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  • モウさんのお洒落で小さな書斎

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時04分32秒
 
「モウさんのお洒落で小さな書斎」は、モウさんが投稿してくれたものを集めました。
その内容が素晴らしい内容で「喧嘩スレ」ではスグに流れてしまう為に、独立したスレとして立ち上げたのです。
「資料スレ」にあったものもこちらに移し、モウさん全集の様なものができれば良いなと勝手に妄想しました( `ー´)ノ
今後もモウさんの研究発表的な投稿を、こちらに大切に保存していきたいと思います。
 ※ちなみにスレ名はクジラの独断です。モウさんお許し下さい(*ノωノ)
皆様、研鑽の糧として下さい。宜しくお願いします!ヾ(^∇^)/では

モウさんの「読める開目抄」http://blog.livedoor.jp/mou_oyasumi/
モウさんの「漫画シアトル事件」http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=45645611

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  • 報恩抄と祈雨のこと ③

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)13時02分47秒
  • 返信
 
報恩抄と祈雨のこと ③

- 投稿者:モウ  投稿日:2016年 2月 9日(火)22時19分30秒

以下、勝負の内容に踏み込んでみよう。

大聖人はどこにも、この後、雨を降らしたとは書かれてはいない。良寛が嘘つきだとさえ
分かればそれでよかったのだ。だからどちらかだと断定する意味はあまりない。

ただ記述してなくても降雨があった可能性はあるだろう。いつかは雨が降るにしても、大
聖人が祈るとすぐに雨が降ったのかもしれない。ではなぜ書かなかったのか。

大聖人は、蒙古襲来をあれほど声高に言われたのに、予言が的中した後は自賛を禁じたお
人柄の人だったのを思い出してほしい。頼基陳状にしろ下山御消息にしろ、受け取った人
は、御手紙を携えた人に、「こんなことを言うけど、大聖人の番にはどうだったのか。」
と必ず聞くだろうから。謙遜して文章にされないほうが、あるいは陳状書の効果は増すと
いうものだ。

またやがては降ったであろう雨を自分の祈りとは無関係に見られた可能性も十分にある。
17日間も降らなかったとさらりと言われているのがそれを指すのかもしれない。
何度も言うが、祈雨の勝負は、雨を降らす力くらべという趣旨ではなく、良寛が、普段か
ら、自分の祈りによってありがたい雨が降るのだと法外の能力を吹聴していたからなのだ。
大聖人が雨を降らせたいと申し出たのではなく、悪侶が仏法を行じて霊験あらたかな祈り
で雨を降らすことができるというのに対して、それは嘘なので勝負してやろうと言い出し
たものだからだ。
この大切な背景を見失わずにいると、多くの霧が晴れるのではないか。
なぜ、大聖人の番になって降らせたという記述がどの御書にも無いのか。
なぜ、人々が困窮しているのに、大聖人は「雨は降らないぞ」との立場を貫いたのか。
なぜ、手紙を読んだ人々は、その大聖人の姿勢に何の顰蹙も不審さも抱かないのか。
そもそも、それほどの些事で降雨を左右できるのなら、旱魃の最初に降らせてほしい。

つまり大聖人が雨を降らせないように支えたというのは良寛側の恨みごと、またはそれに
便乗した大聖人の皮肉であって、大聖人が降らせないというよりは、この頃には、雨が全
く降らない日が続くのだと、そう世の中の人は思っていたことが前提だったのだ。
だからこそ、祈雨を祈る良寛に、大聖人は正しい仏法ではないから降らせられないよと宣
言されたということになる。ではなぜ人びとはそう思ったのか。

世の中の人が降雨がない状態が続くのが普通だと思ったことは、祈雨に至る経緯による。
文永八年六月十八日、この年は春から初夏までずっと晴天が続いたと言われている。
およそ数か月も雨らしい日が無かったのだ。

この文永八年六月十八日を西暦に換算すると、
http://can-chan.com/koyomi/qreki-seireki.html(旧暦-西暦の相互変換)のサイトで
計算すると、1271年8月2日になる。こちらは御書のとおり「辛未」の年となる。

http://koyomi8.com/9reki/9rekicgi.htm(新暦・旧暦変換計算)のサイトで計算すると、
1271年7月26日となる。ただし、「庚戌」になるので、御書には合わない。

関東地方の平均の梅雨入りは6月8日で、梅雨明けは7月20日、その間は43日間。
つまり近代と天候が変わっていないものとして、大量の雨が期待できるはずの季節に梅雨
がまだ来ていなかったのだ。現在なら、から梅雨と呼ばれる現象だと知られている。

例年どおりに来るべき梅雨がまだ来ない。だから祈雨なのだろうけど、良寛側は遅れても
梅雨がくるのではないかと期待したのだと私は思う。人を殺害することに躊躇もしない人、
さまざまに卓腕の事業家の良寛が、何の憶測も無く祈雨をするとは私には考えにくい。

きっと、「遅れてくることはよくあるだろう。夏が来る前に一雨が来るに違いない」と。
そう期待するほうが自然だろう。「いやいや、これは来ないよ、きっともう」と思うのが
百姓たち、だいたいは分かっていた。

ではなぜ、大聖人は一宗をかけて、降らないと断言出来たのか。結局、17日間も降らな
かったにしても、大聖人は最初の約束で確かに7日間だと日を切ったのだ。

最大の理由は何か。良寛とは、決して、法を述べ合う勝負の関係ではなかった。大聖人の
門下が次々と弾圧されて殺されていったことを私たちは忘れはならないと思う。 大聖人
御自身もこの後、良寛の讒言で断首されようとするのだが、御書の表現によると、良寛ら
の策謀によって殺された門下は数百人に及んだとある。それを止めたくても相手は正面に
立たない。だから何としてでも、本当に切実な思いで根を断ちたかったのではないか。
きっと今回のことは千載一遇の機会に見えたことだろう。
だから、ことのついでとの表現だし、この前にも後にも祈雨の勝負はされていないのだ。

正確な天気予報は近代のものだから、当時の人は何も知らなかったと考えるのは傲慢だ。
大聖人は「海人が子」と、海側の生まれ育ちで、当時の大きな寺院に入れるほどの周囲に
人脈があったのだ。当時の日本は、日本海側を中心に海路が目まぐるしく発達した時代だ。
漁師が小舟で魚を取るイメージでははなく、精塩事業から、遠国までの商品の流通等、
大聖人の生家がどうであれ、大聖人は深淵な知識と合わせて、広範な情報網を持っていた
ことは、歴史を検証すれば間違いのない所なのだ。

蒙古襲来の予想もそれらの情報網に支えられていたわけで、文永5年に元から脅しの国書
が送られてきたときには、大聖人はその国家機密を文面まで正確に把握しておられている。
いくら悟りがあったって、見もしない文面を丸々書くことなんてできるわけないだろう。

当時の海からもたらされる情報を大聖人が把握していたことは想像に難くない。自分たち
の地域から高名な僧侶が出てるのに、その地域の庶民が協力しないわけがないだろうし、
それほど人望がないはずはないだろう。それとも海民が雲も知らないとか思えるのか。

余談だが、大聖人は当時の民衆を相手にせずに武家ばかりを相手にしていたという学者た
ちがいる。彼らの決定的な論拠は、熱原の百姓を愚かだと表現しているからだと言う。
近年の学者は御書もみずにネット検索で物を言うようだが、煩瑣になるので省略する。
大聖人の門下には実に大勢の人たちがいて、先の弾圧された人々もそうだが、文献に登場
する人々は、ごくわずかであるのを知ってほしい。

当時の北条氏は沖縄のすぐ近くから蝦夷までを直接の統治に組み入れて、交通量はすごか
ったと推測されているが、実はよくわかっていない。少なくても言えることは、当時の海
民の実態や、航行技術や、天候を予測する技術がどのようなものであったかは、失われて
しまって分からないのだ。だからと言って、何も知らなかったと考えるほうがおかしい。

そもそも国の知識層は、民衆の技術を見逃しがちなのだ。コペルニクスやガリレオが地球
が丸いと発見したとか、教会と争そう以前、ずっと昔から漁師の間では知られていた。
水平線の向こうに消える船を見れば下側から隠れていくのだ。しかもそれは高い所から
見るほど角度の差異が激しい。船乗りをやっていれば地球は丸いというのは実感するこ
とだが、知識人に言うと、それを頑として馬鹿にして否定して聞かなかっただけなのだ。

通常の雨と異なり、梅雨は中国側から来るのではなく、南から北にと梅雨前線が北上して
くるのだ。日本の海域を北に南に航行する人たちが、梅雨がどのように移動してくるかも
知らないと考えるほうが、よほどおかしいではないか。

九州地域の前線が関東地域に来るのがちょうど7日間だ。だから大聖人は七日と言われた
のだと私は予想する。九州から手前が降っていないのに、前線がこちらに来るものかと。
しかしまた、それに限らず、大聖人は当時の天候の知識を普通の庶民から、あるいは書物
から得られていたのだと思う。きっと決定的な予測から確信されて、勝負に臨まれたのだ。

そして御書にこうある。雨が降ることは、天台大師の言葉が頻繁に引用されている。

「天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」
等云云、妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、天晴れぬれば地明かな
り法華を識る者は世法を得可きか。」(P254)
(意訳:雨が盛んなことから、竜の大小を知ることができる。このように法華経を知る人
は世間の法をよく知っているものだ。)

「雨は竜の大小により」(P809)
(意訳:雨の大きさは、竜が大きいか小さいかによる。)

これらは譬えを借りて大聖人の御事績を言われているのだ。御書の譬えられる話の多くに
は、知識を授けるためだけでなく、大聖人の思い入れがあるものと私は考える。
そして次の御書には、雨を表す竜を知る蛇について、こうある。

「蛇は七日が内の大雨をしり烏は年中の吉凶をしる此れ則ち大竜の所従又久学のゆへか、
日蓮は凡夫なり、此の事をしるべからずといえども汝等にほぼこれをさとさん」(P284)
(意訳:蛇は七日後までの大雨を知る。それは蛇が大竜の所従だからか、それとも蛇が
長年に勉強してきたからであろうか。)

ここだ。蛇が竜の家来だから雨を知るというのは分かる。でも蛇は勉強なんかしない。
それを長年、勉強したから七日までに雨があるかどうかを知ることができるのだと。
これは蛇と言いながら、大聖人の思いを含んでいるのではないだろうか。

このように知略の勇気の勝負で良寛に勝ったのだ。だから仏法上の法義ではないのだよ
と、ことごとくに言われているのだ。実際に大聖人が他人が祈るタイミングで雨を降ら
さないように仕向けることができないのは、この次の出来事ではっきりする。

つまり話はこれで終わらないのだ。

昔の人は馬鹿ではないように、敵側の人間も馬鹿ではない。二度目の対面の時に良寛の
祈雨の勝負で丸々、メンツをつぶされた平左衛門尉は、どう思ったのだろうか。
もとより大聖人を殺そうとしたのだから、大聖人を信じてないどいない。悔しく思い、
なぜ、大聖人が予言できたのかと、その思いが心の多くを占めたのではないだろうか。

当然、海の交通を担う北条家が、いつまでも梅雨が北上してくること、天候の動きは、
雨雲と共に来ることに気づかないはずはないだろう。大聖人のように何日も前のことま
では言えなくても、1日前くらいのことなら、海を渡ってくる前の雲の動きを追えば、
ある程度は言えるだろう。敵もさるもので、一国の長が、必ず、やられっぱなしで黙す
ということではないはずだ。

雨が降る日を予想することは出来なくても、雨が降るだろう1日前に祈雨の依頼を仕立
てることはできる。そう、祈雨を始めたら1日目に降ったから不思議なのではなくて、
1日目ぐらいだからこそ当たりを仕立てあげられたのではないか。

大聖人にとっては、弟子たちを救うために、たった一度、相手の祈雨のメンツをつぶす
ことで大成功だったわけだが、二度目の対面で恥をかかされた平左衛門尉はそれでは、
済まない。三度目の対面の後、国家のメンツを取り戻すために、今度は大聖人の聞き知
らぬところで、当時の最も有名な真言師である法印を呼び出し、祈雨を依頼する。

つまり文永十一年、四月十日、先のサイトでみると新暦では、1274年5月24日。
この日に祈雨をして、案の定、翌日に雨が降り出して、これを大宣伝したというわけ。
「大聖人は謗法だから降らないとか言ったけど、祈り始めてすぐに次の日に降ったぞ」
と。

これを、大聖人は後日に聞くわけで、いくら大聖人でも、知らない時にそんなことをさ
れても、どうしろと言うのか。勝負なら自分に話が合ってのことで、知らぬ間に負けた
ことにされたのは理不尽だが、でも鎌倉の人たちは法力だと思ってるから、大聖人は、
ああ言ったけど、ちゃんと雨が降るではないかと、どよめき立った。大聖人の門下でさ
えも「日蓮が弟子等けうさめてこれは御あら義と申せし」(P922)と、弟子たちも興冷め
して、ちょっと無理があったよねと文句を言い始めるのだ。

この時に(もちろん後から御書で冷静に書かれているのだが)、大聖人はどう言われたの
か。種種御振舞御書にこうある。

「かかる僻事を申す人の弟子阿弥陀堂の法印が日蓮にかつならば竜王は法華経のかたき
なり、梵釈四王にせめられなん子細ぞあらんずらん」(P922)
(意訳:このような不正義を話す法印が日蓮に勝つのならば、雨を司る竜王は法華経の敵
となり、梵天や釈尊に責められてしまうことだろう。何か詳しい事情や意味があるに違い
ない。)

と。これが大聖人なのだ。
法義から、つまり信仰から、こうあるべきだとは言われるが、現実がそうでなくても簡単
にあきらめたり、折れたりしない。
現実の姿をまず受け入れて、そこから格闘があるのだ。さらにどのような意味があるのか、
深く、深く、戦っていこうとされる。それは理想を掲げているというより、理想に向かっ
て戦っていく姿そのものに意義があるように思える。
そうして、現実に、理想を実現させていくのが、信仰なのではないだろうか。

大聖人が負けたことになるのなら、雨を降らせた竜が悪いのだと。
何か意味があるのに違いないと。

ところが、これに対して、大聖人の弟子は、嘲笑するのだ。
「子細ぞあらんずらんと申せば、弟子どものいはくいかなる子細のあるべきぞとをこつきし
程に、」(P922)
(何か仔細があるのだと大聖人が確信をこめて言うと、弟子たちは「何の事情があるという
んですか(笑)」と嘲笑した。)

ここも読んで違和感がないだろうか。大聖人の弟子なのだ。弟子を続けているのに、先に大
聖人が確信を込めて言うと、あざけわらったのだ。これでは大聖人が嫌いなのかと。
つまり弟子たちは、先の祈雨の勝負の事情を知っているからこそ、今回の敵側の雨にどうし
ようもない思いになって、興冷めしたあと、何か意味があるのだと考える大聖人に対して、
「何の事情があるんですか。」と、信じようとはしなかったのだ。

結局、この法印の祈雨は、雨が大風に変わって、初夏なのに台風になってしまい、家屋を
飛ばし、死者を出し、多くの人を困らせた。臨まぬ勝負だったのにも関わらず、結局は、
大聖人は勝ってしまう。だからやはり大聖人は、不思議な存在なのだろうか。付け加えて
おくと、このとき、大聖人は、鎌倉の当地の雨だけでなく、周辺の雨の降り方まで言及さ
れている。この日、どこの地域で雨が強かったのかと。なぜそこまで知ろうとされたのか。
降雨の地域情報を入手されていた一例は、御書の中にも厳然とあるのだ。

そして勝負には最後まで勝った。
だが、大聖人がそこで付け加えて言われていることは、こうだ。

「天台のごとく千観なんどのごとく一座なんどこそたうとけれ、」(P922)
(天台らのように、その場で雨をが降らすことが出来てこそ、尊いと言えるのだ。)
そうだと思う。
たまたまでも雨は降るだろうって。その場で当意即妙に降らせることが出来てこそ、初め
て不思議だと言えるだろうねと。実に堅実な見識ではないか。現代人の私が見ても全くそ
う思うことは同じだ。





  • [27]
  • 報恩抄と祈雨のこと ②

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)13時01分9秒
  • 返信
 
報恩抄と祈雨のこと ②

- 投稿者:モウ  投稿日:2016年 1月29日(金)21時52分56秒

/★ 大聖人の祈雨の勝負について ★

大聖人の法門を見つめる視点は、前回に述べた。

だが世の中は、なかなかそうは思ってはくれない。だから当時の皆が思うことに沿って、
目に見えた勝負で決さないといけなかったのだ。それが大聖人の祈雨の勝負だ。

法門について書かれた報恩抄には、祈雨のことをこれほど詳しく述べているのに、この
御自身の大勝利した勝負のことは、ほんの微塵すらも出てこない。
このことからも、祈雨の勝負の真意がどのようなものか分かろうというものだ。

実は文永8年の祈雨の勝負の後のほとんどの御書には、その記載はない。そしてあらゆる
御書に、勝負の行く末、大聖人が雨を降らせたことを自ら語る御書は存在していない。
何故、書かれないのか。それは言うなれば、書く必要がないのだ。

大聖人は、よく大切なことを伝えるために、わかりやすい表現を用いられた。いつでも厳
密な法門をそのまま展開されているわけではない。例えば、死後にどのような世界に迎え
られるかを多くのお手紙に書かれて、故人を讃えて、残る人々を安心させているけれど、
仏法の常識では、死後に人が誰かに手をたずさえられて道を歩く世界は無い。

「中有(ちゅう)の人には十二因縁(じゅうにいんねん)具(つぶさ)に之無し
又天上にも具には之無く又無色界にも具には之無し。」(P407)
(意訳:死んだあとに、人がものごとを考えたり、感じたりする世界は無い。)

これをもって、大聖人を嘘つきと思うなら、およそ、ものごとを真面目に考えていない。
これまでも私は何度も述べてきたが、昔の人は馬鹿ではない。お母さんが子供に夜の空に
浮かぶ月を指さして、月の伝説を子供に語っても、月にウサギが住まないことは、子供で
も見れば分かることだが、その共通の表現を受け入れ、共通の話の土台とするのだ。

実際には分からないことを、そうでないと知りつつ、同時にそうであるかのように認識し、
例えで語り、受け取る側もそこから話者の意図をつかむ。つまり真実でないことと真実、
そのどちらの表現も大切だったのだ。

大聖人と良寛との祈雨の勝負は、これと同様の表現がなされている。
報恩抄のような内容、法門を率直に語ったものではない。が、また矛盾するわけでもない。

良寛との「祈雨の勝負」とは、良寛という律宗の僧侶が、旱魃が続くので雨ごいを行おう
としたところ、大聖人が、良寛の祈りでは絶対に降らないと持ちかけたものだ。もし七日
の間に降れば、大聖人は改宗して良寛の弟子にでもなると。一宗をかけた勝負にしようと。
結果、雨は七日たっても降らず、延長した次の七日も降らずに良寛は完璧に敗れた。
面目をつぶされた良寛は頭を下げるどころか、大聖人をなきものにしようと画策する。

良寛がどんな人だったのかは、「良観忍性との祈雨対決」(日蓮宗 妙覚寺 高橋俊隆)
に詳しい。 http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index146.htm

重要な視点は、彼は、虫も殺さないという戒律をもつ徳の高い僧侶として有名なのだけど、
他人の命は平気で奪おうと画策した人間だ。高僧などといえど、その正体は知れている。

良寛との祈雨の勝負は、「頼基陳状」(P1153)と、「下山御書」(P343)に詳しい。
これらの御書は、どちらも明らかに対外的な意図があって書かれている。どちらの御書も
仏法を誤解した主君から門下が追い出されそうな危急の時に、彼らの主君に向けて、大
聖人が自ら草案を代筆されたものだ。だからどちらの文章も信徒の視点で書かれている。

危機に瀕しており、少しの表現のゆるみも、誤解を広げて最悪の事態を招きかねない。
何しろ送り先は、大聖人を誤解しているのだから、法門の詳細な見解どころではない。
難しい視点は避け、あなたの信じる良寛は、こんな奴ですよ、と示せればよいのだ。

