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神南備様へ

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 4月15日(木)20時32分29秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
   神南備様、徳島の投稿ありがとう御座います。
 方位と距離は、文書以前の国の決める事柄で個人が決めるべき物ではないと考えます。
 徳島の動画は方位は常識的で距離は短理ながら、その根拠を述べていて、魏志倭人伝文書の解釈以前の手続きを踏んでいるので、これから解釈論争を交えたいと思います。
 また皆様へ、私の魏志倭人伝解釈や沖縄に対する疑問や反論は多々あると思いますで、遠慮せずにどしどし浴びせて下さい。
 
 

宅宮神社

 投稿者:神奈備  投稿日:2021年 4月14日(水)17時26分47秒 ah224091.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  ユウチュウブを見ていて驚きました。
https://www.youtube.com/watch?v=63bNv7RmHHc&t=38s
 卑弥呼の墓を宮谷古墳、台与のことは宅宮神社の神踊りに出ているそうです。
 

クラリン様へ

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月28日(日)11時36分29秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用 編集済
   クラリン様、
>暗号化について
 倭国と倭人の情報が折りたたまれているとしました。1里の距離を魏の約450メ-トルとして、南は東とするのでは無く、南としました。極めて常識的な事だと思います。それで倭と倭人情報を解読しました。その結果、倭人情報が正確で不正確な倭情報に隠されていると感じています。それで中国側は倭人情報を暗号化したかった。と考察します。

>情報操作について
 情報操作は日本の事です。日本は魏志倭人伝の倭国情報を隠したかった、と判断しています。次の3点です。
1。魏志倭人伝に邪馬臺国の記述は無い。邪馬
  壹国としか無い。しかし、後漢書に[邪馬
  臺国は大倭王の住む所]とあるので、邪馬
  壹国は邪馬臺国の誤りとして、さらに臺
  の字は当用漢字に含まれないので邪馬台
  国となる。いつの間にか根拠も無く大倭
  王の国を探す古文書となる。
2。東大と京大がそれぞれ、近畿と九州に邪馬
  台国の比定地を置く。南を東とし、1里
  を短くする、この様な事は普通はあり得
  無い、大学の権威と歴史学会の権力が操
  作しているとしか思えない。
3。邪馬壹国をエジプトやインドネシアに比定
  する説は有名になるが、沖縄説はなかっ
  た。当時、身近な外国であり3世紀ごろは
  本土と言葉も通じた筈なので、沖縄説が
  先に唱えられそうなのだか?もちろんそ
  れらは、トンデモ説扱いです。

 倭人情報は正当な距離や方位で解読したのが自信です。
 女王国を丹波としたのも、それなりの蓄積があり、自信を持っています。
 女王国は3世紀ごろの国です。神武天皇以後の歴史です、それなのに日本国が知らない筈はありません。
 

Re: パスカル様へ

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 3月27日(土)22時39分40秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  > No.834[元記事へ]

>魏志倭人伝は倭国の首都や女王国には関心は無く。
>只、倭人の位置情報を記述した文書だと言うことです。
>解読したらそれが硫黄島であったと、それだけです。
>何故、情報操作が必要か?
>それは、女王国の存在を隠す為と思います。
>沖縄は女王国と関係が深いのです。

失礼します。

「女王国の存在を隠す」のであれば、陳寿はなぜ「女王国」「邪馬臺国」などと

書いたのでしょうか。書かねばそれで済むと思うのですが。
 

パスカル様へ

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月27日(土)22時20分51秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
   パスカル様、ご返事ありがとうございます。
硫黄鳥島は徳之島の近くに存在しますが、行政的には沖縄県に属します。沖縄県の最北端の島です。
 意味的に理解できないとの事ですが、私の説の成り立ちを説明したいと思います。
 沖縄の歴史を調べていました、素人なので
気楽に、日本史や神社仏閣を通じて常識的な判断で。ところが沖縄が絡むと沖縄から遠のく様な判断が歴史学者から下されるのです。
 なかなか信じられないことです。これは、私が沖縄出身と言うことが影響していると思います。
 それなので、魏志倭人伝も日本史から女王家を隠すため情報操作が行なわれていると、私は判断しています。魏志倭人伝は倭国の首都や
女王国には関心は無く。只、倭人の位置情報を記述した文書だと言うことです。解読したら
それが硫黄島であったと、それだけです。
 何故、情報操作が必要か?
それは、女王国の存在を隠す為と思います。
 沖縄は女王国と関係が深いのです。
 

