• [0]
  • 喧嘩スレ

  • 投稿者:管理人
  • 投稿日:2015年 5月28日(木)19時12分42秒
 
喧嘩上等バチバチ大好きな方どうぞ!!ψ(`∇´)ψ

 <思いやりのあるコミュニティ宣言>
 teacup.掲示板は、皆様の権利を守りながら、思いやり、温かみのあるコミュニティづくりを応援します。
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  • [1000]
  • 無名氏、さっそく虚言を放つ。

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月10日(火)00時42分7秒
  • 返信
 


『日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつながなく
 てはならぬ』 【創価学会の歴史と確信、戸田城聖】

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この発言の時、日蓮正宗は、身延派と合併すべく、まさに「存亡の危機」にあったの。
その時に、正法を流布して、それで潰れるのなら、別にいいだろうという見解なの。

> 大聖人に対する信心、心構えが会員に伝わればいいんス。

無名氏は、そんな現実を無視して、単に、会員の問題だと矮小化した。
いつもながらの知ったかのウソツキぶりだけど、ちょっと早すぎだね。


よって、無名氏いわく。 

> 世情を考えず、戒壇の大御本尊に不敬があったら、
> 宗祖の志はつながらないスよ?

そうなんだよね。無名氏の考えでは、とても説明できないんだよね。
大聖人の志をつないでいくためには、日蓮正宗はつぶれていいの。
消滅してもよいと言われた日顕宗に行くだなんて、なにがしたいのやら。

やっぱり、日顕が昭和63年に見栄で作った「法教院」のせいで、大卒者がいないと
いう奇妙な宗派になりつつあるせいか、本山所属の中高校生だって、勉強しようとか
向上心がわかないよね。大丈夫なの?  そんな、世間知らずな上に、まるで何の教養
もない人たちに、信徒がいつまでも頭を下げ続けると思うのか。



  • [999]
  • 風前の灯火のように衰亡した仏教宗派

  • 投稿者:大五郎
  • 投稿日:2017年 1月 9日(月)14時59分2秒
  • 返信
 
「WEB 第三文明 」に日蓮正宗「風前の灯火のように衰亡した仏教宗派」の
実態が詳しく出てるんで載せるっす\(^o^)/
http://www.d3b.jp/npcolumn/6619

学会と宗門、25年の「勝敗」――〝破門〟が創価学会を世界宗教化させた
ライター. 青山樹人
仏教史上に例のない供養
 かつて〝日本最大の隆盛〟を誇りながら、わずかこの25年で、風前の灯火のように衰亡した仏教宗派がある。
 日蓮正宗――。そう言われても、もはやほとんどの人が名前も知らないだろう。
 静岡県富士宮市の大石寺を総本山とするこの宗派は、日蓮の弟子・日興を開祖とし、古くは日蓮宗興門派や富士派を名乗っていた。日蓮正宗と改称したのは、1912年(明治45年)のことである。
 身延の日蓮宗などと比べてもはるかに弱小教団だった日蓮正宗が発展したのは、古くからの檀家(法華講)とは別に、昭和に入り、在家団体として創価学会が誕生したからだった。
 戦時下、初代会長の獄死という大弾圧を乗り越えた創価学会は、戦後のまだ貧しい時代から、最優先で日蓮正宗への外護(在家が宗門を支えること)にあたってきた。学会は独立した宗教法人でありながらも、出家と在家の平等を説く本来の仏教の精神に則り、僧俗和合しての広宣流布(社会に仏法を広めること)をめざしてきたのである。
 創価学会が日蓮正宗に寄進した末寺の数は、じつに356ヵ寺。総本山大石寺には大客殿や正本堂などの日本近代建築史に特筆すべき壮麗な名建築が整い、延べ7000万人の参拝者でにぎわった。仏教史上に例のない規模の、民衆からの供養である。
 本来なら、出家である僧侶が、在家の真心と奮闘に感謝し、布教や教学振興の先頭に立つべきであろう。ところが、日蓮正宗は繁栄につれて僧侶の腐敗堕落が深刻化する。
 労せずして〝日本一〟の繫栄を得たものの、総じて布教も教学も在家である創価学会員にかなわない。屈折したコンプレックスは、〝僧侶が上で、信徒は下〟という、時代錯誤の封建的な差別意識を蔓延させていった。

巧妙に仕掛けた破壊工作

 とりわけ、1979年に阿部日顕が法主になると、その「信徒蔑視」と「金満体質」は歯止めが利かなくなっていく。
 創価学会に新たに200ヵ寺の寄進を要求する一方で、料亭で芸者遊びを繰り返す者、ポルシェなどの高級車を買う者、億単位の貯蓄をする者など、常軌を逸した僧侶の放蕩が各地で露見した。中でも、その腐敗堕落を極めていたのが、阿部日顕の一族と、取り巻きのファミリーだった
 一方、創価学会は池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、各国の指導者や有識者との対話、平和への具体的行動を広げ、世界から注目と共感を集めていた。80年代後半になると、各国元首との会見も増える。
 日蓮の精神を完全に見失い、宗教貴族と化して肥え太るだけ太った阿部日顕ら日蓮正宗の中枢は、目障りな池田会長を追放して創価学会を解体し、黙って供養を差し出す信者だけを囲い込むことを密かに謀議する。(一連の経緯については筆者の近著『宗教はだれのものか 世界広布新時代への飛翔』に詳述した →当サイト書評ページ)
 1990年の12月28日、日蓮正宗は臨時宗会で宗規を改変し、いきなりマスコミに記者会見を開くというやり方で、池田会長を法華講総講頭(全信徒の代表)から罷免すると発表した。学会には何の通告もしないばかりか、その5日前には素知らぬ顔で新たな末寺の寄進さえ受けているのである。
 年末年始、学会の機関紙『聖教新聞』が数日間の休刊に入り、学会内の情報が混乱することをあえて企図しての恐るべき奸計だった。

「人間のための宗教」へ

 だが、創価学会はビクともしなかった。むしろ、阿部日顕が宗内僧侶にも隠して謀議を進めていたこと、密かにプール付きの豪邸を計画していたことなどが露見。日蓮の教えに違背して腐敗堕落し、在家信徒を収奪の対象としか見ない彼らの本性こそが次第に明らかになっていく。
 日蓮正宗は「法主は御本尊に等しい尊体」などという珍説をかざして批判を封じ込めようとしたが、追い詰められた1991年11月28日、ついに創価学会に「破門通告」なるものを出した。江戸時代さながらの上下意識に浸っていた彼らは、これで学会員が雪崩を打って宗門に隷属すると考えていたのだろう。
 全世界の学会員は、なおも「衣の権威」を振りかざす出家の呆れた行状を笑い飛ばし、時代錯誤の〝葬式仏教〟から訣別する「魂の独立記念日」として喜び合った。
 なにより、この日蓮正宗の聖職者たちの狂態に立ち向かったことで、全世界の学会員は「宗教のための宗教」ではなく「人間のための宗教」こそ、人類が待望する新たな宗教のあり方だという深い精神性を身につけたのである。

訣別が世界宗教化をもたらした

 以来、この2016年末で四半世紀が過ぎた。
 SGIは世界192ヵ国・地域に拡大。各国政府や社会から高い信頼を得ている。イタリア共和国では14年間の審査を経て、首相が列席して国家とイタリアSGIのインテーサ(宗教協約)が締結された。
 池田SGI会長は、ハーバード大学、モスクワ大学、北京大学それぞれでの2度の講演を含め、フランス学士院や中国社会科学院などで30回を超す講演をおこない、各大陸を代表する最高学府から370近い名誉学術称号を受けてきた。
 公明党は安定した連立政権のパートナーとして、外交や安全保障、税制にも存在感を示している。創価教育の出身者も、今や各界で陸続と活躍している。
 作家の佐藤優氏は、次のように述べている。

 宗門と訣別し、その前時代性の鉄鎖から解き放たれたとき、世界宗教として飛躍する条件が整った。(『創価学会を語る』第三文明社)
 創価学会/SGIは、ほかの宗教団体とも平和的に共存・共栄できる教団ですね。そのことが各国政府にも理解されてきたからこそ、インテーサを結ぶような形で受け入れられるのです。(同)
 対する日蓮正宗は、愚かにも信徒の98パーセントを失い、多くの末寺が今や本山からの資金援助なしでは経営できない窮状に陥っている。信徒がいなくなり、廃寺となるところも出はじめた。
 とりわけ謀略の首謀者である阿部日顕については、台湾でも「花和尚(堕落坊主)」とマスコミに報道されるなど、その行状が世界中に知れわたった。
 せめて他宗派なみの社会貢献でもすればよいものを、ときどき創価学会を誹謗中傷するビラを撒く以外は、震災時に信者が庇護を求めても門扉を閉ざし、社会性のかけらもない。彼岸や盆の時期になると、高齢者の家などを狙って供養の催促をする、絵に描いたような〝葬式仏教〟なのだ。
 あの「魂の独立」から25年。今やあまりにも鮮やかに勝負のついた双方の姿が、正邪のありかを雄弁に物語っている。






  • [998]
  • モウ殿が、何言ってるのかワカラんわ っちゅうとこはココかな?

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 9日(月)12時22分1秒
  • 返信
 
(*^_^*)  追加


◯すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、
それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、
等しく 「本門の本尊」 である。


★既に破折の通り、「因」が存在しない。因無きは「外道」。

文証
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」

追加
「末法の衆生のために
日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅」
は、
弘安二年十月十二日建立の本門戒壇の大御本尊のみ。
すなわち  一閻浮提総与の御本尊。

あとの真筆御本尊は、個々の信心に対して与えられた御本 尊。

脇書きにちゃんと認めてられるしょ。



W(`0`)W

  • [997]
  • モウ殿

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 9日(月)09時27分54秒
  • 返信
 
^^;

◯何が言いたいのかよくわからないわ。

★^^;    原田ちゃん監修の
長々しい教義改変文書に沿ったもんスからね。
長々しくて、その理由も分かってないんしょ?


簡単に何が言いたいのかと言いまスと、総論で述べた如し、
ヒューズが切れた配線では電球はつかないピョ~ン   っちゅう事。
(⌒-⌒; )



◯戸田先生いわく。
『日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつながなく
 てはならぬ』 (創価学会の歴史と確信、戸田城聖)
今回はこれ一本でいこうかな。


★戸田先生は、大聖人の仏法、大聖人の御法体を
伝持する立場じゃないスからね。

大聖人に対する信心、心構えが会員に伝わればいいんス。



世情を考えず、戒壇の大御本尊に不敬があったら、
宗祖の志はつながらないスよ?

まして戸田先生は国家諌暁をなしてないシ。

戸田先生の信心は立派ス。
しかし実際、狂った軍部は聞く耳は持ってないスよ。

洗脳されたあなたが、オイラの話に
「何が言いたいのかよくわからないわ。」
の如し。


m(_ _)m


あなたの創作才能は認めまスけど、命の在り方がねぇ~。


(ー ー;)



  • [996]
  • 無名氏

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 9日(月)00時16分25秒
  • 編集済
  • 返信
 


何が言いたいのかよくわからないわ。

戸田先生いわく。

日蓮正宗をつぶしても国家諌暁をなして日本民衆を救い、宗祖の志をつながなく
 てはならぬ
』 (創価学会の歴史と確信、戸田城聖)

今回はこれ一本でいこうかな。



  • [995]
  • 各論 三大秘法

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)23時39分1秒
  • 返信
 
m(_ _)m


◎1 三大秘法について
(1)「三
大秘法」

日蓮大聖人は、如来滅後に天台・伝教等の残した秘法とは、
「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(御書336頁)と示され、
「国土乱れて後に上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、
一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(同338頁)と仰せられている。

大聖人は、悪世末法の一切衆生の救済のために、
宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明かされ、
それを三大秘法として具体的に顕わされた。
それが、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇である。


★破折。
「宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経」
ではなく、大聖人己心の「南無妙法蓮華経」。
即ち、大聖人御自身が「妙法蓮華経」。

文証
「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」



◎今回、三大秘法についての解釈を、次のように明らかにした。

すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、
それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、
等しく 「本門の本尊」 である。


★既に破折の通り、「因」が存在しない。因無きは「外道」。

文証
「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」



◎また、「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」であり、

★うんうん。良く御存じ。正解。


◎その唱える場がそのまま 「本門の戒壇」となる。
これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。


★唱える場ではなく、大聖人の御法体が御安置されている所が「本門の戒壇」。


◎したがって、「本門の本尊」としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」
も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」だとするものではない。


★教学部の誰が書いたのかは知らないスけど、
会員の皆さんを騙そうという意図がありあり。苦渋がにじみ出ているの、
あなたにも感じるっしょ?

感じない?

「も含まれるが、それのみが 」
この文面、苦渋の産物以外無いでしょ。

身延も大石寺も、他の大聖人を信仰している教団も認め。
(⌒-⌒; )


「弘安2年(1279年)の御本尊」が源流なんス。
それ以外は末流。源流が閉ざされれば、末流は枯渇しまス。


◎まして、「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、
他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、
大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。


★真札  ニセ札の原理と同じスね。
「草木成仏抄」「生死一大事血脈抄」を心肝に染めてりゃ、
こんな事は書けないっしょ。
「人法一箇」も存じてないようスし。



簡単な御書講義タ~イム

「生死一大事血脈」とは「南無妙法蓮華経」の事ス。すなわち
「妙法蓮華経」に「帰命」する義。

m(_ _)m





  • [994]
  • 大五郎殿 各論

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)23時07分41秒
  • 返信
 
m(_ _)m

★ 各論

それにしても長々しい教義改変の理由スけど、読んでいるうちに、
その気になる話の持っていき方スね。洗脳?

なのに、大石寺教義・本尊を引きづったまま。



◎「会則の教義条項改正に関する解説」(上)創価学会教学部

平成27年1月29・30日/聖教新聞
学会は世界宗教として大きく飛翔

(略)

「日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」とあるように、
三代会長の指導のもと、各人が自行化他の実践で人間革命を成就し、
仏意仏勅である世界広宣流布を事実の上で実現するための
不惜の実践を貫く教団であるという点にある。

その自覚と使命感に立つ以上、学会が「生きた宗教」として、時代の変化や
広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や
将来起こりうる課題に責任を持って対応していくことは当然である。

事実、三代会長なかんずく池田名誉会長はこれまでもさまざまな課題に対応し、
広宣流布の道を切り開いてこられた。

一例を挙げれば、昭和45年(1970年)の本部総会で、名誉会長は
「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、
生きた仏法の、社会への脈動なのであります」
と語った。

そして、あらためて、それまで日蓮正宗の一部で唱えられていた
「国立戒壇」 という表現は用いない、戒壇建立は純粋な信徒の総意、
すなわち民衆によるものだとの立場を内外に表明し、
「信教の自由」を定めた日本国憲法下で、
国内の広宣流布を進めていくうえでの無用な社会的摩擦を生じないような対応を行った。



★それは違うスね。今オイラは顕正会にハマってますが、
戸田先生は、「国立戒壇」の考えをを因として、政界に進出した。
「王仏冥合論」が根本にありまっス。
それで、政教一致の公明党が大躍進し、他党から批判を受けたので
学会は「王仏冥合論」を捨てた。国立戒壇を捨てた。

憲法違反スから。

顕正会は、大聖人の遺命であるという「国立戒壇」を盾に、
ガンガン攻めてまっスが、そもそも大聖人のお考えに「国立戒壇」は無いし。

会員は浅井ちゃんの巧みな話に「国主」と混同してるんスね。

宗門も、そもそも時代は在民主権スから、鎌倉時代のような「国主」は存在しないし、
天皇陛下は「象徴」であって国主じゃない。
ゆえに国立戒壇は現状では有り得ない、
だから使用するのをやめた。

道理に合ってるじゃないスか。

「日蓮仏法をこころみるに
道理と証文とにはすぎず、
又道理証文よりも現証にはすぎず」

m(_ _)m












  • [993]
  • 大五郎殿

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)23時04分1秒
  • 返信
 
m(_ _)m


★同じようなキャラの大五郎殿、反論ありがとございまッス。



「総論」


>★ 一番の問題は、道理スよ。道理がメチャクチャじゃないスか。
> 例えば、毎日拝んでいる本尊、原田ちゃんは、
> その元を否定。源流を否定して、何が仏法でしょうか。


○法華講さんの解釈はそうなんだろうけど
学会は違うっす!

これは資料スレにテンプさんが投稿してくれた御本尊についての学会の見解なんで再掲するっす!


※「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、
大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。

日顕宗のメチャクチャがハッキリするよ~\(^o^)/



★総論
仏力法力 = 信力行力
因縁果報法門の極理。



★法華講云云、宗門云云のレベルじゃないんス。道理で破折してるんス。

一番わかりやすい話は、
戸田先生の「ヒューズ」に例えた指導ス。

大五郎殿、物事には全て「因」があるんスよ?
原因無き結果は有り得ないんス。

貴方にも先祖があるでしょ。
三世の生命の源流スよ。

時間の概念の原点ス。


故にオイラは、沖浦宗を
外道(無因無縁説(偶然論)と位置づけてまっス。

この人は口から出まかせスから、例えば無因無縁*偶然論教祖なのに、
本尊にすがる。すがってる本尊書写本人を、習い損ないと罵しる。

まず信用に値しない。自分本位。

原田ちゃんも然り。
源流を否定して、広宣流布大誓堂の本尊もクソも無いシょ。

この人にも自分本位が見えまっス。

原田ちゃんの己心にたよったら堕地獄スよ。

もっと仏法を真剣に考えたがいいっスね。

(ー ー;)


以上 総論

m(_ _)m





  • [992]
  • どぞどぞどぞ

  • 投稿者:私は法華講員
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)21時59分0秒
  • 返信
 
大分の地区部長さんあなたにレッドカードを出される筋合いはない
勝手にアク禁にすればいいじゃない ぐばい

  • [991]
  • 私は法華講員氏へ「警告(u_u)」

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)18時32分28秒
  • 返信
 
私は法華講員氏へ「警告(u_u)」

ルール違反なので削除しました。

☆特に三代の会長を侮辱した内容と判断した場合は問答無用レッドカード!
   即削除、即アクセス禁止になります。


・URLなどを貼り付け、創価学会を貶めるページやブログに意図的に誘導する。


参加されるのは全然OKなんです。
ただしルールを守るのが大前提です。


  【参加ルール・基本編】  【喧嘩スレ・応用編】
をしっかり読んでから参加するように!

「Dメンバー」に登録です。

管理人もガチガチにルールで縛るつもりなどありません。
しかし、注意をしても聞けないのなら、さらに厳しく対処します。




  • [990]
  • 宗門の独善的な本尊観

  • 投稿者:大五郎
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)14時29分40秒
  • 返信
 
クジラ管理人さん!
横レスさせてもらいますよ!

> 一番の問題は、道理スよ。道理がメチャクチャじゃないスか。
> 例えば、毎日拝んでいる本尊、原田ちゃんは、
> その元を否定。源流を否定して、何が仏法でしょうか。


法華講さんの解釈はそうなんだろうけど
学会は違うっす!

これは資料スレにテンプさんが投稿してくれた御本尊についての学会の見解なんで再掲するっす!

※「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。

日顕宗のメチャクチャがハッキリするよ~\(^o^)/


「会則の教義条項改正に関する解説」(上)創価学会教学部

平成27年1月29・30日/聖教新聞
学会は世界宗教として大きく飛翔


「世界広布新時代」――創価学会が、いよいよ世界宗教として、大きく飛翔する時を迎えました。世界宗教としての一層の発展に備えて、昨年11月、「創価学会 教義条項」が改正されました。これについては、全国総県長会議において会長の趣旨説明がなされています(本紙2014年11月8日付掲載)。

ここでは、教学部として、今回の教義条項改正の意義を確認するとともに、若干の補足解説を行います(㊦は30日付に掲載の予定)。


大聖人御図顕の御本尊は全て「本門の本尊」

●はじめに
過日、創価学会の会則の第1章第2条の教義条項が「この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」と改正された。

この改正について原田会長は、「今回の改正は、『魂の独立』(1991年)以来の世界広布の進展に鑑み、創価学会の宗教的独自性をより明確にするとともに、『世界広布新時代』にふさわしいものにするために行われたと説明した。

「創価学会の宗教的独自性」 は、会則に 「各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする」 とあるように、三代会長の指導のもと、各人が自行化他の実践で人間革命を成就し、仏意仏勅である世界広宣流布を事実の上で実現するための不惜の実践を貫く教団であるという点にある。

その自覚と使命感に立つ以上、学会が「生きた宗教」 として、時代の変化や広布の伸展の段階によって、現実的な課題として現れてくる事態や将来起こりうる課題に責任を持って対応していくことは当然である。

事実、三代会長なかんずく池田名誉会長はこれまでもさまざまな課題に対応し、広宣流布の道を切り開いてこられた。

一例を挙げれば、昭和45年(1970年)の本部総会で、名誉会長は「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります」 と語った。

そして、あらためて、それまで日蓮正宗の一部で唱えられていた「国立戒壇」 という表現は用いない、戒壇建立は純粋な信徒の総意、すなわち民衆によるものだとの立場を内外に表明し、「信教の自由」を定めた日本国憲法下で、国内の広宣流布を進めていくうえでの無用な社会的摩擦を生じないような対応を行った。

また同47年(72年)から連載された『私の釈尊観』『私の仏教観』などの著作では、学問的な成果を踏まえ、釈尊の事跡、法華経の成立年代などに言及し、人間釈尊の生涯を通して、仏教の源流の実像に迫った。

ここでは法華経の成立を紀元1世紀と推定する学問的研究を受け入れたうえで、仏教の正統な系譜を考察されている。

こうした事例に示されるように、世界を舞台に広宣流布を推進する教団として、その伸展とともに新たに生じた課題に対応して、教義解釈の見直しを行うことは、当然のことである。

むしろ、世界の文化・思想を視野に入れ、実証的研究も取りれながら、現代における人類救済の思想を発信していくことこそが、真に世界広宣流布実現のために前進している教団としての使命であるといえよう。

日蓮正宗のように古色蒼然たる教義解釈を墨守して事足れりとし、現実の広宣流布の伸展には責任も関心もないという立場とは全く違う。

今回の改正は、「魂の独立」から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。

したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものである。

また『私の釈尊観』からも40年余がたち、仏教学の実証的研究もさらに進んでおり、今回の改正を機に、そうした仏教学の学問的な成果等も視野の入れながら、日寛教学や、相伝書等についても、慎重に研究を重ね、より普遍的な創価学会教学の構築へ一層の前進を図りたい。


1 三大秘法について
(1)「三大秘法」

日蓮大聖人は、如来滅後に天台・伝教等の残した秘法とは、「本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(御書336頁)と示され、「国土乱れて後に上行等の聖人出現し、本門の三つの法門之を建立し、一四天・四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(同338頁)と仰せられている。

大聖人は、悪世末法の一切衆生の救済のために、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明かされ、それを三大秘法として具体的に顕わされた。それが、本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇である。

今回、三大秘法についての解釈を、次のように明らかにした。

すなわち、末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、ずべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく 「本門の本尊」 である。

また、「本門の本尊」 に唱える南無妙法蓮華経が 「本門の題目」 であり、その唱える場がそのまま 「本門の戒壇」 となる。
これは、末法の一切衆生の救済という日蓮大聖人の仏法の本義に基づいた解釈である。

したがって、「本門の本尊」 としては、「弘安2年(1279年)の御本尊」 も含まれるが、それのみが 「本門の本尊」 だとするものではない。

まして、「弘安2年の御本尊」 に繋がらなければ、他の本尊は一切力用を発揮しないなどとする宗門の独善的な本尊観は、大聖人の仏法に違背するものであることは明白である。


(2)「出世の本懐」について

これまで、創価学会は、日蓮正宗の解釈に基づき、「弘安2年の御本尊」を日蓮大聖人の出世の本懐としてきた。

その根拠は、「聖人御難事」の「余は二十七年なり」(同1189頁)の一節であった。

しかしながら、この両者を結びつける解釈は、古い文献にはなく、あらためて「聖人御難事」そのものを拝して、大聖人が教示されている出世の本懐の意味について考察をしておきたい。

まず、「聖人御難事」を拝すると、本抄の趣旨は次のように整理することができる。

一、大聖人御自身が、本抄において、直接、「弘安2年の御本尊」 について一言も言及されていない。

一、本抄は、「仏」(釈尊)と、「天台大師」 「伝教大師」 を挙げて、それぞれの出世の本懐を遂げるまでの年数を示し、そのうえで、「予は二十七年なり」 と言われて、この27年間、御自身が大難に遭われたことを強調されている。
これに続く御文の内容もことごとく難について述べられている。

一、弘安2年10月1日の御述作である本抄において、大聖人は、農民信徒の捕縛の後、彼らが不惜の信仰を貫いているとの報告を聞いて、門下一同へ、とりわけ法難の渦中にいる門下へ、種々の厳しい信心の御指導と最大の励ましを送られている。

したがって、この 「二十七年」 という 「時」 と、本抄の 「難」 への言及の本意は、熱原の法難で、農民信徒が不惜身命・死身弘法の姿を示したことを称賛されることにあるといえる。

一、大聖人の御生涯における出世の本懐とは、三大秘法をもって、末法万年の民衆救済の道を完成したことである。

「報恩抄」には、「末法のために仏留め置き給う」正法として、
一に「本尊」、
二に「本門の戒壇」、
三に「南無妙法蓮華経」の題目を示し、

この三大秘法の確立によって、「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり」(同329頁)と、ご自身の誓願成就を示されている。

一、こうした大聖人の御生涯全体を拝したときに、本抄に「二十七年」と強調されているのは、大聖人が立宗以来、三大秘法の仏法を弘通することによって生じた大難の中、27年目にして、三大秘法を受持し、不惜の信仰を貫く農民信徒が出現したことを鮮明にするためであると拝される。

一、その意味で、「出世の本懐」 の本義は、大聖人の御生涯において、末法万年の一切衆生の救済のために三大秘法を確立されたこと、それとともに、立宗以来27年目に、熱原の法難において、農民信徒たちが大難に負けない不惜身命の信仰を示したことによって証明された民衆仏法の確立である。

