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吉大社セミナー

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月20日(日)09時24分28秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  吉大社セミナー
11月21日(月)『ヤマ・サト・ミサキの神々ー神社信仰の原風景を探るー』
皇學館大學 文学部 特別教授 櫻井 治男 先生

http://www.sumiyoshitaisha.net/seminar/index.html
 
 

やぼさ、やぶさ 5/e

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月19日(土)19時41分33秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  藪と神社

 『原始の神社をもとめて』岡谷公二著 amazon中古で400円 に、「ヤボサ神」としての節がありました。以下、内容を若干紹介いたします。

 「ヤブサ」は、小さい森や藪に祭られることから「藪」であり、「サ」は「社」の訛りと有力な説としています。

 ヤブサ神社の祭神については、「神社帳」の作成を迫られた神職が推測を以て記入したものとしています。

 ヤブサ神についての諸説
 中山太郎  古い墓の跡が聖地化したもの 『日本巫女史』
 三間十郎  開拓。開墾の守護神 『矢保佐神社考』
 「戦の神さん」
 「火の神さん」
 江口司 黄泉の国の神さん 『南島交易とヤブサ』
 折口信夫  元古墓で祖霊のある所 『雪の島』
       だいたい畑の神 『壱岐民間伝承探訪紀』
 谷川健一  古い墓跡を叢祠としたもの

 ヤボサ神の範囲
 対馬・壱岐から九州西海岸全域、薩摩 藪薩御嶽がヤブサと関係があるなら沖縄まで。

 ヤボサと朝鮮半島との関係は、今のところ見いだせていない。


 大三元さんご紹介の「八幡の藪知らず」は、この藪に入ると出てこられないという祟りの藪のようです。

 『 怪異・妖怪伝承データベース』によりますと、佐賀県東松浦郡鎮西町打上の藪墓・藪神については、「誰のものかわからない墓を藪墓といい、発熱・足の痛み・腰痛は薮神の崇りだという。」との解説が なされています、ここはヤブサ神社の多い肥前国松浦郡に属します。

 神奈備の家の墓は伊太祁曽神社の南の山中にあるのですが、夏に墓参りの際に、敷地内に竹が二本生えていました。ノコギリなど持ち合わせがなかったので、そのままにして来ました。竹藪というよりまだ竹林の側から中へ組み込まれていくような気がしました。最近の腰痛も気にかかります。

 神奈備の感想として、素朴な祖霊信仰の姿なのだろうと思っています。


以上
 

Re: やぼさ、やぶさ 4

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月18日(金)15時16分11秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.422[元記事へ]

> http::kamnavi.jp/ok/yahara.htm
> http::kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm

正しくは下記
http://kamnavi.jp/ok/yahara.htm
http://kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm
 

やぼさ、やぶさ 4

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月18日(金)15時13分52秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  沖縄のこと

 『青草』への投稿から転載します。
 琉球神話でアマミクが造ったとされる九つの御嶽の一つに薮薩御嶽(ヤブサツウタキ)があります。アマミクがヤハラヅカサ上陸して浜川御嶽を経由しミントゥン城を安住の地としたとあります。実は薮薩御嶽の名は出てこないのですが、ヤハラヅカサから浜川御嶽とその上の森を総括して薮薩御嶽と称しているようです。以上

http::kamnavi.jp/ok/yahara.htm
http::kamnavi.jp/ok/hamagawa.htm

 沖縄の御嶽巡りに東御回り(あがりうまーい)というものがあります。初穂巡礼で、国王や聞得大君・神女たち・臣下が一年おきに巡拝したのです。それに薮薩御嶽があります。アマミクの上陸地では唯一の御嶽となります。

 この御嶽の名が「ヤブサツ」であり、聞得大君・神女たちのまいるのは、命婦(いちじよ)は「やぼさ社」に常に参ると言う壱岐の風習と似ているように思います。転載以上。

 薮薩御嶽を探そうと思ったのですが、「今は個人の住宅の庭の中。」と聞かされて断念しましたが、どうやら森の中に拝所があるそうです。
http://luckluck.me/okinawa/100/yabusatsu_utaki/