Re: 硫黄について

 投稿者:パスカル  投稿日:2021年 3月27日(土)18時01分29秒 58-191-216-237f1.wky1.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.832[元記事へ]

ご主張の主旨が、まだひとつ理解できないのですが…。


たしかに、硫黄は火山周辺でしか産出されないので、火山の少ない中国では輸入に頼らねばならなかったでしょう。
古代中国において硫黄は、「燈火用」「医薬品」に利用されていたようですが、ごく少量ですむので、東南アジアなどの近隣からの輸入で事足りていたようです。わざわざ遠方から輸入する必要はなかったと考えます。
硫黄が大量に必要となるのは言うまでもなく「火薬」としての利用以降ですが、日本で、硫黄の輸出用産出地として有名なのは、鹿児島の「硫黄鳥島」ではなかったでしょうか?
(『平家物語』に記載され、硫黄のとれる鬼界が島という火山島が硫黄鳥島とされています)
また、小笠原諸島の南北硫黄島に、人が移住するのは近世になってからだったと記憶しています。それまでは無人島だったのではなかったでしょうか?
 

硫黄について

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月16日(火)12時46分56秒 sp49-106-204-137.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  神南備様
 早速の応答ありがとう御座います。
 新参者でありながら、皆様へのご挨拶も欠かし失礼しました。最初の投稿はニ度ほど失敗し、挨拶文も消えてしまい短い文になって
しまいました、申し訳ありませんでした。
 魏志倭人伝は[倭]ではなく、[倭人の位置情報]についての文だと思います。郡使は倭人の
位置を特定するために派遣されたと考えます。
 女王国や伊都国や邪馬壹国には、なんら関心は無かったと感じています。
 魏志倭人伝の結論は(倭人は南北硫黄島)に
なると思います。
 硫黄は沖縄の最大交易品で中世まで秘密事項でした。黒色火薬の原料で中国では産出されません。小さな沖縄が朝鮮やベトナムを抑えて、朝貢貿易で断トツの一位なのは硫黄の
おかげです。
 黒色火薬は6世紀に発明されているので、
それ以来、沖縄は交易をしていた事になります。それ以前はどうでしょう、黒色火薬が急に
完成する訳がありません、それ以前に試行錯誤や黒色火薬の先祖があったのではと感じています。例えば、古代に爆薬では無いが閃光弾
の様な物が存在していた、との記述を見た記憶があります。黒色火薬の未明の時代があったとしても不思議ではありません。
 硫黄を中世から古代へ推測しました。
 硫黄云々は本質的ではなく、(倭人は南北硫黄島)が本質で、それに納得でき易い理由を持ってきました。
 神南備様、質問ありがとうございました。




 

Re: 魏志倭人伝10

 投稿者:神奈備  投稿日:2021年 3月15日(月)21時00分46秒 ah224091.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.830[元記事へ]

砂川さんへのお返事です。

 ご投稿ありがとうございます。古代に硫黄は何に使ったのでしょうか。

 倭人伝の方位や行程につきましては、私自身はあまり考えを持っていませんので、意見は控えます。

 

魏志倭人伝10

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月15日(月)19時52分7秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
  (21)計其道里當在会稽東治之東

(21)[倭人]の場所を測るに、其の場所は会稽[
       夏]が治めていた南西諸島の東となる。

  古田説を採用しました。

  方位と距離の訂正が行なわれていません、
  この様な説はあまり見かけません。
  皆様のご意見を聞かせてください。

  図は女王国までの行程です。
 

魏志倭人伝 9

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月13日(土)07時48分55秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用 編集済
  (19)又有裸國黒齒國復在其東南