頼基陳状では、大聖人は、四条金吾の立ち場として、祈雨の勝負をこう語らせている。

「此体は小事なれども 此の次でに日蓮が法験を万人に知らせばやと仰せありて」(P1157)
(意訳:祈雨なんて小さなことだが、ことのついでに、日蓮の正しさを知らせようと)

仏法の本当の法門から見れば、取るに足りない小さなことなのだと。
そんなことすら出来ない良寛をやみくもにありがたがるのはやめたほうがよいのだと。
日蓮の法験を知らしむとの表現は、良寛と同じ立場を示したもので、本書の意図からすれ
ば当然のことで、ここでもし客観的な陳述になれば、読むほうは、わけがわからない。

対等な勝負なのだからこれでいいのだ。合わせて、取るに足りないこととの表現が、行き
過ぎにきちんと歯止めをかけている。仏法の本来の意義と離れ、ついでのことだとの表現
してみせることで、含みを持たせていることに留意したい。
繰り返すが、大聖人は、この勝負を「ことのついで」だと述べておられるのだ。

頼基陳状には、良寛との祈雨の勝負が詳しく書かれている。内容はここでは省略したい。
頼基陳状で祈雨を述べた趣旨は、このように結論されているのだ。

「約束のままに日蓮が弟子ともなりたらば道心の少にてもあるべきにさはなくして無尽の
讒言を構えて殺罪に申し行はむとせしは貴き僧かと日蓮聖人かたり給いき又頼基も見聞き
候き」(P1158)
(意訳:約束通りに日蓮の弟子になると言うならまだ良いが、幕府に働きかけて讒言して
日蓮を殺すように依頼している。これがはたして尊い僧なのかと大聖人が語っている。)

これがはたして尊い僧なのかと。これが、この祈雨の勝負を書いた意味なのだ。
あと、途中で下の御書のような表現もあるが、これも本抄の意図からは特別でもない。

「後生をそろしくをぼし給はば約束のままにいそぎ来り給へ、雨ふらす法と仏になる道を
しへ奉らむ七日の内に雨こそふらし給はざらめ、」(P1158)
(意訳:良寛は勝負にまけたのだから謝りに来るべきだ。雨を降らす法も、仏になる道も
教えてやろうと言ったのだ。)

雨を降らせる方法を大聖人が教えてあげると言う。ここも雨を降らせると豪語した良寛に
勝負を挑んで勝ったのだから、これぐらいの言葉の勢いがあってもよい。実際に大聖人が
降らせられるのかという問題とは無関係なのだ。なぜなら、もしそこにこだわって、これ
を単なる勝負と見るなら、後で述べるように大いなる矛盾と大変な誤解を生んでしまう。

次に。

またもう一つの御書、下山御消息にも祈雨の勝負が詳しく述べられているが、これまでの
内容と同じなので大筋は省略したい。結局は、これらの御書を与えられた人、つまり四条
金吾は危機的な立場を乗り越え、因幡房は下山氏が大聖人に起伏に至るのだから、十分に
勝負の記述は門下の危機を救い、功を呈したのだ。

下山御消息で一つだけ記すなら、なぜ祈雨の勝負をしたかの理由が記された最初の所。

「現証に付て事を切らんと思う処に、彼常に雨を心に任せて下す由披露あり、古へも又雨
を以て得失をあらはす例これ多し」(P349)
(意訳:現実の証拠で彼の悪を暴こうと考えたところ、彼が常に雨を自由に降らすことが
できると吹聴していることに目をつけた。古の時代も雨で徳を示したではないか。)

良寛が、常に「出来るんだ」と吹聴しているから、人々に得失を促すためにやったのだ。
決して大聖人の仏法そのものを掘り下げることまでが本意ではない。

ここが分からないと随分と変な話になることに自然と気がついてほしい。例えばこうか。
「やはり大聖人が悟られてるから示せる法力なのではないか。良寛に雨を降らせる道を
教えてやろうとまで言われてるんだからな。なんといっても、大聖人が雨を降らないと確
信を持って言われたのは不思議なことだろう。」とか。

たしかにそうは言われてるのだが、次の「種種御振舞御書」にも祈雨の勝負のことが少し
記されてるので、読んで、冷静になって状況を考えてほしい。
この種種御振舞御書は、本当は誰に宛てたかは確定されてないが、それは重要ではない。
平左衛門尉と対面したときに大聖人が語ったシーンを回想しているので、語った相手は、
まるでこっちを向いてない、法門なんかあさっての方を向いてる平左衛門尉なのだから。

その人に良寛が祈雨の勝負でいかに敗れたかを再確認して語ったという。

「せんずるところは六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして日蓮に支へられて
ふらしかねあせをながしなんだのみ下して雨ふらざりし上逆風ひまなくてありし事」(P912)
(意訳:良寛が祈っても、日蓮が晴天を支えたので雨を降らすことができず、良寛は汗を
流して祈り、涙を呑んで悔しがったが、ついに雨は降らなかった。)
(注:涙は悔しくて流したらとしたのは、頼基陳状の「使者ありのままに申す処に良観房
は涙を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる」(P1158)の表現を参考にした。)

日蓮が晴天を支えたのだとある。これは良寛房が悔しがってそう憎まれ口をたたいたのを
省略して書かれたのかもしれないが、どちらにしても大聖人も弁解もせずにこういう表現
を採用されているのだ。これまでの頼基陳状や下山御消息の文面を見ても、大聖人が雨を
降らせない側なのだ。そうすると周囲に示されたこの“日蓮の法の験”とは何なのか。

当然、日蓮の法力というからには、この後、大聖人が雨を降らさなければ、お話としては
おかしくなってしまう。だが、それは御書にもどこにも一切、記されてはいない。
また仮に降らせられたのだとしても、約束の七日が終わって、その後の次の七日も雨は降
ってはいないのだ。上の三つの御書には、次の七日目も良寛が降らせなかったとあるので、
良寛が悔しさに期間を延長したように考えがちだが、意外にも勝負は七日で終わっている
ことは、頼基陳状、下山御消息の両御書をよく読めば明記されているのだ。

「此に両火房祈雨あり去る文永八年六月十八日より二十四日なり」(P349)
(意訳:良寛が祈ったのは、6月18日から24日までの7日間。)

「すみやかに其のいのりやめ給へと第七日の申の時使者ありのままに申す処に良観房は涙
を流す弟子檀那同じく声をおしまず口惜しがる」(P1158)
(意訳:約束の七日目に終結宣言をした。良寛らは涙を流して悔しがった。)

この最初の七日の後に大聖人が延長を認めたなどと読める記述はない。また大聖人がそれ
を認める必要もない。良寛が祈るのをやめたはずなのに、それでも風が強くなり、次の七
日間も降らなかったではないか、良寛のせいだと惨状を追記しているに過ぎない。最初の
七日目できちんと大聖人は、こう勝負を終結宣言されているのだ。

「七日の間にいかにふらし給はぬやらむ、是を以て思ひ給へ一丈の堀を越えざる者二丈三
丈の堀を越えてんや」(P1158)
(意訳:七日で降らせなかった。これを以て、成仏などもっての他だと知りなさい。)

しかし一方では、種種御振舞御書には、良寛の祈りが17日間続いたとも書かれている。

「せんずるところは六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして」(P912)
(意訳:結局は、6月18日より7月4日までの17日間も良寛が祈ったのに)

14日間ではなく、具体的に17日間とあるから18日目に雨が降ったのかしれないが、
知る由はない。要するに17日間も降らなかったのは、全部、良寛のせいだということが
言われたかったのだろう。良寛にはそんな力しかないのだと。もちろん、種種御振舞御書
の記述は、勝負の内容を省略しているので鵜呑みには出来ないが、良寛が次の七日までた
とえ一方的にでも祈りを続けた可能性も否めない。詳細な事情はさまざまに考えられるが
どちらにしても大聖人は14日間以上も、大旱魃で降らせない側に立っていたのだ。
これを勝負だと言われたら、人々の思いはどうだったのだろう。

ここまで読むと、大聖人がもし自由に雨を降らせる力があるなら、なぜ大旱魃に際して、
最初から雨の祈りをしなかったのかと人々は思わないだろうか。何もしなかったくせに、
祈りをするという人が現れると、おまえでは叶わないと言う。それはその人の持つ法が誤
りだからというならまだ分かるが、上述のように、日蓮が支えてるから天が降らせないの
だとまでなれば、周囲の人々はただの誤解では済まない。法の正邪を決するどころではな
い話になってしまうのだ。大聖人は良寛より力の強い呪詛の人という印象になってしまう。
それでは悪の側に立っているかのごとく人びとの目には写ることだろう。

だから種種御振舞御書で、平左衛門尉に経緯を語ったときに、その部下たちが罵声を浴び
せたのは自然と想像できる。「良寛上人が一生懸命に祈雨を祈ってるというのに、貴殿は
何をされてるというのだ。雨を降らさない側に立つなんてとんでもない!」と。

だから、勝負を世間で言うような法力くらべだと理解すると、変な話になってしまう。
また、そんなことを大聖人は言われてはいないのだから。なぜやったのか。それは良寛が
自由にできると吹聴していたからだと述べた。また大聖人には謗法の者でも雨を降らすと
いう見識が最初からあったことも述べた。だのに、この勝負に挑んだのだ。

世の人々は、この矛盾をよく考えてほしい。いや、矛盾だと分かるからあまり言及されな
い人たちが多かったのか。

小さきことと言われるが、一宗派をかけた勝負ではないのか。本当は些事などではない。
謗法でも雨が降ることがあることは御存知だったのに、どうしてこの勝負を挑まれたのか。
・・・・だから不思議にも未来を知る仏さまなのか。(それは思考の逃避。)

両御書をそのまま読めば、勝負とはいえ、大聖人は大旱魃を支える側の人となってしまう。
つまり、これを単なる勝負と考えれば、たとえ勝負とはいえ、民衆に苦労を味わわせても
雨を降らさない状態を続けさせた。苦しませた後で仏法の証明をすればよかったのか。
・・・・だから、安直な人々は、この後、大聖人が雨を降らしたに違いないのだと妄想を
必然として理解をしてしまいがちなのだ。(しかし、そうではないのだ。)

人々が困るのを尻目に、雨をふらさずにいた。
はたして日蓮大聖人は、悪の側なのか・・・・?

(つづく)





  • [26]
  • 報恩抄と祈雨のこと ①

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)12時59分20秒
  • 返信
 
報恩抄と祈雨のこと ①

- 投稿者:モウ  投稿日:2016年 1月29日(金)02時50分22秒

/祈雨のことは、実は報恩抄に詳しい。その報恩抄の送状には、こう言われている。

「親疎と無く、法門と申すは、心に入れぬ人には言わぬ事にて候ぞ」(P330)
(意訳:真摯に受け止める余裕のない人には、これらの法門の内容を語るな。)

厳しくも、大聖人は、報恩抄の中で、法門について詳しく語られているのだ。
では報恩抄には、祈雨について、どのように書かれているのだろうか。やはり謗法の人間
が祈ったところで、雨は絶対に降らないと書かれているのか。いや、そうではない。

昔の中国に光宅寺の法雲という僧侶がいて、彼が中国で最初に法華経をおとしめたのだ。

「法華経はいまだ仏理をきわめざる経と書かれて候」(P298)
(意訳:法雲という僧侶が、法華経は究極の真理を説く経典ではないと布教した。)

そんな彼が人望を得たのは、大旱魃の時に雨を祈って降らせたことによるのだと。
講義中に突然に目の前で雨を降らせたという。天子も感激し、大成功だったのだ。

「此の人の御義仏意に相ひ叶ひ給いければこそ、天より花も下り雨もふり候けらめ、かか
るいみじき事にて候しかば、漢土の人人さては法華経は華厳経・涅槃経には劣にてこそあ
るなれと思いし」(P298)
(意訳:中国の人たちは、法雲の教義が正しいから、天より花も雨も降ったのだと思った。
そうして法華経は、華厳経や涅槃経より劣った経典なのだと広く理解された。)

その後に中国の地に、天台大師が登場して、法雲の邪義を法門の上から打ち破っていく。
しかし天台宗も法雲が経典を読み雨を降らせた事実は認めているのだ。大聖人も同様だ。

「光宅が忽に雨を下し須臾に花をさかせしをも、妙楽は、「感応此の如くなれども猶理に
称わず」とこそかかれて候へ。されば天台大師の法華経をよみて、「須臾に甘雨を下せ」
伝教大師の三日が内に甘露の雨をふらしておはせしも、其をもつて仏意に叶うとはをほせ
られず」(P319)
(意訳:法雲が雨を降らせた事実に、妙楽大師は、「なるほど。ちゃんと雨が降ったね。
でも彼の法門のほうは理に合わないからね。」と平然と言っている。だから、天台大師が
すぐに雨を降らせたときも、また、伝教大使がすぐに雨を降らせたときにも、それらの雨
をもって、仏意に適うなんてことは、彼らのうちの誰も言われてはいない。)

ここでもう、全ての結論が書いてしまった。
この大聖人の言葉を真摯に受け止めてみよう。
そんなことで仏意に適うかどうかなんて、ちゃんちゃらおかしいのだ。天台も伝教も雨を
降らしたからといって、自分たちの法門が正しいなんて言ってないんだよと。
法雲もそうだけど、雨を降らせたからといって、それで法門が正しいとは言えないよね。
それを根拠にして、仏意にかなっているんだなんて、そこまで言える人はおかしいんだ。
そう言ってるの。

では誰がそう言っているのか。大聖人ではなく邪宗の人たちが、そう言ってるのだ。
だから、彼らのその愚を打ち破ることが主眼なのだ。間違ってはいけない。

それなのにだ。御書も読まずに、勝手に大聖人の思想を作る人は、これまた傲慢なのだ。
それでは真実にたどり着くことはない。祈雨の勝負で勝ったことが、大聖人が仏である根
拠になりえるかのように言う人は、大聖人とは正反対のことを言ってるのだ。

報恩抄では、この途中で、祈雨のことに次々に触れらている。まず有名な真言宗の三人の
開祖、つまり善無畏、金剛智、不空が、それぞれ祈雨を行ったことが述べらている。
先ほどの法雲と違うところは、彼らの場合、雨は降ったけど、三人ともすぐに大風が吹い
て多くの家屋を荒らして人々を苦しめたのだと。金剛智と不空の二人は、天子も最初は喜
んだけど、その大風に困って興ざめ、二人とも追放の処分となったのだそうだ。だから雨
さえふればいいのではないのだと言われている。

しかも別件だけど、この金剛智という人は、祈願する時に、幼い子供を人身御供として薪
にくべて燃やしたのだ。はたして、こんなのが仏法なのかって!?

「結句は姫宮の御死去ありしに、 いのりをなすべしとて御身の代に殿上の二女七歳にな
りしを 薪に・つみこめて焼き殺せし事こそ無慚にはおぼゆれ、 而れども・姫宮も・い
きかへり給はず」(P316)
(意訳:金剛智三蔵は、天子の王女が病死すると、それを生き返らせる祈りが出来るのだ
と言って、位の高い二人の七歳の女の子を選び、その二人を薪に積み込んで焼き殺した。
もちろん、王女も、そしてまた二人の女の子も生き返ることはなかった。)

本当に、こういうのを祈ることが仏法だなんて、はなはだしい誤解だ。そもそもこの金剛
智は、生き返らせる自信があったのか。それを突き詰めて考えると、真言宗の開祖という
のがいかに、いい加減な人物であったかが手に取るように分かると思われる。

これらの真言宗の開祖の三人は過去の人だったけど、次に大聖人の時代の真言師で、法印
という名前の人の話になる。文永十一年に祈雨を行ったところ、やはり雨が降ったけど、
その直後に、まだ初夏だというのに台風のような嵐になって死者が多くでたとのことだ。
この顛末は重要なので最後にもう一度ふれるつもりだけど、ここで注目したい点は、真言
宗の開祖の三人と同じ祈雨の結末、つまり大雨は降ったけど、大風も同時に来て国土を荒
らしたことについて、大聖人はどう言われたのか、そこを見つめよう。
「ほうら、真言宗は大風が来る傾向があるのだ」とか、悟りを得たような物知り顔で言わ
れたのか。否である。ここまで現証が一致していたら、普通ならそう言いいたい所だが。
だけど大聖人は、こういうふうに面白く、言われている。

「雨のいのりに吹きたりし逆風なり、善無畏金剛智不空の悪法をすこしもたがへず伝えた
りけるか心にくし心にくし。」(P317)
(意訳:大風まで吹いたのは、真言宗の開祖の悪法をそのまま伝えているようだ。法印の
演出は実に心憎いね。)

疑問形だ。嫌みとして述べられてるので、悟ったような発言より、こっちのほうがよほど
耳に届くけど、皮肉の表現に留めていることに注意してほしい。この表現は重要だ。

次には日本の真言宗の祖、弘法大師の話になって、この人の場合、大聖人が暴いた記録に
よると、彼の祈雨の伝説というのは、天長元年のことなのだけど、実は祈雨を命じられて、
全然、降らなかった日が三週間も続いたのだ。その後、三週間が過ぎてようやく降り出し
た雨を、真言宗は、四百年間も、弘法大師が祈ると雨が降ったのだと伝えてきたのだ。
その他、弘法大師の虚偽に数多く触れられているが、雨に関してだけ言えば、種々御振舞
御書にある大聖人の言葉にそのまま言い表されている。

「弘法は三七日すぎて雨をふらしたり、此等は雨ふらさぬがごとし、三七二十一日にふら
ぬ雨やあるべき設いふりたりともなんの不思議かあるべき」(P922)
(意訳:三週間が過ぎて雨が降ったって、三週間もたてば雨が降らないなんてことはない
し、こんなので降っても何の不思議があるというのか。)

大聖人の見解は、現実を見据えている。降ったところで「なんの不思議かあるべき」だ。
真言宗の修法などどうでもよい。ただ都合よくは降っていなかっただろという視点だ。
それを誤魔化してすごいことのように吹聴していた真言宗が虚偽だったというわけ。
世の中の人は、空海を偉い人だと思う人も多いけど、この報恩抄の虚飾を知るべきだね。

そして、この後も、雨を思い通りに降らすことの不思議さは、どんどん格下げされる。

「いうにかいなき婬女破戒の法師等が歌をよみて雨す雨を三七日まで下さざりし人はかか
る徳あるべしや是」(P319)
(意訳:普通の女性が歌を詠んで雨を呼んだという故事があるではないか。それを三週間
も呼べない人に、どうして特別な法力なんかがあるなどと言うのか。)

これも御書では何度もみる表現だ。もう仏法でも何でもない、そこいらの人でも出来るこ
となので、それが法が正しいことと直結すると考えるなら、大いな誤りなのだと。

このニュアンスが分かるだろうか。仏法は勝負を先とはする。法を正しく行じた現証が大
切なのは言うまでもない。だが意味が異なる。法を修行して、積み上げた現証は自分が人
生で関わってきたこと、現実に変えてきたこと、選択し、決断し、見守り、耐え、考え、
勇気を出し、人と関わり、人知を尽くし、それらの結果にもたらされた現証は、まちがい
なく自分の人生の一部だと言える。

法が正しいかどうかを現実の結果でみるとはそういうことだ。
例えば勉強を決意し、結果、有名大学に合格すれば、最初の決意は正しかったと言える。
しかし大学に合格した姿だけを見て、決意の有無を想像することは難しい。ただの気まぐ
れで受けて合格したのかもしれない。その法門が人をどのように決意させて、途中の修行
がどんなだったの現実の過程を抜かしては、結果だけを以て法門の正邪を判別できない。

だから報恩抄では、こう述べられてるだ。単なる現象がすごいかどうかが正しさの判断基
準だったら、それだったらインドの外道は超常現象をいっぱい起こせたではないかと。
彼らは大水を自分の耳の穴にとどめたり、空を飛んだりとか。