 さて、祖霊との関連ですが、ここぞアマミクを祭る聖所ということのようで、本土とは性格が少し異なっているようです。

また、琉球松さんが、昔、当掲示板に投稿してくれました。
> 沖縄島にも、南部に「藪薩(ヤブサツ)御嶽」、首里に「園比屋武(ソノヒヤブ・方音 スヌフィアン)御嶽」、今帰仁に「金比屋武(カナヒヤブ・方音 カナフィアン)御嶽」、中部太平洋側にも「藪地(ヤブチ)島」がありますね。

 さて、園比屋武御嶽は首里城の門の前です。これらの「屋武」がヤブサの仲間かどうか、今の所よくわかりません。
 

Re: 銅鐸の分布図

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)20時42分40秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.419[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

ペギラさんの「古代の謎へ <銅鐸>」は、2016/11/10 15時で消滅し、取りあえず
http://pcrescue.b.la9.jp/kodai.html
に仮置きされているようです.


とどんたくさんから教えていただきました。
 

やぼさ、やぶさ 3

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)09時33分16秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  壱岐には祖叡社が一つだけ見つかりました。

壱岐では、のぼさ、とも訓でいるようです。

野保佐神社(大己貴尊 事代主命 埴安命) 長崎県壱岐郡石田町筒城東触
野保佐神社(大己貴命 天忍日命 天津大日命) 長崎県壱岐郡郷ノ浦町東触

青草掲示板ログ平二十年 二月 [3582] に、 神奈備が、
 「柳田国男翁は『石神問答』で、「ヤボサ社は壱岐の外に薩摩に箭武佐社あり 又筑前に天台藪佐あり」と記しています。」と書き込みました。。

 さて、中山太郎著 『日本巫女史』から  少々概略を紹介します。

 壱岐国の巫女(イチジョウ)は「ヤボサ」と称する一種の憑き神を有している。同国へ親しく旅行して民俗学的の資料を蒐集された、畏友折口信夫氏の手記及び談話を綜合すると、その「ヤボサ」の正体は、大略左の如きものである。

    壱岐のイチジョウの祀る神は、天台ヤボサであって、稲荷様はその一の眷属で、ヤボサ様の下であると云う。そして壱岐の「ヤボサ」については、後藤守一氏が「考古学雑誌」に写真を入れて記載されたことがあるので私は後藤氏から写真の種板の恵与を受くると共に「ヤボサ」の墓地であること_然も原始的の風葬らしい痕跡のあることまで承っていたことがある。而して更に近刊の「対馬島誌」を見ると、矢房、山房、氏神山房、天台矢房、やふさ神などの神名が、狭隘な同地としては驚くほど多数に載せてある。概略以上。

 「ヤボサ」とは墓地である。祖先の眠る地であるとの中山太郎氏の結論のようです。
 対馬や九州島からの祖神を祀る事と差異はないようです。

 

Re: 銅鐸の分布図

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月17日(木)09時31分22秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.418[元記事へ]

かたばみさんへのお返事です。

興味深い分布表です。
おおいに刺激を受けそうです。
moritayaさん、移転中のようです・

古代で遊ぼ をクリックし、
別図  :2016/11 銅鐸形式と分布(銅鐸年代推定)(PDF)
をクリックしますと、到着します。
 

銅鐸の分布図

 投稿者:かたばみ  投稿日:2016年11月16日(水)22時33分40秒 ad058001.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  銅鐸の分布図をmyHPにアップしました(別図 銅鐸形式と分布)。
形式を色分けして直感的にイメージできるようにしてあります。

混みあっている部分の出土位置は正確ではありません、形式の表示が優先です。
WEB上の「銅鐸出土地名表」をベースにしています(現在切り替え中のようでアクセスできないみたい)。

ある文化の様式が、古式から新式に変化し継続しているなら、その地域の文化圏は安定に成長していたと考えられます。
怖れ知らずで銅鐸の推定年代を仮定してあります(すなわち銅鐸形式が弥生中期~末期のマーカーにできる、銅鐸編年)。
持論の年代観、ここでは大国主の国譲り(=神武)がベースです。
(もっと早い時代とする論もありますが根拠がみえないので却下(^^; )