大聖人が、「弘安2年の御本尊」 を御図顕されたことも、この三大秘法の確立と民衆仏法の確立という意義の中に含まれるものと考える。

末法万年にわたって全世界の人々を救うという大聖人の出世の本懐は、三大秘法の確立とともに、「日蓮と同意」 「日蓮が如く」 との精神で、それを担いゆく不惜の門下が誕生してこそ初めて成就する。そこに民衆仏法の真の実現がある。

「聖人御難事」に仰せの「猶多怨嫉況滅度後」の大難を受けながら、大聖人の根本目的を継承し、世界に弘めてきた創価学会の使命と役割は、ますます重要になるのである。


創価学会教学部 「会則の教義条項改正に関する解説」(下)
三代の師弟に連なり 世界広布の大願成就へ

1 三大秘法について

(3)「一大秘法・六大秘法」について

日蓮正宗では、「一大秘法」は「弘安2年の御本尊」であり、それを「三大秘法」に開いており、
「本門の本尊」は「弘安2年の御本尊」、
「本門の題目」はその本尊に唱える題目であり、
本尊所住の処が「本門の戒壇」となると説明している
(「三大秘法を合する則んば但一大秘法の本門の本尊と成るなり、故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在の本尊と名づくるなり」<依義判文抄>など)。

今回の改正により、「三大秘法」の定義を「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、
等しく『本門の本尊』であり、
『本門の本尊』に唱える南無妙法蓮華経が『本門の題目』、
その唱える場がそのまま『本門の戒壇』となる」とした。

会長の会則改正の趣旨説明に「大聖人は、宇宙と生命に内在する根本の法を南無妙法蓮華経であると明らかにされました。

そしてそれを、末法の全民衆の成仏のために三大秘法、すなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇として具体的に顕されたのであります」とあるように、「宇宙と生命に内在する根本の法」すなわち南無妙法蓮華経が根本であり、三大秘法はそれを具現化された法門である。

これまで日寛上人の教学に基づいて、「一大秘法」 や 「六大秘法」 ということを使用してきたが、「一大秘法」 が 「本門の本尊」 であるという日寛上人の解釈は、御書にはない。

御書に「一大秘法」と教示されているのは、「曽谷入道殿許御書」のみである。
そこでは、「妙法蓮華経の五字」(御書1032頁)を一大秘法として明かされている。

以上のように、日寛上人が用いられている三大秘法を合した「一大秘法」、また、三大秘法を開いた「六大秘法」という表現は、御書そのものには説かれていない。

これまで学会では、日蓮正宗の教義解釈を尊重し、「弘安2年の御本尊」を根本の本尊とする、との日寛上人の解釈を採用してきた。

日寛上人の教学には、日蓮大聖人の正義を明らかにする普遍性のある部分と、要法寺の法主が続き、疲弊した宗派を護るという要請に応えて、唯一正統性を強調する時代的な制約のある部分があるので、今後はこの両者を立て分けていく必要がある。

日蓮正宗が完全に大聖人の仏法に違背した邪教と化した今、学会は正統の教団として、世界宗教にふさわしい教義の確立という立場から見直しを行っていく。

その意味で、日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。

なお、こうした立て分けを行い、日寛上人の教学を見直していくという立場をとったとしても、「日寛上人書写の御本尊」を受持することには何の問題もない。

なぜならば「日寛上人書写の御本尊」も根本の法である南無妙法蓮華経を具体的に現された「本門の本尊」であるからである。

これに関連して、「日寛上人書写の御本尊」を受持しながら、「弘安2年の御本尊」を受持しないかといえば、「日寛上人書写の御本尊」も「弘安2年の御本尊」も等しく「本門の本尊」であるが、「弘安2年の御本尊」は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としないということである。


「広宣流布のための御本尊」を学会が弘通

2 創価学会に御本尊を認定する権能

いずれの宗教教団も、独立した教団である以上、その教団の本尊、聖典、礼拝施設等を決定する権能を有するのは当然である。

仏意仏勅の広宣流布を推進する創価学会は、受持の対象としての御本尊を認定する権能を有する。

ここでいう「受持」とは、創価学会が認定する御本尊に、自行化他にわたる題目を唱えることを意味している。
すなわち、「受持」は、「実際に目の前で拝む対象」にするという意味を持つが、このような外形的な行為にとどまるだけでなく、当然、積極的な意味での信心が含まれる。

これまで創価学会本部並びに各会員の家庭に授与されている御本尊はすべて学会認定の御本尊であり、具体的な信心の活動としては、これまでと変わりがない。

御本尊の本義は、「広宣流布のための御本尊」である。

大聖人は仰せである。「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるし・として顕し奉るなり」(同1243頁)


池田名誉会長は、この一節をこう講義しています。

「この虚空会の儀式として顕された『本門の本尊』は、釈尊の滅後は、正法・像法二千年間は顕れず、また顕すことができる人もいなかったと教えられます。

そして、まさに日蓮大聖人が、この御本尊を末法二百年の時に、『法華弘通のはたじるし』として顕されたことが示されています」「私たちは、日蓮大聖人が顕された御本尊を奉じて、この苦悩と争いの絶えない娑婆世界にあって、万人の幸福を実現し、平和の楽土を築くために、立正安国論と広宣流布の旗を掲げて勇んで出現した地湧の菩薩です。

その先駆けとして不惜身命の大闘争をなされた日蓮大聖人が顕された御本尊は、この私たちの崇高な使命を呼び覚ます『広宣流布のための御本尊』なのです」
(『勝利の教典「御書」に学ぶ』第11巻「日女御前御返事」講義)

大聖人が多くの門下のために御本尊を御図顕されたのも、全て「法華弘通のはたじるし」としての意義を持つことは言うまでもない。

この「広宣流布のための御本尊」を弘通してきた教団が創価学会である。
学会出現以前、当時の日蓮正宗に御本尊流布の実践がなく、本格的な御本尊流布は、牧口初代会長、戸田第2代会長から始まったことは歴史の示す通りである。

そしてまた、受持即観心の本義に照らせば、御本尊を正しく拝する信心があってこそ、
釈尊の因行果徳の二法を具足した妙法蓮華経の功力を現実に顕すことが可能になる。

「観心の本尊」は、「信心の本尊」でもある。
この信心を私たちに教えてくださったのが創価の三代会長、なかんずく池田名誉会長であることも言うまでもない。

したがって、「広宣流布のための御本尊」を弘通し、「信心の血脈」を受けた創価学会が、御本尊を認定し、授与することは当然であり、御本尊は等しく「本門の本尊」であるが、学会員はあくまでも、学会認定の御本尊を受持し、無限の功力を現して、広宣流布に邁進していくのである。


また、三代会長の指導は全て私たちに御本尊の本義と信心を教えてくださるものであるから、僧俗和合時代の歴史的文脈で言われた発言も、その本質は大聖人の教え、精神と私たちを結びつけるためである。
その真意を正しく捉えていくのは弟子の責務である。


3 「広宣流布大誓堂」と「創価学会常住の御本尊」について

日蓮大聖人の御遺命は「法華弘通」即ち「広宣流布の大願」である。

この御本仏のお心のままに「広宣流布の大願」を成就することを誓って立ち上がった、三代会長の死身弘法によって築かれたのが今日の創価学会である。

池田名誉会長は戸田第2代会長の不二の弟子として、あらゆる障魔を打ち破り、世界192カ国・地域に世界広布の道を開かれた。

そして、牧口初代会長の魂を受け継いだ、戸田第2代会長が広宣流布の指揮を執られた原点の地・信濃町に、師弟不二、広布の本陣として、「広宣流布大誓堂」を建立され、まさに「法華弘通のはたじるし」としての「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めの「創価学会常住」の御本尊を御安置申し上げた。

「広宣流布大誓堂」の勤行会に参加する意義は、池田名誉会長が「まさしく法華経さながらに、全世界から地涌の菩薩が勇み来り、広宣流布の御本尊と境智冥合して、久遠元初の大誓願の生命を、昇りゆく旭日のように光らせ、生まれ変わった息吹で出発する黄金の会座であります」と述べられているように、その座に列なり、永遠の師匠である三代会長と心を合わせ民衆の幸福と繁栄、世界平和、自身の人間革命を祈り、ともどもに広布の推進を誓い合う集いなのである。


誓願は、日蓮大聖人の仏法の根幹である。

大聖人は、立宗の時に、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(御書200頁)と立てられた誓いを生涯貫かれ、大難の佐渡にあって、「我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等と、ちかいし願やぶるべからず」(同232頁)と宣言された。

そして、師弟不二の精神で後継の門下が誓願に立ち上がるべきことを、「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561頁)と教えられた。

「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とは、この大聖人の誓願を受け継ぎ、広宣流布に立ち上がった地涌の教団である創価学会の使命を明確に物語っている。

私たちは、どこまでも日蓮仏法の本義に基づいて、学会教学の旗を掲げ、人間主義の大道を
前進し、万人の幸福と平和の実現へ邁進してまいりたい。

(2015年1月29・30日 聖教新聞掲載)






  • [989]
  • クジラ殿

  • 投稿者:無名★
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)07時17分47秒
  • 返信
 
◯しかし無名氏の場合は皆が不快に思う内容が多くあります。
また、行き過ぎた中傷合戦になってしまう場合がありますので
そこを気を付けてくれればOKです!


★(^^)オイラは学会の教学、
戸田先生の信仰を多く参考に
破折してまっスからね、
「不快」に思うのは、学会の信仰をしてないからスよ。
(ー ー;)

一番の問題は、道理スよ。道理がメチャクチャじゃないスか。
例えば、毎日拝んでいる本尊、原田ちゃんは、
その元を否定。源流を否定して、何が仏法でしょうか。

沖浦宗は、自分が仏なのに釈仏にすがる。
(⌒-⌒; )

こんな簡単な非道理をあなたは説明出来ますか?



皆さんが一番不快に思われてるのは、沖浦教祖の自慢、
邪義邪見スね。

大半がそうス。
投稿内容を見て分からないスかね?



m(_ _)m



沖浦教祖   反論不能


○これまで佐渡流罪は興師だけが付き従って来たとされていましたが、
これは嘘でしょう。

 複数の弟子が一緒に来ていた。
この解釈が妥当です。
 所がそれを認めると、興師の常随給仕が崩れます。
 大石寺教学は困るのです。

★SOKA NET 「教学入門」によりまスと
「佐渡流罪の間、日興上人は、大聖人に常随給仕して苦難をともにされました」

述べてまっスね。

沖浦邪宗とは一線を引いてまっスね。


◯戸田先生のお言葉です。

 『広宣流布はおからみたいなもんだよ。
 君たちがうんと信心をしてうんと功徳を出す。
 これが豆腐なんだ。
 そうすると広宣流布と云うおからは勝手に出来上がります。』(主意)
明快に云われておられます。

★戒壇の大御本尊を「うんと信心」しての話っスね。
因を端折ったら駄目ス。

仏法は因果の法門

(-_-#)


 ◯御書にも、

『一切は現証には如かず』
 (教行証御書)
明確なお言葉です。


★「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、
又道理証文よりも現証にはすぎず」

道理証文の上で現証スね。ちゅう御指南ス。
ここでも因を端折ってまっス。
(⌒-⌒; )








  • [988]
  • 無名さん、おはようございます

  • 投稿者:沖浦克治
  • 投稿日:2017年 1月 8日(日)05時45分25秒
  • 返信
 
 反論に値しません。

 悪しからず。

  • [987]
  • ありがとうございました。

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)12時03分51秒
  • 編集済
  • 返信
 

★ クジラさん、了解です。

独立スレまで作っていただいて本当に恐縮です。
ここの連載の続きは「報恩抄を書かれた大聖人」スレに投稿します。

また貴重なお時間をいただき、No30まで移していただいて申し訳ありません。
私が自分で移そうと思ったんですけど、(その作業を口実に数日ほど休めるわ、
「しめしめ」なあんて思ってたんですけど 、なんて作業が早っ。もう出来てる。)

一日おいて明日から再開しまふ・・・・。(><)
今日はどたばたしてるのでお休みさせていただきます。


★ おっちゃん、いつもありがとうございます。

信仰を共に歩む方がまた一人加わったとのこと。本当におめでとうございます。

私の言葉足らずですみません、連載は別のスレにて続けたいです。
ワタシ、一杯、話タイコトアリマス。でも書いたらそのうち去ります。
思う所があり、私信は極力避けようと思っており申し訳ありません。

ただ連載中に書くのが追い付かなくなれば、中断することもあります。
書いてる途中で気がつくことがあって、何度か各章全体を書き直しています。
今も身延での御供養と食事量を比べて、自分の知らなかったことに気がつきました。
全然、学び足りないってことです。そんな学びの途上ですので、きっときっと
間違いもいっぱいあると思います。でも御書に興味を持ってもらえたら、
大聖人のことを、学会のことをもっと人に知ってもらえたらと思っています。
読んでいただけたら嬉しいです。


  • [986]
  • 「報恩抄を書かれた大聖人」を独立したスレとして

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)10時14分46秒
  • 返信
 
モウさん( ^ ^ )/□
「報恩抄を書かれた大聖人」を独立したスレとして立ち上げました。

今回の「報恩抄を書かれた大聖人」は特に量が多いので
「モウさんのお洒落で小さな書斎」に一緒に入れるのは良くないと判断しました。

また、喧嘩スレのものを、わざわざ削除の必要はありませんので
No.031~は「報恩抄を書かれた大聖人」スレに直接、投稿してください!

おっちゃんを始め、皆さんが楽しみにしています!
それでは、宜しくお願いします!ヾ(^∇^)/では





  • [985]
  • Re: すみません。

  • 投稿者:おっちゃん
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)09時31分9秒
  • 返信
 
モウ殿、おはようでござる\(^o^)/

> というわけで、こちらの更新は中止して、順次、

中断して欲しく無いでござるぞよ(^o^)
モウ殿の投稿が無いと、おっちゃんこんなんなるでござる。
(T-T) ショボ~ン

> ※ 問題があれば教えてください。

no problem ぞよ(^o^)
モウ殿が遠慮するのが問題かもしれんぞよ。

> ※ ご挨拶や励ましのお言葉をいただきましたのに、返事もせずに申し訳ありません。

no problem ぞよ(^o^)
十分にモウ殿の気持ちは伝わっておるぞな。

> ※ 言い合いたい人とか、文句がいろいろとある人は、こっちにおいでおいで。

何時も楽しみにしておるし、大変に勉強になり感謝しておる(^o^)
以上がおっちゃんの言いたいことでござる。

「おいでおいで」でお邪魔したでござる。
今年もよろしくお願い致すぞよ。
\(^o^)/ホントピョ~ン

では戻るぞよ。

  • [984]
  • モウさん( ^ ^ )/□

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)07時41分32秒
  • 返信
 
モウさん( ^ ^ )/□
素晴らしい投稿!
いつもありがとうございます!

>>983
> ★
> みなさま、申し訳ない。
> なんだか、私がここにいるせいで「喧嘩スレ」が使いにくいのだということに、
> ようやく気がつきました。( ̄△ ̄;)うわあ、遅い!!
> 今ごろって、ちょっとニブすぎましたね。あややや。
>
> それで、あっちに私のスレを作ってくれたんだ、きっと。
> (クジラさん、すみません。分かりました。いまごろ・・・。)


いえ、そういう意味ではないんですよヽ(´o`;
「モウさんのお洒落で小さな書斎」は前から考えていたんですけど
クジラの対応が遅かっただけなんです!
純粋に纏め的なものを作りたかっただけです( ̄▽ ̄)


> というわけで、こちらの更新は中止して、順次、「モウさんのお洒落で小さな書斎」
> に移します。クジラさんが移すということでしたが、このまま連載するとなると、
> 2月は超え、100個近くになりそうなので、今のうちに移動させてください。
> (今、身延と小松原の法難のところを書いてますけど、なぜ報恩抄を書くのに、
> 話が広がるのか謎ですが。そんなことばかりで頭がいっぱいでした。)
>
> ええと、こちらに投稿させていただいた中の、現連載の「報恩抄を書かれた大聖人」
> No.001(2016年12月7日)~No030(2017年1月6日)だけは、画像もあるので、
> こちらには、足跡だけ残して本文などを削除します。(数日後ぐらいに)
> 画像の引用を通知したサイトもあるので、足跡だけは残させてください。


いえいえ「モウさんのお洒落で小さな書斎」に再掲するにしても
喧嘩スレのものを、わざわざ削除の必要はありません。
それにしても凄い量ですね~モウさんのご苦労は大変なものです!凄い!
掲示板には出ませんが管理人メールにも、賞賛の声が多くあります!

モウさん!
今、考えている事がありますので、後ほど発表しますね!
では少々お待ちください!ヾ(^∇^)/では





  • [983]
  • すみません。

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 7日(土)00時18分1秒
  • 編集済
  • 返信
 

みなさま、申し訳ない。
なんだか、私がここにいるせいで「喧嘩スレ」が使いにくいのだということに、
ようやく気がつきました。( ̄△ ̄;)うわあ、遅い!!
今ごろって、ちょっとニブすぎましたね。あややや。

それで、あっちに私のスレを作ってくれたんだ、きっと。
(クジラさん、すみません。分かりました。いまごろ・・・。)

というわけで、こちらの更新は中止して、順次、「モウさんのお洒落で小さな書斎
に移します。クジラさんが移すということでしたが、このまま連載するとなると、
2月は超え、100個近くになりそうなので、今のうちに移動させてください。
(今、身延と小松原の法難のところを書いてますけど、なぜ報恩抄を書くのに、
話が広がるのか謎ですが。そんなことばかりで頭がいっぱいでした。)

ええと、こちらに投稿させていただいた中の、現連載の「報恩抄を書かれた大聖人」
No.001(2016年12月7日)~No030(2017年1月6日)だけは、画像もあるので、
こちらには、足跡だけ残して本文などを削除します。(数日後ぐらいに)
画像の引用を通知したサイトもあるので、足跡だけは残させてください。

※ 問題があれば教えてください。

※ ご挨拶や励ましのお言葉をいただきましたのに、返事もせずに申し訳ありません。

※ 言い合いたい人とか、文句がいろいろとある人は、こっちにおいでおいで。



  • [982]
  • 移しました!

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2017年 1月 6日(金)08時11分34秒
  • 返信
 
移しました!

沖浦宗の邪見を破す m(_ _)m
投稿者:無名★  投稿日:2017年 1月 6日(金)06時33分50秒

沖浦宗の邪見

◎『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに還つて
日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺日蓮に随順し
又難に値い給う事心中思い遣られて痛しく候ぞ、
金は大火にも焼けず大水にも漂わず朽ちず鉄は水火共に堪えず』
 (生死一大事血脈抄)

○この御書は最蓮房日浄へのものです。
 この最蓮房に関しては詳しいことはわかっていませんが、
これまでは佐渡に何らかの理由で流罪になり、
その佐渡で大聖人に帰依したとされて来ました。


★うんうん

○然しながらこの御文を拝するにその解釈には無理があります。

「所が貴方は日蓮の弟子となって付き従い、また難に遭われている」
 書いてありますね。


★書いてないスよ。


○ですので、最蓮房は弟子として共に佐渡に流罪になって来た。
 若しくは流罪ではないが付き添って来た人です。


★「塚原問答」も知らないんスね~~~~  (⌒-⌒; )



○これまで佐渡流罪は興師だけが付き従って来たとされていましたが、
これは嘘でしょう。

 複数の弟子が一緒に来ていた。
この解釈が妥当です。
 所がそれを認めると、興師の常随給仕が崩れます。
 大石寺教学は困るのです。

★SOKA NET 「教学入門」によりまスと
「佐渡流罪の間、日興上人は、大聖人に常随給仕して苦難をともにされました」

述べてまっスね。

沖浦邪宗とは一線を引いてまっスね。


◯戸田先生のお言葉です。

 『広宣流布はおからみたいなもんだよ。
 君たちがうんと信心をしてうんと功徳を出す。
 これが豆腐なんだ。
 そうすると広宣流布と云うおからは勝手に出来上がります。』(主意)
明快に云われておられます。

★戒壇の大御本尊を「うんと信心」しての話っスね。
因を端折ったら駄目ス。

仏法は因果の法門

(-_-#)


 ◯御書にも、

『一切は現証には如かず』
 (教行証御書)
明確なお言葉です。


★「日蓮仏法をこころみるに道理と証文とにはすぎず、
又道理証文よりも現証にはすぎず」

道理証文の上で現証スね。ちゅう御指南ス。
ここでも因を端折ってまっス。
(⌒-⌒; )

掲示板の常連さん、会員なら「ぴょんぴょん」言ってないで、
キチンと破折すべきじゃ?

m(_ _)m

  • [981]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 6日(金)00時36分5秒
  • 編集済
  • 返信
 


No.030 【学習量編】②


あと、大切な御書はこれ。「佐渡御勘気抄」。
真蹟が無いからどうしようかと思ったんだけど。写本とかないのかな、これ。


「九月十二日に御勘気を蒙て今年十月十日佐渡の国へまかり候なり、本より学文し
 候し事は
仏教をきはめて仏になり恩ある人をも・たすけんと思ふ、仏になる道は
 必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと・をしはからる、」
 (佐渡御勘気抄、P891) 真蹟なし。録外。



流罪で佐渡に到着された時の御書だよ。命を捨てる覚悟だったことを述べてるんだ
けど、これ、注意してほしい。佐渡流罪になってから命を捨てる覚悟だって言われ
てるんじゃないよ。もともと学問をした理由。それを始めたときにはもう、仏教を
極めていく決意だったんだって。
2つは同じことを意味してるの。その目的は人を
救うため。そして仏教を極めるには、身命を捨てる覚悟だったと。何それ。だった
ら、どうなるの。

もともと学問を始めたのは、12歳以前のことだったよね。「幼少の時より」学問を初
めて、「十二の時より」この誓願を持ち続けたんだって書いてあったから。幼少の時
に、あるいは本格的に勉強を始めようとした時にすでに、仏道を目指す思いを持って
いたんだって。だったら両親が望んで清澄寺に来たわけじゃないってことになるよ。
自分で来たかったんだ。命を投げ出す覚悟で。こんな子供を両親が喜こぶはずもなく、
実は両親に反対されたんだっていうのも、うなづける。だからそんな子供が入山して
すぐの12歳で、どんな揉めごとを起こしたのか、師匠からも反対されたのまでを押し
切ったんだ。道善房は心から納得しなかったかもだけど、それとも何かのはずみで約
束でもしてしまったのか、最後には、御書にあるとおり、「不憫」と思って、勉強の
道を許してくれたってことになる。そうでもなかったら、16歳以降だったら道善房が
大聖人が勉学したいってことに反対する理由がないもの。報恩抄には、勉強する時間
を手にいれる、あるいはその機会を得るために、両親や師匠から反対を受けていたこ
とが、冒頭の本文にあったね。
この「佐渡御勘気抄」が本当だったら、結局、大聖人は、ずっと小さい頃、一人で決
意して、周囲の心を動かして、道を切り開いたってことになる。必ず死ぬような目に
あうってことを知りつつだよ。

それだったら分かるわ。開目抄の主意も。法難がなぜあるのか、それが最初から覚悟
していたってことをずっと述べられていたから。六難九易で悩み、その経典の真意を
慈悲だと理解されたシーンは圧巻だった。私にはあそこは泣けてしかたなかったけど、
その決意は、法難の状況から何となくそうなったんではなく、はるか、以前、ほんの
子供のころに決まっていたとしか、これらの御書を整合性よく読むことが出来ないん
だけど、いったい、私はどこか、間違えているのだろうか。

大聖人が、他の誰とも違う点。歴史上のどんな人たちとも違う点は、他の人たちは、
志を立てて、頑張って、その中で難に直面して、それを乗り越えたんだ。頑張ってい
く中で困難な局面に出会って打開してきた。だけど、大聖人は、最初から知ってて、
絶対に無理だとそう経典に書いてあるのを分かってて、それでも人びとを救うために、
ほんの子供のときに決意して、何も無い状況から初めて、そして死ぬ覚悟になること
を分かっていて、そのために誰よりも何十年も勉強して、そして法難を迎えたんだ。
こんな人が、歴史上の他にいるのを知ってるだろうか。

それにしても、たったの12歳以下の子供のとき。人びとを救おうと一人で決意して、
周囲の反対を説得して、自分一人で死地に向かおうと、そのために莫大な勉強を人知
れず行うなんて。その自分の小さいときからのことを詳しく文献に記すこともなく。。。

あまりに屹立した自己。それが覚りと言えば、それ以上の悟りなんて世の中に無いよ。
大聖人が後世に詳しく語るのは、自分の足跡の偉大さではなく、ただひたすら、
その慈悲の深さだった。開目抄で自分のことを説かれたのも、衆生を思う慈悲だった。
主親師だろうが、そんな言葉ばっかりに目をやらないで、そのありのままの姿を誰か
一人でも見てほしい。


仏教を学ぶ人たちは悟りが大切だという。私が言えることは、大聖人は悟りを得たこと
をもって他者への説得には当たらなかったということだ。悟りを得たというのなら、そ
れは生活の事象に表現されるはずだと思う。その御一生の振る舞い、それをみて判断で
きることが正しい判断ではないだろうか。大聖人のその御一生を振り返ってみれば、
成り行きではない。その幼少期にこれほどの透徹した思いを・・・それを抱いたこと。
いや抱けたことが、人間と社会の深みに達した覚りと言わずして何と言うのだろう。


それから、他の御書でも。子供のときから今まで他のことを祈ったことはないんだっ
て言われてたの。たしかに。これって、子供のときからを含むよね。


「日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、」
 (四条金吾殿御返事、P1169)真蹟なし、録内。



次の御書には、なんと、物心がついた時からだって。しかも一日として安穏として過
ごした日は無いんだと。きちんと決意は小さい時からのものだって言われてたんだ。


「日蓮生れし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘
 めんと思うばかりなり、」(上野殿御返事、1558)真蹟なし、録外。


他の人がこれを言っても「そんなの言ってるだけじゃん」と思うけど、大聖人の記述
は謙虚で自分のことでも必要なこと以外は自慢なんかされない人なんだ。蒙古襲来
も予言が当たってからは人にそれを吹聴するなって書いてあるし、最後に平左衛門尉
が鎌倉の一等地に寄進するかとか、時頼が大聖人に帰依すると言った話も日興上人が
伝えただけで、御書のどこにも書かれてはいない。その大聖人が、語る言葉はすごく
重いよ。