「古の人人も不可思議の徳ありしかども仏法の邪正は其にはよらず、外道が或は恒河を耳
に十二年留め或は大海をすひほし或は日月を手ににぎり或は釈子を牛羊となしなんどせし
かどもいよいよ大慢ををこして生死の業とこそなりしか」(P319)
(意訳:外典の人の能力がすごくても、仏法の正邪は人を超えた現象で判断はしてはなら
ない。彼らは、河川の水を自分の耳の穴に収めたりとか、空を飛んで日月を掴んだりとか
も出来たとはいえ、慢心が強くて、苦しんだ人生を送ったではないか。)

でも彼らは、生死に苦しむ業から逃れることは出来なかったのだ。彼らは仏法を馬鹿にし
たけど、彼らのうち、誰も自分の生き方を満足のいくものに変えることはできなかった。
超能力があっても、でもそんなこと、全然、大したことじゃないだろって、結局、そうい
うことなのだ。

つまり、雨を降らすことが仏の格なのではなく、そんなちっぽけなことすらも出来ないく
せに、自分たちは自由に雨を呼べるから、自分たちの方が正しいと吹聴してるインチキ僧
侶たちを馬鹿にするという、ごくまっとうなニュアンスなのだ。

これが法門の正邪を厳しく見つめる大聖人の視点だ。





  • [25]
  • 阿部日ケ~ンさんからの「質問」に ②

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)12時58分9秒
  • 返信
 
阿部日ケ~ンさんからの「質問」に ②

- 投稿者:モウ  投稿日:2016年 3月20日(日)02時06分39秒

>>⑤【クジラさんに褒められていい気になってるのではないか】

ちょっと答え方の趣向を変えてみました。

このような心外な質問を受けたとき、普通は「え~~~」と思うと思います。
それを堂々と質問された阿部日ケ~ンさんに感謝しつつ、 どう答えることが
自分が本当に望んでいる姿なのかを自分で分析しながら答えてみました。

※()の中は私の心の声です。

【 悪い例 】

×「まさかそんなことは思っていませんよ。」

 (リアルでは簡潔でよいですが、ネットではよい答えではありませんよね。
  ネットでは人間関係があるようでも実は相手のことを良く知らないので、
  単純に質問を拒絶すると、質問を投げかけたほうは相手との人間関係を
  保つべく自身の行動の意味を見出そうとさらに執拗な思惑が潜在してし
  まし、攻撃調となって具現化しやすいと思います。)

×「そんな風に思われるなら私の不徳の致すところです。」

 (上記と同様ですね。これだけだと違和感しか残りません。)

×「どうしてそんなことを聞くのですか?」

 (理由を聞くのは当然ですが、文字は悪いほうにとらえやすく
  これも打ち切りたいとの意味に聞こえかねません。自分がこ
  のあともどんどん質問を受けたいのならともかく、こんな答
  えだと違和感だけです。引けば押さます。恋愛と同じです。)

×「あなたの場合はどうなんですか?○○とか、△△で、とか。」

 (押せばいいというものでもありませんよね。つい言ってしま
  いがちな言葉の中では最悪のパターン。相手がどうとか、自
  分は本当にそんなことを言いたかったのか・・・。)

×「もうそんな質問をしてこないでください」
 (こうなると注意信号ですね。。。)

【私が思う良い例】

○「そう思われましたか。私は実社会では有能すぎるせいか、他人に振り回
  されることが多々なのですよ。自分の専門分野ではウィザード級だと評
  価されており、そのために社会の権力者等に目を付けられてしまうこと
  が幾度もあり、その度に辟易してきました。
  今更、名指しで呼ばれたことに浮かれるなどということはありません。
  ・・・なんて答えておけばよかったでしょうか。
  ただ、ここでは、私のことなど誰も知りませんから、私の投稿を見て素
  朴に気に入ってもらえて、そう言ってもらえたのは、やはりそのお気持
  ちは嬉しいですね。それはおかしいことではないでしょう?」

 (慢心がないことを答えつつ、必ず自分のことを褒め上げる内容にすると、
  相手も少し身近に感じてくれて満足してもらえるような気が。)

○「そう言っていただけたのはありがたい反面、私には荷が重すぎますね。
  こんなに真面目に目的があって掲示板を立ち上げて、忙しい中をやりく
  りされて決意されている所に、私なんかが必要以上に目立つのはよくあ
  りませんよ、絶対に。
  ・・・これぐらいが本当のところですね。
  正直にいうと、私はどこの掲示板でも自分の用事が終わればさっさと帰
  ろうとそんなことばかりを考えていましたのに。私のやりたいことは、
  人にわかりやすく伝えること、それに向けて少しでも努力することです。
  たとえHNといえども、私の名前が前面に出るのは憂鬱です。自分の誓願
  に抵触するからです。私と関わり育ててきてくれた多くの人たちは、み
  な名前も知られていない人たちばかりです。私もまたそこに居て、いつ
  かそうやって去っていきたいですね。

  しかしそんなことをあまり深く考えてきませんでしたが、阿部日ケ~ン
  さんに問われることで、落ち着いて考えてみると、他の人への誤解が多
  分にあっただろうこととか、自分の考えが本当にどうなのかとか、あら
  ためて整理が出来ました。ありがとうございました。でもすっかり疲れ
  たので、これ以上は質問のほうはもう受け答えはしたくはありません。」

 (自分を褒めることと同時に、相手の真意を認めるとを忘れずに。
  中国の故事、漢の韓信が劉邦に率いる軍の大きさを答えたごとくにです。)

△「私のことを言っておきますと、別にネットデビューではありませんから。
  私が最初に漫画を配布したのは、数十年前のことで、選挙の支援で、自
  分の友人に対話するために一週間ほど夜遅くに漫画仕立てで書いたものを
  もっていきました。当然、選挙期間中ですから、配布なんかしません。
  部でも見せましたが、まず反応なんかありませんよ。部長は手に丸めて
  支援を訴えるのに使ってました。(笑)
  人に手渡しもできず、ほんの数人、そのためだけの徹夜。それが私の活動
  でした。しかも一時しか意味のない文章。話のきっかけになればよいと思
  ったのですが、普通ならば機関紙の漫画を使ったり、パンフを使うのだと
  思いますが、その内容では十分だと思わなかったんですね。友人知人に見
  せても反応なんて、御想像がつくとおりですよ。けんもほろろです。
  そのくせに次に会ったときはやたら詳しくなっていて辟易させられました。
  それでそんなことをよくやってたけど、人から見て無益にも思えてもそれ
  でよいと思っていました。私は信仰でやっているのだからと。ところがあ
  るとき、地域の婦人部の人から、「こんなのがあれば、どうしてあの時、
  配布しなかったのか。自分だけかよ。みんながどれほどあの時、情報が欲
  しくてそれが無くて、困っていたんだよ。」と言われて、相反する考えに
  悩みました。そういえば、かっての宗門問題の時、 自分も何も情報が無く
  て本当に苦しい思いをしたことがあったなと。
  それで馬鹿でもいいから、出していこうと思ったのですよ。学会の上のほ
  うになんか相談してませんけど、自分の身近な組織や先輩などにはよく話
  してきました。そこからは省略。先の会社と同じです。
  身の丈に合わない良いお話もあったのですが全て固辞しました。ネットに
  出してみようと地域の中心者に相談したときには、「もうね、悩みすぎ。
  もっと自由に積極的にやったほうがよいから。」との応援も受けました。
  そんな訳なので、なにか野望があってのことではありませんよ。今までに
  言ってきた通り、貴重な情報がほしくても分からない、手に入らない人に
  伝わればそれでよいと思ってきました。そんなことを思い出しました。
  周囲の人は私なんかにお付き合いされてとんでもなく申し訳ありません。
  最近も特許くらい書いておけという話になったとたん、各社から共同出願
  させろと引き合いになって、そうなるとにっちもさっちも動けません。
  4月からはすごく忙しくなるか、反対に暇になってしまうかもです。
  彼らの全員が本当に世の中に有益なものを出したいと思ってるわけでも
  自分の意にそわなければつぶれればよいと考えている人の方が多いのもよ
  くわかっています、というかそんなのばかりです。なにがやりたかったの
  かと真摯に考えると、大切なことほど騒がしいことは避けたいのです。
  こんなことで答えになっているでしょうか。」

 (答える基本は相手を悪く考えるのではなく、実はよりよい人間関係を求め
  ているから話がこじれやすいのだと理解しておくことが大切です。相手と
  の距離が見えないときは、 思いっきり自分が好きな話し方でもよいのだと
  思っています。(ネットだから。)
  ただし、あまりにシツコイ答えかただと完全に引かれるかもですね。)
  恋愛と同じかもです(笑)。

※ 相手との関係をよくしたいのなら、答えは真摯に。そして自分が本当は
  どうなのかを考えると、答えは案外簡単だし、楽しいものになる(はず)。
  きっとそう思います。





  • [24]
  • 阿部日ケ~ンさんからの「質問」に ①

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)12時56分48秒
  • 返信
 
阿部日ケ~ンさんからの「質問」に ①

- 投稿者:モウ  投稿日:2016年 3月20日(日)01時41分16秒

>>遅くなりましたが、レスありがとうございました。

読むと、これは・・・まさか、の本当に厳しい内容ですね・・・。
私から要望したのですが、無視されるか、たとえ多少厳しい非難をされても、
ごめんなさいって言っとけばいいやと、簡単に思ってましたが、さにはあらず。

きちんと掲示板の初期から調べられて要点をまとめて、最後に質問なのだと。
私、これを読んだときには、本当に帰りたくなってきました。(家ですが)

簡潔なようで、これがどれくらい厳しい意図を含むことか、要するに、
私の存在、立ち位置を明確にせよと問われてるのだと受け取りました。

こんな突然に問われると思わなかったので、相当に重い気持ちで書きました。
だから内容は全然に面白くないのですが、精一杯、まじめに書いてみました。

まず、ひとつひとつ疑われたことなどを箇条書きでまとめてみました。

①【多重HNのこと】

私は、複数の人の意見を装うなど、アンフェアにHNを変えたことはありません。
どの掲示板でもそうです。何年も前の昔のHNを忘れたような時は別ですが、急
にHNを変える時にはそう宣言しています。作為的なことはしていません。

HNを一貫させると良いのは理解できますし、人間関係を優先すればそうでしょう。
私は、自分の名前を残すための投稿ではないと自分に確認しておきたく、それを
優先して定期的に変更しています。自戒ということです。他の人には薦めません。
そう決意した理由は、私事なのでやはり述べたくありません。

ところがあちこちのアンチが、隠すのは何かやましいのだと思って悪意から公表
する人が多いのには私も失笑を隠せません。わざわざ宣伝してくれてるだなんて。

私は節度は重視します。言うべきか迷うのですが、心苦しいので告白しておきま
すと、本当は投稿時間も自由に変えられましたが、それも相手との対等な立場を
尊重して普通の場合はしてきませんでした。そのためにお力添えをいただき、い
つも御心配をいただいたこと、まことに申し訳ありませんでした。他の方にも同
じ気持ちです。しかし、小さな制約にこだわって他の方に迷惑までおかけするこ
とがフェアではないのではないかと悩んだ結果、破棄すべきかと考えています。

実は、こちらで大変にお世話になっているのに、クジラさんにも頻繁にはメール
を送らないのも同じです。個人的にメールを送ると、仲良くなれますし、クジラ
さんの運営も相当に楽になっただろうと申し訳ない思いですが、私自身のメリッ
トよりも、他の参加者から裏取引をしていると思われることを避けたいからです。
公平であることは、私にとっては自分の存在を問われるくらいに重要なことです。

頻繁なHNの変更は、周囲には迷惑ですが、私のメリットは何一つ考えていません。
私が私だと明言しないことは他者に失礼なことであり、その点は申し訳ありません。

②【沖浦さんのこと】

混乱を恐れるという私が、どうして沖浦さんとは対峙して注意しないのかと。
すべきことがあったのではないかとの御指摘の含みがあるように思えました。

この誤解は、一言でいいますと私を買い被りされるのだと思います。
私は、個々の意見は「自己責任でお願いします」と、何度も述べてきました。

私には、氏は志があって自由にやられているのだから、別によいのではないかと。
多少は無茶な物言いをされても、多少は大目にみても、それほど気になりません。

他人を誘導する暗い意図や、学会を陥れる意図があれば私の態度も別ですが、
そんなことありませんから。
また皆がどう受け取っているかが重要だと思います。
あの方も何かで学会を支えようとされ、その上で自由にやっておられるのだから、
私などが言うべき言葉は見つかりません。

③【漫画のこと】

なぜ、こんなことをやってるのかということを問われているのだと思います。
これも誤解に過ぎないのですが、これをここで述べるべきではないと思います。
ここで述べたことがいつも漫画に付随して説明されるわけではありませんから。
私は他人がそれだけを見てどう評価されるのかを受けるべきだと考えます。

しかし、そう思ってはいたのですが、やはり迷いますね。
私だって、昔のことや自分の思いなどを思い出すと懐かしいです。
阿部日ケ~ンに聞いていただけるなんて、嬉しいというか、ここで何も言わずに
ことわってしまえれば、もうこのあと一生、聞いてもらえる機会がないかもしれ
ないと思うと、寂しい気もします。きっと次の機会にでも。

私のことは、なんだか分けのわからん奴がいたな・・・でいいと思っています。

④【くじらさんの板での私の立ち位置】

ここが「反宿坊」を銘打っているのは知っています。それについては私もクジラ
さんに同意のつもりです。不正は許さずに正してはいくけど、人間的には簡単に
裁断するようなことは出来かねます。

だから私が自分が「反宿坊」の立ち位置だと言われるのは違和感を感じます。
いや実際には他のかたよりももっと後退した位置にいるでしょうか。
私には、そんな大げさな話題よりも、私にとっての○○さんは○○さんであり、
私にとっての□□さんは□□さんなのです。いつも早く戻ってくればいいのにな
ぐらいに思っていたりします。私は真剣な人は嫌いではないのですよ。

反宿坊板を意識せずになぜここにいるのかと問われると本当に困りますね。
私のレスに何も面白い所がないのはすみません。

成り行き・・・・でしょうか。ただ、私は投稿させていただいてきたことを感謝
しています。その反面、いつも(最初から)なんとかお暇しようと考えてきたの
も事実です。とても他の人達のようにネットと両立して常駐など不可能ですから。
(お、おまえが言うか!というツッコミは無しにしてほしいのですが。。。)

ともかくこの質問にはどう答えるか、存在理由を考えると疲れます。
同じことを世間や学会アンチの人から聞かれたら、全然、余裕なのですけどね。
私も一人の人間で、さまざまな悩みがあることだけは言っておきたいですね。

とにかくこういう深刻な質問をぶつけられたおかげで私は苦しみましたよ。
多くの人は自分が悩む代わりに、相手にぶつけて自分を守るのだと思います。

それに阿部日ケ~ンさんだけでなく、普通に学会員さんから「なんなの」みたいに
問い正されると、かなり胸が痛い というか、さらに傷つけるのではないか、誤解
されるのではないかと、辛いですね。 そう、私からお願いしての質問であるにも
かかわらず、です。

阿部日ケ~ンさんに、この質問を受けたときの、こちらの悩み沈む思いを知って
ほしいぐらいです。たった、これだけを書くのに?と思われるかもしれませんが、
私は生活のほとんどが上の空でしたから。本当に困ります。夜だけは眠れるので
そういう意味では丈夫で結構なのですが、こういった突然の質問は、私の生活に
著しく支障をきたしますので、今後は聞かないでください。(私のお願いだった
こと都合の悪いことなんて忘れてしまいそうです。)

(つづく)






  • [23]
  • 「落書き事件」について

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)12時55分40秒
  • 返信
 
「落書き事件」について

おじゃまします
投稿者:モウ 投稿日:2015年 4月21日(火)21時22分0秒返信・引用 編集済
こんにちは。

> だから誰もが理解に苦しむような
> 落書きをあえて行ったのは
・・・・

先生が幼児の顔にペンで落書きをしてた、という件のことかな。
何十年も前、正信会の人とかが、そんな写真を見せびらかしてましたね。
あれって聖教新聞に掲載されたんじゃなかったのかな?
よく覚えてないけど、そうだと思ってました。

会合の後で、母親といっしょに居たのか何か忘れたけど、先生が子供を抱き上げたら、
その子ったら、自分で持ってたペンで先生の顔にちゃちゃっと落書きした。

当時、何十年前の雰囲気で、会長先生の顔に落書きするなんて。もうね。
勝手にその時のお母さんの気持を察すると、顔面蒼白もいいとこです。
死にたいくらいに申し訳ないと思ったかもですね。
でも先生は機転をきかせて、和やかな雰囲気のままだったの。
子供のほうにも落書きをしたってわけ、アイコだねって。それで終わり。
お母さんもほのぼのエピソードで救われたという「いきさつ」。
でも週刊誌にはそんな経緯は全然書いてないんですよね。

その他にもそんな例がいっぱいありますよね。
会合終了後に、静かに退席されようとすると、突然、幼児が「先生ー!!」って叫んだり。
大声をあげて、きっとお母さんの気持を代弁したんだろうけど、先生が来られた厳粛な会合
だったのに恥ずかしい限りだよね、幼児とはいえ、お母さんの教育どうなってるのって。
でも先生は、人情の機微を知ってるから、そのときすぐに(←このすぐにが大切)、
「何だよー?(笑)」って、幼児にタメ口で返答を返してました。





  • [22]
  • 宿坊板と「教学レポート」10

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)12時53分49秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」10

追加分です (あくまで要点)

- 投稿者:モウ  投稿日:2015年12月20日(日)14時21分12秒

虹色のさん、他の所でまとめていただいてありがとうございます。

せっかくなので、思うところもあるので書き足しておかせてください。
実はあのあとずっと書いていくつもりでしたが、除名になった人たちの顔を想像で思い浮かべると
重い気持ちになり、疲労してまで、私もあえて書かなくてもよいかなと思っていました。

見渡す限り。すでに雌雄を決した感もありますし、これでもまだ迷う人がいたら、もう、その人の
責任だと思うくらいですが。ただ、それでも本当にそうなのかと言うと、まだまだ分かっていらし
ゃらない人がいるのではないか。自分が知っていることを人に言っておくべきかとか。
でも私だって楽しい話題でやりたいこともあるのに。

やはり連載は辛いので、連載するつもりだった内容の続きを要点だけを並べることにしました。

① 2013年の聖教および創価新報の発表。先生の著作の改定を先生御自身がすでに認められて
いたこと。それを2014年になって騒ぎ出した宿坊板の人たちが知らなかったこと。これはすで
に述べました。

② しかしこれは単に彼らが知らなかっただけの話では済みません。なぜなら、この事実が教学レ
ポートの内容と食い違うからです。教学レポートの中には、先生の著作から「大御本尊」を削除す
ることが、どれほど無理難題であるのかが、2014年の話題として縷々と述べられています。2013
年に先生が御決断されて出版の改定が進んでいるのに、当事者である教学部の担当者が2014
年にその事実を知らないというのはおかしいです。
仮に、著者に時系列の錯乱があって過去の事実を織り交ぜて述べているのだとしても、2014年の
実際の「人間革命」の出版を見て、それでも不可能だと出来るわけがないとの主張を世に出すもの
かと。
それはおかし過ぎますね。そう考えると、教学レポートの作者と言われる宮地氏自身が、少なくて
もあの時期に自らが世に問うために出した意向をもっていたというのは、事実に沿わないというこ
とになります。あの時期の流出は彼自身の意思ではない。

宿坊板の関係者が、あれほど事実だと言い、作者が世に出すのを望まれたと言ってたのに。
事実は、そうではなかったのだ、ということになります。
もともと彼ら、一部の旧広宣のOBの人たちが教学部の人たちと面識があるのは当然、想像に難く
ないですし、事実そうなのでしょうけど、何か偏向した情報を入手して信じてると思われます。
自分たちがそれらの教学部の一部の人たちと交流があって、まるで宮地氏、遠藤氏らの意向のよ
うに言ってたんですけど、実はどこかで食い違っている。
私には、宿坊板の人たちをはじめ、広く広宣OBが身を張って嘘をついているとも思いにくく、
何か私には分からない、さらに奥に仕掛けた人が存在したのかとも思えます。