(20)船行1年可至参問倭地絶在海中洲[中洲]之
  上或絶或連周旋可五千餘里

(19)再度言う、帯方郡の東南に裸国と黒歯国
  がある。
   復在とあるので、再登場の意とした、
  もちろん、冒頭の[倭人在東南大海之中]
  の倭人の再登場です。

(20)帯方郡から女王国へ至には倭地を行き海
  中の島々を渡り、絶海を通り抜けて、裸
  国-黒歯国へ着き、そこから北方へ5千餘
  里、一年で着く。
   南北硫黄島から丹波国まで、直線距離
  だと3千里程しかない、普通は大阪の住之
  江まで船路で、そこから陸地を進み丹波
  か、あるいは全て船路で瀬戸内海から、
  関門海峡を抜け日本海沿いに丹波へ着く
  となるのですが----。

   本文内に態々、南に敵対国があるとの
  記述から、瀬戸内海ルートは使用せず。
  四国外側~関門海峡~日本海~丹波のル
  ートを使用したと推測している。
 

魏志倭人伝8

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月10日(水)12時58分20秒 sp49-104-50-215.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  (17)國東渡海千餘里複有國皆倭種
(18)又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千
  餘里

(17)狗邪韓国から東へ海を渡り千里程行くと
  国(女王国)が有る。皆倭種です。
   従来冒頭は、女王国としていましたが
  国としました。それは、それの前文字が
  [兵守衛]となっていて、女王を目的語と
  して加えて[兵守衛女王]とするのが自然で
  あり。且つ、この部分を国として、狗邪
  韓国と解釈する方が倭国範囲の西北と北
  東が繋がり倭国範囲が確定するので狗邪
  韓国と解釈しました。
(18)帯方郡から南へ行程4千余に、女王が去れ
  ば小さな国がある。南へとしたので乍南
  の終点の邪馬壹国と侏儒国は同一としま
  した。
  字面は小人の国ですが、意味的には小さ
  な国とします。7万余の住居があり、1ヵ
  月の陸行が必要と邪馬壹国の説明がある
  ので比較的大きな国と思われがちです
  が、[去女王]とあるので女王が去れば小さ
  な国とするべきです。従来は女王は女王
  国のまちがいとして、(女王国から)と解釈
  していました、字句とうり解釈すべきで
  す。
   陸行1ヵ月も女王側か郡使に沖縄を大
  きく見せる為に、北部の本部に着き蛇行
  しながら、都とした浦添へ着いたと思い
  ます。ちなみに首里城は元々は神社であ
  ったと考えています。





 

魏志倭人伝7

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月 7日(日)10時41分29秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
  (14)自女王國以北~次有奴國此女王境界所蓋
(15)其南有狗邪國男子為王其官有狗古智卑狗
  不属女王
(16)自郡至女王國萬ニ千餘里

(14)女王自らの國の以北に21ヵ國ある。最北
  が奴国です。ここまでが、女王の統治の
  境界地です。
   奴国の推測ですが、朝廷側が確か新潟
  地方へ伊勢の天照大神を掲げて侵略し
  て、現在天照大神を祀る神社が存在する
  のですが、そこが奴国とします。
(15)女王国の南にクナ国がある。男王クコチヒ
  コがあり、女王国に属さない。
   クナ国は吉備国と推定しています。
(16)帯方郡から女王自らの国まで1万2千余里
  です。
   これは、行程です。帯方郡から倭人ま
  で7千余里、倭人から5千余里で女王国
  へ着くと言う事です。
 

魏志倭人伝6

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月 6日(土)18時33分33秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用 編集済
  (6)始度一海千餘里至対対馬國~
(7)又南渡一海千餘里名曰瀚至一大國~
(8)又渡一海千餘里至末盧國~
(9)東南陸行五百里到伊都國~
(10)東南至奴国百里~
(11)東行至不彌國百里~
(12)南至投馬國水行二十日~
(13)南至邪馬壹国女王之所都水行十日陸行一月
       ~七萬餘戸
(14)自女王國以北~

