するのがたいへんです。
地名が変更されているとますますですが、古くからある橋は地名の変更や架けかえがあっても橋の名前は残しているみたい。

淡路島など銅鐸のありようについての一考は、また後ほど。
参考図 淡路島の詳細

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

比屋武

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年11月20日(日)12時04分12秒 ai126183094060.57.access-internet.ne.jp
返信・引用 編集済
   琉球の『おもろさうし』など、古文書にも小書きのひらがながありません。
 王都首里は「しより」などと記されていますから「ショリ」と訓むべきでしょう。

 聖地「比屋武」は、実際には「ヤブ」だった可能性はあるかもしれません。
 「藪」を「ヒャブ・ィヤブ」に近い発音をする古老は多いですね。
 世界遺産に登録されている首里の「園比屋武御嶽石門」は拝所であり、聖地本体は背後の藪全体ですから「藪薩御嶽」と同じなのでしょう。
 「藪薩御嶽」の「ツ」が、接続詞「の」だとすると「藪サの御嶽」となり、面白くなるのですが。。。
 

吉大社セミナー

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月20日(日)09時24分28秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  吉大社セミナー
11月21日(月)『ヤマ・サト・ミサキの神々ー神社信仰の原風景を探るー』
皇學館大學 文学部 特別教授 櫻井 治男 先生

http://www.sumiyoshitaisha.net/seminar/index.html
 

やぼさ、やぶさ 5/e

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月19日(土)19時41分33秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  藪と神社

 『原始の神社をもとめて』岡谷公二著 amazon中古で400円 に、「ヤボサ神」としての節がありました。以下、内容を若干紹介いたします。

 「ヤブサ」は、小さい森や藪に祭られることから「藪」であり、「サ」は「社」の訛りと有力な説としています。

 ヤブサ神社の祭神については、「神社帳」の作成を迫られた神職が推測を以て記入したものとしています。

 ヤブサ神についての諸説
 中山太郎  古い墓の跡が聖地化したもの 『日本巫女史』
 三間十郎  開拓。開墾の守護神 『矢保佐神社考』
 「戦の神さん」
 「火の神さん」
 江口司 黄泉の国の神さん 『南島交易とヤブサ』
 折口信夫  元古墓で祖霊のある所 『雪の島』
       だいたい畑の神 『壱岐民間伝承探訪紀』
 谷川健一  古い墓跡を叢祠としたもの

 ヤボサ神の範囲
 対馬・壱岐から九州西海岸全域、薩摩 藪薩御嶽がヤブサと関係があるなら沖縄まで。

 ヤボサと朝鮮半島との関係は、今のところ見いだせていない。


 大三元さんご紹介の「八幡の藪知らず」は、この藪に入ると出てこられないという祟りの藪のようです。

 『 怪異・妖怪伝承データベース』によりますと、佐賀県東松浦郡鎮西町打上の藪墓・藪神については、「誰のものかわからない墓を藪墓といい、発熱・足の痛み・腰痛は薮神の崇りだという。」との解説が なされています、ここはヤブサ神社の多い肥前国松浦郡に属します。

 神奈備の家の墓は伊太祁曽神社の南の山中にあるのですが、夏に墓参りの際に、敷地内に竹が二本生えていました。ノコギリなど持ち合わせがなかったので、そのままにして来ました。竹藪というよりまだ竹林の側から中へ組み込まれていくような気がしました。最近の腰痛も気にかかります。

 神奈備の感想として、素朴な祖霊信仰の姿なのだろうと思っています。


以上
 

Re: やぼさ、やぶさ 4

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月18日(金)15時16分11秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.422[元記事へ]

> http::kamnavi.jp/ok/yahara.htm
> http::kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm

正しくは下記
http://kamnavi.jp/ok/yahara.htm
http://kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm
 

やぼさ、やぶさ 4

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月18日(金)15時13分52秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  沖縄のこと

 『青草』への投稿から転載します。
 琉球神話でアマミクが造ったとされる九つの御嶽の一つに薮薩御嶽(ヤブサツウタキ)があります。アマミクがヤハラヅカサ上陸して浜川御嶽を経由しミントゥン城を安住の地としたとあります。実は薮薩御嶽の名は出てこないのですが、ヤハラヅカサから浜川御嶽とその上の森を総括して薮薩御嶽と称しているようです。以上

http::kamnavi.jp/ok/yahara.htm
http::kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm

 沖縄の御嶽巡りに東御回り(あがりうまーい)というものがあります。初穂巡礼で、国王や聞得大君・神女たち・臣下が一年おきに巡拝したのです。それに薮薩御嶽があります。アマミクの上陸地では唯一の御嶽となります。