偏向情報と言えば、よくネットでは、一部の広宣のOBが、かって斉藤教学部長が法論で負けたと
宣伝しているのを見かけました。私にはそうは思えませんが、仮にそうだったとしてもネットで宣
伝するものかなと。そう考えると、斉藤教学部長の悪口を賢げに述べて貶めることで、自分を偉く
せたい人がいるのだろうなと。(広宣OBのことではありませんよ。)彼らに吹聴した存在。そう
いったところからも、何か事実に沿わない、特定の人を軽視して、自己中心的な利用に振り回そう
とする人物が、教学部か、その周囲にいたのかもしれません。それぞれの方々は、それぞれの事実
が食い違うところをよく認識され、情報ソースのあやふやさを疑ったほうがよいのでは。

③ 彼らの情報が偏向していたという事実をもう一つ。宿坊板が、自分たちの都合で2014年に騒
ぎ出したものですから、彼らは事実をよくは認識していませんでした。その決定板は、彼らの主張
の発端そのものでした。かって何度も言及してきましたが、御本尊の教義改定がおかしいと言いな
がら、彼らの中の誰一人として、先の改定(1993年10月)の内容を正しく知りませんでした。知
っていたらとても恥ずかしくて言えない主張ばかりでしたよね。思い出しても噴飯物で、「今回は、
先生の指導は無いのか!」だなんて。

前回、どんな指導があったかどうかすら、彼らは全然、心に留めていない。まるで無関心のくせに。
普通の人が知っていることよりも、自分たちの情報を有難がる癖がついてしまっています。
その積み重ねで、自分たちは知っていると思っている所が難しい所なのですが。
前回の1993年の改定は、聖教新聞を始め、改定の経緯などが秋谷会長から発表されました、浄円
寺から申し出があって云々とか、でもそれはあくまで「経緯の発表」です。でも日顕宗は頭が悪い
ので、彼らの機関紙がそこにいちゃもんを付けてきましたから、学会のほうもそんなことばかりの
やりとりになって、広宣でもそんなことが中心になってしまいました。でも学会はそのときに堂々
と「教義見解」ではっきりと発表しています。

創価学会こそが「僧宝」の意義をもち、御本尊授与を左右し決する資格を有するのだと。教学部の
見解では観心本尊抄など数点にわたって解説してきたはずなのに。どうして誰もそれを覚えていな
いのか。新聞なんて読まない人でも発表のあったとき、支部単位くらいで音声テープでも指導が流
れたはずです。私の記憶ですが、改正は、各人のいろいろな考え方ではなく、創価学会が地涌の菩
薩の自覚から行うのだという本義、その基本を共有したい旨を、それをどうして誰も覚えていない
のかと。そのあと数か月後に、御本尊の授与が、お取替えの運動になっていくと、先生がどう言わ
れたのか、先生の指導さえ何も記憶にすらない人たちが何を言っているのかと憤慨いたしました。
先生の指導を何も思い出せない、心にとどめていない人たち。彼らのうちの誰一人も知らなかった
のは、2014年の宿坊板を見れば歴然としていることですね。
それを今になって、学会がそんなことを決めていいのかだなんて。ここ数十年間、今までどんな教
義体系でやってきたつもりなのでしょうか。(あ、いけない、要点でしたね。)

しかし、そんな所からも彼らは知っているようでも、学会の当時の教学部が発表した王道を舐めて
気に留めてこなかったことが分かります。御本尊授与を語るのに、当時の斎藤教学部長の見解を無
視するのは情報判断をするのに偏向した姿勢ではありませんか。

1993年10月
「日蓮大聖人の仏法における御本尊の本義に照らすとき」、
「この「信心の血脈」を受け継ぐ和合僧団の資格において創価学会が御本尊を授与していくこと
は、大聖人の御本尊の本義に最も適った ことである。」
どう読まれてきたのでしょうか?

④ 彼らが先生の指導を軽視し、実際にはまるで知らないのは、本年の話題の安保法案の喧騒を
見てもそう言えます。彼らの何人かが法案について作為的な虚言をなしていたのはここでは言
及しません(卑しい人はどうでもよいので)。基本、あらゆる反対意見の中には見るべきものも
あり、賛成意見がリスクが無いと語ることこそ、私には不安です。ですから反対意見は少なくて
もあったほうがいいというのは私の見解です。議論して認識が深まったほうがいいと。しかし、
彼らの意見に実に見るべきものがありません。本当に大切な所、真摯さに欠けているからです。
だいたい選挙の時に応援しておいて、安保反対ってどうなのかと^^;

以前に阿部日ケ~ンさんが、創価大学の反対意見には先生の指導に一致するかどうかばかりで、
法案そのものを掘り下げたものがないと指摘されていたような記憶がありますが、そういう印象
です。つまり幼稚なのだということです。一つの政策の選択が今後にどのような影響を持つか、
その重要さ、リスクを斟酌して道を選ぶのに、悩んで、先生の指導にたどり着いたのではなく、
自分たちの思い付きに先生の指導をもってきて当てはめているだけの作業を見ていると、正直、
吐きそうになります。
どうしてよいのか知っておられたのなら、先生はそう言うでしょう。誰にも未来のことを責任を
もって言い切れないし、皆で考えないといけないというのに。

戦争について、先生の指導は、どうだったのでしょか。本当に人間革命の「全体を」読んだことが
ないのかと疑ってしまいます。それとも何の意識もなくぼーっと読まれてきたのかと。先生は何度
も戦争に行く人に指導をされているではないですか。どんなでしたか?反対されていましたか。米
軍で戦地に行くべきか友人を見捨てても行かないほうがいいのかとか、先生は彼らに何と指導され
ましたか。文章を抜き書きするのは意味がなく、自分で最初から読んでみることを勧めます。悩ん
で学会を云々するくらいならそれくらいしてほしいです。
人間革命だけの話でもありません。イラク戦争の時になぜ先生はあんなことを言われたのか。それ
を考えたこともないのはなぜなのでしょうか。年配者なのに全然知らないとか。
唖然とさせられます。私たちの判断で、多くの子供たちが死んでいった事実は消せません。

先生の考え方は広く深く。どこまでも現実的で、それを変革していこうとされる思想です。
  端的に知りたければ、私は、先生のライナス・ポーリング博士との対談集を勧めます。

これですね。→ 『「生命の世紀」への探究』(1990年)

対談の相手は、歴史上で類例のないノーベル賞を2つ取った人です。この人は分子の化学結合を
提唱した人で、化学をやってて知らない人はいません。それで偉いのは、権威だったけどそれらの
地位を捨ててでも、米国をあげた戦争に反対運動を起こしてた人。当時は殺されてもおかしくは
ありませんでした。実はこの後に、アフリカ人の鎌状赤血球の研究から、人類史上、遺伝子の病気
の存在を発見したので、ノーベル医学賞までもらえそうだったんですけど、2つ目の人も他にはい
ないのに3つ目はちょっとダメということになったんです。
この人が晩年、先生の講演を聞いて、菩薩界(No.9)の思想に共鳴して対談されたというわけ。
その中で、絶対平和主義が話題になって、氏は戦争は命がけで反対したけど、絶対平和主義は懐疑
的だった。ナチスと戦わねば暗黒の世の中になったではないかと。先生は、絶対平和主義とは、こ
れだという選択が最初からあるわけでないって。暴力を放棄できる世界が最初からここに存在でき
ているわけではないのだって。悩んで、そして悩んで、そのぎりぎりの地平線の向こうにかろうじ
て存在するものだと、先生の指導をそう私は受け取りました。

安保に反対するなら、先生の指導を看板に掲げて、単純に賛成・反対を謳うなんてやめるべき。
もっと具体的な、切実な、そんな内容を語れないのに、教条を並べるだけの人に同意なんてできま
せん。宗教的な教条を先に考えるよりも常に人間が大切だという視点を優先して考えたい。

⑤ 彼らが本当には何も知らないのは、最近の話題の「黄金の三年」もそうです。
2014.年の元日の聖教新聞の「今日の発心」が正木副理事長の担当でした。「黄金の三年」、
「発迹顕本」、とかだけが意味深に勝手に思えて、心ときめいてしまったんでしょうね。

まず彼らは2013年に発表された当時にはこの指導を知りません。そしてその後も。巷間では、
その指導が流れたのを知っている人がいて、大きな選挙が無い向こう三年が来ると。これ、学会で
活動してきたことがあるのなら、「黄金の三年」というようなフレーズをよく聞いてきたことがな
いのですかと。おかしいのです。人材育成の行事を入れたりできるからですね。
もしもそこに一般には知られていない深い意味があるのなら、聖教で説明もないのに、その言葉は
使われません、常識的に。そんなことが分からないくらい、情報の偏向を受け入れてきた弊害だと
思います。『一般の人が誰も知らない特別な「黄金の三年」を聖教が発表した』、
これを妄想だと気が付かずに取りすがるその現実。巷間でよく言われている内容だから、説明もな
く使われているというのに。これを誰も知らなかったのですか?

⑥ 心配なのは、彼らの動向を見てると、とかく優秀を自覚するような人は、自分がどう扱われる
か、結局は、それだけで判断して、方向を決めてしまう人が多いように思います。
そういう人を見てると正義とか、何だったのかと思います。私たちととは全然違います。自分が不
遇をあてがわれれば、今度は学会を攻撃し始めている。失礼を承知で言いますが、もしもそんな思
いでよいのだと思っているのであれば、厳しいですが底が浅いとしか言えません。
大聖人が誹謗を受けたとたん、世を呪い、人々の不幸を願う人になったら、どうですか?
それでも正しい人だったと思いますか?仕方がないとか。
牧口先生や戸田先生は、宗門僧侶から嫌われ、嵌められ、それでも彼らを変えていきました。
変節していく人は、それだけの内容しか持たない人でしかありません。

誠実に心配して言いますと、自分の立ち位置を視座に学会を悪く言える人は、やがて師匠が不在に
なれば、必ず今度は、自分たちの正統性を訴えるようになります。師匠がいなくなれば、自分と相
手を公平に対比するだけですから、そうならざるを得ません。分かりやすく言えば、先生無き後、
学会の正統性を訴える別の宗派を立ち上げることになります。今はそんな気がなく、言下に否定さ
れようとも、細まりながらも、その行きつくところはそういう所です。お分かりでしょうか。
彼らは自分の大切な人を引き回して、そこに付いていくつもりなのでしょうか。

戸田先生は、東北の班長が分派したときに、「三年もたない」とだけ言われました。なぜか。
学会が存続していくのがどれほどの難事であるのか、やってみれば分かるということです。活動の
一つ一つ、何気ない、どこにでも代わりがあると思えたことの一つ一つがどれほどの奇跡的な事実
に支えられてきたのか。幹部とはいえそれを支えて来てくれたのは、決して自分の力によってなど
ではない、それが分からないから、簡単に「別にやれるだろ」と思えるのでしょうけど。

不遇は不遇でいいではありませんか。歴史を振り返り、自身は変節などせずに誠実さを貫くべきで
す。

日興上人の弟子、日尊は、ふとしたことで追い出されてしまいますが、門下の誰よりも(というか
この人の影響が大半かも)力を発揮して布教して、やがて凱旋します。今日、正統後継者だと謳わ
れた日道や日行なんてたいして見向きもされませんが、日尊の著作、行動は大きな関心を抱かれま
す。そういう人になってほしいと思っています。

伝教大師の弟子は、年分得度制度で毎年二人が正式な僧侶だと認められても、そのまま比叡山に残
る人は少なかったといいます。やがて籠山制が出来て、十年以上も山を下りずに課題の経典を就学
しました。年分得度制度の二人は、法華経などを勉強する人と、大日経などを勉強する人。伝教大
師の憑依集を読めば、師匠の心は、法華経が優先することは歴然としています。

輝かしい制度の正式な僧侶に選ばれて、人生の大半を使って昼夜に勉強しても、大日経は憑依の
経典。自分の勉強してきたことは、天台の法華経の解釈を超えるものではない。それを知ったと
き、あなたならどうしますか?やっぱり真言が重要だと変節しますか。それとも人は各々本質的な
差別があって自分は上位のコースを歩む人間だという法相宗に降りていきますか。
普通の人の視点ではみなそうだったのでしょう。自分だけが大切ならば。
人々のために、人生の青春期の数十年をかけて地道に真言の悪のトリックを追及しようとされる方
は数百年後の日蓮大聖人を待つより他はありませんでした。
仏法を学ぶのは本当に大切ですね。





  • [21]
  • 宿坊板と「教学レポート」⑨

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時53分59秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」⑨

- 補足説明
- 投稿者:モウ  投稿日:2015年11月25日(水)22時14分24秒

*何のことだか分からないという人のために。人間革命のワイド版は、文字が大きくなっただけでな
く、文章も相当に刷新されて分かりやすくなっています。文字が大きいのに本の厚さが変わらない
のだから分かりそうなものですけどね。

別に学会出版物は、こういうことを大昔からやっていますね。何十年も立つと、当時の表現ではほ
とんどの読者が分からなくなりますから。時事問題に関する表現を省略したりとか。みんなが知っ
てる戸田先生の「折伏経典」なんかも、初版の時は「旧かな使い」なので、全然違いますよ。あれ
では今の普通の人は読めません。

私の手元にある聖教ワイド文庫の「人間革命」第11巻を見てみましょう。

2013年11月18日第二版第一刷、2014年4月15日第二版第三刷。
つまりこの本の内容は「2013年11月」ということになります。

夕張の章(P206)札幌大会での山本参謀室長の指導内容はこう記されています。

● 「(前略)資本家も、また労働者においても、悩める人は数知れない。その人びとに、大功徳
ましますこの御本尊をご紹介申し上げるのが、学会の使命なのであります」

ここは元はこうでした。

● 「(前略)資本家もまた労働者においても、悩める人は数知れない。その人びとに大功徳まし
ますこの大御本尊を御紹介申し上げるのが、学会の使命なのであります」

「大御本尊」→「御本尊」に変えています。また、

大阪の章(P300)学会の除名の厳しさを説く戸田先生の指導はこう記録されています。

● 将来のためにも、はっきり断言しておきます。この学会の信心以外に、大聖人の御心に適う
信心などありません。御本尊のほんとうの功力もありません」

ここも元はこうです。

● 将来のためにも、はっきり断言しておきます。この学会の信心以外に、大聖人の御心に適う信心
などありません。大御本尊のほんとうの功力もありません」

ここも同様に「大御本尊」→「御本尊」に変えています。他も同じなので省略しますけど。
大阪大会の出所後の山本参謀室長の挨拶(大阪の章、P322)の冒頭部分には、

● 本日正午に大御本尊様の加護を受けながら、元気いっぱいで、このように出所してまいりました。

は省略され、それに続いて、

● 最後は、信心しきったものが、御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、かならず勝
つという信念でやろうではありませんか。

と、ここも元は大御本尊でした。結局、この本から「大御本尊」は出てきません。歴史的記録とは
いえ、小説という形式ですから比較的に自由なところがあります。ただ本質は、伝えたい“真実”が
あって、そのための本なのですから、小さくこだわって枝葉の表現で誤解を招くほうが、当時の実
際の発言者の意を汲まずに違う意味に貶めることになると思われます。

それで、問題なのは、こういう訂正がなされましたということ。それはすでに2013年に、池田先
生が了承されていて、聖教で発表されていました。
なのにそのことを知らずに、何の発表もないとか、執行部が秘密裏に独断でやったとか。
あるいは、未来永劫、先生の指導の表現を変えてはいけないと、思い込んで言われていた方々。
それぞれの思いはあるのでしょうけど、大切なことは、彼らは“事実をまったく知らなかったの
に、想像で悪口を述べていた。”ということに尽きます。

池田大作全集は、第二版なんかまだ見たことがありません(存在しない?)ので、どうなるのか
知っている人がいたら教えてほしいです。








  • [20]
  • 宿坊板と「教学レポート」⑧

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時52分58秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」⑧

- [76] 一を知って十を知ってほしいです
- 投稿者:モウ   投稿日:2015年11月24日(火)22時22分47秒

*宿坊板の指摘では。

大御本尊について教義を改定すると、先生の著作はどうなるのかという話題がありました。

教学レポートの作者は、大御本尊の位置づけを変更すると、これまでの先生の指導に辻褄が合わなくなるので、改訂すべき箇所は膨大であって、「過去に遡って全著作を改訂することは不可能」だと言い切っていました。「池田大作全集」と「人間革命」を合わせると700か所もあるのだと。

それを受けて、宿坊板では、先生の著作を「勝手に」変えるべきではないと訴えていました。
勝手にそんなことをすべきではないはずだと。原田会長の独断で、先生の断りもないのに、執行部は何ということを断行しようとしているのだと。

もしも、堂々と改定するのだったら、なぜ何も聖教に発表もしないで、やろうとするのかと。
また、先生の指導は未来永劫にそのままの形で指導として残すべきなんだと、そう先生御自身が
言われていたのだと。大誓堂を建てるためにそこまでしないといけないのか、横暴ではないかと。

なるほど。

そして著作だけではなく、大御本尊を変更したことは他の話題にも拡大していきました。

ところが2013年、つまり宿坊板で騒ぎが起こる前年、学会は聖教の談話でこう発表しています。
総本部が完成する前のことです。

聖教新聞(2013.1.24)より
======================================
原田 『人間革命』を『池田大作全集』に収録するにあたり、全集の刊行委員会から先生に、歴史の変遷を踏まえての検討を依頼しました。
先生は「五十年後の、若い読者が読んでもよくわかるように、表現や表記等も、一部改めたい」として、推敲を重ねてくださいました。
正木 それを第2版として全集収録が始まり、聖教ワイド文庫でも順次、発刊されていく予定です。
======================================

前年です。池田先生が、「五十年後の、若い読者」のために、表記を改めていきたいのだと。
それを第2版としてやがて収録して、順次、発刊されていく予定だと、発表されています。
この指導を受けて、次の創価新報では、池田副理事長のインタビューが掲載されています。

創価新報(2013.2.6)のインタビューの前文
======================================
『池田名誉会長が1964年(昭和39年)12月に執筆を開始してから半世紀近く。この間のさまざまな歴史の変遷を踏まえ、
「五十年後の、若い読者が読んでもよくわかるように」と推敲が重ねられたのだが第2版である。
======================================

その池田副理事長のの指導の中にも、「推敲に当たり、池田先生は、“50年後の若い読者”まで念頭に置かれています。」と先の聖教の先生の指導が重ねて述べられていました。

つまり、宿坊板の彼らは、前年の2013年の記事を知らなかったか、それともおそらくは、その時には、先生の指導が改定されていくことに最初から問題意識など無いから、忘れてしまっていたのでしょう。

それで、2014年になって急に、「発表もなく、勝手に改訂するなんて許せない」と一同に息巻いていたのですから、先生が改定していく意思があったかどうかなんて、まるで事実を知らないのに、“いちゃもん”を付けていた、ということになります。

たった一年前のことすら、何も憶えていないほどの問題意識。

ここから分かることも、彼らの主張が2013年の時点で形成されてたものではなく、その時には問題意識すらなく、2014年になって自分らの都合で唐突に寄せ集めた問題意識だと分かります。

彼らの多くは、言葉ではずっと以前から聞いていたことでしょう。宗門問題の次は幹部の粛清だと。そう“言葉”では思い描いていただけで、具体的な問題意識の核となるものは無く、他人の振る舞いへの批判など、感情的な批判以外は、“実は無かった”ということになります。







  • [19]
  • 宿坊板と「教学レポート」⑦

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時52分1秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」⑦

- [75] 「元創価学会職員3名のブログ」
- 投稿者:モウ  投稿日:2015年11月24日(火)22時08分25秒

「元創価学会職員3名のブログ」は私も時々見ています。

なかなか本題を語らないので、何を訴えたいのかよくわからないブログですね。

察するに、本部職員のときに、学会に異議を唱え出したので、指導できる第一
線の立場からは外された御様子。

たとえ思想・信条は自由だとはいえ、就職場所が宗教団体だと難しいですね。
解雇されないはずだと思っていても、個人の信条ときちんと立て分けなければ、
甘えた考えで仕事上の指示を軽視していれば、やがて解雇はやむをえません。

見たところ。上長を通り越して、頻繁に組織のトップに物を申そうとされていた。
ところが、その中身が、的を得ていない。だから誰も見向きもしない。

先生が言ったから、学会だから許されるのだという、心底の甘えがあります。
普通の組織だと、上が温かい配慮で物を言ったからとて、それを盾にして、自分
たちの行動の正当化を図ろうなんて、とんでもないことです。
自分の行動は、周囲の人間に配慮して、自分の責任で行うべきです。

社長の経営戦略を批判して、「こうすべきではないか」と、顔を真っ赤にして、
憤慨して、命令無視する新入社員はいますよ。周囲は辟易しますけど。






  • [18]
  • 宿坊板と「教学レポート」⑥

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時51分16秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」⑥

- [74] こんな感じかしらん、、、orz
- 投稿者:虹色の
- 投稿日:2015年11月24日(火)20時21分48秒

Q:怨嫉板のH派の好きなものは?