北九州には最古型とその鋳型があるがその後がない。銅鐸文化の始発であったが直後にその文化は消えたということでしょう。
東海の浜松以東は最新型のみ。銅鐸文化の最終時代にその文化がここまで達していたということでしょう。

奈良大阪は銅鐸が密で、AD50頃からAD200頃まで銅鐸文化が栄えていたことがみえます。
岡山県の瀬戸内側も同様。
伊勢湾西岸も規模は小さいけれど同様。
山陰沿岸では後期型の銅鐸がない。大国主引退後に発達したがAD200頃には消滅か。
ただし、内陸部と瀬戸内側には後期型があります・・伝承として葦原色許男と天日矛・・じゃないか。

土佐の田村遺跡の銅鐸は不可思議です。
天火明と物部(の先祖)の拠点だったはず・・古式の銅鐸がありませんし。
ところがAD200頃の後期型の銅鐸出土、この時代では出雲が支配していたとみえます。


特に不可思議なのが淡路島。
古式の銅鐸は多数出土(松帆銅鐸7個など)、だが「銅鐸編年AD100」以降の後期型が存在しない、なぜ??
周囲には後期型の銅鐸がごろごろしているのに。
五斗長垣内遺跡(ごっさかいと)は鉄器生産集落、32棟のうち12棟が鉄器工房(推定AD100~200頃とされる)。
昨年に国史跡に指定。
また北部に舟木遺跡が発見された(平成27年)。AD100頃とみられる後漢鏡の破片出土。
(後漢への倭国の使者はAD107の倭國王帥升、持論で孝昭105-137 、これ以降は後漢の混乱と滅亡で記録なし)

淡路島は大国主の(九州)国譲り(持論AD30頃)の後に、ここも神武朝に割譲されたのではないか・・
だから後期型の銅鐸はないけれど後漢鏡がある、そして天孫勢力の出雲攻撃のための拠点となった・・
神武東征説話(持論開化225-248)での東からの攻撃とは淡路島からの攻撃、だが撃退された。
淡路島の周囲は後期型を含めて銅鐸だらけですし。


弥生の青銅、総量で10トンほどらしい、たったの1立方メートルほどです。
この程度なら自然銅の採掘で足りていたのではないかな。
(奈良の大仏で1000トンあたり、江戸時代で年間に5000トンを輸出、生産技術は違うにしても)

九州以東における出雲と天孫の抗争は、「入り乱れて」の複雑な抗争であった可能性あり。
もし、開化が奈良突入に失敗していたら・・
九州の倭国は食糧不足と混乱で崩壊するのは同じとして、天孫系譜のあらかたも消滅(^^;
その後の列島の歴史はまったく別物になっていた・・空想が広がってゆきます(^^)

http://www.ne.jp/asahi/woodsorrel/kodai/

 

Re: 谷川健一の「藪薩御嶽」

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月16日(水)19時34分18秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.416[元記事へ]

琉球松さんへのお返事です。

>  谷川健一が、著書『列島縦断地名逍遥』で「ヤブサ・ヤボサ・ヤブサツ ー 祖先の古墓」を考察されています。
>
>  https://books.google.co.jp/books?id=X6ADZTG-d6oC&pg=PA77&lpg=PA77&dq=藪薩%E3%80%80谷川健一&source=bl&ots=RdyDmIP5zH&sig=x16zdtLVjaf0h8GdQ5nNL1LUjGY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiRqKaa9azQAhWKU7wKHZKwD30Q6AEIHTAA#v=onepage&q=藪薩%E3%80%80谷川健一&f=false