 この御嶽の名が「ヤブサツ」であり、聞得大君・神女たちのまいるのは、命婦(いちじよ)は「やぼさ社」に常に参ると言う壱岐の風習と似ているように思います。転載以上。

 薮薩御嶽を探そうと思ったのですが、「今は個人の住宅の庭の中。」と聞かされて断念しましたが、どうやら森の中に拝所があるそうです。
http://luckluck.me/okinawa/100/yabusatsu_utaki/

 さて、祖霊との関連ですが、ここぞアマミクを祭る聖所ということのようで、本土とは性格が少し異なっているようです。

また、琉球松さんが、昔、当掲示板に投稿してくれました。
> 沖縄島にも、南部に「藪薩(ヤブサツ)御嶽」、首里に「園比屋武(ソノヒヤブ・方音 スヌフィアン)御嶽」、今帰仁に「金比屋武(カナヒヤブ・方音 カナフィアン)御嶽」、中部太平洋側にも「藪地(ヤブチ)島」がありますね。

 さて、園比屋武御嶽は首里城の門の前です。これらの「屋武」がヤブサの仲間かどうか、今の所よくわかりません。
 

Re: 銅鐸の分布図

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)20時42分40秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.419[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

ペギラさんの「古代の謎へ <銅鐸>」は、2016/11/10 15時で消滅し、取りあえず
http://pcrescue.b.la9.jp/kodai.html
に仮置きされているようです.


とどんたくさんから教えていただきました。
 

やぼさ、やぶさ 3

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)09時33分16秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  壱岐には祖叡社が一つだけ見つかりました。

壱岐では、のぼさ、とも訓でいるようです。

野保佐神社(大己貴尊 事代主命 埴安命) 長崎県壱岐郡石田町筒城東触
野保佐神社(大己貴命 天忍日命 天津大日命) 長崎県壱岐郡郷ノ浦町東触

青草掲示板ログ平二十年 二月 [3582] に、 神奈備が、
 「柳田国男翁は『石神問答』で、「ヤボサ社は壱岐の外に薩摩に箭武佐社あり 又筑前に天台藪佐あり」と記しています。」と書き込みました。。

 さて、中山太郎著 『日本巫女史』から  少々概略を紹介します。

 壱岐国の巫女(イチジョウ)は「ヤボサ」と称する一種の憑き神を有している。同国へ親しく旅行して民俗学的の資料を蒐集された、畏友折口信夫氏の手記及び談話を綜合すると、その「ヤボサ」の正体は、大略左の如きものである。

    壱岐のイチジョウの祀る神は、天台ヤボサであって、稲荷様はその一の眷属で、ヤボサ様の下であると云う。そして壱岐の「ヤボサ」については、後藤守一氏が「考古学雑誌」に写真を入れて記載されたことがあるので私は後藤氏から写真の種板の恵与を受くると共に「ヤボサ」の墓地であること_然も原始的の風葬らしい痕跡のあることまで承っていたことがある。而して更に近刊の「対馬島誌」を見ると、矢房、山房、氏神山房、天台矢房、やふさ神などの神名が、狭隘な同地としては驚くほど多数に載せてある。概略以上。

 「ヤボサ」とは墓地である。祖先の眠る地であるとの中山太郎氏の結論のようです。
 対馬や九州島からの祖神を祀る事と差異はないようです。

 

Re: 銅鐸の分布図

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)09時31分22秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.418[元記事へ]

かたばみさんへのお返事です。

興味深い分布表です。
おおいに刺激を受けそうです。
moritayaさん、移転中のようです・

古代で遊ぼ をクリックし、
別図  :2016/11 銅鐸形式と分布(銅鐸年代推定)(PDF)
をクリックしますと、到着します。
 

銅鐸の分布図

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月16日(水)22時33分40秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  銅鐸の分布図をmyHPにアップしました(別図 銅鐸形式と分布)。
形式を色分けして直感的にイメージできるようにしてあります。

混みあっている部分の出土位置は正確ではありません、形式の表示が優先です。
WEB上の「銅鐸出土地名表」をベースにしています(現在切り替え中のようでアクセスできないみたい)。

ある文化の様式が、古式から新式に変化し継続しているなら、その地域の文化圏は安定に成長していたと考えられます。
怖れ知らずで銅鐸の推定年代を仮定してあります(すなわち銅鐸形式が弥生中期~末期のマーカーにできる、銅鐸編年)。
持論の年代観、ここでは大国主の国譲り(=神武)がベースです。
(もっと早い時代とする論もありますが根拠がみえないので却下(^^; )