A:慧妙大好き赤旗大好き週刊誌大好き離婚怨嫉教授大好き!
  もしかして2ちゃんねるも、好きなのかな?笑






  • [17]
  • 宿坊板と「教学レポート」⑤

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時50分35秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」⑤

- [73] モウさんへ
投稿者:阿部日ケ~ン(院政) 投稿日:2015年11月24日(火)17時31分6秒

※そんな略した名前、いやいやいや><)

失礼しました(笑い)
フワ板表とちがって、こちらではHNのcookieが効いていなかったようなので「あべひ」と
させていただきました。

///////////

※つまり、彼らには“真実にあったかどうか”よりも、悪宣伝こそが肝なのです
--

私も同意見です。
「元創価学会職員3名のブログ」というブログをご存じでしょうか。
彼等はすでに処分された方達のようですけれど、仮にある「教学部」の
方が「世間に」創価学会の組織内での非を問いたいのならば
あのような形をとればいたって簡単ですよね。

しかし、みるかぎり内々の人脈をつかって、あらかじめ「配布」されていた
(であろう)ものを「信濃町ボーイ」というHNの御仁が、宿坊の掲示版
をつかってネット再配布をしたというのが腑に落ちません。

また宿坊の掲示版で宣伝し、希望者に文書を配布する以前に乙骨のフォーラム
に関与する売文ライターがその内容を握っていたことも順序が変です。







  • [16]
  • 宿坊板と「教学レポート」④

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時49分44秒
  • 返信
 
宿坊板と「教学レポート」④

- [72] 事実より優先する、彼らの揶揄
投稿者:モウ   投稿日:2015年11月22日(日)22時23分9秒

※宿坊の掲示板では最初から谷川副会長を敵視していました。
特に最初から、その女性スキャンダルをネタにして悪評を広げようとしてました。

しかしこのスキャンダルも結局、彼らは“事実を掴んで”はいませんでした。
私はそれが事実かどうかとか、ましてや内容の軽重を問題にしたいのではありません。
それらを考える前に、まず、それが本当にあったのかどうかを、彼らが知っているかどうか。
結局は、事実を踏まえた、客観的な事実は何も出せずに、仄聞と憶測のみでした。
その一連の騒動からは、見えてくるものは、はっきりしています。

人を納得させうるような、客観的な事実は提示できない、つまり、その事実を掴んで
さえいないのに、彼らは“あったと信じてこんで”宣伝しています。
そんな人たちの主張態度にこそ、私には問題の本質があると言えます。

疑問に思って、話題として取り上げたわけではなく、事実だとして宣伝していました。
つまり、彼らには“真実にあったかどうか”よりも、悪宣伝こそが肝なのです。
私が聞いた中では、確たる明白な根拠はありませんでしたもの。
事実を踏まえずに騒ぐことはどういう意味を持つのでしょうか。

義憤から悪として追求したいから騒いでいるのではなく、真実はどうでもよいけど
ネタに使っているという、何か、おどろおどろしい世界が見えてきます。
各氏はそこをはっきりと自重されたほうがよいと思います。

これが、スキャンダルとして、例えば2チャンネルで不特定人物が吹聴したり、
または私のような者が「そうかもね」と言ったとしても、単に噂の域を得ません。

しかしその同じ内容であっても、言う人によっては信憑性は変わります。
全国的に影響を持つ力を(学会のおかげで)手に入れた人物が、それを吹聴すれば
それだけで、組織から除名になるのは、それは私から見ても常識的な判断に映ります。

それが分からないフリをされるのもおかしいです。世法でも当然のことです。
たとえば飲食店の従業員が解雇されても、店の悪宣伝を続ければ、出入り禁止になります。
たとえ部外者だろうが、単に顧客であろうとも、店には立ち入れません。

他の案件も全てそうです。
たとえ恨み辛みがなかろうが、客観的な事実を提示できなければ、それは不正義です。
ましてや歪曲して噂を流すのは、卑怯者のやる行いです。
もし、それが事実でなければ、・・・と真摯に考えたことはないのでしょうか。
人を貶めることがどれほど許されないのか、それが第三者にどう目に映るかを考えた
ことはないのでしょうか。

「教学レポート」もそうでした。重要な部分になると全て仄聞でしたね、
彼らは一番大切な部分が無く、周辺を繋ぎ合わせただけで事実を提示できません。

それでも誠心誠意、悪を糾弾したくても事実に辿りつけないのなら仕方ありません。
けれども、違いますよね、誤解され、歪曲された悪宣伝を吹聴するに任せています。
それは卑怯な人間のすることです。

あちらの掲示板では、谷川副会長が、学会の一割が退転してもよいと語ったという
主張がまことしやかに吹聴されています。これは一切の何の事実にも基かない、当の
教学レポートの事実にも基づかない、“虚偽”でしかありません。

虚偽を吹聴する掲示板とは、正義なのでしょうか。それとも不正義なのでしょうか。

当初から虚偽でも推奨する掲示板。彼らの思う正義とはどんなものなのでしょうか。
目の前の自分の友人や人間関係を保つためには、不正義も許されるのでしょか。
自分がどう扱われるかが優先。自分を大切にしてくれた人のためなら、他の人に迷惑を
かけてもよいという考えに見えます。それは悪でしかありません。

今も、宿坊板は、日蓮世界宗の名称を使わないことを疑問視してるとか。
およそ常識がないというか、全然、分かっていない感があります。

会員になじみのうすい名称をどうして使わないといけないのか。
あの名称は、日顕宗が「日蓮正宗」を使用してきたから、法律的に他の名前をとる必要が
あっただけでしょう。大人の世界は単一の準備ではなく、周到な準備をしておくものです。
なぜそんなことも知らないのかと。どの企業の商標も使わないほうが多いのは常識です。

かって「南無妙法蓮華経」を学会が商標に申請したのも、公知にしておくと、他の団体も
商標が取れなくなるから。何百年も他宗で使ってるのに、学会だけが使えるようになるなん
てあるわけありません。しかし、それをはっきりとさせとかないと、お馬鹿さんでしょう。

公知にしなかった京都仏教界がどれほど怒っても、仏様に角を生やした「遷都くん」が
商用に大きな顔をして登場したことを思い出しますね。もしも学会が先手を打ってい
なければ、きっと鎌倉幕府850周年には、角を生やした「御本尊くん」が登場しても、
誰も文句は言えなかったでしょう。そのときになって、学会員も他宗派もがどれほど嫌な
思いをしても、法律は法律。誰にもどうもできません。
大人の社会はルールで成り立ってるんだから、ルールに沿って手を打つことが大切なのです。

それを名称を取ったから「使うつもりだ」、「使わないのはおかしい」というのは、幼稚です。
かっての正信会と同じ発想です。つまり、これも本当に「おかしい」と思ってのことではなく、
思いつきで揶揄したいがために難癖を探してきているだけです。

そんな稚拙な論に振り回わすのではなく、信念と事実に基け!と。







  • [15]
  • 宿坊板と「教学レポート」③

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時48分42秒
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宿坊板と「教学レポート」③

- [71] “あべひ” ・・・(そんな略した名前、いやいやいや><)
- 投稿者:モウ  投稿日:2015年11月22日(日)22時21分51秒

※阿部日ケ~ンさん、いつも冷静なフォローありがとうございます。
そうですね。「教学部」は正しい表現ではなく、「教学レポートの作者」と言うべきでした。

宿坊板では、自分達の人脈から、「そうは言ってもあれは本物なのだ」と思い込んでいます。
文章も正確なのだと、いとも簡単に信じてる。世の中には謀略があるものなのに。

かって宿坊板に登場した人物も、都合の悪い口調の人物は全て“本部職員”の陰謀だと思い込む。
単純です。第三者や、他の人脈から火を点けられた可能性を何も想像できないのは何故なのか。

自分達と本部職員(というか谷川副会長など、執行部)との対立だけにしか目をやれない。
誠実さに欠け、嘘を付く人は、自分も周囲から嘘で塗り固められることを知らないのでしょうか。

ともかく、何もかもが投げやりでした。彼らは以前から「次は本部の執行部との対決」だと
心に決めていたと、おそらく今でもそう信じていますが、実は多分に“唐突”だったことが
次々と分かってきています。それは後日に。








  • [14]
  • 宿坊板と「教学レポート」②

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時47分45秒
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宿坊板と「教学レポート」②

- [70] モウさんへ
- 投稿者:あべひ - 投稿日:2015年11月22日(日)13時53分50秒

通称「教学部レポート」という文書の内容について、拙が感じた印象は
モウさんとおなじようなもので、「言い訳がましいな」というものでした。

内容を精査すると、論理の飛躍や断定が多数みられますけれど、一個人が組織に
対して出されたはずの「文書」が、なぜ、ネットを通じ配布されているのかに
注目をしてほしいです。

「教学部レポート」を著した本人さんがネットを通じ公開されたのではないようです。
(もちろん、著者があえて第三者に対し間接的に公開を認めているという可能性もありますけれど)

なんらかの人脈を通じて、レポートを得た人物の作為を感じます。






  • [13]
  • 宿坊板と「教学レポート」①

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時46分47秒
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宿坊板と「教学レポート」①

- [69]- お仕事が大変でした。
- 投稿者:モウ  - 投稿日:2015年11月20日(金)22時20分3秒

※今から思えば、「教学レポート」は芝居じみた、他愛無い内容でした。
そもそもその「文章の内容」に心酔できる人に違和感がありました。

話の内容は、片側の都合でしかないし、その根拠はほとんど憶測なのに。
普通、片側の意見だけで、そうだと思いこめる人なんて、どうなのかと。

悲しくなるくらい。
教学以前に、なんというか、一社会人として。

傲慢と言われようと、私は会社員なので、自分の自負を書いておきます。
(当然ながらそのままは書けないので内容を完全に変えてますよ。)

==============================

突然に上司から話があった。

上司:「○○という製品があるんだけど、知ってるかな。」
私 :「知ってます。うちの主力製品の一つ。他社の競合品の中でも抜群の性能の。」

上司:「その製品の品質はそのままで、●を無しにしてほしんだわ。」
私 :「はあ?・・・また。何それ。」

上司:「●が顧客側で問題になってね、顧客が買わなくなるんだって。」
私 :「また、冗談ですか。無茶言わないで下さい。世の中でそんなことを出来た人いませんよ。」

上司:「そかあ、無理か。世界中の同じ製品でも、きっとそうだろね。」
私 :「当然、誰にもそんなこと出来ませんから。何十万の先人が研究してきたと思ってるんですか。」

上司:「そんなことを言い出したら、君たち技術者なんてもう要らないということになるよ。」
私 :「いやいや、だいたい、その安全性も品質も世界のどの機関でも保証されてますよ。何が問題・・・」

上司:「あらま、そうなの。ふううん。安全なんだ。」
私 :「顧客の最終製品の中にもよく登場するし、問題だというならそっちを・・・。」

上司:「へえ、そうなんだ。でもなあ。顧客はそれを理由に買えなくなるんだって。」
私 :「世界のどこの誰かそんな勝手なルールを作ろうとしてるんですか?」

上司:「さあね。そんなことを調べてもどうしもないじゃないか。●を無しにしてくれればいいの。」
私 :「あのですね、無しって。だいたい、その分析手法すら業界で未だ確立されてはずなんですよ。」

上司:「まさか、そうなの?じゃあ、微量にあるか無いか存在を確認できないね。」
私 :「そうですよ、誰にも証明できないものをルールにするなんて、思いつきすぎだわ。」

上司:「そうかもね。いや、ごもっとも。で、出来ないんだ?んじゃ、それでいいんだね。」
私 :「出来ると言える人がこの世にいるとも思えません。まさか私を首にしたくてこんなことを。」

上司:「分かってると思うけど、出来なければ、この製品は売れなくなるんだ。なんとかならないかな。」
私 :「いやいや、その前におかしいでしょう、それ。どうやってとかナイんですよ、全然。」

上司:「きっと難しいんだろうね。」
私 :「いや、だから不可能なんですって。コスト云々以前に。それに仮に出来たとしたって・・・」

上司:「やだなあ、技術者は。仕事を断る理屈を並べるのがうまいこと。適わないよ。」
私 :「いいえ、私は事実を整然と述べてるだけなんですから。分かってて言ってるんですよね。」

上司:「ちょっと無理だとは思うんだよね、確かに。そうじゃないかと思ったんだけど。」
私 :「それ、言った人、頭がおかしいとしか思えないんだけど。まさか、まさか。まさか。」

上司:「うん、無理だよね。出来なければ仕方ないね。ま、どれほど人間関係がこじれても君が
    ここにいる理由をよく考えてね。企業は見合わないコストは払えない。退職だろうね。」
私 :「ぐぅ。」

いつもこんな感じ。どれほど理不尽な問題であろうとも、ごく平然とした顔つきで問題は来ます。
気弱に考えれば、気が狂いそうになります。普通の会社員はお酒を飲んで、無理解な上司の悪口を
言うぐらいで、上司の運営の理不尽さを社会で公言したって、多くの人が困るという事実は何も変わりません。
もちろん私は上司に断ることも出来るけど、危機に役に立たない人はそれなりの位置に行くしかない。
それが専門家の立場というもの。それなのに、部外者に会長等の悪口を流すなんて、全然おかしい。
自分の仕事で全部解決してみせなければならないという自負がどうしてそこにないのか。

たとえ業界が異なっても、みんな、誰も彼も多かれ少なかれそう実感してると思います。
私たちが社会の中で任された所、そこに協力者はいても、逃げ道はない。
自分で真摯に道を探してより良い建設的な解決へと向かって戦うしかないはずではありませんか。

上司が悪い、社会が悪いなんて言っても、考えてみれば無理難題は結局のところ、社会の要請です。
駄目なら会社の主力製品が消失してしまいます。だのに、上司も誰も眉一つ動かさない冷静さ。

そんな大事なことだから、会社の総力をあげて協力してくれたっていいはずなのに、せめて、 何百人か
回してほしいと思うけど、どうせ、実質は、私、一人だけ。責任は私一人かよって。(笑)
(うまくいったときにはみんな集まってくるというのに、本当にひどい。)
この製品の品質がこうなるのに、一体、どれほど古くから、世の中の多くの人が日夜、しのぎを 削って
研究してきたと思うのか。しかも笑えることに、当然ながら、他の仕事が無くなるでもなく、
これまた当然ながら他の仕事の上に上積み。ポンと。それで何十年も研究させてくれるというの
なら文句もないけど、いや、当然、そうあるべきなのに、許された時間は、わずかに数ヶ月。

これ泣きそうだわ。無茶言うなと。上司は科学技術に知見なんか無い。理屈を言っても無意味。
テレビやマンガを見てればすぐに何か改良品が出てくるけど、成熟した業界で今更、何か新しい
ことなんかありはしない。わずか数ヶ月で首をくくれというのか。

こんなことがいつも。「で、出来るか~~!!!」って思う、いつもながら心底。
教学部の人たちは逃げることが出来ていいよな。
科学技術の世界は、解釈の余地とか無いから。厳然たる数値。すでに皆がやり尽くしてきた道。
今更、私が何を出来るというのか。これが社会の第一線の要請。

教学レポートの作者は半年も猶予があったくせに、その後、いろいろと逃げるためだけに理屈を
こねてたのを思い出す。甘すぎ。その後、どれくらいの時間がいるのかも何も言えないで。

ところで、こんな話をすると、すぐに上司が悪だとか、無理な要求に短期間で応えるんだから、
どこかでむにょむにょと誤魔化すしかないとか思いこむ軟弱な人がいるので怖い。

誤魔化すつもりなら、私のところに話なんか来ませんから。私たち、企業人に許されるのは、
基本、どこまでも正攻法しかありません。真摯に問題に向かうところから解決はなされていきます。
まじめに回避できる最善策を提示する、それが専門職というものですから。
それが出きない時は、文句を言うべきは上司でも会社でもなくなっています、私は部外者ですから。

教学部の言いわけになぞらえて言うなら。
こちらの業界がどれほど厳しいか、何百年と支えられてきた、その上に構築された建造物の強固さは、
どの業界とも遜色はありません。壊したり、簡単に変えたり、より以上のものなんかできませんから。

そして、たとえ、なにか良い回避策を案出できても、今度はその技術にはリスクが付きまといます。
特許とか。ここからも大変です。特許なんてPCで検索できると思ってる人は全然分かってません。
世の最古層の文献はテキスト化なんて全然されてないし、どんな文献があるかなんて未知数です。
どの企業も知ってても言わない秘密主義だし。先発明主義だから、世界のどこから浮上して
くるのか分かりません。他社から文献を示される可能性は常にあって、世界のどこからかです。

そう考えれば、学会の世界って鎌倉時代以降の限られた時代、限られた文献数ではありませんか。
各宗派の文献は一部でも公開されてるんですから、そんなで、戦えないなんて我儘すぎるわ。
文献の数だって、きっと一人の一生で把握できないほどの数ではないはず。桁が違います。
こっちは、無尽蔵。どこにどれだけあるか分からないし、しかも世界中の言語なんですよ。
○○共和国や、△△島国に出願されてたとか。日本とか中国の文献だけ見てればいいなんて、
幸せものですよ。しかも手に出来ないものだって、だいたい予想できるのではありませんか。

こっちは絶対に把握できない規模。予想できる限り、最低限にまでリスクを廃して戦わねば
ならないのに。それでも現実の社会は厳しく、なにもしないで逃避なんてありえない。

どんなに頑張っても、世界のルールは変えられなません。大手企業でも法令を変更させられる
規模の影響力があればともかく、一企業の製品が世界のどこに売れようが無くなろうが、
公務員の知ったことではないでしょう。

それで、どうなったのかと言えば、いつもどうかなってますヨ!><
不思議といえば不思議ですが。

私が後輩に送る解決策のヒントは、それまでのどれだけの多くの人がやって来たことよりも、
ずっと根底から掘り下げること。(それ以上は言えません。)

きっとどこでだってそう。教学だって、御書に戻り、天台に戻り、法華経の淵源へと戻って、
大聖人は何を言いたかったのか、それを考えていけば、行き詰まりなんてないはず。
だから改訂の時にも、“本義”だと言ってましたよね。
その淵源を正しく照らし出せなければ、教学部の意味が無いと思います。
だから最初から、教義の改正には何の心配もなかったんですけどね。








  • [12]
  • 日蓮大聖人 ⑥

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時29分11秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ⑥

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月18日(金)01時50分45秒返信・引用 編集済

これまで話してきたのは、日蓮大聖人に他の人には超えられない特別な悟りの境地がある
とか、そういう悟りの高みから人々を導いていこうとされていないということでした。

ふふ、でも案外、みんな、そっちだっら良かったのにとか思ってるのかも。
どうせ御書も読んでも理解できないんだったら、読んでても気が楽だし、日蓮大聖人がそう
言ったとかだけで考えなくてすむものね。誰にも、分かりっこないんだもの。

でもそんな話はされていません。ですから御書も考えて読まなくてはなりません。
知らなくても、南無妙法蓮華経さえ唱えていればいいんだろ、とはお考えになっていなか
ったようですね。この点、類似の御書で少し惑わされるかもしれませんが。

★『此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり』(P404)

南無妙法蓮華経を修行しながらも、法華経の意味を知っていきなさいと指導されています。
唱えて修行するだけで功徳がいっぱいあるのじゃないかって、そうなんですけどね。
やっぱり、そこに説かれている経典の意義を知っていくことがとても大切なのです。

南無妙法蓮華経はとても大切ですけど、その経典に書かれた意味を、広くみんなが知って
いくことも踏まえた上での宗教なのですよ。何が説かれたのか、法門の意義を知ることは、
とても大切なの。

日蓮大聖人の説いた宗教は、そんな宗教です。
どこにも人間を超えた理解できないものを、一人、振り回しているのはなく、皆が考えて
わかることを言葉で提示し、深く共有していこうとする、運動を持った宗教です。

大聖人はどこまでも一人の人間です。
どこまで掘り下げても、その他の姿は、御書にはありません。
法華経のストーリーが実はそれを示唆しています。上行菩薩も釈尊もそうですから。

では、なぜ、御本仏なのか。
何故、特別なことが許される人なのでしょうか。

御書には、大聖人は、御自分一人だけが、“特別な行者”だと何度も言われています。
閻浮提つまり、この世界に、たった一人だけだと。何度も。

自問自答では、他の世界に、もっとすごい行者がいるのではないかとか、または、まだ見
ない経典等があって、法華経より、もっとすごいことが書かれてるのではないかとか、
それらの全てを否定されています。詳しくは省略します。

たった一人、自分だけが知っているのだと。何故そんなことが言えるのか。
そして何を?