琉球松さん、ありがとうございます。 2008.2月にも、この件でお教え頂いております。重ね重ね感謝です。

 大御所が言っているのと、同じような結論に到達しそうですが、めげずに頑張ってみます。
 

谷川健一の「藪薩御嶽」

 投稿者:琉球松  投稿日:2016年11月16日(水)18時11分47秒 ai126197047171.18.access-internet.ne.jp
返信・引用
   谷川健一が、著書『列島縦断地名逍遥』で「ヤブサ・ヤボサ・ヤブサツ ー 祖先の古墓」を考察されています。

 https://books.google.co.jp/books?id=X6ADZTG-d6oC&pg=PA77&lpg=PA77&dq=藪薩%E3%80%80谷川健一&source=bl&ots=RdyDmIP5zH&sig=x16zdtLVjaf0h8GdQ5nNL1LUjGY&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiRqKaa9azQAhWKU7wKHZKwD30Q6AEIHTAA#v=onepage&q=藪薩%E3%80%80谷川健一&f=false
 

Re: やぼさ、やぶさ 2

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月16日(水)10時51分55秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.414[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

> 神奈備さん 興味ある話題をありがとうございます。
>
> ヤブサ・ヤボサに関しては琉球方面への目配りも必要かもしれません。
> なんでもアマミキヨが創った7つのウタキの一つに「藪薩御嶽」があるそうです。

> 「沖縄古語大辞典」では「やぶさす」として掲出されてました。
>
> 「養父」なんかもつながっているのかも???

大三元さん、ありがとうございます。
沖縄へ行った時、藪薩御嶽を探してみましたが、民家の庭にあると聞いていきませんでした。こんな面白そうなテーマの一齣になるんなら、行っておけばよこったと思っています。

 ヤブサは鹿児島まではつながっているようですが、沖縄に一つだけという感じです、

伊勢国の式内社の夜夫多神社や、おっしゃっておられる養父神社など、広がるのかどうか、まだよくわかっていません。

藪の中の野暮な人間ですので・・・

http://kamnavi.jp/ok/yahara.htm

 

Re: やぼさ、やぶさ 2

 投稿者:大三元  投稿日:2016年11月16日(水)08時43分23秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.413[元記事へ]

神奈備さん 興味ある話題をありがとうございます。

ヤブサ・ヤボサに関しては琉球方面への目配りも必要かもしれません。
なんでもアマミキヨが創った7つのウタキの一つに「藪薩御嶽」があるそうです。
https://allabout.co.jp/gm/gc/76538/2/ など。

「沖縄古語大辞典」では「やぶさす」として掲出されてました。

「養父」なんかもつながっているのかも???