(6)始めて海を渡ると対馬國に着く。[倭人と倭
 国の情報が混在した倭人伝なので、正確な
 数字は座標に関するものとする。]千餘里は
 乍南距離の一部。
(7)南へ行き壱岐國へ着く。千餘里は乍南距離
 の一部とする。
(8)末盧國へ着く。千餘里は乍南距離の一部と
 する。
(9)陸行して倭国の首都の伊都國に着く。東南
 五百里は乍南乍東の終点から東南五百里に
 倭人(南硫黄島)がある。
(10)東南へ行き奴国へ着く。東南百里は乍南
  乍東の終点から東南百里に倭人(北硫黄島
  )がある。
(11)東へ行くと不彌國へ着く。乍南の終点か
  ら東へ百里で邪馬壹国へ着く。
(12)南へ水行二十日で投馬國へ着く。
(13)南へ水行十日で邪馬壹国へ着き、さらに
  陸行一月で、女王が都とする所に着く。
  七萬戸が住する。

 [此処で南下が止まる、つまり乍南の終点
  地です。]
(14)女王自らの國より北。[女王國と邪馬壹国
  は別の國となる。]



 前回述べた様に、正確な数字は座標を記述するものとする。
 それで、(6)(7)(8)の各千餘里を乍南の距離と
して、帯方郡から南へ三千餘里を、乍南距離の終点とする。又、(13)で南下が止まり、(14)
から女王自らの國の記述に変わるので、邪馬壹国を乍南の終点國としました。
 (11)より邪馬壹国の正確な座標は、乍南終
点より、東へ百里。
 (9)より、倭人と倭国が重ねて記述されている。倭人は乍南乍東の終点から東南へ五百里
の地点とする。




 

魏志倭人伝5

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 3月 3日(水)12時44分35秒 sp49-106-214-3.msf.spmode.ne.jp
返信・引用
  (1)倭人在帯方東南大海之中
(2)依山島為國邑旧百餘國漢時有朝者
 今使訳所通三十國

 従

 郡至倭循海岸水行
(3)歴韓國乍南乍東到
(4)其北岸狗邪韓国
(5)七千餘里
(6)始度一海千餘里至対島國其大官曰卑狗~

(1)倭人交易品の硫黄の産出地は帯方郡の東南
  大海の中にある。
(2)(倭国)は山や島が連なり、國や集落を為し、
  以前は百ヵ國ほどあった。
  漢の時、朝見する者有り。今通訳の通ず
  る所三十國です。
  (上記の様な倭国)に従って
  郡使が倭国を通過し、海岸を水行して
  目的地へ行く。
  [行程]
(3)韓を経て、南へ行き、東へ行くと目的地へ
  到着する。
  [座標]
(4)其((2)の倭国)の北岸が狗邪韓国。
  狗邪韓国~対馬のルートは成立しない。
  古代船ナミハヤ号や野性号の失敗にある
  様に、対馬海流は東へ速く流れているの
  で船は東へ流され、南下は不可能です。
  行程には狗邪韓国は含まれません。
(5)行程数は七千餘里です。
  (2)の行程の距離数です。
  何故なら、次の(6)が、乍南乍東を示して
  いるからです。
(6)始めて海を渡り、対馬國へ至る。千餘里。
  大官をヒコと言う。
  対馬國は帯方郡の南東よりの方向です。
  行程では南下しながら、東へ流され至ま
  す。方向も明確ではないので、ほぼ明確
  な数字を当てるのは、意味を成さないと
  思い、千餘里は座標の南下を表すとしま
  した。



 

魏志倭人伝4

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 2月28日(日)14時24分40秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用 編集済
  女王国、邪馬壹国、邪馬臺国について。
・女王国
 倭人伝の[自女王國以北]に記述されている
 が(女王自らの国より北)、倭人伝からは場
 所の特定はできない。
 紀記や丹波籠神社の勘注系図や各神社から
 女王国は古代丹波とする。
・邪馬壹国
 倭人伝で位置を特定できる。
 邪馬壹国と侏儒国は同じ国です。
 沖縄です。
・邪馬臺国
 倭人伝で特定できない。
 紀記や勘注系図や神社から、伊都国ではな
 く、出雲と推測している。