  • [980]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 5日(木)00時15分36秒
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No.029 【学習量編】①


今日から、報恩抄を読み解くために、別の寄り道をば。ここを知らないと、いろい
ろなことが実感として分かりにくいと思うので。

こうして12歳以前に決意。学習を開始。12歳から清澄寺内に果敢な学問をされたん
だって考えると、他の御書だって、そのままに読めてくるんだ。12歳~16歳の時に
はまだ出家した僧侶じゃないんだよ。出家したのは16歳。それから初めて広く経典
を手にとって、勉強を始めましたっていうんじゃ遅すぎるよってことだったね。

ここでもう少し、他の御書を読んでみよう。

前に見た「清澄寺大衆中」。虚空蔵菩薩が宝珠をくれたのを受け取ったおかげで、
一切の経典を見て八宗の勝劣をほぼ知ったって書いてあったよね。


「日本第一の智者となし給へと申せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝
 珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の
 勝劣粗是を知りぬ、其の上真言宗は法華経を失う宗なり、是は大事なり先ず序分に
 禅宗と念仏宗の僻見を責めて見んと思ふ、」(清澄寺大衆中、P893)



清澄寺で道善房から受けとったから、一切経を読めたって。これ、清澄寺のことだろ。
この「清澄寺大衆中」が本当だったら、清澄寺において貰ったもののおかげで一切経
を見たって言ってるんだよ。
何度も言ってきたことだけど、12歳に道が開けたって言
ってるのに、17、18歳まで無為で過ごしたというのは話が通らない。ここで勝劣を知
ったと言ってるのは、ずっと後年のことも含めてだろうけど、開始は12歳のときから、
経典等を学習しはじめることが出来たってことを言われてるんだと思う。

八宗というのは、新しい浄土宗と禅宗を省略して言ってるだけね。合わせて十宗だよ。
その上で真言宗が悪いのを理解したってここで言ってるんだよ。これも取り消しよう
がないよ。これが重要だと思って、その序文として、禅宗と念仏宗を責めることにし
たんだって。ここにも戦略がきちんと明かされてるね。

こんなふうに立宗宣言の清澄寺において、すでに真言の悪を述べてたって、「報恩抄」
でも「清澄寺大衆中」でもそう述べられてあるわけ。
しかもだ、修学中にだって、そう
いう質問をしてたって御書があるから、普通にいろいろ疑問だってことを述べてたんだ
ろうよ。でも普通は無視されるわけだよね。難しいことを言うなよなって。

それは置いといて、ここでもう一つ気づくことは、12歳で経典を手にしても、誰も教
えてくれる人のいない(※ 本尊問答抄)中で、一人で読みほどきを開始したんだろ。
大聖人は、17歳のときに天台宗の歴代の書を清澄寺で書写してるぐらいだから、清澄
寺には経典だけじゃなくて多くの人師の論もあったはずだよ。それらを読み始められ
たことに感謝されたってことは、12歳の時点で十分に文字が読めてたってことだよ。

読み書きもちゃんとできて経典の読解力があったってこと。だから諸御書で幼少の頃
から勉強してたって言ってるのは、12歳~16歳のことを幼少だなんてさ、16歳が幼少
だとか、おかしことをを言ってるんじゃなくて、文字通りの幼少のころ。12歳以前。
ただし、清澄寺に来る前に学習してたら、あるべき具体的な場所の記述がないんだか
ら、自分で学習してたのか、あるいはひたすら、その思いだけがあったのか。

どちらにしてもそういう思いがなければ、入門して誓願して経典がほしいだなんて、
言ったところで道善房も、誰も認めてはくれまい。それを「みんなも知ってるとおり」
っていう出だしで御書に書いてるってことなんだよ。


次。もう一度、「善無畏三蔵抄」。虚空蔵菩薩から宝珠をもらったって。その続き。


「其のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗等の大綱・粗伺ひ侍りぬ、」
 (善無畏三蔵抄、P888)真蹟なし、録外。



ここでもさっきの「清澄寺大衆中」とほぼ同じ意味。宝珠をもらったからだよ。
その結果として八宗と、今度は、禅宗と念仏宗もほぼ知ることが出来たと。こっちで
は、新興宗教の禅宗と念仏宗を入れて十宗だと言ってるんだ。当時は大流行してたか
ら、清澄寺もそうだったはずだけど、あんまり学問する人がいなかったっていうから、
浄土宗の文献は豊富には無かったんだろうなって。私の想像だけど。なにしろ法然が
なくなったのは大聖人が生まれるほんの十年前のこと。法然がどれほど学習したかを
勉強した人が清澄寺にいてもおかしくはないけど、それだったら当時に生きて教えて
くれてもよさそうなものだけど、いなかったっぽいから。清澄寺には、既存の八宗に
ついての文献はあっても、浄土宗についての詳しい文献は、まだあまりなかったのか
もだね。ただ、後々までの禅宗や念仏宗を破折できたのまで含めて、全部が道善房が
自分の思いを汲んでくれたおかげなんだって感謝の言葉を述べてるわけだよ。そうい
う御書だから。

こうしてみると、意外と、そうだとは書いてないんだけど、学習時期が早かったって
ことに気づくよね。


―――――――――――――――――――――――――――――


http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kokufu/hasu.html

1951年に発見され、1952年に2千年の時を経て開花した世界最古の種の蓮。
1951年は戸田第二代会長が就任、地涌の菩薩による広宣流布の時代が始まった年。
大聖人の立宗から700年目の前年に、これからの時代を寿ぐようにそのハスは咲いた。


  • [979]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 4日(水)00時45分3秒
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No.028 【番外・法門編】⑨


今日はちょっとおまけ。「守護国家論」。

真言宗について。それでももう一度考え直してみる。そんな必要が無くても、あらゆ
る視点から考えねばならない。一つの視点、一つの完全なストーリにとらわれてはい
けない。歴史の真実は誰もがありえないと思えるような推論、往々にして驚くような
ことが事実だったりするのだから。

初期に真言の破折を含めなかったのは、布教戦略だった。その理由にも頷ける。その
御書も残っている。だけど初期のころの御書には「法華・真言」だとか書いてあるん
だから誤解するのも仕方ないのかもね。

よーし、全て白紙で、もう一度、考えてみよう。今度は、守護国家論にある通りだと。
立宗当初の大聖人が真言宗を正しいと思っていたから、そう書いたんだと。別にいい
ではないか、当時の日本に法華経を正しく宣揚する宗派がどこにも存在し無かったん
だから、話す方の身になれば、すべての話題をまぜこぜにしないで、お互いに共通の
表現を用いて語るものだろうから、そういう表現をするのが、ごく自然だろう
とか、
そうじゃなくって、大聖人は実は本当に知らなかったんだと考えてみる。

御書を見渡しても、大聖人が大日経の理念を大切そうに宣揚していないなんてのも、
なんだわ、きっと、大聖人も真言のことを話すのが、気恥ずかしかっただけだと。

そんな大聖人が真言宗に好意的だったとされる根拠の一つが「守護国家論」だよ。
そこに「法華・真言」と何度も並べて言ってるからね。 大聖人がそう書かれたのに、
それは違うでしょうなんて失礼だよ。大聖人も心からそう思って言ったのに決まって
るんだから。そんなのは真言宗がウソをついたんであって、偽装したのは大聖人では
ないからね。自分が考えだしたことならともかく、他の人がついてきた「ウソ」まで、
知ったことでないから、そんな責任は大聖人にはないだろって。いいの、いいの、そ
れくらい。

えっ、何? いつもとトーンが違うって? いや、大聖人様の言われてることだから、
そのまんま信じればいいの。切り文であろうと単語であろうと、前後で矛盾しようが
何であろうが、全部が正しいのだよ。世間の人がみんな使ってる言葉で、それを譲っ
て使ってるだなんて解釈は、今日に限っては許されない。世間の人の言葉にいちいち
釘を刺すことを何よりも優先したんだ。そうしない可能性なんてない。そうに決まっ
てるんだから。考えては駄目なんだ。「法華・真言」と何度も言ってるんだから。

しかも「守護国家論」には、ただ一か所だけだけど、了義経とは、法華経と涅槃経と
大日経だと、この3つを並べて書いてあるんだ。これは決定的というか、アウトなん
じゃないかと いうこと。うん。真言宗の経典である大日経をだ、了義経だと、つまり
法華経と同じ仏の最終的な主張だと述べているんだぜ。あーあ、やっぱりそうだ。
大聖人は法華経と大日経とを、いっしょにしてるんだ。

それをもう少し詳しく見てみよう。
まず、「守護国家論」が浄土宗の破折を主眼にしてるのは、誰にも異論がない所。
浄土宗の祖師たちの主張の根拠は、遠い昔の竜樹という人の書いた「十住毘婆沙論」。
それを使って浄土宗の経典が一番いいんだって言ってるわけだね。ところが大聖人の
言い分だと、その「十住毘婆沙論」には、いろんな経典の名前が挙げられてるけど、
そこに法華経と大日経の名前は書いてないだろうというものだね。なのに勝手に法
華経を含めて全部を駄目だと言うなよなと。(※大日経はインドに存在しないから、
竜樹の書に書いてないのは当たり前。)


これも大聖人が見つけた浄土宗批判の論点なんだ。これまでの世の中の誰も、まさか
インドの竜樹まで、法然の考えを辿って詳しく検討する人はいなかったんだもの。


「此等の人師の私の案に非ず其の源は竜樹菩薩の十住毘婆沙論より出でたり、」
(守護国家論、P51)真蹟あり



その「十住毘婆沙論」が根拠なんだったら、そこに書かれてない法華経や大日経を勝
手に話に入れるなと、それが法然の教義のおかしい所だよって、文句を言ってるの。
この御書での大聖人の批判は、そういう主張なの。そこまではいいだろ。

問題はそこからで、法華経や大日経は、「了義経(釈尊の真意が書かれた経典)」だ
から、そこに入らないという所だね。仏が最後に説いた遺言ともいうべき涅槃経には、
了義経だけを大切にしなさいと書かれてるんだって。

ところが、よく読んでみると、大聖人の主張では、何が了義経かというと、決まって
るわけではなくて、相対的に使う言葉なんだよって、 この「守護国家論」に何度も説
明されてるんだ。あらまあ。そうなんだ。何が了義経か、つまり何が良い経典かは、
比べるものによって違うんだと。


「仏説に就て小乗経は不了義・大乗経は了義なり。大乗に就て又四十余年の諸経は不
 了義経・法華・涅槃・大日経は了義経なり。而るに円覚・大仏頂等の諸経は小乗
 及び歴劫修行の不了義経に対すれば了義経なり。法華経の如き了義には非ざるなり。」
 (同、P43)


(仏の説いた経典の中では、小乗経がダメで、大乗経がよい。大乗経の中では、諸経
 は駄目で、法華・涅槃・大日経がよい。そういうふうに、たとえ名前に「了義」が
 付いてる大円覚修多羅了義経や大仏頂如来密因修証了義経であっても、小乗経に比
 べれば良い経典だけど、法華経に比べればダメな経典になる。)



相対的なものだっていうんだから、ここで大日経が法華経と並び称されてると言って
も、いったん、ひとくくりにされてるだけ。諸経に比べればマシな経典ってこと。
大日経が法華経に肩を並べられるのかは、「守護国家論」とほぼ同時期の御書、「唱
法華題目抄」には、


「大日経を法華経に対すれば、大日経は不了義経。法華経は了義経なり」
(唱法華題目抄、P9) 真蹟なし、日興上人の写本が一部あり。



と、守護国家論にはそこまで書かれていないだけで、大日経がだめだという大聖人の
見解は、ほぼ同時期の別の御書にはきちんと書かれてあるわ。つまり省略してるだけ
だったんだね。なあんだ。

法華経が一番に優れてるのはともかくとして、それ以下の順位争い、つまり、この、
「守護国家論」では、大日経の位置づけが諸経典より上だというのが高すぎるのが気
になるけど、ああ、それも、ちょっとよく見れば、大日経「等」とあるようにきっと、
ここに華厳経や他の大乗経典も含ま れるんだよね。少なくても大日経を含めて、たっ
た3つの経典だけが「了義経」なんじゃないってわけなの。
大日経だけが、法華経と並べて他の大乗経典より頭一つ飛び出てるってことではない。
手品みたいだけど、大聖人の中で経典の順位付けは、どの時代も変っては無いんだね。

なあんだ。それだと、大日経を宣揚してただなんて考えが霧散してしまったね。
結局は、「守護国家論」の中でも、単に「了義経」と言えば、法華経と涅槃経なの。
やっぱりそうなんだ。


了義の法華涅槃」(守護国家論、P45)
「法華・涅槃を以て不了義経と為す共に仏意を覚らず」(守護国家論、P58)



そして守護国家論の結論部分は、やっぱりこうなっているの。


「又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」[已上]是の如きの文一に非ず皆四
 十余年の自説の諸経を虚妄・方便・不了義・魔説と称す是れ皆人をして其の経を捨
 てて法華・涅槃に入らしめんが為なり、」(守護国家論、P77)



法華経と涅槃経なんだって。大日経なんて霧散消滅。結局、いつものことだけど、
丁寧に読めば、大日経の宣揚だなんて、ほんと、拙速な理解だってことが分かるわ。

やっぱり大聖人が知らなかったなんて、おかしかった。その考えは間違ってた。
さらにだ、

もしも「守護国家論」にある言葉の使い方でもって真言宗の経典を特別視してると
考えると、おかしくって意味が通じなくなるところがある。了義経だと考えるなら、
なぜ真言宗の経典だけは、説明を完全に避けたのかという疑問が起こるわ。

それにさ、先の已今当の経典の全ての頂点に立つのだという法華経の主張に対して、
各経典はその位置の理由を何度も解説しているよ。涅槃経だって説明してる。涅槃経
の言い たいことはすでに全部が法華経に説かれてて、それと同意だと言ってる経典だ
から、 涅槃経は了義経になるんだって。涅槃経以前の経典が邪見だという誤解は、
迦葉 菩薩らが反省して述べた発言だから関係ないよとか。それなのに大日経なんて
なんの説明もないから。本質的には、単にその他の大勢といっしょってこと。

同抄では、法華経が「已今当」に第一だと言われてるけど、大日経はどこに入るの?
已今当が対象とするのは全ての仏だって言ってて、真言宗の言いわけである、過去・
現在・未来に説かれるわけではないとか、不定の経典だとかそういう言い訳を全部、
許さないと大聖人はこの御書ではっきりと言われてるのに。

そこまで書いておきながら、大日経典はどうなのかと。普通に「已」(つまり過去)
に説かれた経典だからそこに含まれてしまうじゃないか。そういう含みだから、この
「守護国家論」って、大日経をほめてるようで、全然、持ち上げてなかったわ。

真面目に読んでみるとそういうこと。真面目に読んで「守護国家論」が真言未分化の
表現を取っているというんなら、まだ分かるけど、そういうのに乗っかって、大聖人
がまだ真言未分化の思想だったなんて、そういう人は、人の意見に乗っかってるだけ
で、自分では真面目に読んでない人だと言うことが決定づけられる。とんでも君だよ
ね。



  • [978]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 3日(火)00時27分42秒
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No.027 【番外・法門編】⑧


大聖人は、立宗宣言のときには、明確に真言批判を清澄寺でしていたってことだった。
ただ、それなら若いときにはどうしてたのって思うよね。明確に布教するほどではな
くても、真言宗への批判を口にしなかったのかと。そんなことないからね。いっぱい
言ってたみたいよ。昨日に出した御書だけど、今度は批判側ではない立場で再登場。


「日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給いて我等易易と生死を離るべき教に入らんと思い
 候いて真言の秘教をあらあら習ひ此の事を尋ね勘うるに一人として答をする人なし、」
 (善無畏三蔵抄、P887)真蹟なし、録外。



真蹟のある御書じゃないから、そこを言われると困るけど。戒体即身成仏義で真言宗
の相伝を「別に記して」あると指定された内容が書いてあるのが、同時期のこの御書。
真言宗で伝えられていた相伝で、開祖の善無畏三蔵は一度、仮死状態になったことが
あって、その時に閻魔大王に許されて戻って来たんだって。その時に口に出した言葉
が、法華経の言葉だったというもの。その話を批判して、そもそもなんで地獄に落ち
たんだよって、大聖人は真言の奥義を教えてくれた人たちに一人一人尋ねてみたんだ
けど、誰も答えられなかったって。つまり当然、学習しながら、批判も旺盛にしてい
たってわけ。当然すぎて、ふうんって感じだよね。


そんな若い時に批判してたのは、真言宗だけじゃないからね。浄土宗についても。


「若し之に依つて本願を疑わば仏説を疑うに成んぬ進退惟谷れり此の疑を以て念仏宗
 の先達並びに聖道の先達に之を尋るに一人として答うる人之れ無し、」
(当世念仏者無間地獄事、P106)真蹟なし、録内。



これはもうちょっと後で説明するからね。重複するのでここでは省略。やっぱり批判
してたけど、死顔を見ておかしいと言っても誰も答えられる人はいなかったの。

自分の胸奥に秘めてたってことじゃなく。それなら法華経の宣揚に声をあげていたと
考えるのが普通なんじゃないのかな。隠す必要なんてないんだし。別に立宗宣言を待
たずに他の人に語ってたってことだよね。もしもそうだったら、どうなる。

みんな大聖人のことを怒って、とたん、友人付き合いをやめて追い出されるのかな。
ここは想像だけど、そんなことはないと思う。学生の身分でまじめに研鑽してて、
真面目に語って、人間関係があれば、話は聞いてくれるよ。でも黙殺だね。きっと。
誰も相手にしてくれなくなる。真面目に語れば語るほど。んなこと分かりきってる。
いくら真面目な友人でも、社会的に許せないことを語る人間なら、どこまでおつき
合いすればいいものか引いちゃうよね。熱く語ろうが、冷静に語る人だろうが、その
人の前途の多難さを想像すれば、なにがどうしても同意なんて、できっこないもの。

修学時代に出来た友人の一人が後の六老僧の日昭なの。この人も大聖人よりも一歳ほ
ど年上なんだけど、大聖人が立宗宣言後にやって来て弟子になるんだよね。普通に考
えれば、修学時代に法門のことについても、いろいろと話したことがあったと考えた
ほうが納得できる。まあ、私の想像なんだけど。もしかすると大聖人は絶対に人に法
門を語らずに秘密にしてて、研鑽した内容さえも秘密。勉強するのも人知れずに本を
借りては読んで考えてたって人だったのかもしれないからね。想像は想像だよ。

立宗宣言前にどうお考えだったのかを示唆する御書があるんだよ。どちらも真蹟の
ない相伝書だけど、六老僧の一人で日向が大聖人の講義を聞いて書きとどめたとさ
れる書だよ。日向といえば、報恩抄は、この人が最後に持つようにと大聖人に命じ
られたんだよね。そんな人。信頼されてたんだ。


「其の故は爾前の間は一切衆生を畏れ給えり、若し法華経を説かずして空しくやあら
 んずらんと思召して畏れ深くありと云う文なり、さて今は恐るべき事なく時節来つ
 て説く間畏れなしと喜び給えり、今日蓮等の類も是くの如く日蓮も三十二までは畏
 れありき、若しや此の南無妙法蓮華経を弘めずしてあらんずらんと畏れありき、
 は即ち此の恐れ無く既に末法当時南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間恐れな
 し、」(御講聞書、P816)真蹟なし



大聖人はこんなふうに言われてたんだって。釈尊も法華経を説かなければ、衆生を救
えないと、法華経を説く時期がくるまでは、ずっと深く畏れていただろうと。やがて
法華経を説く時期がきたので、恐れることがなくなり、大変に、喜ばれたんだと。
大聖人もまた32歳まで、もしも、南無妙法蓮華経を弘めないままに終わってしまわ
ないかとずっと畏れていたんだって。ところが今は弘めることが出来たので、恐れが
無くなったんだって。

これだと他の御書と少しトーンが違ってて、別の面もあるって考えさせられるよね。
多くの御書には、法を弘めるかどうか逡巡して、他の人に迷惑をかけるのも嫌だし、
自分が説かないで罰が当たるのも嫌だし、なんていうトーンだったよね。こっちでは
弘めようというのは最初っから心の中で深く決まっていて、それ故に悩んでたってこ
とになる。いくら自分の命を差し出しても、六難九易の壁は乗り越えられないから。

同じ「御講聞書」には、こんなことも書いてあるの。大聖人の門下は「置く」とい
う文字を恐れよと。もしも置いといて、言わないで終わったなら、それでは使命を
果たせないではないかって。


「一置不呵責の文の事 仰に云く此の経文に於ては日蓮等の類のおそるべき文字一
 字之れ有り、若し此の文字を恐れざれば縦い当座は事なしとも未来無間の業たる
 べし、」(御講聞書、P842)真蹟なし



人びとが怨嫉して信じないことが分かってるのに、どうやれば、これまでの人師が誤
りだということを信じさせられるというのか。絶対に無理だと経典には書いてあるの
に「やれ」というんだから、その機会をどうして得るのか、責任を感じれば、何十年
も悩んでたって、想像にあまりあるよね。その数十年の間に、どうやって理解させて
いくのか、何の戦略も無いと単純に考えるほうがどうかしてるって。世人の考えるの
は、32歳まで考える時間があったというのに、そこから戦略なしに唐突に布教したに
決まってるんだって。それで法難があるたびに思想がどんどん変わっていったって。
ひどいよね。


これで元の話にもどってもいいかな。





  • [977]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 2日(月)01時40分0秒
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No.026 【番外・法門編】⑦


真言宗への細かい疑問は、それでも尽きないのかもしれないけど、それらも不思議
でも何でもない答えだよ。こんな御書があるんだ。大聖人は修学中には真言の秘法
を勉強してきたんだと非難する人がいるけんだど、これって非難されるべきこと?


「日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給いて我等易易と生死を離るべき教に入らんと思
 い候いて真言の秘教をあらあら習ひ此の事を尋ね勘うるに一人として答をする人
 なし、
此の人悪道を免れずば当世の一切の真言並びに一印一真言の道俗三悪道の
 罪を免るべきや。」(善無畏三蔵抄、P887)真蹟なし。録外。



そのまんまだと、習ってきたんだよ、真摯に、ちゃんと。法華経が最勝と知ってて
も諸宗の修行がすぐ悪いとは言いきれない時期がずっとあったんだって。でも習っ
た上で聞いたんだよ。真言宗の相伝書には、開祖である善無畏三蔵が死んだときに
は死相が悪かったとか、地獄の閻魔宮に一度行ってきたとか、そう相伝書に書いて
あるのはなぜかって。それを聞いても誰も答えてくれる人はいなかったって。

このことも、この本文の続きが道善房にもらった宝珠のおかげで八宗の大綱が分か
るようになったって書いてある所に結びつく文章だから、もともと清澄寺での発想
だったのかもしれないね。もう少し踏み込むと、この善無畏三蔵が地獄に行った、
相伝書は現在には伝わっていないんだけど、大聖人は後年、ずっとこれを言われて
るんだ。真言宗への決定的な切り口なんだ。この真言宗の失われた相伝書を大聖人
が知ったのはいつだったのか。そこを考えても分かることだけど。修学時代にしか
ありえないんだよ。諸宗の悪口を言ってる大聖人に、誰が真言宗のこの奥義を教え
てくれるっていうんだよ。もう書物は失われて口伝の中にしかない真言宗の相伝の
中の逸話。それを質問したのも修学中のことだし、知ったのも修学中。当然ながら
それを疑問に思ったのも修学中のことだよ。アホみたいだけど、そこまで言わない
と、晩年にこれを大聖人が書いたからといって、立宗後に、文永年間に50歳にな
ってから思いついたという、バカな学者が多いからどうしたものか。(ああ、しま
った。バカって言っちゃったよ。ごめんごめん。)


大聖人が真言宗をまるで信じてるように立てて話すのも、あとの攻撃への切り口を
するどくするために、その前の段で謙虚に信じてるんですよっていうのは、御書で
よくある手法で、この報恩抄でも見られるよ。
報恩抄は真言宗を徹底的に批判してる御書だけど、最初の部分では、弘法のことを
私も信じてるとか、心から信じるためだとかいってといて、同じ一つの御抄の中で
そう言っておいて、それからさんざん馬鹿にしてるから。表現手法ってことだね。

だからここも、書かれてるように、おそらく清澄寺では真言宗を学ぶそんな状況だ
ったんだろうし、事実、誰よりも真言宗について調べて学んだんだけど、冒頭にあ
るように本当に「生死を離れようと思って真言の秘教を学んだ」のかどうかは怪し
いってわけ。単なる皮肉なのかもだね。結局、言いたいのは、尋ねても答えられる
人はいなかったと。それだけだよ。

同じことは次の御書でも言えるんだ。最初のころは真言宗を志してたと言ってる。


「予も始は大日に憑を懸けて密宗に志を寄す然れども彼の宗の最底を見るに其の立
 義も亦謗法なり」(聖愚問答抄上、P484)


この「聖愚問答抄」では、劇仕立てで、登場人物の「聖人」がこう言ってるんだ。
この聖人が使う、「予も」の言葉で始まる文章は3回ほど出てくるんだけど、前の
場面だと、法然のことも信じてるんだからと平気で言ってるからね。


「予も仰いで信を取ること此くの如し但し仏法は強ちに人の貴賎には依るべからず
 只経文を先きとすべし」(同、P481)



その上でだ、法然上人は貴い人だと私も仰いで信じてるけど、仏法は貴賤によらな
いからねと釘をさしている。最初の信じるってのは譲ってるだけで真実じゃ無いよ。

この「予も」の使い方は、他の御書でも同じに使ってて、それが報恩抄なの。その
まま同じ使い方だから。自分も仰いで信じてるけど、でも仏法の邪正は論証しなく
てはねって。だから、こういう登場人物の発言だけをそのまま大聖人に持ってきて、
きっと最初のころは大聖人も真言宗で成仏しようとしてたんだっていうのは、ちょ
おっと、無理がありすぎるんだわ。


この報恩抄では、同じ御書の中で最初には、弘法大師のことを、


「答えて云く予も仰いで信じ奉る事かくのごとし。但し古の人人も不可思議の徳あ
 りしかども仏法の邪正は其にはよらず、」(報恩抄、P319)