>  九州本体のヤブサ・ヤボサの神々
>
> 筑前国宗像郡 宗像大社摂社,矢房神社(大己貴命) 福岡県宗像郡玄海町
>           矢房神社(天照大神 大己貴命 田心姫命) 福岡県宗像市日の里
>
> 筑後国上妻郡 矢鏑社(やぶさしゃ) 福岡県筑後市大字羽犬塚
>
> 肥前国松浦郡
>   矢房神社(天穗日命) 佐賀県唐津市中里
>   住吉神社摂社矢房神社(天神七代ほか) 佐賀県東松浦郡肥前町
>   矢房神社(天穗日命) 佐賀県東松浦郡呼子町
>   青幡神社摂社矢房八幡神社(應神天皇) 佐賀県伊万里市東山代町
>   矢保佐神社(息長帶比賣命 大己貴神)長崎県北松浦郡田平町
>   矢保佐神社(大己貴命)長崎県北松浦郡福島町
>   矢房神社(祭神不詳) 佐賀県西松浦郡西有田町
>   日島神社摂社矢武佐神社(猿田彦大神) 長崎県南松浦郡若松町
>   矢保佐神社(素盞雄命) 五社 長崎県佐世保市野中町、柚木町、松瀬町、白岳町、上本山町
>   矢保佐神社(火産靈神) 二社 長崎県平戸市大川原町、木場町
> 肥前国三根郡 八幡神社摂社矢保佐社(未記入),佐賀県三養基郡三根町
>
> 肥後国菊池郡 木柑子菅原神社摂社矢房神社(矢房大神) 熊本県菊池市広瀬
> 肥後国八代郡 豊葦原神社摂社矢房神社(武甕槌神 ) 熊本県八代市豊原上町
> 肥後国球麻郡 大瀬阿蘇神社摂社矢房神社(祭神不詳) 熊本県球磨郡球磨村
>           渡阿蘇神社摂社矢房神社(祭神不詳) 熊本県球磨郡球磨村
>
> 薩摩国日置郡 八房神社(孝靈天皇 源爲朝) 鹿児島県串木野市下名
> 薩摩国出水郡 矢房神社(豐受姫命 琴平神) 鹿児島県阿久根市脇本
> 薩摩国鹿児島郡 八房神社<通称>健康神社(八幡太郎義家) 鹿児島県鹿児島市犬迫町
>
>  祭神はさまざまです。
>
>  先ず、鹿児島市の八房神社については、由緒か載っていましたので、検討して見ます。
>
>  平成に入って社殿改築や境内整備、「地球一の大虎」安置などが行われ、とても綺麗に整備された神社でした。「トラ(阪神タイガース)ファン」にとっては格好の祈願社なのでしょう、この日も男性が二人、大虎に向かって熱心にお参りしていました。
>
>  御祭神:八幡太郎義家、瓊々杵命、木花開耶姫命、彦火々出見命、玉依姫命、鵜鴎草葺不合命、神武天皇
>  由緒:享禄3年(1530)比志島義祐により建立されたものです。祭神のうち瓊々杵命以降は近くの霧島神社を合祀した故のようです。
>
>  神社を建立した比志島氏は源為義の末裔で、為義の祖父は源義家すなち八幡太郎で、源氏の祖とあがめて祀ったのでしょう。比志島義祐は祖先を祀る神社に八房の名を付けたのです。子孫が多くのブドウの房のように栄えることを願ったネーミングなのか、虎の乳首は八つあるとかで八房とか、祖先を祭ることを、当時にはヤブサと言う言葉で表していたのか、よくわかりません。
>
>
>  もう一つの矢房神社 福岡県宗像市日の里 については由緒がネット上にありました。
>
>  矢房神社は、鎮座地が古墳の墳丘跡だった可能性もあるけど、位置関係から見て「東郷高塚古墳の遥拝宮」だった可能性も考えられなくもない。
>
>  と言うコメントに遭遇しました。古墳を祀ることは、そこに眠る祖神を祀ることに他ならず、ヤブサを祖先を祀る意味があったと思われます。
>
 

やぼさ、やぶさ 2

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月15日(火)21時28分13秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   九州本体のヤブサ・ヤボサの神々

筑前国宗像郡 宗像大社摂社,矢房神社(大己貴命) 福岡県宗像郡玄海町
          矢房神社(天照大神 大己貴命 田心姫命) 福岡県宗像市日の里

筑後国上妻郡 矢鏑社(やぶさしゃ) 福岡県筑後市大字羽犬塚

肥前国松浦郡
  矢房神社(天穗日命) 佐賀県唐津市中里
  住吉神社摂社矢房神社(天神七代ほか) 佐賀県東松浦郡肥前町
  矢房神社(天穗日命) 佐賀県東松浦郡呼子町
  青幡神社摂社矢房八幡神社(應神天皇) 佐賀県伊万里市東山代町
  矢保佐神社(息長帶比賣命 大己貴神)長崎県北松浦郡田平町
  矢保佐神社(大己貴命)長崎県北松浦郡福島町
  矢房神社(祭神不詳) 佐賀県西松浦郡西有田町
  日島神社摂社矢武佐神社(猿田彦大神) 長崎県南松浦郡若松町
  矢保佐神社(素盞雄命) 五社 長崎県佐世保市野中町、柚木町、松瀬町、白岳町、上本山町
  矢保佐神社(火産靈神) 二社 長崎県平戸市大川原町、木場町
肥前国三根郡 八幡神社摂社矢保佐社(未記入),佐賀県三養基郡三根町

肥後国菊池郡 木柑子菅原神社摂社矢房神社(矢房大神) 熊本県菊池市広瀬
肥後国八代郡 豊葦原神社摂社矢房神社(武甕槌神 ) 熊本県八代市豊原上町
肥後国球麻郡 大瀬阿蘇神社摂社矢房神社(祭神不詳) 熊本県球磨郡球磨村
          渡阿蘇神社摂社矢房神社(祭神不詳) 熊本県球磨郡球磨村