★『此の事日蓮独り勘え知れる故に』(P371)

だから大聖人は、立正安国論を書かれたのだと。

★『日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり』(P200)

だからそもそも大聖人は立宗したのだと、そこまで言われています。
何をなのか、答えは開目抄の所で詳しく述べた気がするので、ざっとになりますが、仏法、
その大切な意味が世の中から消滅しようとしていたからですね。

悪い僧侶ばかりがいて、仏法をないがしろにして、法華経以外の経典を薦めるている。
いつの世も、それに人びとは騙されて、低い経典へと誘われていった。

★『すかされて権経に堕ちぬ権経より小乗経に堕ちぬ外道外典に堕ちぬ
  結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり。』(P200)

たしかに当時の法華経の修行は難しかったので、法華経以外の経典でもいいのではないか、
そう勧める人に付き従うことが、世の中が廃れ、人々の生気が失われていく根本原因だと
考えられました。

※ ここは横道に逸れると、法然等が「理深解微」だと法華経を褒めながら、実際には捨てよ
と誹謗したことをここで言われていますが、それだけでなく、法然は、自分の批判対象から
は法華経を除いた感じもあり、法華経での成仏を暗に仄めかしてると日蓮大聖人も認めてる
のですが、それでも『日蓮は全くもちゆべからず』(P405)なのですよ。厳しいですね。

そして、そのことを人々に知らしめようと誓いを立てられました。

★『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ。』

何故、日蓮大聖人にとって、法華経以外の経典だと駄目だったのでしょうか。御書の大半で
はそれを経典全体を包括した視点から理路整然と答えています。法華経以外では成仏できな
いのだと。その論述の仕方が、もっとも当時の人々を納得させるありかただからですね。
だから現代人にはその本質が見えにくくなっているのかもしれません。

日蓮大聖人は、単に法華経という看板に固執していたからでしょうか。
違いますね。御書の言葉の端々に、なぜ、駄目なのかが書かれています。

他の経典では、結局のところ、全ての人間が成仏するという意義が説かれていない。
一人の人が幸せになっていくことを目指せない、そんな宗教ばかりだと認識されていました。

他の経典はなんだかんだと言ってても、おかしいだろうと。だからそのおかしさが他宗の
開祖も分かっているから、法華経の法理を看板だけ盗んで自義に組み入れたけど、看板だけ
で一番大切な、仏法の存在意義、法華経の意義が失われてるじゃないかと。

そして変な理屈をつけて人を誘導して、結局は成仏できない、つまり人が幸せになっていく
道を選べないような、そんな変な宗教ばかりに誘導される。

念仏は人の生気を失い、『念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ』(P1509)だと。
自殺者を斡旋するような宗教で、国からも禁止令が出されていたではないかと。

禅宗が仏法を否定して、達磨大師にみんな熱狂したけど、最後にどうなったとか。
真言宗がどんな思想だというのか。

結局、みんな、あげくには国を滅ぼしたではないかと。歴史上の現証をいくつも挙げて。
みんな騙されてるよと。
そこですね。

法華経を読めば、だいたい、なぜそれが正しいのか、直感で分かるようになっています。
人類の誰もが読んでも、それがどれほど優れていて、正しいのだと分かります。
また勉強すると、他宗がいかに法華経の意義を捻じ曲げているかも知ることができた。

だけども、当時の法華経の修行には、確かにみなに受け入れ難いものがありました。
それを一僧侶が、勝手には変更はできなないはずです。

では、他の経典の修行と平行してやればよいのではないかというのが当時の人の考え。
世間の僧侶、みんなの考え方だったのですが。

大聖人お一人だけは違いました。

★『たとひ法華経へ入るとも本執を捨てずして彼彼の経経を法華経に並て修行せん人と又
  自執の経経を法華経に勝れたりといはん人と法華経を法の如く修行すとも法華経の行
  者を恥辱せん者と此れ等の諸人を指しつめて其人命終入阿鼻獄と定めさせ給いしなり』
  (P358)

他の経典の修行を法華経と並べて考える人は無間地獄だと明言されています。

★『たとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも真言宗禅宗念仏者をあがむるならば
  無間地獄はまぬがれがたし』(P361)

また、それらの宗派の人たちと大切に思うようならば、地獄にいくのだと。
それでは幸せになれないのだと。

法華経の理念をそのままに、修行方法を変えるためには、そこに説かれるように自分が正統
な後継者であることを示す必要がありました。それが出来たからこそ、世界の和合僧の中で
もたった一人、自由に御自分で新しい修行法を提示できたのですよ。

もし、自分も特別になりたいと思う人は、誰であれ、お試しあれ!
大聖人が示されたのは、どんな功績なのか。いえ、その功績よりも決意に目をやるべきです。

偉大な決意ですね。
最初に、何もないところから法難を覚悟して、全てを失ってでも正義を示そうとされた。
仏法は、決意によって功徳を得ます。それは凡夫でも仏でも同じことです。

ここが他の修行者と違うところですが、修行が進んで行って、そういう立場になってから、
法難を目の前にするようになって悩んだのではなく、最初からの決意なのです。

師匠もいなかった。いや、師匠であるべき人からは反対に疎まれ、憎まれてしまった。
人々からも憎まれ、蔑まされ、その上、殺されるだろうと。
それでよいと、最初から決意できる人がいるでしょうか。

その上で布教して人々に教えていくのだと。まさに劫火に入ってどうやって焼けずにいるの
かという理不尽な問答を自問自答して、それでそれを乗り越えようとされたのです。
最初に。おそらくは16歳の時に。そのまま壮年になって、立宗し、法難に耐え忍んだ。
それが主師親の三徳ですね。

主師親の三徳は、結局は衆生を大切に思う慈悲です。そしてその力量を示しています。
それと同じものが他の誰に示せるものかというほど。

何も無い頃。最初から。そこが他のどの人間にも真似出来ないところです。
先師がいなかった。周囲は平和。言えば誤解され、大喧騒になる。安堵は永遠に無い。
前もいなければ、宗派ような支えてくれる背景もありませんでした。

16歳から32歳まで、法難を被ることを畏れて逡巡されたのでしょうか。いいえ。
御書には、決意したあと、今度は、もし南無妙法蓮華経を広められずに終わらないかと
その責任に悩まれていたそうです。まだそれを言い出すずっと以前から。

人類に、法華経の理念を誰にでも出来る「本来の修行方法」で提示するために。

だから御本仏なのですが、これで御本仏でないと言う人がいたら、どういうことなのか
説明してほしいところですね。








  • [11]
  • 日蓮大聖人 ⑤

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時27分25秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ⑤

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月15日(火)01時17分34秒返信・引用 編集済

なぜ南無妙法蓮華経なのか。なぜ御本尊なのか。
それが御書のどこに書いてあるのか。今日はそこですね。

いったい、何処なのか?それは・・・。
分かりやすく、御書の一番最初の「唱法華題目抄」に書いてあります。
なんということでしょう。(*゚ー゚)v

★『実には一仏に一切仏の功徳をおさめず今法華経は四十余年の諸経を一経に収めて
  十方世界の三身円満の諸仏をあつめて釈迦一仏の分身の諸仏と談ずる故に一仏一
  切仏にして妙法の二字に諸仏皆収まれり、故に妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫
  大なり諸仏諸経の題目は法華経の所開なり妙法は能開なりとしりて法華経の題目
  を唱うべし。』(P13)

【私の意訳】
 「一人の仏だったら、その一人の仏だけの功徳しかないけど、法華経には全ての仏
  が登場して釈尊の分身だと説いてるから、全ての仏の経典の功徳が含まれている。
  法華経の中の多宝仏とか釈尊とか、地涌の菩薩とかの関係は大切だけど、それら
  を全部ひっくるめて、法華経の中に全ての仏の功徳があるんだから、その法華経
  を表す名前、つまり南無妙法蓮華経を唱えるんだ。」

こんな理由だったんですね。そして次に御本尊とは。
もともと仏教の修行方法には、戒定慧という方式があって、大聖人も大切にされてい
ます。それは、まず悪いことを止めて、自分を見つめて、よい生き方に反映させる、
というやりかたになります。御本尊はこのうち、自分を見つめるところですね。

自分を見つめるために必要な祈る対象が本尊になります。
見つめるのは自分の中にある尊極の仏性ですから。だから、それを引き出す本尊も、
功徳が満載の妙法蓮華経がよいということになります。同じく「唱法華題目抄」に。

★『問うて云く法華経を信ぜん人は本尊並に行儀並に常の所行は何にてか候べき、
  答えて云く第一に本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと
  法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来多宝仏を書いても造つ
  ても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏普賢菩薩等を
  もつくりかきたてまつるべし、行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場
  を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱う
  べし』(P12)

【私の意訳】
 「法華経を信じる人は、何を本尊にすればよいのか。それは、法華経の巻物か、
  または法華経の題目を書いて本尊にすること。法華経を読んでみれば、法師品や
  神力品に“宝塔”として登場してるのを見れば分かるだろう。
  また出来ることなら、その両側には、釈迦仏と多宝仏。書いても何でもいいから、
  法華経の左右に添えるとよいよ。またさらに出来ることなら、他の仏や菩薩も加
  えれば、もっと良い。
  拝しかたは、その本尊の前にきちんと座って、南無妙法蓮華経と唱えるんだよ。
  外にいる時は座らなくてもいいからね。いつも題目を唱えるのが修行方法だよ。」

だと。
この唱法華題目抄は、初期の御書なので、大聖人御自身が御本尊を表す前のことです。
そんな時代から、こう、はっきりと書かれてます。今ある御本尊の姿そのままですね。

注意して見てくと、法華経の巻か、題目のどっちかとか。出来れば釈迦も加えてとか。
大聖人が作ってくれるんじゃなくて、♪自分で決めてやってね♪感が半端ないですね。
当時とは和合僧のあり方が違うから何もかも同じには考えられないけど、本尊を作る
のは、基本は、大聖人だけが特別な力で何か魂を込めれたとかそういうのではなく、
個々人の信仰そのものが、普遍的な法に直接に触れて、祈る、そういうことです。

次。
それなのに、観心の本尊抄を、後世の多くの人が、意味が分からないとか言ってます。
「本門の釈尊を脇士とする御本尊」、これは何を指すのか分からないんですって。
あるいは読みかたが可笑しいのだとか、もしかして世の中の人は馬鹿ばっかりなの?
ついつい、私がそう思ってしまうのも、無理はないとは思いませんか?

書いてあるのに、何か、別のことを指しているのだと思って、あれやこれやと。
そう言われても、どうして意味不明なのか、こっちが不思議でしかたありません。

では、次に観心の本尊抄のこと。
第一に、大聖人が御書に、分からないように書くという発想が分かりません。なぜ、
そんな、まどろっこしいことをされると思うのか。御本尊の御書なのに、大事な所を書
かなかったらおかしいでしょうに。いくら大聖人が、質問の数が多いのに答えは少ない
と述懐されている御書であっても、答えの量は少なくても、答えはされてますから。
わざわざ誰にも分からない意味不明の御書を残される必要がないでしょう。

ここの箇所が、他の何か、書いてないことに相当するのだと無理に考える必要なんて、
全然ありません。「唱法華題目抄」の内容と同じです。本門の釈尊を脇にしています。
大聖人が表された紙幅の御本尊も、そのまま、そうなっているというのに。

そのまま、中心は釈尊じゃありません。一仏では功徳が少ないんですって。唱法華題目
抄に脇に置くんだって書いてあるとおり、真ん中は題目で、その通りに、現実の御本尊
がそうなっています。誰にもでも分かることだから、分かるはずだと、こういう表現を
されてるのに、なぜか、これが未来に出現する、とてつもない御本尊だったり、または、
特別な釈尊の仏像でなければならないのか。そんなこと大聖人は言われていませんね。

私が最初に言った重要事項(【FIRST】)を思い出してください。
仏法は普遍的な法を対象にしています。

法華経という、その名前にしたのは御書の中では釈尊ですが、“初めて呼び出した”
という表現を大聖人は使われています。やはり創造したというのとは違いますね。
普遍的にあった法を、そういう名前にした、呼び出したのだと。

★『御年三十の比より七十余に至るまで法華経の方便をまうけ七十二にして始めて題目
  を呼び出させ給へば諸経の題目に是を比ぶべからず』(P13)

その題目をもって、今度は“末法の修行方法”だと決めたのが、大聖人です。
この世の誰よりも第一の法華経の行者なのですから、その資格があるのは当然です。
そのどこにも不思議はありませんね。

もちろん、釈尊の時とは、発音も字も異なります。教機時国教法流布の先後によるので
すから、漢字で表現されているのも当然で、国の背景を受けてのことです。極論すると、
大聖人がフランスに生まれていたら、きっとフランス語のベースだったでしょう。

当時の日本から見てなるべく世界の言語を広く踏まえて梵語と漢字にしたのだと。よく
見れば日本が無いけど、発音だけは日本語。それも今に伝わってないけど、それも別に
いいことです。意義を継承して、実際に展開しているのだから、何も問題はありません。

そう、昔の人もそんなふうに考えていたようですね。
大聖人は、天台大師が唱えた言葉も全て、南無妙法蓮華経だと認識されていますから。

つまり、大聖人は、他の人の理解を超えた特別な論理を振り回しているのではなく、
不思議な自分だけの特別の力ではなく、普遍的な法を知って説いているということです。









  • [10]
  • 日蓮大聖人 ④

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時23分51秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ④

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月10日(木)00時47分1秒返信・引用

●クジラさん、沖浦さん、普通の人さん、恐縮です。
みなに褒めていただくと大変なプレッシャーを感じてしまいます。
悪口を言われてるのが気が楽なのですが、贅沢を言うなと言われそうな。

----------------------------------------------------------

仏は普通ではない不思議な力があることになっています。
まず通常の超能力は度外視されていることを知って下さい。

★『法門をもて邪正をただすべし利根と通力とにはよるべからず』(P16)

利根とは頭が良いとかの個人の能力が優れていること、通力は人智を超えた能
力のことです。この一文でだいたい全体が想像できると思いますが。

ただ、特殊な能力の中でも三世を見通す力は別格のようです。

★『三世の中に未来の事を知るをまことの聖人とは申すなり』(P1488)

仏は、過去世から遠い未来までの全てを見通せることになっています。
これは開目抄のほうでも言いましたけど、一応、経典のお話としてはそのまま受
け取っていますが、普通の人にもその力用を認めたりとか、普通に使っています。
だから昔の人だからそのまま信じたのだと思うのは誤りであって、譬え話として
流用されている面も共存しているのだと理解できます。

上記の御文と合わせて考えると、未来を予言できたのも必死に勉強して世の中の
ことに繊細に耳を傾けて、普通の手段で情報を整理して、未来を洞察したのだと
納得しています。有名な予言、蒙古の襲撃についても、

★『法華を識る者は世法を得可きか』(P254)
★『法華経はしからずやがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候』(P1597)

御書に船や船の運航に関する記述が多く、大聖人の両親は漁師で健在かつ、子供
の時に砂浜に文字を書くような家だったことから、当時の日本は海運ルートが発
達していて、大聖人は当時の日本の海外事情に疎くはなかっただろうというよう
なことが、確か本に書いてあったような気が。(山中講一郎氏「日蓮伝再考」)。

蒙古の襲来を知ったのもまた、大聖人が昔の仲間を大切にされれば当然かも。
種明かしみたいですが、学会の学者の中からそんな知見が明らかにされています。

同氏の書籍には、大聖人が十六歳のときに虚空蔵菩薩から智慧を賜ったことにつ
いても記されていました。それは師匠の道善房のことだと。実は御書に道善房こ
そが虚空蔵菩薩だと書かれてあると。それを暗喩にしたのは、臆病な師匠に迷惑
がかからないようにとの措置だったと考えれば当然かと。

★『虚空蔵菩薩の御利生本師道善御房の御恩なるべし。』(P889)

なるほどと思いませんか。もちろん私に断定はできませんし、真蹟御書でもあり
ませんけど、必ずしも不思議話に終始しなくてもよいという可能性は歴然です。

それで、あと、不思議なのは、そんな知識ばかりのことじゃないだろうと。
ここの掲示板でも話題になっていましたけど、雨を祈る話とかもありましたね。
仏法をかけての勝負で、普通の人にそんなことできっこありません。

大聖人も、真言師や、律師の祈雨を馬鹿にして、そんなこともできない奴らだと
祈雨の勝負にこだわっています。それを見ると人間業を超えてるじゃないかと。
でも御書をよく読むと、祈雨のことも上記と同じ感じがします。

大聖人の批判は、遊女でも歌を詠んで雨を降らすことができたのに、そんなこと
もできないのかという批判で、悟りを開いた特別な仏だからこそ出来るのだとい
うよりは、そんなことぐらい、別に普通の人だってできるんじゃないのみたいな
馬鹿にしかた、そういう揶揄の仕方ですよ。

つまり奇跡とはいえ、そんなの、普通だと。現代人には分かりやすく置き換える
と。例えば、私ふうに言えば。

上司:「次の流行が決まった。それに沿ってデザインして、売れる商品を作れ。」
部下:「アホですか?世のニーズを私が左右できるわけないでしょう。不可能。」
上司:「そうは言っても売れる商品を作らないとだめだろ。結果を見てるよ。」
部下:「・・・はあ。信心してるんだから、とにかく結果なのは当然か。」
上司:「AKBがちょっと発言するだけで売れするんだ。それに比べておまえ・・」

とかいう感じ。世の中とどう連動してるかとか、因果関係とかあんまり関係ない
というか、ただ出来なければおかしいだろうと結果だけが問われる、そんな感じ。

御書には雨の勝負がよく登場しますが、大聖人の御本心は、たとえ雨がちゃんと
降っても法の正しさと関係ないからと。天台も伝教も降らしたけど関係ないよと。

★『妙楽は「感応此の如くなれども猶理に称わず」とこそかかれて候へ、されば
  天台大師の法華経をよみて「須臾に甘雨を下せ」伝教大師の三日が内に甘露
  の雨をふらしておはせしも其をもつて仏意に叶うとはをほせられず』(P319)

妙楽大師は雨が降っても関係なんかないよと言ってるだろって。だから天台大師
が法華経を読んですぐに雨を降らせたのも、伝教大師が降らせたのも、それで、
仏意が正しいとか、そんなことは言ってないんだよ。」とそう言われてます。

それに比べて、弘法大師は三日も四日ならともかく、十日も二十日も雨が降らな
いほうがめずらしいから、彼らの言うインチキを暴いて馬鹿にしたわけです。

つまり、奇跡はあるけど、それはどうでもいいと言うような。

奇跡と言えば、竜の口で首を切られようとしたときに、光ものが来て、斬首刑が
出来なかったと。不思議といえばすごい不思議です。これは種々御振舞御書に書
かれてる記述によりますから、大聖人の自己申告ですね。事実はどうだったのか
誰にも分かりません。学会の中では彗星だったのだろうとよく聞いてきました。