でも後段になると、結局、弘法大師はこういう人だったねってことに。


「いわうや弘法は日本の人かかる誑乱其の数多し此等をもつて仏意に叶う人の証拠
 とはしりがたし。」(報恩抄、P321)

「弘法大師の御義はあまり僻事」(報恩抄、P308)



じゃあ、さっき言ってたのは何だったのって? それは文章をちゃんと読めば分かる
ことだし、単語だけ出してもそういう使い方はいつもしてるってことだよ。

同じ一つの報恩抄の中でこんな表現もされてるの。


慈覚智証と日蓮とが伝教大師の御事を不審申すは親に値うての年あらそひ日天に値
 い奉りての目くらべにては候へども慈覚智証の御かたふどをせさせ給はん人人は分
 明なる証文をかまへさせ給うべし、詮ずるところは信をとらんがためなり、」
(報恩抄、P307)


文意は明らかに謙遜して、相手の立場に立って言われてるだけだから。でも言葉の上
では真言宗の信仰を深めることを進めてるよね、一応。もしも報恩抄がここで突然終
わってたら、後世の学者たちは、「ああ、大聖人も自分が正しいかどうかは今一つ自
信がないんだ。だから真言宗への信を深めたいと言われてるんだろう。」みたいな(笑)。
そんな言葉を探して騒ぐのが、今の人の安直に論文を書く風潮みたいな気がする。

もちろん大聖人はこの報恩抄でも、真言宗の各祖を厳しくというか、徹底的に批判し
ている。弘法大師のことなんか、上に書いてるように、全然、信用なんかしていない。



  • [976]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2017年 1月 1日(日)01時46分58秒
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No.025 【番外・法門編】⑥


真言宗に並々ならぬ親近感を大聖人が持っていたとする学者がいるけど。盲目かと。

大聖人が真言宗の批判を伏せたのは、戦略だったと御書には示されている。また「報
恩抄」や「清澄寺大衆中」には、立宗宣言後の清澄寺で真言批判をしていたことを書
いて送っている。また清澄寺で道善房から機会をもらったことで知った内容にも真言
批判が含まれている。それらを取り消しようがないよ。本人が語ってるというのに。
受け取って読んだほうは、もし事実記載に齟齬があれば、大いに驚くはずなんだよ。

しかし、ここまで書いてても、当世の学者たちは、それは大聖人が都合よく書いてる
んだろって思ってる。うん、いいよ。その疑う気持ちは大事だよね。だけどね、まず
はそんな難しい話じゃないんだから。

私達が最初に考えねばならないのは、そんな難しい話より、そう眼前の事実だよ。

大聖人が真言宗に少しも近しい思いを持ってなかったのはだ、眼前の事実、法華・真
言や、了義経などの位置づけとか、それらの名目だけで、真言宗の教義や概念を、
何一つとして宣揚していないこと、この事実に勝るほど雄弁に語るものはない。
もし
親近感をもっていたなら、共感した教義の一つくらい宣揚してもいいはずではないか。
法華経の絶待妙の立場からしか述べていないんだよ。

それなのに、その無いものを心に浮かべて、「並みならぬ」とか創作せねばならな
いほど客観性に劣る意見を振り回されても、事実を述べてほしいと思うばかりだ。

「法華・真言」と並び称してたとか、「了義経」に含めていたとか、そんな位置づけ
とか名目ばっかりで思い込むなんて早とちりも過ぎるというものだよ。当時の人がみ
んながそう思ってた言葉を使っていただけのことだろう。一つの話をするのにそれに
合わせて使うくらいのことは当然ではないか。

本当に好きで、認めてたんなら、真言宗の教義を紹介してるよ。こんな概念が説かれ
てて有りがたいんだぞとか、こんな仏さまが法身として法華経に並び立ってるんだと
か。そこまでいかなくても、何か自分が感銘したことを述べてるはずだろ。それがな
いんだからね。それを見てわからんのかなって強く思うわ。

あと真言宗の相伝で分かるというのは、北林氏の本に初登場したことで、それが善無
畏三蔵にある真言宗の相伝にある逸話だと解明されてる。結局、真言宗の開祖であっ
ても法華経を唱えたんだって。そういう相伝だから。その罪滅ぼしに、善無畏三蔵は
法華経の真言を大切にあつかったおかげで、大聖人も引用することができたんだよね。

その他、「戒体即身成仏義」の真言批判など、これまでの話題は明らかになっている。
その上で、それでもだ、真言宗批判を伏せたっていう証拠が無いんだって思う人は、
私のここのNo.20からを読み返してみて。法理の立ち場から論証してるつもりだから。

大聖人が伏せていたとの言葉が、後からのものではなくて、最初からだってことを、
証拠を立てて、話したつもりだよ。諸々の学者が思いもよらなかった方法だけども、
それを見てもまだ分からないって人がいたら困るので、さらに詳しく説明しておくん
だ。サービス精神っていうか、とにかく理解してよって感じなの。

もう一度。

諸宗の悪を増長させてしまった、ああ、ごめん言い方が難しかったか。いろんな仏教
の悪を繁栄させた根本となる概念は、いろんな経典が優れてて、法華経のほうが劣っ
てるという主張ではなくて、法華経もいいけど、「でもね」って考え方だったんだ。
少なくても天台宗はそうなの。みんな法華経じゃん、開会したからそれでいいんじゃ
んって考え方。その天台宗の考え方を誤りだと思う結論に至ったから、大聖人は確信
をもって浄土宗や他の諸宗を攻撃することができたの。浄土宗然り。真言宗然りだよ。


「嘉祥大師の法華玄を見るにいたう法華経を謗じたる疏にはあらず但法華経と諸大
 乗経とは門は浅深あれども心は一とかきてこそ候へ此れが謗法の根本にて候か
 (報恩抄、P315)


上のNo.23を見てほしいんだけど、法華経が尊いとする、つまり「円教」であるのは、
全ての人が仏になれる道を目指せる、仏であることを自覚して生きていくそんな修行
を提供していることにあるんだ。「九界即仏界・仏界即九界」とか「一念三千」とか
難しい話を抜きにすれば、疑う人にも分かるのかもしれない。平たく理解してみて。
生きて生活してる人間が仏なんだと。他にはどこにもいないんだと。法華経でこれが
説かれるのは寿量品だけで、他品では相変わらず幻の仏がいるんだけど、いちおう、
それらが実際にはいなんだってことは法華経自身が示してくれてるから、法華経の話
は全部が円教だという主張に整合性は取れてるわけ。全部が円教なの。

他の経典にも、同様のことが書かれてあるとしたって、つまり真言宗の経典にも一念
三千があるとか、そのままで成仏だとか、同じようなことが書かれてあるって解釈し
て主張しみたって、つまり法華経の概念とそっくりな概念がいくら真言宗の経典に説
かれていたとされてあっても、それ以外の概念を含む経典は、円教にはならないんだ
からね。大日如来が普通の人間ではなくて、根本的な法身だと言ってる時点で、すで
にもうアウトなんだよ。だって法華経以前の経典だからね、ボロが出るのは仕方ない。

あくまで普通の生きてる人間が、釈尊ではなく、究極に仏の存在なの。そういう法門。

だから真言宗の教義に法華経と同じことが書いてあっても、余分なことを含んでる点
で駄目だろってことになるの。上の相待妙と絶待妙について大聖人の解釈とは、そう
いうことだから。余分なものを含む教えは、法華経の立場で開会して使うことは許さ
れるけど、それ自身の存在を失わせなければならないんだから。法華経以前の経典や
迹門が許されるのは、ただひたすら絶待妙の立場でだけ。

それを天台宗は、絶待妙なんだから、同一視していいんだと長年、勘違いしたんだ。
だからそこから転じて、天台宗の人が、法華経と大日経の肩を並べてたなんてのは、
単なる結果の姿に過ぎないわけなの。あまつさえ、大日経のほうが優れてるというよ
うになると、もはや何をか言わんってわけだよ。その結果の話題のほうが分かりやす
いから、大聖人もよくそれを御書で話題にされてるんだけど、それだけではないって
ことね。

結局、それが謗法なのを大聖人だけが知ってるっていうのは、上記の理由からだよ。


「既に四百余年を経歴するに此等の人人一人として此の義を疑わず汝何なる智を以
 て之を難ずるや云云。」(富木殿御書、P987)真蹟あり。



伝教大師から400年間、誰も「此の義」を疑わなかったって。この「此の義」とい
うのは、前にあった、大聖人が習い損ないの念仏者たちに教えられてきた「此の義」
と同じ意味だからね。数十年間も大聖人はそれと対峙してきたってことだよ。

報恩抄には、伝教大師だって、法華経の下に真言の修行があるんだと考えてたって書
かれてあるよね。名前を削ってっていうのが、絶待妙として使ったってことだよ。


「大日経は法華経には劣りたりと知しめして八宗とはせさせ給はず。真言宗の名をけ
 づりて
法華宗の内に入れ七宗となし大日経をば法華天台宗の傍依経となして華厳大
 品般若涅槃等の例とせり、」(報恩抄、P304)


読む人にとっては、法華経が上でも下でも、どっちでもいいだろうと思うし、どうし
て大聖人はそんなことに拘って論証されようとしたのかって、そういうことだから。
大日経の内容そのものが劣った内容なんだったら、法華経の下にあろうが上にあろう
と取り扱うべきじゃないないよね。そうではないの。法華経に使役される立場ならば
許されるの。ここが分からないと、大聖人が下だとか上だとか、何を論証されてるの
かが分からなくなると思うんだ。どっちが偉いって、大人気ないんじゃないみたいな。
そこの内容がほやっとして分かってないから、頼まれてもしない勝手な公平感で気を
利かせて、真言が好きだったに違いないとかの勘違いが出来上がるの。

実際には何もないのに踊らされて、恐れて騒ぐ人たちって、ちょっとね。まるで職場
で学会宣言も出来ないくせに、学会員だと表明してる人にああだこうだと、理を説い
て諭そうとしてる人たちとなんとなく重なるわ。本人が悠々としてるのに、何もしな
いんだから自分たちが怖がる必要なんてないはずなのに、なぜか神経質で、心の中は
ぶるぶるなのが、こっちはおかしすぎるんだけど。



  • [975]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月31日(土)00時14分57秒
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No.024 【番外・法門編】⑤


それで大聖人が布教を開始して、すぐにその大切な部分を秘密にするようになったっ
てことは、御書に明白だってことは分かってもらえたかな。

なぜ秘密って、そりゃ理由は書いてないけど、分かりそうなものだから、私が考えた
ことを述べておくと、立正安国論を書くために一切経を調べるために岩本実相寺に行
く必要があったんだろ。岩本実相寺じゃなかったっていうのはひとまず置いといて。
どこでもいいんだから。清澄寺を追い出されて、一体、他のどこで一切経を閲覧でき
るの? 比叡山? もしも天台宗の悪口を言いはじめてたら同じで入れてくれないよ。

浄土宗だって、浄土宗の悪口を言ってる僧をどうして手厚くもてなして、貴重な経典
を見せてあげて、さらに悪口を言わせようと思うの。どこでも同じだよ。

真面目に考えながら浄土宗の悪口をいう人なんだよ。もしそれが天台宗・真言宗への
批判、つまり自分たちの悪口だったら、本をわざわざ貸してくれるか。殺したいと思
われても仕方がないのに。たとえ、みんなが殺そうと思わなくても、騒動を起こして
迷惑をかけるのを、大聖人は、出来るだけ避けなければならないと思うはずだよ。
経典が閲覧出来なくなるのなんかは、まだいいけど、話し合いも出来ない状態っての
は出来るだけ避けないといけないと思うはずだと、私は思うんだ。

絶待妙と相待妙の真実、諸経典のとらえ方を述べるってことは、当時の天台宗が根本
的に間違えてるってことなんだよ。しかもそれは、法華経以外の修行、つまり阿弥陀
だけでなく、真言宗の大日如来でもいいんだとかの考えをも許さないから。だから、
大聖人は知ってたんだ。反対にこれを知らなかったらさ、とても浄土宗の批判だって
出来っこないんだわ。浄土宗でもよいのではないかという長年の疑問が払拭されずに
納得されてなかったってことになるんだから。両者は一衣帯水なの。
とても、どの経典の背くらべが一番なのかなんて、単純な図式ではないの。

それから大聖人が、全面的に説明しようとしなかったのは、難しくて、普通の人に理
解されないから。後年の御書でも、こんなことをあんまり説明してないからね。


重要なのは、やはり戦略だから。最初から天台宗や浄土宗や全部について悪いって
言ってたら、騒ぎにならないと思うの。黙殺されるだけだよ。修学時代にだって言っ
てきたはずだから。てか、いろいろ疑問を投げかけてきたって御書にあるんだし。学
会員だったら同じで分かると思う。もしも牧口先生が全ての宗派が誤りだと全面的に
言ってたら、日蓮正宗が喜んで御書を出版するのに手を貸してくれたと思うかな。あ。
日亨上人は宗門に見切りをつけて御書の編纂を学会と共にしてくれたんだっけ。ごめ
ん、譬えをちょっと間違えたわ。なんぜ、社会的な運動を起こすのには注目される必
要があるんだから。黙殺する人ばかりを増やしてもだめだってこと。浄土宗や禅宗を
皮切りにして、天台宗の悪を暴き出すには、まず表層的な分かりやすい所、これまで
も多くの人が指摘した非をまず追求して、運動に広がりを持たせようと思われたんじ
ゃないかな。天台宗の僧らが興味を持ってくれるのを待って。


「偽り愚かにしてせめざる時もあるべし、真言天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責す
 べし、然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし、然る間まづま
 づさしをく事あるなり
立正安国論の如し、いふといはざるとの重罪免れ難し、云つ
 て罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていましめざる事眼耳の二徳忽に破
 れて大無慈悲なり」(阿仏房尼御前御返事、P1307) 真蹟無し



こっちは真蹟が無いというだけで無視なんだそうだけど。ニセモノの大聖人が書いた
ことになるらしい。ひどい話だけど、とりあえず、誰もが納得できる理由の一つは、
ここに書かれてあるわ。人びとが理解しがたいから、ひとまず差し置いたのだって。
上の内容が難解なのをみれば、理由として当然至極だわ。そう考えないでいたと主張
するほうが無理があるってもんだろ。真蹟のある御書にも戦略があったことと、伏せ
ていた理由と、真言宗の批判を始める経緯についてまで、端的に書かれている。


「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめ
 せ、此の国の国主我が代をもたもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾
 の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれら
 しりなんず、さらばよもあわじとをもひて各各にも申さざりしなり。」
 (三沢抄、P1489)



この後に、でも公場対決を期したけど竜の口で処刑されそうになったから、もう言わ
なければならないと考えたんだって言われてるよ。これが大聖人が直接に言われてる
理由だよ。これで理由と経緯は明確だね。公式での対決を期したのだと
そこまで用心しなければならないほど、真言宗の嘘言の構造は入り組んでたんだ。


こういうわけで、最初に言ってて伏せるようになったってことは、清澄寺の人びとは
よく知ってただろうってこと。だから報恩抄に書いてあるのは、嘘じゃないってこと
になるね。ああ、よかった。よかった。

立宗時に真言批判した事実は、報恩抄だけではなく、その半年前の「清澄寺大衆中」
にも同様のことが書かれてあるんだ。そっちは省略するね。


最後にもう一個。諸宗では、都合が悪くなって、こんなことしてきたよって箇所。


「是れ偏に仏法の邪見なるによる。仏法の邪見と申すは真言宗と法華宗との違目なり、
 禅宗と念仏宗とを責め候しは此の事を申し顕さん料なり
 (曾谷入道殿御書、 P1024) 真蹟一部あり。


ここにも真言宗を責めるために、前座として禅宗と念仏宗を責めたって書いてある。
こうしてちゃんと大聖人が言ってるのに、それを疑って、自分たちの筋が通らない
もんだから、文章の最後の「料」という漢字を「とが」ってルビふって読むことに
させてきたんた。いつから? 誰がこうしたの? 「とが」ってなんだよ。どうし
てこれを通説では、「とが」って読むことにしたんだ? 「料」はイコール「罪」じ
ゃないぞ。御書でもいつも「料簡(りょうけん)」て意味で使われるだろ。こうい
う考えだったという意味で使われてる。大聖人は、禅宗や念仏宗の「罪」だなんて
ことを言ってるんじゃなくて、真言宗が天台宗を腐らせたことを示すために禅宗や
浄土を責めたんだって、そう言われてるの。正しくあるべきだった仏法。その天台
宗を根っこから腐らせたのは、真言宗の教義なんかを法華経の教義と同じとみなし
てよいと思ったことなんだと。



  • [974]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月30日(金)08時35分48秒
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No.023 【番外・法門編】④


約教とか約部とか急に言われても、分からないよね。OK、OK~♪ 大丈夫。
大聖人が解説した、天台大師が経典を見る時の4つの段階だよ。

天台大師も、大聖人も、法華経が正しいと思ってるんだ。それは皆が成仏できるから。
成仏できる教えを「円教」というの。でも法華経以前の経典にも成仏できるって説い
てる部分があるから、他の経典にだってそういう成仏できると書いてある所があって
そういう意味では他の経典だってその一部だけとると「円教」と言えないこともない
よねって、そういう疑問に対して、天台大師の考え方を4段階で示したんだ。

詳しくは、添付した今日の図を見てほしいの。記号は3つ。
法華経以前の経典の中の成仏できないという教えと、成仏するという教え。それから
法華経の中の成仏できる教えの3つ。法華経の中には普通の人が成仏できるってい
う教えしかないからね。法華経の話の中には架空の仏とかも出てくるけど、経典みず
からがそれらを架空だって破折してるんだから、結局、法華経は全部が普通の人の成
仏を説く経典だと言えるんだ。

もちろんだけど、成仏できるっていうのが良い教えで、成仏できないっていうのが悪
い教えだからね。成仏できる教えを修行してもいいと考えるの。それが大前提だね。


 ① とりあえず、法華経以前の教えには良い点もあるぞと着目した段階だよ。
   法華経はまだ登場しないの。だから無関係。

 ② 法華経以前の経典は法華経に劣ると言っても、その良い点だけは、法華経の良
   い点と同じだねというものの見方。真理はどこにあっても変わらないから。

 ③ 法華経以前の経典も良いことを言ってるけど、全体の話に矛盾があるからやっ
   ぱ、だめだよという答え。みんなが成仏できると書いてあっても、でも二乗は
   無効だとか、女の人は除くとか。真実ではない架空の仏しか説かれていない。


この上の①~③は相対して比較した場合のこと。その上で法華経の優位性を知ること
を「相待妙」と呼ぶの。天台大師が諸経典を褒めたのは、これらの中の話。比較して、
良い所は良い所として褒めたんだよ。でも全体で見るとだめだって。そういうこと。


 ④ 法華経から一方的に使いまわすときには、他の経典の意義は完全に失われるの。
   比較なんで出来ないってのはそういう意味。この④の考え方を「絶待妙」と呼
   んでるってわけ。ここに他の経典の姿かたちは何も無いの。


天台大師が、他の経典にも成仏が説かれてるから、法華経と同じだと言ってるのは、
②の場合のことだね。でも言ってるだけではだめってことだね。その前提となる思想
に無理があるから内容に矛盾を生じてるからダメなの。きちんと比較してみるとそう
いうことだと。
世の中の人が勝手に勘違いしてるのは、④の「絶待妙」の立場になると、都合よくも、
法華経も他の経典も同じになるんだというもの。それこそ意味不明だよね。なんだそ
りゃって感じ。だよ。そういう意味不明の誤った理解なんて、仏法は説いてないって
ことだよ。


絶待妙の立場で他経典が無くなるのは、「諸宗問答抄」にある文証で明らかだから。
河川の水も大海に入ると大海と同じ塩味になる」というのは、大海の塩味だけにな
って、元の川の水の味は無くなるという意味なんだって。この他、天台大師の法華玄
義や、妙楽大師の弘決の文なども引用されてるの。大聖人はそう説明されてるよ。

諸宗問答抄の方にある答え。つまり文証をまとめておくと。

①~③の前提:「相待妙の下にて又約教約部の法門を釈して」 (P376)

①「約教の時は一代の教を蔵通別円の四教に分つて之に付いて勝劣を判ずる時は
  前三為・後一為妙と
」(同)

②「此の時もなほ爾前権教の当分の得道を許し且く華厳等の仏慧と法華の仏慧とを等
  から令めて只今の初後仏慧円頓義斉等の与の釈を作られ候
」(同)

③「約部の時は一代の教を五時に分つて五味に配し華厳部阿含部方等部般若部法華部
  と立てられ前四味為・後一為妙と判じて
」(同)

④の前提:「次に絶待妙と申すは開会の法門にて」(P377)

④「「諸水入海・同一鹹味・諸智入如実智・失本名字」等と釈して本の名字を一言
  も呼び顕す可らずと釈せられて候なり、
」(同)


そして④の絶待妙の立場を誤解して、どの経典の修行も法華経の一部だと思って修行
すればよいとの見解について、「堕地獄の義」、「地獄に堕す可き邪見の悪義なり」、
「皆大地獄に堕つ」などと本章では繰り返し、手厳しく批判されている。


ここが分かると大聖人の仏法は、すっきり。はっきり。本迹とか、他経典のことをど
うして大切にするのかも、全部が。当たり前っちゃあ、当たり前の考え方なんだけど。
信仰を真面目に考えてみようというリアリティのない人には、なかなか思いつかない
考え方だよね。悪口で「西暦を使ってるくせにキリスト教に文句を言ってるのはおか
しい!とかね。(笑)

では、なぜ、これを秘密になんてしなければならなかったのかな。


  • [973]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月29日(木)10時53分26秒
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下のNo.21の説明が分かりにくいので図にしてみたの。

3つを合わせて考えると、天台宗への批判が浮き彫りになって、
その内容からすると、真言宗を擁護する理由すら崩壊してたことを、
隠されていたんだなってことがよく分かるってこと。


  • [972]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月28日(水)20時14分46秒
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No.022 【番外・法門編】③


でも安心してね。大聖人の他の御書を見ると書いてあるから。ずっと後になったら書
いてくれたのかって。ところがそうではないんだよ。驚くことに、もっと前になの。
最初期の御書を見ると、なんと、それが書いてあるから。
どうしてって思う前によく読んでみよう。

34歳の時に書かれた「諸宗問答抄」(真蹟は無い。日代写本あり。)には、当時の
台宗を批判
してて、上の御書と同じ議論を出している。他の経典も法華経だと思って
修行すれば別にいいんじゃないのかと。その疑問に対して、丁寧に述べられてるんだ。

引用された文証も多数。結論は天台宗を再興した妙楽大師の「弘決」。


「相待・絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり、況や復余をや」
 (諸宗問答抄、P377)真蹟なし。


具体的な内容はあとにするとして、まず説明をば。
そこで1頁以上にわたって道理から詳しく説明されている。こっちでは全然秘密じゃ
ないよ。どうして、これが秘密なのって思うぐらい。これが秘密にしなくちゃいけな
いようなことなのか。なぜなのか。それは、こっちの最初期の御書には、それが謗法
だと明確に言ってるからだよ。そこも後の御書と違う点なんだよ。


「堕地獄の義にて有るなり」(同、P377)、「皆大地獄に堕つべし」(同頁)だと。


真蹟がないからなんて馬鹿にしてはいけないよ。開目抄でも言ってるから。厳しく
言われてる。その思いは当然だよね。勉強するにはこっちのが分かりやすいから出し
たの。開目抄でだって、この文証は出てくるから。増上慢の人の考え方はこうだって。
そして、こういうことを言ってる邪宗こそが、人びとを不幸にしている原因だと言っ
てるの。それを大聖人お一人が知ったんだと言われてるんだから。

実は、ここの部分は日本の天台宗の考え方を深く批判してるわけだよ。立宗から2年
後の御書にこんなことを書かれてるんだけど、難しいことをいろいろと全部言っても
話に耳も傾けてくれないだろ。彼此の理解に差がありすぎるんだ。だから、その7年
後と言われる「唱法華題目抄」には、そういうトーンは伏せることにしたんだよ。
もし、天台宗批判を前面にしていたら、それを見たら各寺の人たちが、快く大聖人に
立正安国論を書くのに諸経典を貸してくれたかな。そんなわけがないよね。


なぜって、だから戦略だって。最初に書いてなくて、後から出したんなら、大聖人は
知らなかったのかって疑われるけど、最初に書いてて、後で伏せたんなら、隠したと
しか言いようがないだろ。というか、大聖人が自分で「且つは秘しって言ってるわ。

これがどういうことを意味するのかというと。―― そこをよく考えてほしいの。

この「諸宗問答抄」では、真言宗の批判にも少し触れているんだ。「次に真言宗の法
門は・・・汝外道に同ず如何と云う可きなり。」(P381~382)と、已今当の論理や
真言宗の大日経の位置づけや、宗旨の論理の破綻について、少し触れられてるんだ。
歴史的な観点からはまだ述べられてないけど、ここの批判だけでも十分な気もする。

後年の慈覚がどうとか智証がどうとか、どうして真言宗があんなに堕ちていってしま
ったのか、そこまで詳しくは述べてはいないけど。詳細なことは、後年に勉強したこ
とも加わったのかなとも想像できるけどね。なにせ天台が真言に落ちたことについて、
さらなる教学の深化を門下に託した御書があるぐらいなのだから。

ま、直接的な真言宗の批判はともかくだ、要は後に秘密にした答えがあるってこと。

こうなるとだね、「諸宗問答抄」が、仮に(仮にだよ)偽書であっても無関係だわ。
他の御書には秘密だって書かれてた文証が、正確に書いてくれてある偽書だなんて、
なんて気の利きいた偽書なんだろうか。だって、論証してる文証は変わらないから。

同様の質問は「一代聖教大意」にも乗せられている。こっちは法華経以前の経典にも
成仏できることが説かれてる所もあるよねって。そしてそこでも答えは、秘密だとは
っきり言われている。もうこうなるとあれだね、すごいことだよね。


「答う予の習い伝うる処の法門此の答に顕るべし。此の答に法華経の諸経に超過し又
 諸経の成仏を許し許さぬは聞うべし秘蔵の故に顕露に書さず。
 (一代聖教大意、P401) 真蹟無し、日目上人写本あり。