薩摩国日置郡 八房神社(孝靈天皇 源爲朝) 鹿児島県串木野市下名
薩摩国出水郡 矢房神社(豐受姫命 琴平神) 鹿児島県阿久根市脇本
薩摩国鹿児島郡 八房神社<通称>健康神社(八幡太郎義家) 鹿児島県鹿児島市犬迫町

 祭神はさまざまです。

 先ず、鹿児島市の八房神社については、由緒か載っていましたので、検討して見ます。

 平成に入って社殿改築や境内整備、「地球一の大虎」安置などが行われ、とても綺麗に整備された神社でした。「トラ(阪神タイガース)ファン」にとっては格好の祈願社なのでしょう、この日も男性が二人、大虎に向かって熱心にお参りしていました。

 御祭神:八幡太郎義家、瓊々杵命、木花開耶姫命、彦火々出見命、玉依姫命、鵜鴎草葺不合命、神武天皇
 由緒:享禄3年(1530)比志島義祐により建立されたものです。祭神のうち瓊々杵命以降は近くの霧島神社を合祀した故のようです。

 神社を建立した比志島氏は源為義の末裔で、為義の祖父は源義家すなち八幡太郎で、源氏の祖とあがめて祀ったのでしょう。比志島義祐は祖先を祀る神社に八房の名を付けたのです。子孫が多くのブドウの房のように栄えることを願ったネーミングなのか、虎の乳首は八つあるとかで八房とか、祖先を祭ることを、当時にはヤブサと言う言葉で表していたのか、よくわかりません。


 もう一つの矢房神社 福岡県宗像市日の里 については由緒がネット上にありました。

 矢房神社は、鎮座地が古墳の墳丘跡だった可能性もあるけど、位置関係から見て「東郷高塚古墳の遥拝宮」だった可能性も考えられなくもない。

 と言うコメントに遭遇しました。古墳を祀ることは、そこに眠る祖神を祀ることに他ならず、ヤブサを祖先を祀る意味があったと思われます。
 

やぼさ、やぶさ

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月14日(月)21時12分31秒 ag088114.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   対馬を五十猛神を祀る神社を参詣しようと訪問してから約10年になります。

 その時に由緒を調べていましたら、天台矢房という言葉に ;二度も突き当たりました。一体何だろうと思いつつ、今日まで来てしまいました。

地主神社 対馬市上県町女連85番地
貞享三年(1686)の『神社誌』には佐奈豊軍殿(さなどいくさどん)、天台矢房(やぼさ)が記載されている。

国本神社 対馬市上県町瀬田1番地
『対州神社誌』によれば、瀬田には熊野権現、三宝神、天台矢房がある。

曽根崎神社 対馬市上対馬町五根緒
「神社大帳」には「曽祢山形社。或は野菩薩神と云ふ。神体紫石」とあり、この名称の曽根というのは地形状の「そね」とみられ、山房というのは町内に多いヤブサ神で、矢房と書いた例が多い。

 神社の由緒には上記のような記述がありました。

 やぼさ、やぶさ の名前の神社を、『平成祭CD』とネットで調べて見ますと、全部九州でした。それも西側が主でした。

対馬国下県郡 山本神社摂社矢房神社(矢房神) 長崎県下県郡美津島町
          嵯峨神社摂社矢房神社(氏子の祖靈) 長崎県下県郡豊玉町

とりあえず、対馬のヤブサについて検討します。『上對馬町誌』に、以下のようにあるそうです。

 野菩薩、山房、矢房、曽根山房、そばへやぶさ、天台矢房など様々である。「やぶさ神」の全島分布は、豊崎郷九社、伊奈郷三社、与良郷三社、計一五社である。社殿、鳥居のない社が多い。「天台やぶさ」の名称が多いのは、天台密教が関与したものであろう、神仏習合の信仰か……。
……たまたま、古里氏が家に伝わりし、天台野菩薩の掛繪を見るに、雲中に龍の如きもの、又異獣有りて、人雲に乗り、中程に烏帽子の如きものを着し人、弓を持ち、頭は龍の如く、体は馬の如きものに乗り、以下左右に具足陣笠を着、手にものを持ち、二人雲上に立つ。又一幅は具足を着て帯刀し手弓矢を持て、左右に立筆四人、何なる事を知らず。と述べている。しかと性格がわからぬ信仰故、参考に記しておく。
以上