これもHさんが嫌っている学会の北林氏の書籍(「日蓮大聖人と最蓮房」)には、
実は暗喩であることが論証されています。使い人が来て死刑が止められたのだと。
他のどの説より整合性のある話だったという印象を受けた記憶がありますが私に
何か断定できるほどの知見はありません。

どちらにしろ、大聖人は不思議にも殺されずに佐渡に行かれたので、諸天善神は
ちゃんと頑張ったのですが、大聖人が佐渡で開目抄を書かれた中では、そうは言
われていません。厳しく、諸天の働きが無かったと、私は殺されたも同然だと。

そして、むしろそれが当然だと。法難にあって奇跡が起こらないことのほうが多
いので(理由は3つ。省略)、そういう奇跡を当てにする生き方は捨てなさいと言
われています。その姿勢が全てではないでしょうか。

★『詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん』(P232)

その答えがこの御文にあたりますが、別に悲惨チックなことを言われているので
はなく、弱々しく諸天善神の起す奇跡を当てにした生き方を否定されています。

そうすると、大聖人の不思議なことって、やはり御本尊とか、題目とか。
それはやっぱり理由とか、御書には書いてないのではないかと言えば、やっぱり、
書いてあります。それは次回に。(ちょっとお休みするかもですけど)









  • [9]
  • 日蓮大聖人 ③

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時22分22秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ③

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月 8日(火)23時45分9秒返信・引用 編集済

大聖人に人智を超えた「悟り」というものがあったのでしょうか。
ありません。何故、私がそんなことまで言えるのか。

大聖人は他宗の傲慢な僧侶が悟ったと言うのを馬鹿にして使っていますけど、
御自身で使われてるときは、「法門を理解した」という意味を超えていません。

あらゆる御書の中で、自分だけに理解できることを教えてやるみたいな言い方
はされていません。自分を特別視しない立場で語っておられます。

開目抄では、御自身が人々の主師親であることすら、普通に経文を用いて、誰
にでも理解できる平易な言葉で説明されています。

難解だとされる観心本尊抄(何が難解なのか私にはさっぱり分かりませんけど、
出来るだけ分かりやすい言葉を用いて明確に書かれている御書なのですけど)
そこでは、なんと『理即の我等』の立場で書かれています。

いくらなんでも仏法の奥義なのだから、信仰していない人間には理解できない
だろうと思うのが普通ですが、信仰以前の普遍者としての立場で説かれるので
すから、本当に理性で説明されようとしているのが全身で感じられます。

それで、真蹟御書だけ見ていくとそうなのですが、いろいろと真偽未決の御書
とか相伝とか、よく分からない部分も御書には出てきます。

三大秘法抄には、大聖人は釈尊から直接に口伝を受けたと書かれてあります。

★①『日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり』(P760)

何かを言い切るためには全てのケースを考慮しなければなりませんから。
ここでは、まず、真筆の場合、偽書の場合、両側のケースを考えてみます。
三大秘法抄の内容が大聖人と無縁の作品なら、話は簡単ですから省略します。
次に、もしも事実であったとしたらどうでしょうか。
とりあえず、そういうことがあってもよしとしておきます。
また、御書にたまたま書かれていなくても、書かずに伏せられた可能性もある
かもしれませんね。御書にはそんな片鱗が幾つかありますが、逆にこれらから
真実が見えてきます。

★②『此の経は相伝に有らざれば知り難し』(P398)

知り難しと言われながら、このあとに明確に説明されていますから。
ここは「知り難くて教えないよ」と言われてるのでなくて、大聖人自身も相伝、
あるいは相伝書の類を読んで、「理性」にて知ったのだということになります。
御自身の悟りから知りえたのでなく、正師の相伝を手がかりにしたのだと。

★③『要法の経文如何、答えて日く口伝を以て之を伝えん』(P1033)

大聖人も口伝で教えてるから、文章では書かないでおくよと言われています。
この他にも門下に秘せよと言われている御書は多いですが、どれも無用の誤解
を避けるために伏せたので、ここでは、経文のことだと明確です。

これらからすると、なんとなく戸田先生の悟達のような、霊山での法華経の会座
を体験されたのかもしれないと想像します。天台大師も「霊山会厳然未散」と
言われていますし、法難の中でそのような深い体験をされるのはおかしくはない
でしょう。

ここで真蹟御書に戻りましょう。ここではっきりと言われています。

★④ 『答えて云く此の事は余が第一の秘事なり委細には向つて問うべし』(P268)

晩年になって、これらの隠しごと(?)の中でも、最大の秘事とは何か。
これは大聖人が梵語が読めないのに、どうして鳩摩羅什だけが正しいと言えるの
かという御自身が立てられた疑問への答えです。私は以前に、大聖人が梵語に通
達していたわけではないと指摘しましたが、そういうことですね。

何故読めたのか。それは秘密だと。でも直接に会ったら教えてあげるよと。
秘密だけど、文章には書かないのは、やはり誤解を恐れるからなのでしょう。

実は、この文章のあとで、少しだけ教えて書いておくと続けられています。
つまり鳩摩羅什は、最初から自分が正しいことを知っていたのだと。
それを人々に知らしむために、舌が焼けないのだと堂々と言っていたのだと。

鳩摩羅什のことなら秘密にすることはないから、ここは大聖人のことも同様なの
だと思われます。勉強して積み上げて知ったのではなく、最初から、法華経は、
鳩摩羅什訳が正しいのだと理解されていた。それなら梵典には見向きもされないの
も納得です。天台大師も然りですね。

それが何故なのかまでは書かれてないので分かりませんが、霊山で面授口決を受け
たような体験だったのなら、具体的な表現の一つ一つにも納得がいきます。

ところで、この御文の前は、不空三蔵が竜樹の名前を騙って「菩提心論」を書い
たのだと“疑って”います。そして次にように言われています。

★『他人の訳ならば用ゆる事もありなん此の人の訳せる経論は信ぜられず』(P268)

他の人だったら信じて用いることもあるけど、不空の言うことは信じられないと。
信じる場合があるって、何ですか? もしも大聖人の秘事が人智を超えた悟りならば、
他家の訳典を“信じて”用いる必要なんてありません。勢いで言われたのではなく、
事実、同じ真言宗でも善無畏三蔵の訳典はそのまま用いておられます。正しいか
どうかは人物本位で判断されて用いられている点を踏まえると、たとえ原体験の
ようなものがあって、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経が正しいという前提を持っていても、
(それは世の中の共通認識でもあるのですから特別視しなくてもよいでしょう)、
その原体験を基に正しさを主張したり、判断を押し付けたりしていないということ
になります。個々の判断は理性によって、推論を踏まえて論証されています。

それを証明するように、後段では、口伝を根拠にするなと繰り返されています。

★『仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ』(P281)

これに類似する御文は頻繁にありますが、結局、皆が知る経文を見て理性で判断す
るのだと。口伝だからと言って、ありがたく鵜呑みにするのは駄目だと。

このように大聖人の仏法は、特殊な理性を超えたもので成り立っているわけでは
なく、妙法蓮華経を正しいという前提を持った上で論証されていく形を取られて
います。

次回は、そんなことないだろうと。大聖人は、いろいろ不思議なことをやって来
てるじゃないかと。普通の人間を超えてるぞと。そんなところをば。

● くじらさん、また勝手にすみません。あと2回くらいできっと終わりますー。

● 普通の人さん、了解です。明日をお楽しみに。(まだ何も書いてませんけど^^;)









  • [8]
  • 日蓮大聖人 ②

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時20分50秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ②

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月 8日(火)00時23分4秒返信・引用 編集済

●オウさん、私の見識が浅いと。深い見方を提示してみませんか?

●ピンクが好きさん、いつも新聞ありがとうございます。いつもみんなの顔を
毎日、必ず思い出してくれるのは、配達員さん~♪

●普通の人さん、御質問の件ですが、普通の人さんが日蓮大聖人を人間と考える
のに差異を感じたのはどんな点なのでしょうか。

-------------------------------------------------

日蓮大聖人が末法の御本仏で、釈尊よりも古い時代にさらに深い根源的な悟りを
開いた仏様だというのが、近代の日蓮正宗の教義ですが、学会も同じでした。

それがどういう思想過程で生まれたのかを考えることはとても重要ですね。
真蹟御書だけで考えていきましょう。

私の考えは、自分のブログの開目抄講義で示しました。
大聖人が書かれた御書ですから、それ以上に大聖人のお考えを示すものはありま
せん。また私の御書の理解が大きく誤っているとも思いません。

まず最初の重要事項(【FIRST】)を挙げておきます。

【FIRST】

★ 仏法は、普遍的な法を対象にしています。★

★ 大聖人が言ったから真実になるのではなく、同様に釈尊が言ったから真実に ★
★ なるのでもありません。釈尊が言ったから、正しいことになるのではなく、 ★
★ もともと法があってそれを釈尊が正しく言ってくれた。大聖人が正しく言っ ★
★ て教えてくれただけです。 ★

大聖人がどれほどの人智を超えた悟りを開いたのかは、私は知りません。
私が知っているのは、大聖人がそんなことを前面に出して御自分を語っていない
ということです。重要なところでは普通の人間として語られています。
これについては後に詳述します。

ところでさらに重要なことなのに、多くの人が見落としていることは、大聖人
は釈尊にも同様に人智を超えた不思議な力用を当てにしていないということです。

この重要部分が未分化なので、分かりにくく、人智を超えたお話とごちゃごちゃに
してしまうとややこしいですが、結局は、釈尊も相対化して見ています。

『教主釈尊若し諸経に於て互に勝劣を説かずんば・大小乗の差別・権実の不同有る
べからず、若し実に差別無きに互に差別浅深等を説かば諍論の根源・悪業起罪の
因縁なり』(P39)

『大覚世尊の御子なれども善星比丘は阿鼻地獄へ墜ちぬ、これは力のまますくはん
とをぼせども自業自得果のへんはすくひがたし』(P323)

釈尊だって勝手に好きなことが出来るわけでなく、真実を語るだけで、世の中を操
ったり、他人を操作したり出来たわけではなく、自分の悪子すら思い通りにいかな
いこともあったのだと。

そんな釈尊が、何故、私たちにとって尊い存在なのかというと、未来を見通す超人
だからでしょうか。違います。それは、娑婆世界の衆生に対して主師親の三徳を備
ているからだと言われています。そのゆえに私たちは大恩を感じるべきなのだと。

釈尊が尊い存在、本仏であるのは、私たちのことを真実の言葉で正しく導き、その
ための慈愛をもっているからだという理解でいいでしょう。

そして同時に、大聖人も私たちに対して主師親の三徳を宣言されています。
開目抄では、その慈愛がどのようなものであったかが詳述されていましたね。

そして説かれた法は、誰も実際に広めたたことが無い、未曾有の法であるのだと。
だから自分の他に末法を救う人物はいないと言われています。

★『眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし、』(P283)

※ 日本国だけの主師親ではないことは、諸御書に天に二日無しとありますが、
このように世界で第一の仏法者であることをきちんと宣言されています。

★『釈尊の二度世に出現し給うか、上行菩薩の重ねて涌出せるか』(P273)

※ 釈尊と同じ立場であることを質問の形で示唆しています。

★『日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし』(P329)

※ 大聖人の慈悲により、この未曾有の法は功徳があるのだと宣言されています。
つまりこの宗教は大聖人の責任により功徳があるのだという宣言になります。
このあと、竜樹等を超えていると言われていますが、他の御書では竜樹を菩薩
ではなく仏だと認識されています。つまり大聖人は仏の功徳をも超えていると。

あれ?法華経は釈尊が説いたものではないのか、という疑問が持ち上がりますが、

釈尊によって功徳が生じたのではなく、釈尊はもともとある法を説いたのです。
言葉で説き表したという功績はありますが、法を具現化したのは大聖人ですから、
大聖人の慈悲によって、この形式で功徳があると言って過言ではありません。
そのようなことを言われているのだと思います。

ところがどうしても、オリジナルは釈尊ではないのかと融通の利かない人がいる
と思いますが、それはその通りですから、何も心配はいりません。そんなの当然で、
どの宗教だって、歴史上に忽然と現われたりしませんから。

イスラム教だって、旧約・新約聖書の存在を無視しているわけではありません。
キリスト経だって、ヨハネが予言してくれたからキリストがその教団をそっくり
引き継いだわけで、先師の存在、先の歴史を無視していたら宗教そのものが存在
できません。オリジナルは釈尊そのもの。正確に言うと、歴史の変遷を経てきた
仏法史を織り成す人々です。

ましてや日蓮大聖人は、普通の人なのですから、当然のことです。
その普通の人が、最初から、慈悲を起して法難を被るという行動で得た資格で、
釈尊の予言どおりに、その示したとおりに末法の人々を救う手法を示された。
その因位を行く姿(上行菩薩)は、本門の釈尊よりも輝かしい功徳のあふれた
姿である、というのが大聖人の視点だったはずです。

これは開目抄で説明したとおり、大聖人の法華経のストーリーを追うと明確です。
ですがそれは、後日に置いておいて、先に、大聖人が普通の人の知見を超えて
いないという点を論証しておきたいです。







  • [7]
  • 日蓮大聖人 ①

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時19分10秒
  • 返信
 
日蓮大聖人 ①

投稿者:モウ 投稿日:2015年 9月 6日(日)23時11分0秒返信・引用 編集済

●普通の人さん、レスありがとうございます。
宿坊の掲示板の悪口なんかじゃなくて、やっぱり御書のほうがいいですよね。

ところで、御質問の件。こ、これは。

> 日蓮大聖人は、御本仏というお立場?と、人間、日蓮と捉えた時に様々な
> 違いが出てくると、勝手に思っています。
> 理屈では理解できるのですが、御本仏という考え方が、定着していまして、
> 人間、日蓮と捉えていくには、どう思考を切り替えていけば良いのか、少
> 々混乱しています。

そうですね。これって、本当にそうなんですよね。
実は、これは考えていくほどに、本当に意外なほどに深いテーマです。
簡単に答えてよいのかどうか。正直に言うと、私には荷が重すぎます。

それでもはっきりと言えるのは、その深さを考えて、学会の態度を明確にする
こと、全てを言葉で説明できなくても、どこまでを宗教的な部分と見据えて、
自分達の態度をはっきりと説明しておかないと、大勢の人が安心できないし、
ここがはっきりとしないと、学会も広がりようがありません。その意味で、
最重要で喫緊の課題だと言って過言ではないと思います。

簡単にと言うと、南無妙法蓮華経と唱えて幸せになるって、誰の責任?
誰の言葉が根拠となってるのか。それが何故、正しいと言い切れるのか。
これを、まさに普通の人々が社会で語れないと、お話になりません。
後世の成立だと皆が知る「法華経に書いてある」とか、御釈迦様が説かれたの
だとか、そんな夢物語では昭和初期の人々は説得性があったかもしれませんが、
私たちの後継者の世代にとって信じるに足る根拠とは、到底、なりません。

私は何も心配はしていません。私たちは自信を持ってありのままに事実を説明
していけばよいだけです。反対に、もしも整合性が無ければ、世の要望に応え
る内容をもたない宗教ならば廃れていくのは必然です。

ところが、こういった最重要な課題が学会には幾つもあるのに、宗門問題以降、
大きく進展してもいない、問題提起を起して来なかったのは教学陣の怠慢か。
知ってるのに言わない人たち。斉藤学部長の時代より幾程も進展していない。

それを矮小化して、単に特定の人たちを追い出せば、あたかもきれいな学会が
出来て、それこそが最重要課題だと捉えてるグループは、よく言えば理想家肌、
悪く言えば世間知らずの運動論を利用されてのことだと思えます。

私が勝手に言ってるのかって?とんでもないです。
思えば、波田地さんが五重の相対を流用されたのに端的に表現されています。
流用するのはいいけど、波田地さんのは視点が大きく違いますから。
もともと五重の相対は、文底を説明することが主眼で、他との違いから説明し
ようとしたもの。教えたい文底の概念が明確にあって、そのための論理。
言うなれば日顕の宗門教学はその文底を正しく理解してなかった故です。

波田地さんの理解は、日顕も同じ文底を説く、つまり五重の相対までの法門は
同じなのだと。その次に日顕宗を排斥すること、それが五重の相対より次に来
るもので、仏法の進展だとするもの。五重の相対を次々と「他を排斥」する
概念に発展して使われた。選別して、排斥すること、それで簡単にものごとが
解決するのでしょうか?

学会には喫緊の課題があるのに、それらを横に、特定の人たちを追いやること
が優先だと醸成されてきた。それが宿坊の掲示板の人々の背景にあります。

なぜそんなにものごとの考え方になったのでしょうか。
それは、彼らが平成3年の大勝利を、「簡単」に手にしたからです。

実は、平成2年から宗門問題にどれだけの人の功績があって、どれほどのいろ
いろな人たちの活躍があったのか、それを広宣部の人たちが知らないとしか。

中央の事情は知らないけど、学会は生きた組織なので、流動的に役職が重複し
たり、特定の組織が立ち上がるのはいつものことというか、ごく普通のこと。
その中で、広宣部はどちらかというと末端に広く活躍を宣伝もしないで立ち上
げられた男子部の特定のグループで、活動内容も、壮婦は詳しく理解されてい
なかった面もあったかもしれない。また特殊な人を除けば、通常の人が宗門問
題に積極的に関わることのできた唯一の“普通の”窓口だったかもしれません。

広宣に限らず、ラインのほうからは「通常の活動はどうなってるの?」と非難
されたり、頑張ってるのに理解されない理不尽さ、その反動で、自分達こそが
対宗門問題を支える中核なのだと思い込み、そうなると悪い面に転がってく。

創価班経験者は、あそこが訓練の場だと理解しているからお互いに厳しくして
いるわけですから、実は他の人に支えられていることに、気がつかないと。

広宣部もそう。平成3年だけをとっても、どれだけの人の協力があったのかを。
地方寺院の法華講を相手したのは広宣部だけど、他は?? 逐一の宗門側の情報
は誰の手によったのか。C作戦の最初の情報漏えいは別の人。有志とされるビデ
オ作成は、広宣のメンバーだけで出来るわけがないし。地涌からの通信は別の
グループが立ち上げたし。自分達が知らないところでどれだけの人が支えてきて
いるのか。その他、想像するだけでも数え上げればきりがありません。

波田地氏は、広宣で動かれただけでなく、地域の人を結びつけていかれた。
しかし功績と同時に他のグループを必要以上に軽くとらえ、蔑視されていた。
それは何故なのでしょうか。

そもそも、平成3年の立役者を一人だけ挙げろと言われれば、皮肉なことだけど、
日顕そのものです。あそこまでの馬鹿ぶりがあったればこその学会の大勝利です。
もしも、日達上人や、日昇上人の時代にこじれたのだと考えると、全然違ったで
しょう。日昇上人が他の人に相承をしてたらどうなっていたか。もっと普通の冷
静な悪い人が法主だったら、圧勝になったかどうか。昭和52年の時の学会員の苦
衷を思えば、平成2年からの勝利は、振り返ってみれば本当に奇跡なほどの結果
になりました。あそこまで日顕を馬鹿にしたのは誰なのか。そこも考えてほしい。

それを簡単に捉えてはいけないはずなのに。自分達こそが特別な立役者だと理解
してしまうこと。それは絶対にいけない。日顕があそこまで傲慢になって愚かな
振る舞いをしたことだって、過去からの学会員の苦労があっての上のことで、そ
こを抜きにして、結句は、単に自分と他の人の対比で、悪口を流すなんてとんで
もありません。

どのような不遇であろうとも、栄光を手にするものは、栄光以外は手にしてはい
けない。報われなくても、自分の栄光を胸に満足して去れなけば、人生は空しい。

それで、日顕が簡単に追い出せたので、同じようにして騒いで追求すれば、次の
相対よろしく、悪人が去って、きれいな世界が保てるとでも。
・・・・まさか、そうじゃないでしょう。広宣部中心だとそう考えるのか。
そんな単純な構造をどこで見てきたというのでしょう。