「唱法華題目抄」(39歳)や「一代聖教大意」(37歳)に伏せられた天台・真言へ
の論難についての根拠、その答えは、数年前の「諸宗問答抄」(34歳)に記されてる。
たとえ、これらの御書を著した年月が異なり、研究の結果、順番が変わるようなこと
があっても、先の二つの御書で、秘密にしたという文言があることは変えられない。

つまり例えば「唱法華題目抄」にある、“爾前の円は絶対妙に同ぜず”っていう言葉を
無くすことなんて出来ないし、その意味が「諸宗問答抄」を読めば、まるで解説書の
ようによく分かるってだけのことだからね。そして、この「唱法華題目抄」にもこの
問題が溶けたことで、天台大師が著述された六十巻の真意がようやく分かったと言わ
れてるのだよ。
法華経理解への足かせが外れたってことだよね。

その真実を疑う人は、目をよおく開いて見てみてね。


「爾前の円をば法華に同ずれども但法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には
 同ぜず、
此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の冰解けたり
 (唱法華題目抄、P12)



ここまで、ここまで大聖人が言われてるのに、諸宗の人の目はどうなってるのやら。

そしてまた、これらの御書の記載は、事実、戦略があって伏せていたということその
ものだから、変えようがない。その答えとなる引用文は、たとえ執筆の順番が異なろ
うが、「諸宗問答抄」に書いてあるんだし、それ自体を隠さねばならない理由なんて、
布教の都合上以外には見当たりそうにはない。少なくても私には。

それでは、どんなことが書いてあったのか。

唱法華題目抄に文証は秘密とされた4つの意義。天台大師の考え方について大聖人が
解き明かした理解の仕方を説明してるの。約教とか約部とか、文章だとわかりにくい
ので記号で表してみることにしたけど、やっぱ、本文も読まないと分からないかも。




  • [971]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月27日(火)23時14分49秒
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No.021 【番外・法門編】②


それで大聖人は、そんな見解に怒ってるんだよ。そんなことあるかいって。法華経
を修行するのに、どうして浄土経典の仏の名前を唱えなきゃならないんだって。

でもそのおかしくも不思議なことは、当時ではなんと常識だったんだ。御書にも、
あっちこっちに出てくるよ。大聖人は、いつも法華経は法華経で修行しろとか言わ
なくちゃならなかったし、門下からの「念仏を唱えても法華経の修行だって聞きま
したっ」との質問にも、「法華経を修行したいんなら、まず法華経を修行しろ。」
と答えなくちゃならなかったの。考えてみれば不思議な話題に付き合って、ずっと
そうやって指導されてるんだ。

ここでは一つだけ。


「問う世間の念仏者なんどの申す様は此身にて法華経なんどを破する事は争か候べ
 き。念仏を申すもとくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり。又或は
 云く法華経は不浄の身にては叶ひがたし恐れもあり念仏は不浄をも嫌はねばこそ
 申し候へなんど申すはいかん。答えて云く此の四五年の程は世間の有智無智を嫌
 はず此の義をばさなんめりと思いて過る程に日蓮一代聖教をあらあら引き見るに
 いまだ此の二義の文を勘へ出さず」 (題目弥陀名号勝劣事、P112) 真蹟なし



世間の念仏者が言うのは、争うつもりなんかなくて、念仏を唱えるのもやがて法華経
を悟るためだし、法華経を修行するには自分たちは不浄の身だから身の丈に合わない
んだとか、自分を蔑んだような分けのわからん理由で浄土経典を修行してたって。
そういうことを最近の念仏者は言うようになってきたと。ここ4、5年って言ってる
のは「破良観等御書」と合わせると、彼らは大聖人に責められてから他宗への悪口、
つまり教義批判をしなくなってしまったんだって。彼らも昔は、専修念仏だと積極的
に他宗の悪口を言い、絶対に他宗を認めなかったのに、大聖人に数年も責められたら、
「別にいいやん」的な、そんな言い分に逃げ出したってこと。ずるいって。現代の浄
土宗の人が昔を聞いたら、びっくりだよ。もともと自分たちが他宗派をどれほど攻撃
してきた宗教なのかって。浄土宗がそんな風にへこたれたのは大聖人の功績なんだよ。


そうやって念仏を唱えるのが法華経の修行だとする教義が、世間では当然だったんだ。
浄土宗の人だけじゃなくて、みんなそうだった。天台宗でさえそうだった。なぜかっ
て、天台大師がそうだと言ってるんだからと、そんなふうに理解されてきたんだ。
これだよね。これだったら、大聖人がどれだけ法華経が大切だって言っても、みんな、
「それはそれとして、他の修行でもいいではないですか」ってなってしまう。

大聖人が、幼少のころに、天台大師や法華経の考え方に共感して、諸経の勝劣をほぼ
知ることになったのに、他宗の修行を違うとは、おいそれとは言えなかった理由だよ。
つまり、修学時代、仮に、法華経が何よりも大切だと考えてたとしても、念仏の修行
がなぜ悪いのかまでを当時の人に納得させられるほど論理的に説明できなかったんだ。
今の人から見れば、不思議な同時並行だけど、世間は、そんな時代だったんだね。
法華経が最優先で、真言の大日経も、浄土の経典も説く内容は全然ダメであっても、
だめだからこそ法華経の修行として、大日如来でも、阿弥陀でもいいんだと。(笑)

それが上の「題目弥陀名号勝劣事」で説かれた「此の義」だよ。それを数多見るって。
それに悩んだんだよ。わけが分からんって。十宗のどれが本当なのかって。そして誓
願のままに、諸宗の非を日蓮大聖人が一人で知ったんだと。単に諸宗の悪い点だった
ら、それまでに多くの人が批判してるからね。開目抄でもどこでも、大聖人お一人が
諸宗派の非を知ったっていうのはそういうことだよ。その解釈のどこがおかしいのか。
それこそが僻案なんだとして、立宗後に浄土宗を責めてるんだから、実は立宗時には
天台宗も、真言宗も、同じく、誤っているってことが分かっていたってことなんだ。


では大聖人は御書でどう言われてるのか。
具体的に、それまでの諸宗がどのように天台大師の解釈を見誤っていたというのか。
間違ってる!おかしい!って思いつきで言うだけだったら、誰でもできる。法門の誤
りをどう説明できるのか、それが大聖人だよ。

実はそれは、ちょこっと大聖人は秘密にされてる。

法華経とかについて、天台大師が「開会(かいえ)」って法門を説かれてるんだ。
平たく言うと、それまでの諸経典の内容は真実じゃないけど、法華経の立場から開い
た心で見れば、全てが真実になるんだってこと。なんのことかって。たとえば、大乗
経や小乗経の比較だと面倒だから、もっと外に目をやって、キリストの生誕日を元に
した「西暦」という年の数えかたがあるよね。もしもこれをキリスト教の教義の一つ
だと言われて西暦を出されたら困るけど、そういうのは度外視して使ってるよね。
そんなこと当たり前だと思うけど、イスラム圏の国ではこれを嫌って、未だに太陰暦
を使ってる国も多いのよ。

私達は御書を研鑽するのにも、仏法者の立場から西暦を使うしね。でも、それは謗法
じゃないの。理由は、だれも西暦を見るたびにキリストの教えを思い浮かべないから。
西暦のほうが便利だし、誰にも仏法を弘めるのに誤解を与えることもないから、年の
数え方として使うだけ。元の意味は消滅させて新たに有意義に使う。そういうのを
「開会」っていうんだ。意味を開くって感じかな。

ほぼ同じような概念に、「絶待妙」と「相待妙」という法門があるの。というか、
私には「開会」との違いは分かんない。「相待妙」は、法華経がその他の教えと比較
して優れてるよっていう比較なんだけど、こっちは要するに普通の比較だね。もう一
方の「絶待妙」は「開会」と同じ意味で、比較なんかしないの。全部、法華経の立場
で考えるから、他の教えなんて存在しない。法華経の意義からの視点しかないから。

それで大聖人以前の諸宗は、っていうか現代でもまだ誤解してるんだけど (^^;)。
絶待妙の考え方だと、念仏でもいいんだって、そう仏法を理解してたの。
天台大師がそう言われてるんだから、絶待妙で見ると諸経典も法華経なのだと。

大聖人が真言宗と未分化だったとよく引き合いに出されるのが、38歳の「守護国家論」
(真蹟曽存)なんだわ。法華経と真言宗を並べてあるとか言われてる。その内容は、
またにして、要するにややこしいことが書いてあるの。だからこの時代の大聖人は、
まだ真言宗が悪いとは知らなかったんじゃないのっていうのが、変な学者の説。

でもほとんど同じ頃の39歳の頃に書かれた「唱法華題目抄」(日興上人の写本が一
部あり)には、大日経は駄目だと書いてあるんだ。それで「唱法華題目抄」のほうは、
もっと後の御書じゃないのって憶測する学者もいるんだけど。彼も読んでないから。
どっちもほぼ同じ時期なんだよ。むしろ立正安国論のあとに来たらおかしいわ。

その大日経を批判してる「唱法華題目抄」には、こういう質問があるの。
法華経以外の諸経典も、法華経の絶待妙の立場から見るなら、同じ法華経になるので
はないのかと。そんな疑問に答えられている。要するに、たとえ他の経典が説く修行
をしても法華経につながる修行だと言えるのだと、天台大師も、伝教も大師もそう言
って法華経以外の修行もやってたじゃないかと。ここまで私が繰り返し言ってきたこ
とと同じだよね。

その御書には、これについては日本の天台宗でも山門派と園城寺派でも見解が異なり、
争い続けてきたんだってことを述べられてる。しかも、大聖人はこの問題に結論を持
っていると言われてるんだ。誰も知らないこと。大聖人は答えを知ってるんだって。


「但し予が流の義には不審晴れておぼえ候」(唱法華題目抄、P12)だと。


天台大師が言う立て分けを、四つの観点から簡単に説明されている。だけども!


「一つ一つの証文は且つは秘し且つは繁き故に之を載せず」(同)


と要するに書かないと結ばれている。
いちいち書かないよと。秘密にしておくんだと。なぜ―――、秘密なの。ここ、すご
く大切なのに。でも、とにかく秘密なの。書いてないんだよ。

わっはっはっは。(壊れてないから。)答えはあるので、御安心してね。

だいたい何故それが秘密なのか。この唱法華題目抄は、御本尊の作り方まで詳細に述
べられてる、至れり尽くせりの御書なんだよ。それでその4つの観点についてもだい
たいは述べられてるんだ。約教と約部とかに分けて、爾前の円は絶待妙と同じとしな
いって、なのに、その「根拠」、文証だけを秘密にするんだって、どういうこと。
中身はだいたい教えてくれるのに、文証だけは秘密って、・・・これをだ、布教戦略
と言わずにして、なんと表現すればいいのって。


♪あっちや、こっちでは、秘密だって言って、けんもホロロなのに、別の御書には、
 くわし~~く書かれてあるぅぅぅ。それは、何故かな~。♪ (ふざけてません)



  • [970]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月27日(火)00時21分54秒
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No.020 【番外・法門編】①


やっぱりここで、大聖人の法門の大切なところを、数回に割って書いておこうっと。
諸宗の学者たち、みんなが見落としていることだよ。詳細を話すと長くなるのでそう
いうのは後回し。真言宗の戦略とかそんなのもあとで。とにかく今はこれなの。

報恩抄をやるっていうのに、全然、違う御書じゃないかって。しかも、ここで言うべ
きことでもないんだけど、だって、もうここで言っておかないと、この後のこととか
も誤解が先に立って、全然、聞く耳を持たないだろうし。

世の中で大聖人が修学時代に法華経なんか信じてなかったって根強く思われてるのは、
念仏を唱えてたって御書があるからだよ。これってわかりやすい話だからね。それと
修学時代にもなんかそんなのがあったって。それらがごっちゃになってるんだ。
まずそこからだね。

当時の人は、みんな念仏を唱えていたの。おそらく大聖人も、ほんの子供の時には
そうだったろうね。以下の御書では、出家した後から振り返って、心では違うと思っ
てたのどうか、それは微妙な感じの表現なんだけど、みんながそうすることを願って
たから、幼少の時には念仏を唱えてたことを述べられてるんだ。


「日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり袈裟を
 きたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し
 程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し
 程に、いささかの事ありて此の事を疑いし故に一の願をおこす、」
 (妙法比丘尼御返事、P1407) 真蹟なし、録内。



ただね。表現が微妙過ぎて要注意なんだけどね。文章では、いつまで唱えてたのか
分からないんだ。周囲の人に合わせたというのも曖昧だけど、それは幼少の時なの、
か、大人になったら違うのか。なにせ、「幼少より」の言葉は、大人になってから
の期間も含まれてるはずだと想像させるのに、でもそれから、「いささかの事」が
起こって、それを疑って、一つの願いを立てたって、それも幼少期の話だからね。

それは、この御書のこの後の続きに、12歳から16歳までってあるのでも分かる。


「日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成
 実宗律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有り
 ときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習は
 ずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分にはしりまはり十二十六の
 年より
三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等
 の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり、」(同、P1407) 



文章の順だと、「いささかの事」が12歳以前。「一つの願い」が12歳のときの虚空
蔵菩薩に立てた誓願ってことだよ。ここでとても大切なのが、その願いっていうのが、
まず「いささかの事」があって、念仏を唱えることへの疑いを持ったからなんだって
それで「一つの願い」をするようになったって、そう、きちんと書いてあるよね。


別の御書で大聖人は、仏法を習い始めたときから、死んでいく人の死に顔について、
深く思うところがあったってあるんだわ。それを知るのが最初の念願なんだって。


「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく」
 (妙法尼御前御返事、P1404) 真蹟あり。



これ以上は、本題が逸れるから、ここでは省略するけど、ぼーと読めば、幼少期に唱
えていただけでなく、大人になっても念仏を唱えてたみたいに読めるけど、実はそこ
までは言ってないの。御書の趣旨はそういうことではなくて、子供の時に、そういう
ことが疑問になったので、修学して解決したいって思ったってことだよ。


もう一つ。修学時代に念仏を唱えてた証拠として、いつも出される御書がこれ。これも
初めて聞いて誤解するんならともかく、全文を読んでそんな勘違いする人が学者の看
板を掲げてるってこと自体が恥ずかしいよ。まず全文を読んでみたのかと。


「南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時習
 いそこなひの天台宗真言宗に教へられて
此の義を存じて数十年の間ありしなり、」
 (題目弥陀名号勝劣事、P115)真蹟なし、録内。



大聖人は、念仏も題目も同じだと間違った人に数十年間も教えられてきたんだって。
教えられてきたって言ってるんだから、念仏を唱えていただろうってわけね。そう
思う人って、なんなんだろね。そんなこと言ってないのに。ここは大聖人の法門を
読み解く上で、とても大切なので、もう一度、前後まで含めて出してみるね。


「弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は、妙法蓮華経の五字を習つてこそ仏には、
 ならせ給ひて侍れ、全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給いたりとは見えず
 、妙法蓮華経は能開なり南無阿弥陀仏は所開なり、能開所開を弁へずして南無阿
 弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり、日蓮幼少の時習いそ
 こなひの天台宗真言宗に教へられて此の義を存じて数十年の間ありしなり、是れ
 存外の僻案なり但し人師の釈の中に一体と見えたる釈どもあまた侍る、彼は観心
 の釈か或は仏の所証の法門につけて述たるを今の人弁へずして全体一なりと思い
 て人を僻人に思うなり」(題目弥陀名号勝劣事、P115)真蹟なし、録内。



ここで大聖人は何を言いたかったのかな。最初に、阿弥陀仏も法華経を唱えて仏に
なったと言ってるの。法華経が能開、阿弥陀が所開、つまり法華経での開会のこと
を言ってるんだ。その開会を正しく知らないで物知り顔に、開会したんだから念仏
をやっても法華経になるんだよと教えられてきたんだって、大聖人ではなく、彼ら
がそう言ってるの。諸学者の想像だとさ、これは修学時代のことだし、言われて反
論をしたとかも書いてないから、それなら大聖人もきっと唱えてきたんだろうって
彼らは想像で決めつけてるんだよ。大聖人は修学時代に反論しなかったはずだとか。

言っておくけど、私にとって、大聖人が立宗前に念仏を修行しようと真言を極めよ
うと、 そんなの、どうでもいい話なの。だけど、ここは違うの!

本当に、ここの文章は絶対に、そういう意味とは違うから。なぜこだわるのかって
いうと、そういう学者さんの読み方はさ、「此の義」ってのが大聖人にとって、ど
れだけ悩ましい課題だったのかが分かってないから、ここでこういう風に取り上げ
てる意味が分かってないんだよ。全く大切なことが分からずに些事にこだわってる。

幼少の時に教えられたの。その解決にひたすら数十年間とりくんできましたってこ
とを言ってるんだよ。

大聖人は「これこそが言葉に出来ないほどの誤りだ」と指摘してて、この誤解に基
づく解釈がこれまでの人師の釈には無数にあるんだと。そう言われてるよね。実は
ここに全ての答えが書いてあるんだけど。

とりえあえず、これが当時の人びとの不思議な誤解だったんだよ。つまり、法華経
は素晴らしいけど難しい。でも法華経は「開会」したら、全部が法華経になるんだ
から念仏を唱えても法華経を修行したことになるんだと。だれが言ってるのって、
天台大師が言ってることにされちゃってるんだよ。だから天台宗の人が念仏を唱え
ても天台宗としてもオッケーなわけ。変だと言えば変だけど根が深いんだよ。

それでそういうのがおかしいんじゃないのって気づいて、死んでいく人を調べてみ
たら、やっぱりだと思うほどに納得して、子供の時に事実上で解決したってのに。
それなのに、歳を経てから喜んで念仏の修行をやるわけがないだろ。


  • [969]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月26日(月)00時13分18秒
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No.019 【生い立ち編】⑭


もう一度出してみる。

「法然善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候いき、こ
 のごろの人の申すもこれにすぎず、」 (南条兵衛七郎殿御書、P1498)真蹟現存。


大聖人が、法然や善導など、当時の浄土宗の人が知っていたであろう知識の全てを、
わずか17、18歳で知ってたって言われてるの。「これにすぎず」ってあるものね。
この「南条兵衛七郎殿御書」は真蹟があるから、偽書ということは、まずないね。
よっぽど筆跡を真似るマニアックな人がいたら別だけど。だけど、たとえそこまでの
可能性を考えたとしても、この御書の重要性は少しも揺るがないんだ。なぜならば、
「この御書こそが物的証拠だーっ」ていうよりも、状況を的確に気づかせてくれるっ
て意味で、もうね、十二分に重要なんだよ。

実際に考えて大聖人の勉強量はそれぐらいの速度でなければ話に辻褄が合わないんだ。
そうでなかったら、17、18歳って、鎌倉に遊学したばっかりの年だから、そのときに
多くの経典を初めて目にしました、天台大師の著作もみて17歳で考え始めてすぐに分
かりましたってことは、絶対にそんなことないだろってツッコミを入れたくなるよね。
ということはだ、必然的に、遊学以前に相当な勉強をしていたってことだよ。つまり
清澄寺には相当量の経典や人師の本があった。一切経とかいうほどでないにしても。

それで話の辻褄が合うんだ。17歳以前の何時から勉強したのか。出家した16歳?
それとも15歳くらいとか。違うだろ。1年や2年でなんとかなるもんか。12歳だよ。
だから12歳に誓って、そのすさまじさに感じ入った道善房が禁忌を犯してまで秘蔵の
経典を自由に手に取ることを許したとしたら、大聖人が恩義に感じているという事実
も他のことも全てつじつまが合う。それとも何かな、12歳に誓願を立てた大聖人が
12歳からぼーっとしてたと思うほうが正しいのか。そっちのほうがおかしいだろう。
もしそうだったら、わざわざ御書に12の時からとか書かないよ。恥ずかしいじゃん。

それに17歳、18歳のときには、大聖人は浄土宗ぐらいは、ほぼ知っていたというこ
とでならなければ、後ろがつかえて、あとの諸宗はどうするのってことになるんだ。
浄土宗から調べていったことが御書に書いてあるんだけど、当時の諸宗って十宗もあ
るんだよ。その中でも浄土宗と禅宗は、まだ他愛もない部類なんだって。なぜって、
私が勝手にいうんだけど、浄土宗は、本人たちは嘘をついてるつもりではないからね。
真面目に書いてあるんだから、論理も読みほどきやすい。反対に禅宗は思いつきで言
ってるところがほとんどだから、教義的には矛盾がいっぱい。そんなのと比べて、嘘
つきが智慧を絞って作り上げた真言宗や、それに憑りつかれた天台宗なんかの巧妙さ
とは、比較のしようもないぐらい。真言宗のトリック(インドの真言宗が中国を経て
日本に伝わってきたと言ってるんだけど、実はインドには真言宗は無いの。それは現
代では常識だけど、当時の人にとっては誰にも知りえるようなことじゃない)。それ
を大聖人は推理だけで論証したんだ。真言宗はインドにないはずだと。真言宗の教義
の骨子は、全部、インドではなくて、中国の天台大師のを盗んだだけのものだって。

法華経を宣揚してたはずの天台宗の人たちだって、すっかり騙されてしまってた。
開祖の伝教大師がそう言ってるからだ・・・と天台宗の人たちも思ってたわけだ。
実は、伝教大師がそんなこと言ってないし、そんな風にも思ってないというのは、大
聖人によって初めて明らかにされた事実で、情けない限りだけど、調べても調べても、
少しぐらいの智者ぐらいでは知りえなかった歴史の真実なんだって。中国の天台大師
はどうなのかって言うと、天台大師が生きてる時代には、インドにもどこにも真言宗
は存在していないからね。真言宗の原型がインドで出来たのは7世紀のことなんだよ。
六世紀の天台大師はもちろん知らない。釈尊なんておよそ無関係なんだ。真言宗の
大日経とかは、ただのインド地方の呪術信仰だったわけ。それが中国に入るときに、
中国の天台大師の論理をちゃっかり取り入れて成立したってわけ。インドの時から、
うちはそうでしたって顔をしたってわけだよ。インドの文字を使ってかっこよく。
そりゃ、言ってることが法華経の理念と似てるはずだね。それを論証することがどれ
だけ大変だと思われるかな。

大聖人は日本に真言宗が伝わってきてからの400年間だけの書物だけではなく、中国
に真言宗が伝えられてからのあっちの600年間の人師の書は全部、あらあら把握した
って言われてるんだ。大聖人の御書での「あらあら」の使い方は怖いよ。御書の記述
はすごく正確を記されてるし、すごく謙虚でもあるんだわ。大聖人が「あらあら」っ
て言ったら、ほぼ全部だと思って間違いないわ。

そこまで勉強する人がいないくらい勉強して、ウソで創出された宗派だとされたの。
その他の宗派だって、昔からあった歴史のあるものは、それなりに勉強するのは大変
なはずだって想像できる。華厳経だってややこしいはずだよ。天台大師が一念三千を
説いたのも、華厳経典から重要な文を引用してる上で成り立ってるんだ。その数百年
も続いた論争を追うのが簡単なわけがないよ。馬鹿にして切り捨てるだけなら簡単だ
けど、彼の人びとを納得させるまで学習をするのって、ちょっと想像できないくらい
だったんだよ。大聖人の勉強量は、他宗の高僧らが、みんなが押し黙ってしまうほど
だったんだから。


  • [968]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月25日(日)07時53分1秒
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No.018 【生い立ち編】⑬


法然のすごいけど、それを理解した大聖人ってすごすぎると思わない? 何なの。
法然のことがそんなに好きだったの? いや、この調子で他の祖師も調べてるんだわ。
浄土宗にいる人たちよりも、よっぽど大聖人のほうが詳しく丹念に調べてるんだよ。
ちょっと他宗派をかじって悪口を見つけて言い並べてるような次元とはち・が・う、
てこと。それでもって、ため息が出るくらいなんだけど、ここも意味が分かってない
諸宗の学者さんたちってば、現代社会の知識が入れ放題のこの時代になっても、この
話題についていけない、法然の勘違いのレベルよりずっと下ってことなんだよ。

なんのことかって?