『仮称リアス式』の    『長崎県大百科事典』引用から
 壱岐、対馬は最も多く、壱岐では梓巫女市の念じ神でもある。市は矢保佐の神前で弓を弾じ百合若説教を読誦して病魔退散平癒の祈祷をする。これを風打(かぜうち)と称して業とした。この神の本質はわかりにくいが、天台矢保佐の名があり、天台宗の巫女の帰依神である。対馬の一神職は「対馬の神は岳神、茂神、藪神の三種です」といった。天台宗は山岳宗教であるが、巫女は女性であるから山岳に入るを得ず。藪神によって得道するものであったろうか。矢保佐の神はきつねを令使とする。ヤボサの「サ」は神霊を意味し、上に地名を冠し何々ヤボサと称する。


 ここまでの資料では、対馬のヤブサ神につてはよくわからないと云うことですが、祭神に「氏子の祖靈」がありました。普通、祖霊社などと称しますが、対馬の場合は『平成祭CD』では、嵯峨神社摂社矢房神社以外には見あたりません。祖先を祭らない日本人はいないと思います。対馬の場合には、それが矢房神の名で祀られた可能性が感じられます。
 

Re: < Re: 大変御無沙汰を致しております>

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月 9日(水)17時16分24秒 aa031252.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.410[元記事へ]

いこまかんなびさんへのお返事です。

 凄い記憶力ですね。驚嘆です。

 光秀の子孫と出会ったことを思い出しました。

 ありがとうございました。

 9月の「難波の古代史研究会」は生駒山がテーマで、「膽駒・神南備山の本記」から住吉の神の足跡のお話をさせていただきました。

http://www.geocities.jp/iko_kan2/index.html

貴ホームページを大いに参考にさせていただきました。感謝です。

http://kamnavi.jp/log/ugaikoma.htm

 

Re: < Re: 大変御無沙汰を致しております>

 投稿者:いこまかんなび  投稿日:2016年11月 8日(火)20時06分29秒 58-70-65-13f1.osk2.eonet.ne.jp
返信・引用
  神奈備さんへ
お久しぶりです。横から失礼します。
メイさんとは、2006.4.10に高津神社からの帰り、鶴橋の田で直接お会いした方だと記憶していますが。
 

Re: 土佐から還ってきた神について

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月 7日(月)09時25分15秒 aa031252.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.407[元記事へ]

6.『三代実録』(859)
 高鴨阿治須岐宅比古尼神が従二位勲八等から正一位に昇っている。
 高鴨神が従一位になっている。
 この時期には阿治須岐宅比古尼神は高鴨阿治須岐宅比古尼神と呼ばれていたと云うこと。一方、高鴨神は一言主神(事代主神)の祖神であるから大穴持神社の神と云うことになる。


7.延喜式神名帳(905) 葛上郡
 高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 現在は、阿治須岐高彦根神 配 下照比賣命、天稚彦命の三柱である。これに母神の多紀理毘賣命を加えれば四座となるが、アジスキ以外は不詳。


外の葛上郡の式内社
葛木坐一言主神社(名神大。月次相甞新甞。) は、後に名神大社となるが、新抄格勅符抄には記載がない。
大穴持神社 御所市朝町宮山に鎮座。この宮山には鉱床があり、現在の高鴨神社の地下につながっている。二社一体の神社と言える。


         以上
 

Re: 大変!御無沙汰を致しております。

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月 6日(日)16時38分56秒 aa031252.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.406[元記事へ]