悪を悪だと明確に言えないで、騒ぐだけで何とかなるなんて道理もありません。
それこそ、そんな組織、他の人も安心できません。

また誰が会長にふさわしいのか、私にはそんな事よりも現実の課題に応えるの
かどうか、実際の仕事がいつまで放置されてるのか、そちらが気になりますね。

●クジラさん、共感していただけて嬉しいです。宿坊板の悪口はやめておきます。
やっぱり御書を読み深めながら、みんなで話ができればいいなと思っています。








  • [6]
  • 大聖人と法華経 ⑥

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時17分38秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ⑥

投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月16日(日)08時50分0秒返信・引用

大聖人だけでなく、もっと昔の人だって、経典の内容とは、その思想性を
組み取ることが重要だった。だから、どのような形で記述されたかなんて、
どっちかというと二次的な問題、共通認識の上に成り立つ形式的な問題。

今の人は、昔の人なんだから、形式を二次的に考えたのではなく、釈尊のま
まに言葉が伝わったと信じていたと思いがちだけど、全然、そうではない。

まず、経典の成立について、後世の人の手が加わっているのは、天台大
師の時点でも、もう常識だった。(それ以前は単純に私が知らない。)

天台大師の法華文句の序品のところに、
「或仏自唱品如梵網。或結集所置如大論。或訳人添足如羅什。」等。
(一部は仏が説いた所もあるけど、多く付け足した所もあるんだ・・・)

経典の各品は、ある部分は仏が説いた所もあるけど、ある部分は後世
の訳者が付け加えたもので、般若経典なんか、三品しかなかったのを、
鳩摩羅什が百品まで増やしたことに触れている。わずか3章から100章にっ
って、97章が翻訳者の創作だなんて、どう考えても増やしすぎです。(^^:)
それを知ってて、天台大師もみんな、釈尊の経典だと理解していた。

なぜなのか。

法華経は現代では各品ごとに成立が異にすることが明白だけど、ただ、
天台大師の時代には、そこまでは分かっていなかったので、それで

「今薬王本事是仏唱。妙音観音等是経家。訳人未聞。」だと。

千数百年も前だから仕方ないけど、法華経の各章は仏説だと理解してて、
その理由の一つは、「訳人未聞」、つまり翻訳者が付け足したという学説
を俺たちはまだ聞かないからねという客観的な含みまで述べている。

そういう風に、他経典の取り扱いをみても、翻訳者が付け加えたり、
削除したりしてるのを知っていて、「正しい経典」だと理解していた。
もちろん、大聖人も天台大師の著作を御存知ないなんてわけがないけど、
大聖人もまた、般若部の経典を仏説ではないと言ったことなんてない。

大聖人は、法華経の翻訳では、鳩摩羅什が最も優れると評してるけど、
大聖人が梵本を読んで詳しい理解があったとするのは、きっと誤解。
鳩摩羅什は、すでに中国国内で「漢字」で評価されているわけだから。

大聖人御自身が梵品(原典)の法華経を読まれたかは不明でも、常識的に
考えれば、当時の日本人に古代インドの言語を評価できるかどうか。
また、御書に記述される梵品の理解がかなり限られた情報であることを
考えれば、大聖人もまず漢字を通して理解されていたと思うのが普通。

その向うに、より釈尊の言葉に近い古代インド語の原典の存在があるの
は知っているのに、そちらには見向きはされなかった。御本尊の両脇にあ
るように梵字を採用しても別によかったんだろうけど。それでも、題目は、
薩達磨ふんだりきゃでも、プンダリーカでもなくて、南無妙法蓮華経。

どう翻訳されたのかは、これも開目抄に詳しくて、鳩摩羅什の意図を多
分に含んでいて、誰が説いたのかって、もうこの時点で釈尊のままだと
思ってたなんてありえないから。無理に言えば、釈尊の意図を汲んで変遷
・翻訳された鳩摩羅什の言葉を信じたことになる。

今日もくどくどと恐縮だわ。ちょっと要約すると、経典の中身とか、
思想性を大切にしていたというお話。







  • [5]
  • 大聖人と法華経 ⑤

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時16分39秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ⑤

投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月15日(土)16時38分25秒返信・引用 編集済

法華経の話は昨日に説明してきた。

久遠の昔からずっと修行を積んできた、本当はすごく立派な菩薩たち。
ずっとここに居たのに誰も知らない。その存在は釈尊だけが知っていた。
そして、その菩薩より、ずっと見劣りのする現実の姿の仏。

これらの法華経で説かれた、久遠の釈尊や地涌の菩薩は何を意味するのか。
歴史上の人物、釈尊を讃えることが目的なのか。
それでは分けの分からない話だ。釈尊にかなり失礼な展開とも言える。

大聖人はこれを説明されてる。歴史上の釈尊を題材に、一人一人の己心
の中のことを説明して言ってるのだと。天台大師もそう言ってる。

なので。
寿量品の「我実に成仏してより已来無量無辺百千万億那由佗劫なり」とは、
「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」(P247)
だと。

同じく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命・・・」とは、
「我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり」(同頁)
だと。

私たちの己心の仏こそが、久遠の仏だと。
私たちの己心の菩薩こそが、地涌の菩薩なのだと。

その他の色相荘厳の仏なんて、もう、どこにもいないんだよと。

こう、法華経の編纂者が編み出し、天台大師が説き、伝教大師が説き、
大聖人が説いて、実際の修行方法は末法では題目を唱えることにされた。

これをもって、どうして大聖人が教主でなく、釈尊が出てくるのだろうか。
その人の意識に出てくる釈尊とは、なんぞやと問うと、架空の存在になる。

この信仰の責任は誰に帰すのか。久遠の釈尊?それは実は私たちのことだ。

歴史上の釈尊が、法華経の話の中での釈尊と異なるのだということは、話
の構成上から明らかだ。もしも法華経から釈尊だけを単体で取り出して尊
いというなら、それよりもずっと菩薩のほうが功徳満載だという事実を無
視できないから、功徳のある弟子に劣る貧相な師匠の仏を崇めてることに
なってしまう。それだとずいぶん、変な宗教だと気付いてほしい。







  • [4]
  • 大聖人と法華経 ④

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時13分9秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ④
投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月14日(金)22時35分34秒返信・引用 編集済

歴史上の事実は置いておいて。
(ついでにお上品にしゃべるの疲れるので変える)

法華経の話の上では、誰が説いたのか。
釈尊が一人だけで説いたのか。・・・違う。

法華経では誰が一番に偉い人物なのか。
釈尊なのか。・・・それも違う。

では。
大聖人はどう読まれたのか。
釈尊は、法華経になって真実の悟りを述べ始めた。
その驚くべき内容とは、前半と後半で一つづつ、合わせて二つ。
たった二つなのだと。

一つ目は、前半の迹門で全ての人が成仏できると述べたこと。
それまで絶対に成仏出来ない人たちでもみんなが仏になれるのだと。
言葉では、諸法実相。開示悟入。悪人成仏。女人成仏。善悪不二など。
さまざまな観点から説かれた。

それは当時の人には理解不能でも、現代人には容易に理解できること。
驚くと言うよりは、むしろ「当たり前」だと思えること。
そう、ただ単純に、当たり前だと思える。
今の時代の人の感覚だと、直感で真実を説いてるな、とうなずける。

実際には、人は不平等だし、現実と違うんじゃないのと指摘されても、
「現実のほうがおかしいんだ」とまで言える、人類の共通の概念。
そういう部分に支えられるような時代になった。

でも二つ目は違う。誰にも容易に理解できなかった。
そして大聖人は一つ目の驚きに比べて、この二つ目の驚きと言ったら、
もうケタ違いの驚きだと。そして、これこそが法華経の眼目なのだと。

それが「釈尊が久遠の昔に成仏していた」ということ。
仏になっても、現実の我々と同じ姿で歩みつづけているのだと。
釈尊が生まれた赤子の時から、幼少時代、青年時代、普通の人だった
けど、それがみんな、実は仏の振る舞いだったのだと。

これが現代人にも飲み込めない。
「そんなだったら、仏だとか言っても、意味が無いじゃん」と。

それでも無理にみんな仏だと言い張ったのが、おかしな天台宗。
「もともと仏で、みんな仏で、何もしなくても仏なんでいいじゃん」と。

それでは法華経が説かれた意味がないというのに。
二つ目の意味が、誰の人の目にも、意味があると分かるようになったの
は、すべて創価学会によって。学会が人類に提供した概念。
それ以外の例で現実に説明できる人がいるなら、ぜひ、教えてほしい。
それまでは、法華経の行者も、地涌の菩薩も、特別な人を描いて、その
人に当てはめるしかなかった。

話を戻して、法華経では、釈尊が真実を語るよと言って、みんな仏にな
れるよと語ると、みんなが驚いた。舎利弗なんか、釈尊ではなく悪魔が
法を説いてるのかと疑い、誰も釈尊を信じなくて、大騒ぎ。

収集がつかないありさまだったと。
そこで余所の世界から多宝如来が応援に来て、釈尊の言ったことは真実
だよと言い添えてくれる。釈尊一人ではとても無理だったわけ。
十方の諸仏もそうだよそうだよと言って、ようやく受けいれられる。
それで、みんな仏になれるんだと思って大喜び。
最悪の提婆達多がなぜいっしょにいるのかとか、いろんな謎も解ける。
それが前半の出来事。

ところが後半になると、大勢の地涌の菩薩が出てきて、みんなが知らな
い人たちなのでびっくり。釈尊が語るのは、実は私は大昔に成仏してて
地涌の菩薩は私の弟子だったんだよと。
この後半から、釈尊は、「本門の釈尊」と言ってちょっと格が違う。
でも前半も後半も釈尊の姿は同じで、別に変わらないからね。

みんなが間違えてきたのはここから。
その後半の直前に「釈尊」と「地涌の菩薩」を比較すると、地涌の菩薩
のほうが威徳が勝っていた。釈尊よりも地涌の菩薩のほうが師に見えた。

「定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしき」(P212)

弥勒菩薩が、ずっと失礼な本音をしゃべってる。釈尊はみすぼらしいと。
そして釈尊が久遠の昔に成仏したと述べると、今度は余所の世界の仏も
実は釈尊が分身で示してきただけで、実は仏は私、一人なのだと。

ここも無茶ぶり。過去の仏が全部、釈尊の垂迹だというなら分かるけど、
今現在、集まって周囲にいる、それらの諸仏も多宝仏もほんとはいない
のだよと語ってる。それが大聖人の法華経の世界。己心の中だからこそ
成り立つ強引な話。つまり法華経の会座には本当の仏は、釈尊一人。

そしてその姿は、釈尊よりずっと立派だった他仏はみんな架空の存在で、
本当は、地涌の菩薩にも見劣りする、本仏が一人いるだけ。

これが法華経の世界だよ。






  • [3]
  • 大聖人と法華経 ③

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時12分3秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ③
投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月13日(木)10時21分46秒返信・引用 編集済

大聖人の法華経を見る視点はどうだったのか。
経典を鵜呑みにしたのではなかったら、どんなだったのか。

一つ目は。
天台等が出せずにいた正法が後五百歳の末法になると弘められる。
まず、大聖人は、今が末法だとは何を根拠に判断されたのか。
経典を鵜呑みにしたなら、大集経にある通りに計算して、それで終り
のはずです。事実、後五百歳という言葉はとても重視されています。

でも実際には、経典の年代だけで判定したのでなく、世相を見て自分
で内容を汲み取って、法華経の敵が多いことをもって、今が末法の正
法の流布の時だと認識されたことを述べられています。

「末法の始のしるし恐怖悪世中の金言」等(P203)

経典の通りには違いないのですが、字面を追って信じたのではなく、
その思想性、本質に肉薄して、そう受け取ったと理解できます。

二つ目は。
言うまでもなく、大聖人は、御自身が正法を広めなければ、法華経は
虚妄となり、釈尊も嘘つきになってしまうと断言しています。

「日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ」(P202)

そして御自身は弘通すべきかどうかを、さんざんに悩まれました。
なぜなら多くの人を死なせたり、多大な迷惑をかけてしまうから。
その選択は大聖人に委ねられていました。だからこそ、御自身を

「教主釈尊より大事なる行者」(P363)

だと振り返って述べられています。

自分が選択しなければ、法華経は紙くず同然。釈尊はただの嘘つき。
法華経ばかりか、あらゆる経典も全てが意味を失ってしまう。
自分がそれを正しいことにしたのだという、その主体性。それこそが
大聖人の法華経の読みかたでした。そうではなかったでしょうか。

自分がそれを真実にしたのだと。

それを法華経に従って修行したと思うのとでは感覚が違いますね。
釈尊の言うとおりに信じてやりました、ではなく、時代を読み取り、
その内容を汲み取り、そこにある正義を証明しようとされた。

三つ目は。
私の「開目抄」で取り上げた主眼の所ですが、弘通を決意したその
後に、法難の前にすでに法華経の六難九易の意味を実感されています。

経典の六難九易のままだと思うからこそ、無理だと悩まれたのですが、
実は経典のままではなく、決意をうながすための慈悲の文章であると
理解されたからこそ、弘教以前の時期に、六難九易とはこのことだった
のかと、実感されて言われたことの意味が浮き上がります。

ここもそうですが、経典の書いてある内容をいったんはそのまま受け
取っていますが、何も杓子定規に鵜呑みにしたわけではありません。
その思想性に踏み込んで、御自身の主体的な立場で活用されました。

このように、主体者として、 その思想を汲み取り活用されています。
それが大聖人の法華経の読み方で、それこそが本来の法華経の編者
の望んだ読みかただったのだと思われます。

ここを読まれた方は、「何を当たり前のことを言ってるのだ」と思われ
ることでしょうけど。信仰者が自分の人生をかけて経典の真意に迫ろ
うという時に、経典を深く読もうしないわけがありませんものね。それを、
字面をパッと信じたと思う人の人生観が浅いと言うか、欠如というか。






  • [2]
  • 大聖人と法華経 ②

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時10分51秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ②
投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月12日(水)22時27分12秒返信・引用

身延の悪口をもう少しだけ。
身延等の学者たちの傲慢な視線、彼らの誤りとは何なのか。
それは、大聖人が法華経を鵜呑みに信じてたのだと侮って理解してい
ることです。事実、そんな言葉を御書から拾い集めるのは容易ですね。
多くの言葉が見つかるけど、それだけでは真実からは、ほど遠い。
こうだと思わずに、大聖人の言い分に、真摯に耳を傾けてほしい。

彼らはこう。

→ 大聖人は法華経を絶対視して上に見ていた。
→ だからそれを説いた釈尊は、大聖人には絶対的な存在のはずだ。

だから釈尊を絶対視するのが「日蓮門下では正しい」のだと言う。
ところが、ところがです。現代人の私たち、彼らもそうですが。

実は、彼らは、法華経が歴史上の釈尊が説いたのではないと知って
いますから、実際には、彼らが持ち上げる「釈尊」は、経典上の
産物でしかなく、いわゆる根拠の無い、根無し草になります。

それなのに、全ての責任を「日蓮」に押し付けながら、平然と「釈尊を
本仏と信じてる」と語るのは、考えてみれば大いに矛盾なのですよ。
いったい何を根拠として信じているのかと聞きたいですね(笑)。

彼らは法を語るにも、「おまえらも日蓮門下だろう?」という前提で
しか話せません。「世の人も法華経を信じてる」という前提ですから。
そんなもの、今の誰にも通用するものかと(笑)。

身延派の論理では、法華経の成立が後世であった時点で総崩れです。
よって、彼らの中の誰一人として、本当に信じている人はいない。
私が、そう言うのも言い過ぎではないと思いませんか。

では、大聖人はどう考えていたのか。
そもそも、大聖人はどんなに法華経を信じて捉えていたのか。
ここがしっかりと把握できないと、明後日の議論になります。
昔の人なんだから、鵜呑みに絶対視してたのか? 違いますから。

まず、その時代、その時代の認識がありますから。
今日、飽食なほど肉を食べるのに、小動物の虐待は許せないと思う。
では可哀想と思う気持は、偽善なのか。違います。どちらも真実です。
遠い未来の人たちは、現代人を矛盾の固まりに見るかもしれませんが、
ダブルスタンダードに見えても、それぞれに理由があって、それを織り
成して生きてるわけです。

広く言われる例だと、大聖人の死生観がありますが、御書に、死ぬと、
お迎えが来て霊山浄土への旅立ちが語られていますが、実は法門の所
では死後に起こる出来事を中有だとして否定しています。
全然違う。ではダブルスタンダードなのかというと、そうではなく。

日本人の感覚そのままですから。物語を使ってそれを真実だと仮定しな
がら思想を真剣に語るけど、実は事実そのものは真実ではないというこ
ともちゃんと理解しています。思想性が大事なんだけど、表現豊かに
伝える手段に使用しているんですね。

私は「開目抄」の所でも、月に浮かぶ兎が動かないのを例に挙げたりし
て、くどくどと説明したつもりですが、仏の人智を超えた能力についても、
大聖人は経典のままに流用されていますが、その実、普通の人にも同
時にそれを見ています。

遠い未来も遠い過去も見透かすはずの「仏眼」や「法眼」もそう。
あるいは主師親の三徳などもそうです。
それらは仏だけが持つ偉大な威徳のはずですが、普通に、弟子の舎利
弗たちにもそれらを当てはめて、あるんだよと、さらりと述べています。
それは別の場所で述べてきたことなので省略しますね。

仏の証明である、主師親の三徳ですら、ただの「主人と師匠と父母」
ですから、こんなにも分かりやすく、仏を普通に見てることに気付い
てほしいですね。

大聖人から見れば、天台も伝教も竜樹も如来であって、『同時に』菩
薩なのだと。それをその二つは違うのだと勝手に立て分けているのが、
今のよく分からない宗派たちです。

「一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、」(P186)
「大覚世尊は此一切衆生の大導師大眼目・・・」(P187)

「法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり」(P265)
「伝教大師は叡山を立て一切衆生の眼目となる」(P289)
「本地は法雲自在王如来、迹に竜猛菩薩」(P209)

経典にある仏の威徳は、三世を見通す等の誇大とも思えるほどの表現で
すが、それをそのまま使いながらも、ごく普通の人間の徳用に置き換え
てしまっています。

どちらの認識が本当なのかと言われても、どちらもです。





  • [1]
  • 大聖人と法華経 ①

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)23時09分28秒
  • 返信
 
大聖人と法華経 ①
投稿者:モウ 投稿日:2015年 8月11日(火)23時33分17秒返信・引用

クジラさん、お呼びありがとうございます!
日々の生活に疲れて、考えごとしてるとか言いながらボ~としてました。
せっかくなので、何か投稿しようと思って、今、思いつきました。
沖浦さんの一昨日の投稿からですね。

> 大聖人を神格化してしまった日蓮正宗。
> 人の側面から捉え続けた身延。
> 当然後者が桁違いに優れます。

なるほど。言い回しを無視すれば、沖浦さんの言われることは
端的によく分かります。要は、日蓮正宗は神格化してダメだと。
私のようにくどくどと説明をしたところで誤解されるだけなので、
こんな風にスパッと言われたほうが分かり良いというものです。

んーと、でもこれだと、身延を讃えてるとか誤解されてしまう。
それで私のほうは、もう少し、ねちねちと立ち入ってみようと。
もう少し学術的に正確に言うと、こういう表現になるかと思います。

日顕宗・・・どうしてこうなってしまったのか。(笑)
身延派・・・ぜんぜんっっっ、分かってない、ばーか。(笑)

と。うん、こんな感じでしょうか。いえ、両者の見解なんて
学術的にもこれくらいが精いっぱいだと思います。
両者が学問的に見解を異にするとか、そんな高尚な話ではなく、
単に大聖人の話を『聞いてない』だけですから。

も一つ言うと、両者とも昔の宗教なんだから仕方ないんだと
思われる人もいるかもしれませんが、大聖人はもとより、もっと
前の伝教大師や、千数百年以上も前の天台大師の目からみても、

日顕宗・・・きっと誰も本当に信じてる人はいないよね。
身延派・・・よくこんな迷信を信じる気になったものだね。

と蔑んだ目をしながら言うと思います。
私たちの信仰がどれほど健全で優れた思想なのか、
私としてはそこを知ってほしいところですね。