――いよいよ、それを書かなくちゃ。でも大丈夫なんだろか。ためらうわ。

いやいや。やっぱり、もうちょっと後に。そこに答えがみんなあるのに。
絶待妙と相待妙ぐらい知ってるよって、たいてい、みんなそう思ってるんだから。
大聖人がどう言われて、それがなぜそんなに大切で、何を秘密だと言われてるのか。

それが分かってないから、御書に真言の名目なんかがあると、「ああ、大聖人は、真
言宗の法門に好感を持ってるんだ」とか平気で言えるんだよ。大聖人は明確に言わて
るのに。御書が分かってたら恥ずかしくってそんなこと言えないから。大聖人が真言
宗の教義だと取り上げて、これは素晴らしいと宣揚したことなんか、人生の最初から
最後まで一度もないわ(笑)。宣揚してきたのは法華経だよ。法華経だって真言はあ
るからね。ていうか、インドの言葉を真言と言うんだから、法華経だって原典は全部、
真言なんだよ。それを御本尊に真言があるのを見て、真言宗に傾倒って・・。言って
ることに無理がありすぎるんだって。

大聖人が読んだ梵本の法華経はおそらく善無畏三蔵が持ってきたものだから。開目抄
の上巻の末尾に書いてあるだろ、宣揚してあるから。どうして現代の誰も彼もそこを
無視して飛ばしてしまうのか。目に入らないのか。真言師が持ってきたものだろうと、
善無畏をむちゃくちゃ馬鹿にしてても、その功績はどこまでも正しく評価して、そし
てそれを大切にして使われてるんだよ。それを。一人の人間として信用してるの。
大聖人には他宗に嫌悪感なんか、終生ないわ。人間が嫌いでこんな人生を選ばないっ
ていうの。


「あだをなす念仏者・禅宗・真言師等をも並びに国主等をもたすけんがためにこそ申
 せ、かれ等のあだをなすはいよいよ不便にこそ候へ、」
 (高橋入道殿御返事、P1460)真蹟あり



だよ。勘違いが甚だしいのは、大聖人が「法難」を経て思想を深めて重書を著してい
ったと勝手に多くの学者が言ってるところだよ。御書のどこに、そんなことが書いて
あるっていうの。大聖人が重書の契機にされたのは、地震とか、彗星とかだよ。当時
の人心が動揺して、それをどんなふうに見てたのか、みんなが苦しんでるときに、そ
れを契機にされたんだろ。自分が法難で苦しんだのが契機なんじゃなくて、他の人が
苦し む社会事象が著作の契機だったんだよ。

ああ、もう、いろいろ話がおかしいから、つっこむ所がホント多すぎるわ。誰も言わ
ないのが不思議なんだけど、大聖人が他の誰とも違うのは、頑張ってたら法難が起き
て、その理由づけをしたんじゃないだろ。最初っから分かってたって開目抄に書いて
あるだろ。それが開目抄のテーマなんだし。
分かってて、覚悟して、やったんだよ。
それを説明してるんだよ!開目抄はっっ。
それが私達みんなと違うところ。諸宗の学者は目を開いてもう一度読んでみて!
みんなから憎まれるって。知ってたの。最初から。それで、実際に憎まれたからって
浄土宗や真言宗の僧侶を憎むわけないだろうに。分かってたんだから。この「高橋入
道御返事」をみてよ。これが心にもないことをかっこつけて言ってるんではない証拠
が、これらの法門の研鑽の深さなんだよ。本当に心から侮ってたら、ここまで、こん
なにまで人生をかけて他宗のことを調べあげないから。もっと適当なところで馬鹿に
してるよ。大聖人はそうじゃないから。布教してあげたい人たちと、邪魔をしてくる
人たちが同じなんだよ。自分の命を狙った人たちに話をして、彼らが改宗して、門下
になっていったんだよ。 それを目指していったんだよ。


「いまだ此の事にあはざりし時よりかかる事あるべしと知りしかば今更いかなる事あ
 りとも人をあだむ心あるべからずとをもい候へば、此の心のいのりとなりて候やら
 んそこばくのなんをのがれて候、」(四条金吾釈迦仏供養事、1147)真蹟曽存。



それで絶待妙か。元の話に戻ると、これも誤解されてるからどこから話せばいいのか
なんだけど、とりあえず、日顕みたいな何でもかんでも絶待妙・相待妙だなんてのは
絶対にやるなよって、提唱者の天台大師がそう言ってることだけは紹介しとこうっと。
日顕のは、意味も分からずに、単に知ったかぶりで恥ずかしいだけだからね。そうい
うのをやりそうな奴がいるだろうなって、天台大師も予想して戒めたんだからね。

結論だけ言っておくと、他宗の教義も自由自在に使うの。大聖人は。他経の教義は、
絶待妙の立場だと、法華経の上とか下とか横とか内とか外の立ち場に並ぶのでなく、
立場とか看板とか完全に消滅するの。法華経を表現するのに使うってことなんだよ。

大聖人によると、それが分かってないから天台大師の言葉に諸宗は迷ってしまったん
だって。彼らは「ああ、大聖人は他経典のことも褒めてるわ」って。現代でも同じだ
けどね。

でもその話はまた今度に。今は法門のことじゃなく、大聖人子供のころの話をもっと
したいの。



  • [967]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月24日(土)07時30分19秒
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No.017 【生い立ち編】⑫


一切経をなんども見てたことは、次の御書にもあるもの。

「予正嘉文永二箇年の大地震と大長星とに驚いて一切経を聞き見るに此の国の中に前
 代未起の二難有る可し所謂自他叛逼の両難なり、」(強仁状御返事、P184)
 真蹟あり

正嘉元年のは岩本実相寺で、文永元年の彗星のあとにも一切経を見てるんだって。彗
星(7月)のあとに行ったのは安房の国方面つまり清澄寺周辺だからね。翌年には静
岡にも行ってるから、この「強仁状御返事」に書いてあるのは、どこの一切経なのか
断定までは出来ないけど、たぶんに清澄寺ってかんじもする。それはともかくだよ、
要するに何度も見てきてるってこと。

以上、清澄寺にどれほどの経典があったのかは分からないけど、貴重なものであった
のには変わりないし、規則だってあっただろう。それは入門者、正確には出家もまだ
していないんだから入門もしてないような、子供の大聖人が閲覧してよいものではな
かったはずなんだ。当時、修学の人がいなかったのなら、だいたい雰囲気は想像でき
る。自分たちが読みもしないなら、どうぞと言うと思うかな。ふつう。自分たちが読
みもしないほどの大切な経典だよ。権威の象徴。実際に経年劣化するし、店で売って
るものではなく、それぞれに縁起があって大切。それなら、勉強したいと子供がねだ
っても渡せるはずがない。それを道善房は許したんだ。勉強のことなんか何も分から
ないけど、必死になっている大聖人を見て不憫と思えるほど心を動かして、経蔵の鍵
か何かを渡したんだろう。それによって大聖人はずっと思いを寄せていた経典を閲覧
して、見ることができたんだ。

そして私は、証拠は他にもあるって言ったよね。なぜならば、本格的な勉強が16歳
のスタートだと、どうしてもあとで辻褄が合わないもの。
大聖人の学問の途中経過を記した御書があるの。

法然・善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八 の時よりしりて候いき」
 (南条兵衛七郎殿御書、P1498)真蹟現存。


これって何げにすごくない? 浄土宗の開祖、法然とその中国の祖師の善導とかが書
いた法門のことは、17歳から18歳のときにはもう知ってたよと。さらっと書いてある
んだけどさ、この浄土宗の法然は、学問への探究態度がすごくて「智慧第一の法然房」
と比叡山などでも言われてた人なんだ。勉強量が半端ないので知れ渡ってる。大聖人
だってそれは御存知だよ。御書には、法然も17歳で一切経を5回も読み、天台大師の
著作、摩訶止観とか、法華玄義とかの60巻、諸宗の全てを知ったと言ってたんだって。

「日本国には法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡
 り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり」(念仏無間地獄抄、P97)
 真蹟なし。


 ※ 念仏無間地獄抄 真蹟はないが、写本に三宝寺本、本満寺本が伝えられてる。

天台大師の止観とか玄義をだよ。法然はそれを全部読んでるの。大聖人は法然を決し
て侮ったりしてないから。それを認めてなお、別の御書では、たいしたことがないん
だと。あいつってば、読み方が謗法だから、どうとも思わないって言われてるんだ。
そしてこっちの御書では、その法然が生涯で考えたことぐらいは、17歳か18歳の
ときにはもう知ってたからねって言われてるの。

大聖人が清澄寺から、最初の鎌倉へ遊学に行ったのは、17歳だと言われてるんだよ。
17歳で留学して、初めて一切経に並ぶくらいの経典を見ることができて、天台大師
の著作もそれから学んで、それで浄土宗の法然の書き残した法門を把握したと言える
ほど勉強して、そのむこうにまだ中国の善導がいるの。この人の書いた法門、たぶん
それは梵字で書かれたものを翻訳したものになるのかな、それを把握してって、無理
無理、無理。ちょっと考えたら分かりそうなことだろ、これ。大聖人に無茶苦茶を期
待しすぎだよ。

大聖人が17歳、18歳で知っていたとされるのは、そういうことなの。世の中の誰
よりも知識量が豊富だと言われた日本の法然。そしてその根拠となる中国の善導。彼
らが知ってるのは天台大師だけじゃないからね。彼らの著作には当然ながら竜樹菩薩
や中国のお歴々の見解が登場するの。その知見の深さがどれくらいって、これまでも
法然の邪義に戦いを挑んだ天台宗の人たちがいたんだけど誰も勝てなかったんだから。

16歳デビューですなんて無理なんだって。夢をみすぎ。屋台を引きながら三ツ星の
称号をもらおうとしてるようなもん。手を広げたら空を飛べるとでも思ってるぐらい。

法然の場合は、9歳でお寺で正式に勉強を始め、13歳~15歳では比叡山に行き、
17歳から一切経を5回は繰り返し読んだ。そして、43歳のときに善導の「観経の
疏」を読んで感銘を受けて浄土宗を始めたみたい。経典の学習時期が早いよね。法然
は17歳から一切経だけを読んでただけではなく、他の論師の著作を読み、他寺まで
足を延ばして、そうして、43歳だ、そのときに善導が語る法門をくみ取って、専修
念仏を始めた。それで大聖人は、その智慧第一と世間から讃えられた人の到達点を、
そんなぐらいはね、と言われてるんだ。法然がたどり着いた善導のこともみんな、彼
らが書き残した法門を把握していたよっていうのは、単に知ってたってぐらいでこん
な言い方をする大聖人じゃないからね。法然や善導が依典とした人たち、それらみん
なを理解して把握していたということになる。恐ろしい勉強量と言わざるを得ないん
だけど。

法然なんかなんて馬鹿にしてはいけない。御書には、法華経の相待妙・絶待妙の解釈
で比叡山や園城寺の天台宗の人たちでさえ理解していない法門について、法然はそこ
まで天台大師の意図を知っていただろうとされているんだ。

「此の意を存じ給いけるやらん法然上人も一向念仏の行者ながら選択と申す文には雑
 行難行道には法華経・大日経等をば除かれたる処もあり委く見よ又慧心の往生要集
 にも法華経を除きたり、」(一代聖教大意、P405) 真蹟あり



  • [966]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月23日(金)00時03分7秒
  • 返信
 

No.016 【生い立ち編】⑪


それでも開基から数百年も立つ寺院になら、全ての経典ではないにしても相当数の経
典があっても、おかしくはないはずだと思うの。大聖人の時代に修学の人がいないに
してもだよ。

大聖人が一切経を閲覧したのは、正嘉元年の地震の翌年(37歳)ごろから翌年か翌々
年(39歳)に岩本実相寺に入られたことが有名なんだ。立正安国論を提出される前に
検索されたらしいし、その間にいくつもの御書を書かれてる。だけど、この2年間が
一切経を初めて見た機会だったなんてことは普通にまずないんだから。少なくても、
比叡山に遊学中に見てたはずなんだわ。だから岩本実相寺が初見というのは間違い。
報恩抄にも修学中に「一切経を開きみるに」ってあったもんね。しかもとてもそれが、
初見って感じの悩みかたじゃなかったよね。もしも見たことが無いのなら、他宗に従
わない云々なんて決意じゃなしに、初めて見てみたらと謙虚に述べるはずだろう。本
尊問答抄になんか、たまたまの「一切の経論を勘て」だよ。初見の感動も何もない。

そして「清澄寺大衆中」は、真蹟はないけど、それを受けると、一切経を見て諸宗の
勝劣をほぼ知ったのは、12歳からそれほど離れていないことになる。右の袖に宝珠
を受け取って、そのおかげで「故に一切経を見候いしか」だからね。これ清澄寺だよ。

ちゃんと書いてあるのに、なぜこの文章をそのまま読まずに、不思議話にしてしまう
のか。こっちが現代人の視点に不思議な思いを抱くわ。なんでだろうと。そうして諸
宗の勝劣を知ったんだ。大聖人が一人だけだよ。道善房は絶対に知らないの。だって、
本尊問答抄の一切の経論を勘て十宗に合せたるに」(本尊問答抄、P370)の続き
は、諸宗の失点を知ることができたんだと言ってて、そしてそのあとの文章は、

「此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため諸経の要文を集めて」 (同、P371)

だからね。大聖人一人だけが考えて知ったって、道善房が知らなかったことを暗に、
じゃなくて明白に述べてるんだけどね、これを知ったから、仏法と国が亡びないよう
に諸経の要点を集めに(今度は岩本実相寺に行って)、立正安国論を提出したってこ
と。

清澄寺に一切経があったのではないかという文献上の根拠は、あとで出すけど、
「強仁状御返事」に文永元年7月の彗星を見て、一切経を調べに行ったと書いてある
ことだよ。その9月には、他でもない、安房の清澄寺方面に行ってるんだからね。
うーんと、でもここは詳しい事跡は残ってないからね。でも私のす・い・そ・く。

つまり時系列からいうと、岩本実相寺やそれから鎌倉に遊学に行く前に一切経を読ん
で諸宗の勝劣をすでに知ってたということ。しかも比叡山で諸宗の教義をほぼ掌握し
たのでもないのは、他の証拠からも言えるんだけど、この「清澄寺大衆中」を読むと、
すでに12歳で智慧の宝珠をもらったら一切の経論を見ることができたと述べてるん
だから、清澄寺においてほぼ掌握したということになる。それじゃなんで立正安国論
を書くのに、清澄寺じゃなくて、岩本実相寺なんだよって思うかな。清澄寺は追い出
されたからだよ。様子を見に行くくらいならともかく、長期間の滞在だったらそれは
大問題だろ。敵対者から狙われてる身だってことをお忘れなく。それなら岩本実相寺
も危ないんじゃないかと思うかもしれないけど、そうではないのはずっと後で書くつ
もり。御書にある布教戦略の通りだからね。

それに岩本実相寺にある一切経というのは、日本で書き写したものではなく、慈覚大
師が唐から持ってきたもの。つまり正本にあたるの。きちんとした文章を書くのに、
正確を期して出来るだけ書写の間違いのない、正本の方を見たいと思うのは、人の常
というものだと推測できる。そういうわけで岩本実相寺なんだよ。



  • [965]
  • クジラさん

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月22日(木)23時58分28秒
  • 返信
 
了解いたしました。ありがたきことです。
他のにぎやかそうな話題にも参加させていただきたいのですけど、今はとても無理です。

  • [964]
  • モウさん( ^ ^ )/□

  • 投稿者:クジラ
  • 投稿日:2016年12月22日(木)06時53分12秒
  • 返信
 
おはようございます!
スレタイトルですが、モウさんの好きなものにいつでも
変えれますので遠慮なく言ってくださいね!
投稿はそのまま喧嘩スレでお願いします。
できるだけ前の分から掲載したいんで。
モウさんの書かれる努力と比べれば移すのは簡単な事ですよ♪( ´θ`)ノ
あ、それと基本的には投稿パスワードがかかっていて書込みができなくなっています。
モウさんが直接書きたい時には、パスワードをお知らせしますので
いつでも管理人メールで連絡してくださいね!
モウさんの投稿を沢山の方々が楽しみに見ています。
大変な作業だと思いますが、これからも宜しくお願いします( ̄▽ ̄)


  • [963]
  • クジラさん

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月22日(木)00時29分32秒
  • 返信
 
こんにちは。
移設の件、本当に恐縮です。でも移すのは大変な作業のような気がします。どうかほどほどによろしくお願いします。
他の方が投稿されて後ろの頁に下がっていくのは仕方のないものだと了解しています。
この連載もそちらに移動したほうがよいのでしたらお教えください。

  • [962]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月22日(木)00時21分31秒
  • 編集済
  • 返信
 

No.015 【生い立ち編】⑩


当時の清澄寺がどんなだったのかは、正確には分からない。御書には当時の日本には
一万を超える寺院があったんだって。

「今又日本国一万一千三十七の寺並に三千一百三十二社の神」
(諌暁八幡抄、P583) 真蹟あり

当然、安房の国にも多くの寺院があったと思われるけど、清澄寺は、ちょっと格が違
うんだからね。千葉県の安房郡誌にある清澄寺の寺伝によると、清澄寺は12の僧房
を持つらしい
から、地方の寺院とはいえ相当に大きな寺院だということなるんだ。
道善房はその一つの房の住職ということになるのかな。また慈覚大師(864年没)の
開基ということらしいから、それが本当だったら360年余の歴史がある古刹になる。

それなら、そこそこの量の経巻などがあってもおかしくはないんじゃない?

私は、清澄寺がどれほど大きな寺だとしても、「一切経」は、ないだろと思ってた。
一切経は、全部で5千巻とか7千巻とか言われてるけど、数がはっきりしないことか
らも、実数は数えきれないくらいにあるもんだろうと思ってたの。つまり比喩として
一切経と言ってるだけで、5千巻とか7千巻なんて、書くのも読むのもちょっと尋常じ
ゃない量だと思っていたから。でも調べてみたらそうでもないらしい。

一切経とは、中国唐代(730年)に「開元釈経録」として仏教の経律論が5048巻に、
まとめたのを言うんだって(見たことがないけど)。それで経典では5千巻もあるの
に、その書はわずかに20巻なんだって。なんだそれは。 それから「貞元新定釈教
目録」(800年)になると30巻。日本の大正から昭和初期ごろの出版物「大正新脩
大蔵経」には、11970巻の経典等が収められてて、目録とか図版を除いた現在の日本
の経典は全部で29巻で収まってるらしい。税込で470,880円(買えんわ!)。

「らしい」というのは、どれくらいの量か見たことなんかないからね。でも現代の書
籍にして20巻や30巻だったら、ちょおおと読むのは大変だけど、無理という量で
はない。そう、読むだけならね。書写するのも、一字を書くのに手を合わせてたんじ
ゃ大変だろうけど、正確さと伝えることを最重要視して書写すれば、何十年もかかる
というほどの数字ではない。写すだけに専念すれば一人でも出来るぐらい。いや、侮
っているわけではないよ。当時の事情と今日は違いすぎるからね。経典を見せてくれ
るなんて貴重なことだったろう。なぜってどうしても閲覧すれば傷むからね、和紙だ
って。管理もきちんとしないと書いた経巻も劣化していくから、和紙だって普通なら
何十年ももたない。日にも焼けるし、夜なら灯に使う油だって貴重品。しかも消しゴ
ムもないから基本的に文章を間違えれ、ばその紙全体を捨てることになる。書いたら
書いたで乾かして、ノリで張り合わせて先に書いた紙に繋げていかないといけないし、
新聞の切り貼りとOCRの作業が同時にくるようなものなんて、考えただけで大変そう
だわ。

要するに、神聖なものであると同時に、貴重で、かつ、基本、使ってるうちに劣化する
ものなの。それを、おいそれとは貸してくれないだろうって。少なければ少ないなり
に、多ければ多いなりに僧侶にとって権威でもあったはずで、お寺にとって大切なもの。
そんな貴重なものを、入門したての、出家もまだしていない小僧(しょうそう)にだよ、
軽々に貸し出してくれるものか、考えてみれば、誰にでもわかることだろう。


  • [961]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月21日(水)00時09分23秒
  • 返信
 

No.014 【生い立ち編】⑨


ここの御書、さっきの御書とほぼ同じ表現で、明るく輝く大きな宝珠を受けとって、
でもそこからが違う。右の袖に受け取ったんだって。そのおかげで一切経を見ること
が出来たんだって。ここまで具体的に書いてあれば、分からない人がおかしいよね。
ああ、私にだって何をもらったのかなんてもちろんわからないよお。でもこの御書を
送った兄弟子らが知らないはずはないからね。私たちには別に分からなくてもいいの。
具体的に何か、勉強できるための機会となる閲覧のパスポート足りえるもので、それ
が何でどんな形をしてるのかなんてささやかすぎて、どうでもいいぐらいの事だけど、
それを授かったおかげで、念願がかない、勉強することができたんだということは容
易に分かるよ。というか、書いてあること、そのまんまだからね。

一切経の閲覧とあるから、これは将来、つまり16歳に出家して遊学できるパスポート
だとも考えられるけど、そんなものを12歳の入ったばかりの子供に与えられっこな
いだろ。遊学の学費とか誰がそんなことを早々に決めてくれるというのか。よほど才
能があったとしても12歳で入門したばかりの子供に、留学が決まりましたなんてお
かしすぎる。それに後の勉強量から言うと、16歳で本格的な勉強がスタートして、
経典類を把握しだしたと考えたりするとつじつまが合わないんだ。無理がありすぎる。
だからこれは12歳から近くのことだよ。文章の通り、日本で第一の智者にしてほし
いとの思いを目の当たりにして、それがあまりに不憫だからと便宜を図ってくれたん
だと。それが大聖人にとっては、分不相応に思われていたことで、その最大の障壁を
突破したからこそ、最大の感謝になっている。単に子供が誓願だと言って祈ってるの
を見つけただけで、大人が節を曲げてまで便宜を図ることなんてないだろう。その思
いを裏付ける何かの行動、人の心を動かし感動をもたらすような行動があったから、
道善房は、折れざるを得なくて、その何かを与えたんだ。

それが何か。法華経とかかな。法華経は八巻とか十巻もあるのに。右の袖の中に入れ
られるかどうか、挑戦しないと、ちょっと分からないけど、たぶん無理がありそう。
だいたい一切経を知ることができたと言えるほどの知識量だよ。だいたい、子供が漢
字ばかりの法華経だけを全巻もらったって、たとえ暗唱は出来るようになっても、意
味なんか分からないから。同時に解説書が無ければ、誰が教えてくれるんだよ。

ところで入門したばかりの小さな子供に、経典とか、そんな貴重品を貸してくれるも
のだろうか。そう思うとそこだね。普通はどんな社会でも、必ず段階を踏まえて勉強
させるし、そのためには他の雑用が出来ることが大切だし、それらを含めての修学の
はずだろう。当時の経巻がどれほど大切なものかは言葉を尽くすまでもないことだ。
経典は大量生産よろしくサラサラと書き移すような類のものではもちろんない。御書
には、清澄寺の僧侶が法華経を書写している描写があるんだけど、一字を書くたびに、
三度祈る習慣があったみたいで、みながそうなのかは分からないけど、それくらい大
切なの。

「円智房は清澄の大堂にして三箇年が間一字三礼の法華経を我とかきたてまつりて十
 巻をそらにをぼへ、五十年が間一日一夜に二部づつよまれしぞかし、かれをば皆人
 は仏になるべしと云云」(種種御振舞御書、P923) 録内。


たとえ経典を読むようになっても、修学用に準備された幾つも写本があるものからで
あって、貴重な書物を文字通りの小僧にすぐに貸し与えるなんてないよ。どの社会に
も権威があって、規則があるはずなんだ。まさか入山したての者に、経蔵にある貴重
な書物や経巻を自由に閲覧してよいなんて、まさかまさか、無いだろ。


  • [960]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月20日(火)00時16分24秒
  • 編集済
  • 返信
 

No.013 【生い立ち編】⑧


このあとも道善房の話が続くんだよ。だからずっと道善房の話だよ。
もう一度、さっきの文に戻ると、虚空蔵菩薩に誓願したら、現れた道善房が何かをし
てくれたおかげだとちゃんと言ってるよね。

つまり、この高僧とは、暗喩でなくて、なにかを隠すつもりでもなんでもなくて、そ
のまま道善房のことだよ。当時の身内が知ってるとおりだから、唐突にも高僧が現れ
てと格調の高い雰囲気の口調でここは語られてるんだ。誰からそんな機会をもらった
のかは教義上では重要ではないから、だから他の御書には、ほぼ同じシーンで「高僧
から授かったこと」だけが省略されてたりするの。私的なことをつらつらと詳細に書
いても仕方ないだろうからだね。でもここの「善無畏三蔵抄」は道善房のことが書い
てある御書だから、そこは抜かせないというわけ。

上記の文章を読めば普通にわかる。誰でもそこはOKだと思うんだけど、でも宝珠って
何だよってところで引っかかるんだ。大聖人に智慧を授けたんだから、最重要なこと
だし、それが道善房だとすると、ちと物足りないってわけ。役者じゃないだろって。

なんでそうなるのと思うけど。他の御書で書いてあるのを見てきてるのにね。大聖人
が諸宗を破折できる智慧を得たのは、具体的に、学問によってだと。他にないから。
そのために知識を得る道を志したんだと。勉強によって諸宗のことを知ったんだよ。

当然と言えば当然で、智慧を賜ってすぐにパッと諸宗の欠点を知ることが出来てさ、
後年、徹底的に破折するようになったなんて馬鹿げてるんだ。諸宗の教義に失点があ
ると気がついた人は何も大聖人だけではないから。御書にはいろいろ出てくるから。
天台座主の顕真とか。でも彼らは、大聖人ほど掘り下げて勉強しなかったから途中で
負け、結果、浄土宗や慈覚・智証の天台真言宗がはびこる世の中になったわけだ。

彼らの悪を証明出来るまでに徹底的な学問をしたのが大聖人。何十年もかけてだよ。
道善房から授かったのは、諸宗の要点とか、法華経の意義ではないかという説もある
けど、それも違うんだよ。それらの説によると、道善房は法華経が正しいと心では知
ってたけど、臆病(御書にそうある)だったので、自分は保身に任せて大聖人にこっ
そりと教えたのだとか。大聖人の道善房への恩の感じ方が半端なく見えるから、そう
いう風な発想になるんだろうか。そうでもなければ、こんなにだらしない師匠、自分
の幼少期の師匠と言うだけで、謗法で、大聖人のことも大切にしない人なんて、どう
して恩を感じることなんかあるわけがないという論理なの。違う。違う。違う。違う。

それは反対だ。大聖人は、謗法に関しては手厳しい。なぜなら人を不幸に落とすこと
になるからだよ。この善無畏三蔵抄の後の所にも書いてあるけど、師匠の道善房に対
してさえも、清澄寺から追い出されて疎遠になってたの(「此の十余年の間は見奉ら
ず」P889)を久ぶりにお会いして、人間関係を重視して穏やかな話の内容にすべきな
のが礼儀だと思いつつ、「無間地獄に堕ち給ふべし」(同)と言ったら、相手も居合
わせた人達も「こころえずげに思いておはしき」(同)と、「何言ってるんだ」と、
すごく反感を買ってしまったのだと。その他、大聖人の謗法への対応は、他にも恩を
受けた人たちにも本当に厳しいんだ。このことは状況を考えれば、当然すぎるぐらい
のことなんだけど、それもまた今度。その謗法の峻別さと、人間的に大切に思う気持
ちは全く別だから。恩は恩なの。

お寺の師匠だったのだから教わることは当然多かったはずなんだけどね。それでもこ
の御書にある、道善房から授かった宝珠が、知識そのものだったら、さすがに多くの
御書と矛盾する。善無畏三蔵抄にも道善房は「我智慧なければ」(同、P889)と大
聖人に向かって言いわけをしてるし、本尊問答抄にも、清澄寺は「遠国なるうへ寺と
はなづけて候へども修学の人なし」と、清澄寺には学問を修めた人は誰もいなかった
と言われてるから。だから大聖人もあちらこちらに勉強しに行ったわけなんだけどね。
そんな道善房に何をもらったんだろうね。

具体的にはどこにも書いてないから分からないけど、だいたいは想像で補えることで
はないかな。伝説では、故郷の浜辺の砂に子供の大聖人が文字を書いてるのを見て、
道善房が寺に入るようにとりはからってくれたとか。多かれ少なかれそんな話かも。