北九州には最古型とその鋳型があるがその後がない。銅鐸文化の始発であったが直後にその文化は消えたということでしょう。
東海の浜松以東は最新型のみ。銅鐸文化の最終時代にその文化がここまで達していたということでしょう。

奈良大阪は銅鐸が密で、AD50頃からAD200頃まで銅鐸文化が栄えていたことがみえます。
岡山県の瀬戸内側も同様。
伊勢湾西岸も規模は小さいけれど同様。
山陰沿岸では後期型の銅鐸がない。大国主引退後に発達したがAD200頃には消滅か。
ただし、内陸部と瀬戸内側には後期型があります・・伝承として葦原色許男と天日矛・・じゃないか。

土佐の田村遺跡の銅鐸は不可思議です。
天火明と物部(の先祖)の拠点だったはず・・古式の銅鐸がありませんし。
ところがAD200頃の後期型の銅鐸出土、この時代では出雲が支配していたとみえます。


特に不可思議なのが淡路島。
古式の銅鐸は多数出土(松帆銅鐸7個など)、だが「銅鐸編年AD100」以降の後期型が存在しない、なぜ??
周囲には後期型の銅鐸がごろごろしているのに。
五斗長垣内遺跡(ごっさかいと)は鉄器生産集落、32棟のうち12棟が鉄器工房(推定AD100~200頃とされる)。
昨年に国史跡に指定。
また北部に舟木遺跡が発見された(平成27年)。AD100頃とみられる後漢鏡の破片出土。
(後漢への倭国の使者はAD107の倭國王帥升、持論で孝昭105-137 、これ以降は後漢の混乱と滅亡で記録なし)

淡路島は大国主の(九州)国譲り(持論AD30頃)の後に、ここも神武朝に割譲されたのではないか・・
だから後期型の銅鐸はないけれど後漢鏡がある、そして天孫勢力の出雲攻撃のための拠点となった・・
神武東征説話(持論開化225-248)での東からの攻撃とは淡路島からの攻撃、だが撃退された。
淡路島の周囲は後期型を含めて銅鐸だらけですし。


弥生の青銅、総量で10トンほどらしい、たったの1立方メートルほどです。
この程度なら自然銅の採掘で足りていたのではないかな。
(奈良の大仏で1000トンあたり、江戸時代で年間に5000トンを輸出、生産技術は違うにしても)

九州以東における出雲と天孫の抗争は、「入り乱れて」の複雑な抗争であった可能性あり。
もし、開化が奈良突入に失敗していたら・・
九州の倭国は食糧不足と混乱で崩壊するのは同じとして、天孫系譜のあらかたも消滅(^^;
その後の列島の歴史はまったく別物になっていた・・空想が広がってゆきます(^^)

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: 谷川健一の「藪薩御嶽」

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月16日(水)19時34分18秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.416[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  谷川健一が、著書『列島縦断地名逍遥』で「ヤブサ・ヤボサ・ヤブサツ ー 祖先の古墓」を考察されています。
>
>  https://books.google.co.jp/books?id=X6ADZTG-d6oC&pg=PA77&lpg=PA77&dq=藪薩%E3%80%80谷川健一&source=bl&ots=RdyDmIP5zH&sig=x16zdtLVjaf0h8GdQ5nNL1LUjGY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiRqKaa9azQAhWKU7wKHZKwD30Q6AEIHTAA#v=onepage&q=藪薩%E3%80%80谷川健一&f=false

琉球松さん、ありがとうございます。 2008.2月にも、この件でお教え頂いております。重ね重ね感謝です。

 大御所が言っているのと、同じような結論に到達しそうですが、めげずに頑張ってみます。
 

谷川健一の「藪薩御嶽」

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年11月16日(水)18時11分47秒 ai126197047171.18.access-internet.ne.jp
返信・引用
   谷川健一が、著書『列島縦断地名逍遥』で「ヤブサ・ヤボサ・ヤブサツ ー 祖先の古墓」を考察されています。

 https://books.google.co.jp/books?id=X6ADZTG-d6oC&pg=PA77&lpg=PA77&dq=藪薩%E3%80%80谷川健一&source=bl&ots=RdyDmIP5zH&sig=x16zdtLVjaf0h8GdQ5nNL1LUjGY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiRqKaa9azQAhWKU7wKHZKwD30Q6AEIHTAA#v=onepage&q=藪薩%E3%80%80谷川健一&f=false
 

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