メイ  (現在は女優 吉田 知永)さんへのお返事です。

 この掲示板への書き込みは、悪戯的なものを除いて、全て保存しています。

 どうも「メイ」さんのハンドルネームでの投稿は見つけられませんでした。

 いずれにしましても、5%からの御生還、おめでとうございます。

 その強運で、厳しい世界を乗り切られますように、応援させていただきます。
 

Re: 土佐から還ってきた神について

 投稿者:神奈備  投稿日:2016年11月 5日(土)10時02分50秒 aa031252.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.405[元記事へ]

4.『記・紀』(712~720)
 雄略天皇が葛城山に猟に出かけた際、一言主尊が出現し、当初は緊張関係にあったが、結局、天皇と神は仲良く猟をしたこという。


 ●葛城の神(一言主)の神域である葛城山に天皇が踏み込んできたと云うことである。葛城山の神々は早々に追い出したい。ある神はイノシシをして突進させたが果たせなかった。一言主は追い出しに失敗し、妥協した。そこに「老夫」の姿をした神が現れて、狩猟の邪魔をしたと思われる。それが高鴨の神であった。葛城山は鴨山とも云い、高鴨神の神奈備であった。一言主の祖神に当たる神と考えられる。またその名からは鴨神の祖神とも云うべき存在と言える。


5.新抄格勅符抄(806)年
高鴨神 五十三戸 土佐廿戸、大和二戸、伊与三十戸。
鴨神  八十四戸 大和三十八戸・伯耆十八戸・出雲二十八戸。
 高鴨の神の戸数の内、大和は二戸(四石)であり、これは追放されていたので、大和での地盤を築けなかった神と見ることができる。残りが土佐・伊予である。
 一方、鴨神は大和以外に伯耆・出雲であり、明らかに味鋤高彦根尊である。事代主神も鴨神と言えるが、この神は出雲に拠点はない。


● 高鴨の神とは鴨の神々の祖神と考えることができる。即ち大穴持の神である。葛上郡には式内社の大穴持神社が鎮座しており、帰還後は暫く高鴨阿治須岐託彦根命神社の高鴨神として祀られていたが、後に大穴持神社に遷されたのだろう。
● 大穴持神の裔である一言主は事代主の一面の姿と言える。


 

大変!御無沙汰を致しております。

 投稿者:メイ (現在は女優 吉田 知永)  投稿日:2016年11月 5日(土)00時58分32秒 om126161022134.8.openmobile.ne.jp
返信・引用
  神奈備さま

オフ会などで、楽しませて頂いておりました、
通称「メイ」でございます。
御記憶頂いておりますかどうか。
誠にお久しぶりでございます。m(_ _)m

3年前、生存率5%の事故に遭い、
もう、普通の人生は無理か、とまでなりましたが
悪運?強く?、甦り、東映は引退しましたが、
女優に復活し、webドラマ出演中、そして、
以降は、映画にも出演を果たせる予定です!
皆々様の、温かい御気持ちに支えられ、
復活を果たせました事を、感謝しております。

私は、桂川沿いに長年住んでおりましたが、
これも、明智光秀公からのお招きでしょうか。
直径ではありませんが、光秀公の子孫にあたり、
桂川を渡り、光秀公の最期の地とも言えます、
勧修寺近くに移転し、また、
通り沿いから登りますと、岩屋神社があり、
子孫の血が騒ぐ?と共に、数々の土地の歴史、
文化などを、改めて勉学致しております。

京の裏座敷とも言える、豊かな山々に囲まれ、
奥深い歴史と謎めいた伝説に溢れた、
本当に心休まりながらも、興味の絶えない、
恵まれた環境の中、女優として活動しながら、
やはり、またまた歴史探訪・追究に、
再度、邁進致しております。(*^^*)

岩屋神社の情報に、感謝いたします。
直系ではなくとも、やはり子孫ですね。
この町には、光秀公に招かれた気が致します。

神社仏閣探訪の「メイ」もですが、どうぞ、
女優・吉田知永も、今後とも、
心から、宜しくお願い申し上げます。m(_ _)m

吉田  知永 (メイ・オラエ)   拝
 

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