大聖人を見つけてくれたのが道善房だとか、両親はどこかの時点で反対してるはずだ
から、清澄寺に入るときに反対されたのを道善房が強く進めてくれたのかもしれない。
両親にしたら清澄寺への入山は怖いよね。12歳で決意してる子供。今までの話を総
合すると、絶対に自分たちの所には戻ってきそうにないもん。でも大聖人のたた一人
だけのその決意は固かったんだ。だから清澄寺に入ってすぐの12歳の時に虚空菩薩に
誓願を立てたんだ。そこの決意の部分に道善房が立ち入る隙なんてないよ。道善房は、
虚空蔵菩薩の御利益として現れてくれた高僧なんだ。上の御書にそうあった通り。
その高僧がくれた宝珠とは何か。夢のような世界ではないのなら、具体的な何かをく
れたはずなんだけど。はたして法華経だったのかな。あるいは天台の法華玄義や、他
の要点をまとめた解説書だったのか。

次の御書にはもっと詳しい。これも清澄寺関係者、というか同じ人への御書だから。

生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりし事ありき、日本第一の智者となし給へと申
 せし事を不便とや思し食しけん明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候
 いし故に一切経を見候いしかば八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ、」
 (清澄寺大衆中、P893) 真蹟なし


ここまでくると、「生身の虚空蔵菩薩」という表現が師匠の道善房のことだと分かっ
てるよね。具体的にここまでの表現で讃え方となると、大聖人が大恩に感じるのは、
自分を見い出したことや、清澄寺への入山のときなどではなく、この宝珠をもらった
ことに対して、何よりも大きな感謝をしているように受け取れるわ。ということは
その他のことでは、それほどお世話になった事実はないんだろうなってことだよ。


  • [959]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月19日(月)06時58分4秒
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No.012 【生い立ち編】⑦


でも今は、見てほしいのは、法華経と諸宗との論理じゃなくて、幼いころの誓願につ
いてなの。だから、真蹟のある本尊問答抄の「仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て」
の文章をもう一度みて! 見てほしい。本当に見てみてよね。これくらい書いたら見て
くれるかな。誓願しただけじゃなくて勉強したことに繋がってるのをよおく見てほし
いの。「勘(かんがえ)て」って考えることだから。

仏さまに祈ったら勝手に賢くなったんじゃなくて、祈って経典を勉強して、そしたら
分かったんだと、そう言われてるわけ。ここに「智慧の宝珠をもらったら賢くなりま
した」というよな伝統的な解釈が本当なら、そのことを省略してるなんてことは恩知
らずすぎて、不自然だよね。祈請して勉強して分かったんだと。もちろん、仏菩薩に
感謝する気持ちもあるけど、そこを省略されてるんだから、やっぱり何かを祈ったら
くれたんだみたいな理解はおかしいの。もし虚空蔵菩薩みたいなのが本当に現れるん
なら、観心本尊抄で迹門の釈尊や諸仏の消滅(本当はいない)なんか説かずに、本当
にいるんだよっ、この世にいるんだっ、と、言うこともずいぶんと変わってただろう
から。だからそんなことありえないってことを明言しとくわ。それでも理解できない
人は、十字御書をよおく読んでおくんなさいまし。これ以上に分かりやすくいうこと
は出来ませんぜってくらいに明らかだから。


「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば或は地の下と申す経文もあり或は
 西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみ
 へて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地
 獄其の人の心の内に候、」(十字御書、P1491) 真蹟あり



あと修学時代の祈請したのと、12歳のときの誓願を、同一視するのはどうかと思う
人もいるかな。それをどうかと思う人を私はどうかと思う。そういう疑問を抱く人が
いるなら、誓願とか絵に描いたようなものしか想像してないんだと思うの。もう一度、
破良観等御書のほうを見てみよう。12歳の時からって書いてあるんだ。継続中だよ。
12歳のときに1回だけ祈ったなんて、そんな誓願あるかいっ。毎日毎日、ずっと思
い、祈ってるんだよ。自分の行動と合わせてるんだから。続いてるんだわ、誓願が。
それに気がついてほしい。立宗の時までかな。諸宗の失を知ることができて願いが叶
ったもんね。違うって。一生だって。誓った思いは続いてるの。だから後世の御書で
も振り返って、「十二の年より」なんだよ。自分一人が知ることを誓願したんじゃな
いもの。人びとに知らしめるまでが誓願なんだから。

次。幼少期の誓願でみんなが不思議がるのが、次の御書だ。あのね、全然おかしくな
いんだけど。

「幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云く日本第一の智者となし給へと云云、虚空
 蔵菩薩眼前に高僧とならせ給いて明星の如くなる智慧の宝珠を授けさせ給いき、其
 のしるしにや日本国の八宗並びに禅宗念仏宗等の大綱粗伺ひ侍りぬ、」
 (善無畏三蔵抄、P888)真蹟なし、録外。


これも清澄寺関係者に送られた御書だからね。事情は知られているの。この御書では
師匠の道善房が謗法をちょっとは改心してよかったよという、道善房のことを話題に
して言ってるんだ。前に私は、誓いを立てたのが、たまたまそこにあった虚空蔵菩薩
だったって言ったけど。今度のこの御書では、虚空蔵菩薩が人間になって現れたんだ
って。それ誰のことかな。まさか不思議な姿の高僧が現れて、不思議なものをくれた
のかって。そんな話をここでしていたら、読んだ人はびっくりなんだって。でも違う
から安心してね。高僧だというんだけで、名前をあげてないんだけど、この御書では
道善房のことを語ってるんだから、普通に考えれば道善房なんだわ。それゆえにだ、
ここでは智慧の宝珠を授けてもらったおかげで、その結果、日本国の諸宗のことをお
おむね知ることが出来たと。あれっ、さっきは決意して勉強したおかげで諸宗のこと
を知ることができたとあったのに、今度のこの文章では智慧の宝珠だと書いてるね。
何かあったんだろうか。関係者にだけ分かる暗喩かな。そしてこの文章の続きは、そ
のことで諸宗のことが分かったし、そのおかげで立宗後には諸宗を破折でき、彼らは
自分たちの教義が存在の意義すら失ったと感じたほどだったとあって、結局、その数
行あとにこう述べている。

「此の諸経・諸論・諸宗の失を弁うる事は虚空蔵菩薩の御利生・本師道善御房の御恩
 なるべし。」(同。P888)

(意訳:この諸宗の罪を明らかに出来たのは、虚空蔵菩薩の御利益、私の師匠の道善
 房のおかげだ。)


と。ようするに、やっぱり道善房のこと。同じ宛先の御書にだけある表現なんだ。


  • [958]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月18日(日)01時11分22秒
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No.011 【生い立ち編】⑥


次に本尊問答抄を見てもそうなのがわかる。

「生年十二同じき郷の内清澄寺と申す山にまかり登り住しき、遠国なるうへ寺とはな
 づけて候へども修学の人なし然而随分諸国を修行して学問し候いしほどに我が身は
 不肖なり人はおしへず十宗の元起勝劣たやすくわきまへがたきところに、たまたま
 仏菩薩に祈請して一切の経論を勘て十宗に合せたるに・・・」
 (本尊問答抄、P370)日興上人写本(断片)あり


本尊問答抄のこの文の後は、諸宗の悪いところを一つ一つ簡潔に述べて、それを知っ
たから、経典をまとめて立正安国論に書いておいたんだぞっていきなり39歳の時の
ことにつながるんで後の文章は省略した。でさ、ちょっとお。これ見てよ、文章中に、
たまたま」ってある所。私、虚空蔵菩薩なのは「たまたま」だったなんて、世間か
ら顰蹙かいそうだったけど、修学時代のころでも「たまたま」って書いてあるわ。
鬼の首を取ったように騒いでもいいかな。

そしてこれを報恩抄の最初のほうの文章と重ねると、17歳ごろに清澄寺から出て、
あちこちに遊学したあとの話で、それでも「十宗の元起勝劣」は容易に判定できなか
った。それで仏菩薩に願って、それでやっぱり天台大師の手法だからね、それで見て
みたら、法華経の最優先がそれで明確になったってこと。この本尊問答抄だけだと、
大聖人は遊学後も全く何も諸宗の優劣が分かっていなくて迷いの中にあって、仏菩薩
に祈って一切の経典をみたら(しかも「たまたま」だよ)、急に諸宗の悪い点が分か
るようになったって言ってると思えるわけ。事実、そう書いてあるしね。だけど、
報恩抄には天台大師の手法に習ったことを明かしていたから、法華経に辿りつくのは、
普通に、わかりきってることなんだよ。ではそう分かってて、なぜ前に進めなかった
のか。いったい、何が引っかかっていたというのか。これを普通の人は法華経の意味
をまだ見いだしてなかったんじゃないのとか想像しがちだけど、まさかだよね。そん
なの違うから。とっくだよ。

実は書いてあるとおりで、諸宗のやりかたが、なぜ駄目なのかが分からなかったの。
なぜなら当時の世の中の他の、み―――んなが、そうだったから。法華経がいいのは
分かってるの。だけどなんだかんだと言って、それを引きづり下ろして、違うやりか
たを宣揚したわけ。「これが法華経の修行だ」と言いながら念仏を唱えてたんだよ。
それでもいいんだよって。わけわからんて思うかもしれないけど、それが当時の天台
宗の推奨してたことなんだ。そんな変な修行方法を薦める論理をどこからもってきて
たのかというと・・・これがまた天台大師の言ってたことに由来するんだ。だから、
容易に払いのけられない。他の諸宗の論理もそんなかんじ。つまり、この御書に書い
てあるような単純な図式そのままじゃないってこと。もうね、この時代は、法華経と
他経典の単純な背比べの時代ではなかったっていうわけなの。
知ってる人も思い出し
てほしいわけ。法華経が優れてるのは認めながらも、「でも、」っていう別の視点で
話を進めてきて、結局は法華経をけなすんだという絡め技だったわけなんだよ。
だから、法華経の修行こそが正しいのだとする論理、他宗がなぜ誤っているのかは、
実は、報恩抄で書かれたほどに簡単で分かりやすいものではないのよ。これを大聖人
は難しい所を省略して、明確に分かりやすい論理として、報恩抄のほうでは、法華経
の最優先が明らかになったと述べられ、本尊問答抄のほうでは、諸宗の悪い点が一つ
一つ分かったと単純化して述べられてるの。両御書の結論は明らかに表現が違うよね。
それは分かりやすく話を省略して述べてるってこと。あっ、そういうことだから嘘じ
ゃないんだからね。

両御書の本文に従えば、諸宗の法華経はいいけど駄目なのっていうややここしい論理
の中で、諸宗の言葉を捨てて、もう一度原点にもどろうとして、諸宗が勝手に使って
る天台大師の言葉ではなくて、天台大師自身が教えてくれた、経典の言葉を大切にし
ろという考えだけを頼りにつきつめてみれば、全ての問題が溶けて、法華経はやっぱ
り第一で、諸宗は誤っていたことがよくわかったということ。そう解釈すべきだって
根拠は、私の想像じゃないのよ。なにせ、大聖人一人だけがこの諸宗の悪を知ったの
だと言われてるからだよ。開目抄とか他の御書でもいろいろあったよね。自分一人だ
けが気がついたんだと。単に諸宗が悪いことなんかだと、今までの人がいっぱい言っ
てるもの。立正安国論でも浄土宗が悪いことは、過去の人がさんざん指摘してきたこ
とだって書いてある。それでも諸宗がなぜ悪いのか、その根源に気がついたのは、自
分だけだって。これ、立宗宣言の前の話だからね。
そのややこしい論理のところだけは、あとできちんと述べるからね。大切な所。

とりあえず大聖人が法華経を最優先に考えだしたのは、いつのことなのか。
文証で追えるかぎりだと、最も古い著作の一つの「戒体即身成仏義」だとされてきた
けど実は経年が違うの。それについては、先に挙げておいた書籍を読んでね。

あとは「清澄寺大衆中」という御書をみると、子供の時に清澄寺にいた頃か、その後
のころには、もう諸宗の勝劣が分かっていたって風にも読めるよね。

「明星の如くなる大宝珠を給いて右の袖にうけとり候いし故に一切経を見候いしかば
 八宗並びに一切経の勝劣粗是を知りぬ、」(清澄寺大衆中P893)真蹟無し、録内。


真蹟が無い御書だからって全否定は出来ないよ。もっと子供の時かもしれないしね。
みんなが驚くような昔からかもしれないって、そうは思わないかな。子供の時に法華
経の最優先を知ったからこそ、「随分諸国を修行」して、それからなお、悩まねばな
らない課題がいっぱいあったんだろうなって。


  • [957]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月17日(土)00時29分9秒
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No.010 【生い立ち編】⑤


まず、12歳になにがあったのか。
12歳以前、それは文献の記載が無いんだから、真面目に考えれば書きようがないから
無くても仕方がないんだけど。やっぱり寂しい。寂しいからっつても想像だけで話を
作っちゃいけないのは分かる。御書には、学問を始めたのは幼少の頃からだったとよ
く書いてある。鎌倉時代の「幼少」とはいつ頃まで指すのかは、私のはっきりとしな
い記憶では、12歳未満だったら幼少と呼んでもいいのかなって、そんな感じだった。
当時は、子供の扱いからいきなり大人っぽい扱いになるみたい。ただ12歳から初等教
育というのは、どっちかというと早くはないね。普通(私の記憶だけど)、7歳~12
歳ぐらいでお寺に入って勉強もさせてもらえるけど、それは小間使い的な立場で、
掃除洗濯とかパシリとか。それを15歳くらいになると卒業して、そこで僧侶の道を選
んでお寺に残るか、お寺を出て地元に帰るかに分かれるんだ。要するに当時の小学校
みたいなもんだわ。なかには、12歳で九州から一人で鎌倉まで歩いてきて、頭すら剃
ってない子供なのに八幡宮の前で昼夜に法華経を暗唱していたという話が御書に出て
くるけど、そんなのは特別な場合なんだろな。大聖人が12歳で入山したのは、幼少と
言えないことはないけど、どっちかというと遅いほうなんだよ。今でいえば小学6年
生の歳だから。小学校をもう卒業する年齢なんだから。

「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが」 (妙法尼御前御返事、P1404)真蹟あり

だけど大聖人が幼少の時から勉強したって言ってるのは、そんな清澄寺への入山と同
時というわけではなさそうね。清澄寺に登ったそのあたりの経緯は、はっきりとしな
いけど、勉強し始めたことについては先ほどの報恩抄にもいくらか書いてあったよね。
大聖人は、何となく勉強し始めたんじゃなくて、世の中の人を救おうという強い動機
があって学問を始めたんだ。それは御書のあっちこっちに散見できるけど、この報恩
抄の最初のところでも、父母の思いに逆らっても時間を作って、智者となる道を選ん
だとあっただろ。


次の「破良観等御書」は、真蹟がない御書だけど、これだと時系列がわかるんだ。

「予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より学文に心をかけし上大虚空蔵菩薩
 の御宝前に願を立て日本第一の智者となし給へ、十二のとしより此の願を立つ其の
 所願に子細あり今くはしくのせがたし、」(破良観等御書、P1292)真蹟なし


まず、「私は、みんなが知ってるように幼少の時に(意訳)」とあるように、隠して
るんじゃなくて、個人的でささやかなことだったから、詳しく書くのを遠慮してるっ
てわけ。でもみんなが知ってるようにって。子供の時から学問を心がけていたんだと。
その上にだよ、この「上」の字が忘れられがちなんだよね。清澄寺に入ってから勉強
を始めたんならこんな風に書けないよ。虚偽の報告になってしまうもの。学問を積ん
でいた、その上で12歳のときに虚空蔵菩薩に智者にしてほしいと誓願を立てたんだ
と書かれている。全部が12歳のことだったら、こんな言い方はされないよ。
清澄寺に入った年齢は12歳だと本尊問答抄に書いてある(後述)から、学問を始め
たのがその前で、学問を始めたのは人々を救うという強い思いがあったからだったら、
それらの時系列はこうなる。

 ① 強い思いを持って学問を始めた。
 ② それから清澄寺に入る。同じ年に虚空蔵菩薩に智者にしてほしいと願う。

つまり清澄寺に入山したのは、当時のわりと普通の初等教育なのかもしれないけど、
大聖人の自己申告では、みんなも知っているほど小さい時から人を救おうという強い
動機があって勉強してきて、それから清澄寺に入って誓願を立てたということになる。

ここでもう一つ。これも常識なんだけど、今の人には分からないかもだから言うと、
虚空蔵菩薩にしてくれって、ひたすら頼んますと頼るだけなのを「願を立てる」とは
言わないから。今の人が神社の前でパンパンと手をたたいて「そうなりますように」
とか、ひたすら願ってみたりするのとはちょっと違うの。そんなことだったら、わざ
わざ大聖人がここで書かないよ。案外、そこが分かってないのかもしれないから、虚
空蔵菩薩が特別視されるのかもしれないね。願を立てるのは誓願ということだから。
自分の誓いなんだよ。智者になりたいというのは、それを狙うということ。自分も精
進するから、そうなるようにと生き方を決めて、他のことにうつつを抜かして、誓い
を立てたものとして見捨てられないようにするので、どうか自分ではどうしようもな
い点を助けてほしい、そんな感じだよね。そう、生き方を決めて、実際に行動に移し
た年齢。それが12歳ということ。


  • [956]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月16日(金)07時47分44秒
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No.009 【生い立ち編】④


これで報恩抄の最初の文章の説明は終わり。ここまでずっと、仏法者として恩を忘れ
ないのだというお話だった。だったら、このあとは、感謝してる内容でも述べられる
のかというと、さにはあらず。すぐに話題を変えて、ずっと法門の話になるんだよ。
このあと、ずうっっっと法門の話だから。だいたい最初のほうの293頁から、最後の
ほうの328頁まで35頁分だから、話がどこに行くのか見えないと、ちょっと、つらす
ぎる展開に見えるよね。つらくて我慢して読んでててもねえっ。

それだと報恩抄が何を言ってるのか見失ってしまうのが心配。だから本文に沿っての
説明はいったんここでとめて、いろいろ説明のほうをば。本文にそった説明は、御書
講義をどうか読んでくださいっ。難しいけど、すごく面白いから読んでみてね。私だ
ってさ、御書講義をじっくりと読んでほしいと思ってるよ。だけどもさ、時代が離れ
すぎて、たとえ読んでも気が付かない人が増えてきたんじゃないかと心配してるわけ。
大聖人は、恩を忘れないと言われてから、なぜここから法門の長文を並べらたのか――。

仏法の歴史を述べられてるようでもあるけど、何かを伝えたいことがあるような。
もしかすると、ありえない誤解だとは思うんだけど、大聖人が仏教の話が好きなんで
つい筆が進んでしまったとかね。僧侶になって、こんなに勉強してきたんだぞと、そ
れを君たちにも教えてやろうとか。なんてことは失礼だから言わないけど、そう思わ
れてるかもしれないよね。ああっ、それはひどいんじゃないの。などと、不本意な想
像をしてしまった。

大聖人の記述はそんな底の浅いものじゃないんだ。どれほどの勉強量かだなんて、
本当に信じられない量を学んで、そこから簡単に端的に述べられてるんだよ。だって、
そこに書いてあるのは、どこかの書物に書いてあることではないんだからね。誰もそ
こまでは調べなかったことを、調べ尽くして、浮かび上がったこと、それなんだよ。

最初の頃に書かれた「守護国家論」には、「仏法の邪正・師の善悪に於ては証果の聖
人・尚之を知らず」
(P36)とあるの。どんな偉い人、他の誰にも分らなかったこと。
悟りとかを説明しようとして書いてあるんじゃないんだ。調べて調べて、誰も知らな
かったことをそこまで調べて、諸宗の歴史を探る中から、一体どうして仏法が悪くな
ったのかを書いてきてるの。その深さが、これまでの誰より群を抜いてるんだ。

私たち現代人みたいに、勉強したけりゃどこまでも出来る時代じゃないんだから。ど
れだけすごいのって、知りえるはずのない世界の果ての事情まで、中国やインドの書
物から、それぞれの宗派の起源がどうなっているのかに探りをいれているの。
そんな誰も知らなかったところまで掘り下げられて語られてるんだ。研究といえば、
これほど深い研究者なんか、過去のどの時代までさかのぼっても、どこにも、他にい
ないんだよ。

大聖人は単に勇気と行動の徳のある人物、それだけの人ではなかったということ。

しかも、その研究から端的に言葉を選んで述べられてるんだよ。この報恩抄は、法理
の中に詳しく立ち入った話はされていないの。他の御書では天台大師の法門に立ち入
ってたりするんだけど、報恩抄で書かれてるのは、そういうのとは全然違う、もっと
分かりやすい、研鑽の歴史の中からの、今、この人たちに伝えんとする結論部分みた
いなことだけだと思う。だからあっさりしすぎてて、かえってそのすごさが見落とさ
れがちなんだわ。

その大聖人の真摯な姿勢を知るのには、どうしても年齢で追う必要があるんだ。
一般的に言われてる時系列は、どこでも、こんな感じになるのかな。


 1222年に安房国(千葉県)で誕生。当時の数え方だと生まれてすぐに「1歳」。
 1233年に清澄寺に入山。「12歳」。師匠は道善房。このころ、虚空蔵菩薩に誓願
       して、智慧の宝珠を賜ったとされる。
 1238年に出家。「16歳」。名前を「是生房」と名のる。
 1239年ぐらいに鎌倉に遊学。「17歳」ごろ。
 1242年ぐらいに比叡山に遊学。「21歳」。
 1253年に清澄寺で立教開宗。「32歳」。「日蓮」となのり、題目を唱える。


学会は真面目な宗派で手堅いことしか述べないからね。これが事実だろっていえば、
そりゃ事実だけど。でも・・・。こんな表記だと、すごく誤解があるだろって気が
してならないの。どこがおかしいって?

これだとまず大聖人は12歳ぐらいに何かを始めたみたいだよ。しかも虚空蔵菩薩に智
慧をもらったおかげで何かを悟ったみたいな感じに受け取れる。虚空蔵菩薩に「誓願」
してみたら、「智慧」を授かったんだって。そりゃそう聞くと虚空蔵菩薩は上にも下
にもおけない存在としてみなも着目してしまうから。その存在って大聖人の教義上で、
どんな意義のある存在なんだってなるんだ。だってこの虚空蔵菩薩のことは大聖人は
後年にもずっと語られてるし、でもでもでも! ごく普通に考えれば虚空蔵菩薩って
謗法だろうって、どうして法華経でもっと意義のある菩薩でなかったんだ、なあんて
変なことになる。きっと、そんな大きな感違いになってしまうよ。虚空蔵菩薩の意義
が何なのか、そんなことは大聖人は言ってないんだから。
どうでもよいんだよ、そん
なことは。大聖人は真摯な歴史の事実を述べているんだ。法華経の菩薩である必要な
んて全然ない。きっと虚空蔵菩薩は清澄寺の僧房の本尊だったのか、それとも清澄寺
のほうにあると聞いて「たまたま」誓願してた菩薩像か、あるいはそこいらの道端に
あった石像か、あるいは、たまたま何か「虚空蔵菩薩」の話を聞いただけだってので
もいいの。大聖人の信仰の始まりの意義が謗法だったら困るじゃないかと思うのは、
何かの大きな勘違い。子供の頃にそんな概念はないんだから。

虚空蔵菩薩が何なのか、そんなことはどうでもいいの。なぜならもしもそれが教義上
に重要な位置づけの菩薩だったら大聖人がそう語ってるよ。
そうではないの。重要な
こと、つまり大聖人が言いたかったことは、虚空蔵菩薩に向かって子供の時に誓願を
立てたこと。これなんだよ。何様に誓願を立てたかではなく、自分が誓願を立ててい
たこと、このことなんだよ。そしてその結果、智慧を得ることができたのだと。
そのことは御書に書いてあるからなんだけど、そこから話を転がして、人智を超えた
悟りを得た、あるいは悟りの原典を得たみたいなものだったとかは後世の人々の勝手
な解釈だからね。御書にはその後に修学したり、さらに間違った教えに騙されて念仏
を唱えてたりとか、信仰への考えも深化していくんだけど、じゃあ、12歳のこのこ
ろの智慧ってなんだったのってことになる。一体、いつ悟ったのよとか。はたまた、
16歳のころだとか。自分の姿が池に映るのを見ると御本尊だったとか、とりあえず、
そういう譬え話みたいなのは忘れててね。頭から否定はしないけど、おおむね比喩で
言われてる気もするし、そこよりもまず事実を掘り下げてみることが大切だからだよ。

私はせっかちなので、虚空蔵菩薩の正体は、あっさりと言っておくけど、一部は道善
房のことでもあるんだからね。大聖人がそうだと自分で言ってるんだから間違いはな
いって。それからっ、この周辺とここから後のお話の底本は、この両書だからね。

 「日蓮伝再考」山中講一郎氏(平安出版)
 「日蓮大聖人と最蓮房」北林芳典氏(平安出版)

何年たってもそうなの。私の話の内容は上の本とは全然違うものだけど、発想の部分
から含めると引用が多すぎて一つ一つの明示は出来ないくらい。本の題名だけをあげ
ておくわ。っていうかぜひ読んでみてほしい。

では、なぜ道善房なのか。それをまた、どうして暗喩で隠さなくちゃならないのか。
理由が何かは書いてないので想像するしかないけど、理由が書いてないその理由は、
はっきりしてる。御書を送った関係者は、みんなそのことを知ってるからだ。でも文
章ではっきりと残すと、誰かから「これ、道善房だろ」と指摘されると誰かに迷惑が
かかるということ。なんで伏せたわけなんだろね。ふふ。楽しい。私はこれを「分か
ってる」と思って書いてるんだからね。ああ、正直すぎて困る。今は先を急ごう。


  • [955]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月15日(木)00時16分24秒
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No.008 【生い立ち編】③


それでも世の学者が主張するのは、大聖人が後からそう言ったところで、初期の御書
に真言宗への傾倒か書いてあるだろって。要するに信仰者の立場からみると、悟りを
開いたはずの大聖人が最初は真言を法華経と同一視していてはかっこがつかないだろ
うが、自分たちは客観的に大聖人を持ち上げないで見ているのだと、そんな風に思っ
てるのかな。でもそれは、ちょおおっと、信仰する者を侮った考え方だよ。客観性を
重んじるってのは、信仰者だって全く同じ。どこの誰にだって必要なんだから。よう
は内容なの。無考慮な結論だけを振り回すなら、学者たちだって何なのよって感じ。
信仰者とは、信じるに足るかを見据えようと、しっかりと考える人のことだよ。

真言批判を伏せたのは、布教における戦略だったんだという理由なんだ。そう言って
る御書がいくつもあるからね。でも信じられてない。本当に布教に戦略なんてあった
のかとか。難しい論証なんか本当はいらないはずなんだけど。他宗にまだ教えるなよ
って言われてるのなんか、どうしようもないほどに分かりやすい戦略だよね。そうい
うのがいっぱいあるよ。んだから、立宗の時には、どこまで学問として深かったのか、
そこは未知数のように見えるかもしれない。でも素で読むと、この報恩抄にある論理
は明確すぎてどう解釈してもひっくり返らない。
大聖人が他人の言葉を耳に貸さない、
経典だけを頼りとしていくと、本当に決意したなら真言宗の立ち入れる余地は確かに
無い。そこからすると初期のころに「法華経の勝れ給えることは、日輪の青天に出現
せる時、眼あきらかなる者の天地を見るがごとく高下宛然なり」と明確な感想をもっ
たっていう後年の回顧は十分に説得力があるんだよ。そして繰り返し言うけど、ここ
まで言っておきながら、ここが事実でなかったのなら、清澄寺の人々、なかんずく大
聖人に反感を持つ人々からもウソツキ呼ばわりされることは避けられないのだから。
そんな恥ずかしい書を清澄寺の関係者に送ってお墓で読ませるなんてあるのかな。

「最初のころは、真言もいいぞって聞いてたぞ。真言を了義経だと本心から言ってた
 くせに。円智房も、実成坊も、その他のみんなが知ってることだぞ。」と。

もう一度、なぜ法華経にしたのかについて、少し整理して考えてみよう。
本抄では、経典を公平にみたら、そういう文言があるから、正しいのだと理解したの
だと言われている。それは嘘ではないにしても、常識的に考えればだ、真実の全部と
は言えないだろう。それだけで決めていないってことだよ。前にも言ったけど、この
点を掘り下げて考えてみよう。守護国家論には、大聖人が経文を根拠にするのだと言
い出したのは、聞く側が天台大師や伝教大師の釈だと言うと、信用しなかったからだ
というようなことが書いてあるの。

「天台・妙楽の釈に於て四十余年の諸経を小乗なりと釈すとも他師之を許すべからず
 故に但経文を出すなり。」(守護国家論、P41)真蹟あり


天台大師や妙楽大師の言葉を信じてるけど、他の人が信用しないから経文を出すのだ
と。なるほどなと思える。その他にも、文永3年だと見直された「戒体即身成仏義」
にも同様のことが書いてあるよ。

「此の人の御釈の意一偏に此にあり。此の人を人師と申してさぐるならば、経文分明
 なり。」(戒体即身成仏義) 真蹟なし、録内。


法華経の優位を説いた天台大師のことをただの人だと言うのなら、経文を出そうと。
報恩抄のこの文章を見ても、人師の言葉によらずに経文だけを手掛かりにするという
のが、そもそも天台大師の手法だったんだからね。事実、大聖人の法華経の解析は、
すべて天台大師を継承してるんだ。だいたいだよ、考えてみれば、経文の上で、そう
いう仏の言葉があるからそれが正しい、それだけの事実で命を捨てるまでに正しいの
だと主張するものだろうか。そんなわけがないよね。そこに法華経の深い意味が広が
っているのを無視してるわけがないはずだから。
そこに共感を持ったんだよ。法華経
がなぜ尊いのかについては、確かに経文によって公平に位置づけを示すことができた。
とはいえ、原点に、その思想そのものへの共感がなければ、人は動けないって。結局
のところ、そこに命を賭しても悔いがない、人々を導き救っていけるんだと思える考
え方に共鳴したからこそ、それを用いて動こうと思ったのではないかって思う。

公平きわまりないはずの現代の物理学の世界でさえ、真理の探究には本人の信仰観が
反映して発展してきていると言われている。信仰の世界だって人間の世界。何もない
のにがんばらないわ。きっと大聖人だってそう。言葉でここに直接に書いて無くても、
法華経の法理こそが真に有益だと理解されたから、御生涯をかけて宣揚されたのだっ
てことだよ。これ、わざわざ言うことかなとも思うけど、常識的なそんなことまで言
わないと分かんない人がいるかもだからね。

だから、ここの法華経に至ったっていう文章も、あとで、もう一度見直すよ。
大聖人は嘘なんか書いてない。だけど、事実なんてそう簡単でない場合もあるのよ。
嘘はついてないけど、ここの過程は、本当は、もっともっと奥深いの。多くの学者は
ここで歩みを止めて、法華経だ、大日経だとか単純な図式で比べることで、安心して
しまったから、 何もわからなかったんだよ。

例えて言うならば、そう、今日はちょっとかっこつけて、終わっとこうっと。

私がどれほど多くの土地をこの足を踏んできたことか。それは歴史の事実だが。
他の誰かが私を見て、最もありそうだと思う答えを選んでも、決して、私の歴史の真
実に近づくことはできないだろう。私に限ったことでもでない話だが。
最もありそうな答えに安心して、他人への評価を終えてしまうことは、単に馬鹿にし
てるということでしかない。探究は永遠に終わりはしないのだ。




  • [954]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月14日(水)06時41分56秒
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No.007 【生い立ち編】②


そしてここには、大聖人が「法華経だ」と思う瞬間までが如実に描写されている。こ
れが事実だったら、どこかの学者さんが、大聖人は法華経の世界観だけから法華経の
ことを第一だと主張してるんだというのは、ずいぶんな意見だってのが分かるわ。学
者さんて誰のことだって、名前は伏せるけど、もうね。いいかがんにしとけよって。
法華経だけの話にしておきたいってのは、世を渡るために、大聖人にとっての一番大
切なところの思想を捨ててるよな。彼らの媚びへつらいは事実をとらえてはいない。

涅槃経を見て決めたんだよ(笑)。そこに了義経を選べと書いてあったの。涅槃経に
は、秋の収穫のあとの冬蔵だから新しいことは書いてないんだよと書いてあったんだ
って。つまりは「了義経」というのが涅槃経の前の法華経ってこと。大聖人の思想を
探るのに、大聖人の言葉によるんだとするのなら、本人がそういってるんだから、そ
れしかないはずだろうに。何度も言うけど、これが事実じゃなくて、浄顕房が「うそ
つけやん、全部、師匠の道善房に教えてもらったんじゃん。道善房は黙ってたけど、
何、これ!」とかツッコミを入れられるような文章を持たされて、嵩が森まで読みに
わざわざ同行したなんて想像できるかっ。そんなの、みんなが大切にした共有の思い
出にそぐわなけりゃ怒るって話だよ。だから、大聖人のことは、御自身でこのように
考えて、自分でこういうふうに結論を出されたのだと。そういうことだよ。

それにたぶん、浄顕房は、「あれっ?小さい時から何か悟ってた感じだったし、最近
自分の姿を池に映したら御本尊が見えたとかよく言ってなかったっけ。」とかのツッ
コミも無かったわけ。

それで、これ、まだ続くのね。浄顕房がツッコミを入れない限り、学者さんの間違い
に私がツッコミをいれるんだ。

「されば専ら論師・人師をすてて、経文に依るならば、大日経・華厳経等に法華経の
 勝れ給えること
は、日輪の青天に出現せる時、眼あきらかなる者の天地を見るがご
 とく、高下宛然なり。
大日経・華厳経等の一切経をみるに、此の経文に相似の経
 文一字一点もなし。
或は小乗経に対して勝劣をとかれ、或は俗諦に対して真諦をと
 き、或は諸の空仮に対して中道をほめたり。譬へば小国の王が我が国の臣下に対し
 て大王というがごとし。法華経は諸王に対して大王等と云云。但涅槃経計りこそ法
 華経に相似の経文は候へ。されば天台已前の南北の諸師は迷惑して、法華経は涅槃
 経に劣と云云。されども専ら経文を開き見るには、無量義経のごとく華厳・阿含・
 方等・般若等の四十余年の経経をあげて、涅槃経に対して、我がみ勝るととひて、
 又法華経に対する時は「是の経の出世は、乃至、法華の中の八千の声聞に記別を授
 くることを得て大菓実を成ずるが如く、秋収冬蔵して更に所作無きが如し」等と云
 云。我れと涅槃経は法華経には劣るととける経文なり。かう経文は分明なれども、
 南北の大智の諸人の迷うて有りし経文なれば、末代の学者能く能く眼をとどむべし。
 此の経文は但法華経・涅槃経の勝劣のみならず、十方世界の一切経の勝劣をもしり
 ぬべし。而るを経文にこそ迷うとも、天台・妙楽・伝教大師の御れうけんの後は、
 眼あらん人人はしりぬべき事ぞかし。然れども天台宗の人たる慈覚・智証すら猶此
 の経文にくらし。いわうや余宗の人人をや。」(報恩抄、P295)


そうすると他のどんな経典よりも、もちろん大日経よりも、法華経が優れてることが
明らかになったんだと言ってるんだよ。その根拠は、経典全部を見渡しても法華経の
この経典が最も上にある」という文言に匹敵する言葉が他の経典には見当たらなか
ったからなんだって。このときの他の経典と比較したんだすえの結論なんだよ。

ところで、これって、どの経典が偉いって言葉だけで、経典の内容は無視かって、そ
うじゃないからね。ここではそういうことじゃなくて、ルールを課したのに従ってい
ってるの。経典たちのうちどれが一番だと言ってるのかを、経典自身が指し示すのを
探ろうと。そうしたら、どの他の経典にも、もちろん大日経にだって肩を並べるもの
は無かったの。
そして経典以外の人の言葉は信用しないと最初の願いで決めたって言
ったから法華経だけなんだって言ってるんだよ。これで少なくても、立宗宣言のとき
に真言宗を擁護する気持ちがないことは決定的だね。本人が言ってるんだもの。何度
も言うけど。「立宗後も真言宗にけっこう肩入れしてたくせに」とか、清澄寺の人か
ら陰口言われるような文章を作らないってわけ。

この「真言宗」をいつ見限ったのか については、あとでまた別の視点で述べるんだけ
ど、まずは御本人がそうはっきりと言われてるってことを無視してはいけない。もし
も、これがウソなら、大聖人は平気でウソをつく人ってことになって、全ての信用が
地に落ちてしまうね。もちろんそれもしかたないよ。これについても、論証に遠く届
かない見解ばかりが平気で横行してるの。大聖人の真実を知ってほしい。


  • [953]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月13日(火)06時32分40秒
  • 編集済
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No.006 【生い立ち編】①


前回に言ったように、報恩抄で述べられた生い立ちが事実だとすると、なんだか、
あとあとで、すごいことが分かってしまうんだよね。でもそれはもう少しあとで。
まずは次の本文ね。みんな、こうして最初から読まないのかなあと思うばかり。

「所謂華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等、法相宗の玄奘・慈恩・智周・智昭等、三
 論宗の興皇・嘉祥等、真言宗の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等、禅宗
 の達磨・慧可・慧能等、浄土宗の道綽・善導・懐感・源空等、此等の宗宗みな本経
 本論によりて、我も我も一切経をさとれり、仏意をきはめたりと云云。
 彼の人人云く、一切経の中には華厳経第一なり。法華経大日経等は臣下のごとし。
 真言宗の云く、一切経の中には大日経第一なり。余経は衆星のごとし。
 禅宗が云く、一切経の中には楞伽経第一なり。乃至、余宗かくのごとし。
 而も上に挙ぐる諸師は、世間の人人各各おもえり。諸天の帝釈をうやまひ、衆星の
 日月に随うがごとし。我等凡夫はいづれの師師なりとも信ずるならば不足あるべか
 らず。仰いでこそ信ずべけれども、日蓮が愚案はれがたし。世間をみるに、各各我
 も我もといへども、国主は但一人なり。二人となれば国土おだやかならず。家に二
 の主あれば其の家必ずやぶる。一切経も又かくのごとくや有るらん。何の経にても
 をはせ、一経こそ一切経の大王にてはをはすらめ。而るに十宗七宗まで各各諍論し
 て随はず。国に七人十人の大王ありて、万民をだやかならじ。
 いかんがせんと疑うところに、一の願を立つ。
我れ八宗十宗に随はじ。天台大師の
 専ら経文を師として
一代の勝劣をかんがへしがごとく、一切経を開きみるに、涅槃
 経と申す経に云く
「法に依つて人に依らざれ」等云云。依法と申すは一切経、不依
 人と申すは仏を除き奉りて、外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの
 諸の人師なり。此の経に又云く「了義経に依つて不了義経に依らざれ」等云云。
 此の経に指すところ了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・涅
 槃経等の已今当の一切経なり。されば仏の遺言を信ずるならば、専ら法華経を明鏡
 として一切経の心をばしるべきか。
 随つて法華経の文を開き奉れば「此の法華経は諸経の中に於て最も其の上に在り」
 等云云。此の経文のごとくば、須弥山の頂に帝釈の居がごとく、輪王の頂に如意宝
 珠のあるがごとく、衆木の頂に月のやどるがごとく、諸仏の頂に肉髻の住せるがごと
 く、此の法華経は華厳経・大日経・涅槃経等の一切経の頂上の如意宝珠なり。」
 (報恩抄、P294)

大聖人の言う時系列によると、こういう順番になるの。いろんな大学者さまたちの言う
のとちょこっと違うってことに気がつくんだよね。

① 周囲の無理解の中、とてつもない勉強をすることにした。
② 各宗の主張を一通り聞いて、どれが正しいのか考えていたが心が晴れなかった。
③ 疑っていく中で、一つの願いを立てた。各宗派の主張には従わないことにした。
④ 天台大師の手法に習って、経文を師匠として勝劣を考えることにした。
⑤ 仏の遺言である涅槃経典の言葉から、法華経なのだと知る。
⑥ 経典の言葉から、法華経が他の経典の頂上に位置することが明らかになった。

各項目がいつごろなのかは、ひとまず置いとく。気になるのは法華経を大切に考える
ようになったのが、何時からかってことだけど、それもこれだけで断定できない。
最初からだったのかもしれないから。心が迷って晴れなかったって言ってても、その
ときにだってすでになにかの思いがあったのかもしれないいからね。ただそういうの
を抜きにして、公平に各経典を真摯に考えていった時期があったのは、文章からはた
しかだよね。そこで「一つの願い」を立てて、公平に考えてみることにしたんだ。

でもね、これって他人を説得するときに、よく使う手法じゃないかな。自分の意見を
整理して述べるときに、白紙で公平に考えてみたら論理的にそうなりましたってやつ
だよね。実際には、もっとずっと前から決まってたのに、あえて考えをたどってみせ
て、きちんと手順を踏んだってことを他人に示すのを人間は好むものなんだよ。
なにしろ人様に、幼少の時に自分がどう思ってきたかをそのまま順番に話すだなんて、
そういう時って、話をわかりやすくするために提示するんじゃないかな。さくっと分
かりやすく、そうして整理したものを話されたのかもしれない。

それはさ、ここで分かるんだよ。文中の、自分に課したルール、つまり、人の言葉に
従わずに、経典の文言だけを頼りにするっていうことからして、天台大師を見習うっ
て言ってるんだから、公平な手法で考えれば、法華経にたどりつくんだと、そういう
ことの再確認だったんじゃないのとか思うよね。

それも全部おいて、ともかく、大聖人は、こういう順番だったんだと言われてるんだ
わ。心の奥底を覗いてみない限り、みんなが知ってた記憶では、この順番で問題なか
ったはずだよ。

つまりそれからだよ。法華経が第一だと「明確に」立てたのは。そのときの願いの内
容というのが人の言葉に従わず、経文どおりに判定するというものだったの。

ただね。ここでもすごく引っかかる言葉は「願いを立てて」それから経典を見ること
にしたんだって言い方なんだよ。なんで願いって言葉なの? 文中からだと、既存の
宗派には従わないことにしたって決意したんだってことは分かるけど。「我れ八宗十
宗に随はじ」って。既存宗教との決別の萌芽だよ。これからは自分で一から考えるの
だと。

でもさ。結局は、天台大師のごとくをなぞれば法華経にいきつくってことなんじゃな
いのかと。自分で全ての経典を一から読むぐらい読めばいいじゃないって。願いなん
かするのは、何かいいものが見つかりますようにと思ってる人だったら分かるけどさ、
読んで再確認するのをさ、願いってのは、おかしくないかな。

実はこれが再確認ですむ話でないのは、これまた後で述べるわ。そこまで悩まないと
いけないほどの長年の課題だったから、「願い」って言葉にまで結実したんだよ。
仏法を志して人びとのために、智慧を得ようと願ったのが本抄の冒頭にあったろ。

そうすると、この願いっていうのは、子供ころに立てた「誓願」がずっと続いてるこ
との表現だってきづく。智者になりたかったんだろ。理由はあとでも述べるけど、子
供のときに身近な人びとの死を見て納得できなかったからだとも言われてるけど。
そのことを解決させたくて、仏道を目指し、人びとを救っていくべき智慧を手 にした
かったんだ。その「智者」にさせてほしいと生き方を決めたんだ。それが12 歳まで
のこと。それから勉強したくて周囲の反対をおしきって手に入れた修行時代。
それから、ここで述べられている事実。諸宗の言葉に納得しないので自分で調べると
決意をして、経典を手にできて、自分で閲覧して考えること。この修学時代の事実が
幼少の時からの事実と全てがどうしようもないくらいに重なるのはどうしたことか。

ここで述べられた事実は、恐ろしいくらいに、ずっと幼いときの思いが続いてるの
を述べられてるのかもしれない。恐ろしいくらいに。子供のころからの決意を。

そんな馬鹿なと思われるかもしれないが、私は諸宗や学者たちが見落としてしまった
幾つかの点を知っているの。気づいたことは書くつもりだから楽しみにしてて。


  • [952]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月12日(月)06時52分2秒
  • 編集済
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No.005 「報恩抄」の最初の一文。⑤


そして次ね。ここからがとってもとっても大切。まず。

かくのごとく存して、父母・師匠等に随わずして仏法をうかがひし程に、一代聖教
 をさとるべき明鏡十あり。所謂る倶舎・成実・律宗・法相・三論・真言・華厳・浄
 土・禅宗・天台法華宗なり。此の十宗を明師として一切経の心をしるべし。世間の
 学者等おもえり。此の十の鏡はみな正直に仏道の道を照せりと。小乗の三宗はしば
 らくこれををく。民の消息の是非につけて他国へわたるに用なきがごとし。大乗の
 七鏡こそ、生死の大海をわたりて、浄土の岸につく大船なれば、此を習いほどひて、
 我がみも助け、人をもみちびかんとおもひて、習ひみるほどに、大乗の七宗、いづ
 れもいづれも自讃あり。我が宗こそ一代の心はえたれえたれ等云云。」
 (報恩抄、P293)


ほらね。言ってるっしょ。「このようにして父母や師に従わずに仏法を学んだ」って。
とりあえず父母や道善房が思ってたのとは、違うほど勉強してたってこと。

何度も言うけど一般論ではなく、大聖人のこととして言われてるんだよ。人々を救う
ために智者になろうと、そう考えて仏法を習ったんだと。ところが、いろいろな宗派
があって、どれも明鏡だと世間の人々は考えてるけど、実際は、どの宗派も自分こそ
正しいと言っててわけがわかならいと。

さてと。ここからの本抄はすっごく大切なの。ここからがどうして大切かというと、
これが自分の幼いときからのことを知ってる人びとに与えられた御書だからだよ。そ
こで嘘をつけますかってこと。出家の動機から、これまでの来し方を振り返って述べ
られてるんだよ。この御書を与えたのは兄弟子だった浄顕房なんだから。事実と違う
ことを書いたら、「はあ?何ウソついてるの?」ってなっちゃうよ。たとえ浄顕房が
お目こぼししてくれて我慢したとしても、清澄寺には大聖人に反感を持つ人も多かっ
たんだから、彼らが見て事実と異なればそれだけで信用を無くしてしまうよね。
ここから先の文章は、現代の私たちはそれがどのような事実か一つ一つは分からない
かもしれない。でも、これを与えられた人々には分かっていたはずなんだよ。

「予はかつしろしめされて候がごとく幼少の時より」
 (破良観等御書、P1292) 真蹟なし


と、同じように、みんなが大聖人をよく知ってる故郷の人に送ってるわけなんだよ。

だけども決めつけるのはよくないか。常識的にそうだと思えても、事実はそうではな
いかもしれないからね。あるいは、事実のままに述べたわけではないかもしれないね。
説明するために整理して、事実とは少し異なる説明の仕方をしてる可能性も捨てては
いけない。でもあまりにも事実と異なれば、与えた人たちに不信を招いてしまうね。

はたまた客観的な可能性をいうなら、もっと鬼畜なことも考えないわけにはいかない。
客観的には考えないわけにはいかないだろう。大聖人が事実と違うことを述べたて、
「これでいけっ」と無理やり浄顕房に押し付けて、いや、浄顕房もいっしょにぐるで、
「へへへっ」みたいな感じで、これを見た清澄寺の人たちは「ええっ」って怒るぐら
いだったのかもしれない。私、大聖人のことを馬鹿にしてるんじゃなくて、可能性は
考えないといけないということだからね。でもそういう鬼畜バージョンを普通は無い
と思ってる。それだと話が終わってしまうから? ううん、いや、違うと思う。大聖人
のこの御書の法門研鑽の深さ、その出し方の謙虚さ、様々な御書で年月日や歴史事実
の記述や、故意に事実と相違することを記述したことが無いという真摯な態度から、
大聖人の資料は信用できるというのが研究者一同の目するところだよね。だから鬼畜
のは考えないことにして、事実として語ってるんだと思うけど、少し整理して話して
いる可能性も含めてることにして、読み進めてく。


  • [951]
  • 報恩抄を書かれた大聖人

  • 投稿者:モウ
  • 投稿日:2016年12月11日(日)09時18分0秒
  • 編集済
  • 返信
 

No.004 「報恩抄」の最初の一文。④


大聖人は、ご自分の恩を大切にしてきた気持ちを譬え話を借りて述べらんだ。その
ことは、次の御文になるともっとはっきりするから。

「いかにいわうや、仏教をならはん者、父母・師匠・国の恩をわするべしや。此の大
 恩
をほうぜんには、必ず仏法をならひきはめ、智者とならで叶うべきか。譬へば衆
 盲をみちびかんには、生盲の身にては橋河をわたしがたし。方風を弁えざらん船主
 は、諸商を導きて宝山にいたるべしや。仏法を習い極めんとをもはば、いとまあら
 ずば叶うべからず。いとまあらんとをもはば、父母・師匠、国主等に随いては叶う
 べからず。
是非につけて、出離の道をわきまへざらんほどは、父母・師匠等の心に
 随うべからず。この義は諸人をもはく、顕にもはづれ冥にも叶うまじとをもう。
 しかれども外典の孝経にも、父母・主君に随はずして忠臣・孝人なるやうもみえた
 り。内典の仏経に云く「恩を棄て無為に入るは、真実報恩の者なり」等云云。比干
 が王に随わずして賢人のなをとり、悉達太子の浄飯大王に背きて三界第一の孝とな
 りしこれなり。」(報恩抄、P293)


「いかに言わんや」って、「彼らでさえそうだから、ましてこっちは」って意味ね。
「仏教を習わん者」なら忘れないって。必ず仏法を習い極めて、智者となるのを目ざ
って、これ大聖人のことだからね。彼らにもまして自分は仏教を習う身なのだから、
その恩の大切さを忘れたことはないのだと。いろいろと話題にしてきたのは、大聖人
が感じている恩のことを言いたかったからだってことになるんだよね。
その恩を返すために、仏法を知り智者となるんだと。えっ、偉くなるためなのって思
う人は馬鹿すぎるよ。智者にならないと、それが叶わないってあるから、智者になる
のは手段、目的は恩を返すってこと。文中には、そうして人びとに還元するんだって
ことが滲み出てるわけ。衆生を導くんだって。そういうのは言わずもがななの。導く
ために「智慧」を得るかどうかが問題なんだよ。

そして仏法を学んでいくのなら、その時間を作るために、父母らに従うわけにはいか
なかったのだと。よおく見てみてね、ここ。本当に不思議にも、みんなスルーしてし
まいがちなんだけど、大聖人は、両親が反対でも法華経のほうが正しいからだとか、
そんな高度なことを言ってないんだからね。ここは、ただ時間を作るために、両親や、
師匠や、国主等に従うわけにはいかなかったんだって言ってるの。つまり最初のころ、
子供のときのことを言ってるんだよ。自分が人びとを救っていく思いが最初にあって、
その時には両親らが清澄寺で僧侶となるのを喜んでいたわけじゃないんだってこと。

ここだけだと、清澄寺に来たときのことなのか、修学時代のことなのか、ずっと後の
ことなのかは分からないけど。世の中でなんとなく両親の賛意を受けて出家したって
言ってる学者さんたちがいるのは、実は怪しいってわけ。

少なくても大聖人は、僧侶として生きる道を選んだ時には、反対を受けてたんだって
ことを述べられてるの。理由は何なの。それは「学ぶ時間を作るため」なんだって。
そうなんだよー。ここ。ここも覚えておいてほしい。まわりだって、子供が勉強した
いってのを憎々しげに思ってたりしないだろうから、ここはもっと広く、勉学の機会
を得ようと決意しても、周囲からは歓迎されていたわけではなかったって、そんな意
味も含めてとらえられるよね。
ああそだ。ここの所は一般的な話をしてるんじゃないのってなんとなく思いがちだけ
ど、後の文章でもわかるんだけど、これは一般的な話ではなくて大聖人のことを言っ
てるんだから。

両親だけじゃなく、おそらくは師匠たちにさえも。
―――これって、いったい、何時のことだったんだろうね。

あと、ここの父と母とか、師匠とか、国の恩とか、細かいことはとりあえずいいの。
後の御文でも出てくるけど、要するに社会とか一切の衆生とか全てにだよ、感謝とか
慈しみの気持ちをもっていたということなんだ。それが全ての原動力だと。それで、
その結論が人々を救うために「智者」にならなければならないと考えたの。
それが大聖人の動機と結論。自分で言ってるんだから間違いないから。
そういうわけで大聖人は両親の思いに逆らって、そのお世話もしないで、出家の道を
目指したんだと言われてるんだ。