 下図は魏志倭人伝の倭国範囲
 

魏志倭人伝3

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 2月27日(土)14時37分10秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
  至と到について
 至 目的地への途中とします。
 到 目的地への到着とします。
 到は倭人と倭の2ヵ所に記述されています。
乍南乍東到
 この部分は倭人へ到着と解釈しています。
 倭人を交易品としましたが、森浩一さんは
(古代の中国人は、倭人を宝貝をもたらす人々として重要視していたのではないか?)としています。宝貝は、装飾品だけではなく、貨幣の役割もあったので、東アジアでは殷周の時代には相当重要品であったと推測しています。
 只、この魏志倭人伝の時代には、黒色火薬の原料の硫黄です。それで倭人の目的地は南北硫黄島です。
到伊都國
 この部分は倭国の首都への到着と解釈して
 います。
 只、伊都國が後漢書の邪馬臺国か疑問視をしています。但し郡使は伊都國を倭国の首都と
しています。


 

魏志倭人伝2

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 2月24日(水)21時20分46秒 28-202-126-219.flets.hi-ho.ne.jp
返信・引用
  [論衡]に(周の時、倭人鬯ソウを貢す。)とあるので倭人を交易品とした。
 沖縄の中国との交易品は、中世まで硫黄で
あったので、倭人を硫黄とした。軍事機密なので産出地が暗号化されている。
 [乍南乍東]は、中国語を学んだ人が、南へ行って、東へ行くとしていたので、座標とした。
 それだと、東南の倭人との整合性がとれる。

 

Re: 藤白神社の獅子舞

 投稿者:パスカル  投稿日:2021年 2月23日(火)10時11分10秒 58-191-216-237f1.wky1.eonet.ne.jp
返信・引用
  > No.818[元記事へ]

ご意見をありがとうございました。
 なるほど、猿田彦は熊野の祭神でもあるので、熊野詣の往路に上皇や天皇が立ち寄ったと考えれば、道案内の神として、適役な訳ですね。

 私が気になっているのは、このストーリーが、長崎・五島に伝わる「獅子駒舞」に似ていることです。
 舞は、「獅子を神の前に連れ出そうとする天狗とそれに抵抗する獅子の様子を表現(1番道中舞)」「疲れて寝てしまった獅子を天狗が起こしたので、怒り狂う獅子の様子(2番狂舞)」「天狗の業にはなすすべもなく神前で舞を舞ってしまう獅子の動きを表現(3番宮巡り舞)」の3つで構成されています。
 藤白の獅子舞は、猿田彦が登場しますが、実際には天狗の恰好をしているので、ほぼ同じと考えてもよさそうです。
 この2つの舞にどのような結びつきがあるのかは分かりません。また、たまたま獅子駒舞のことを私が知っていただけで、これ以外に他の地方にも同様のストーリーをもつ舞が多数存在しているのかもしれません。もしそうなら、おそらく漂泊の芸能者たちによって広められ、やがて氏子たちによって担われるようになったと考えてもよいのではないでしょうか?
ただ、獅子駒舞の駒は「狛=コマ=高麗」と考えられることから、朝鮮半島または大陸との関係も考慮すべきかなあ、と考えたりもします。

 舞ひとつをとってみても、ほんとに奥深いものだとつくづく感じてしまいます。



>  面白いお話ですね。
>  猿田彦は先導する神ですから、祭りの行列の先頭に立つのです。持っている巻物は多分祝詞が書かれているのでしょう、
 

魏志倭人伝1

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 2月22日(月)13時16分55秒 sp49-96-21-147.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
   日本書紀に沖縄が封印されているとする
沖縄人です。
 倭人と倭は違うとします。
倭人は中国との交易品の硫黄として、倭は倭国とします。
 倭人は南北硫黄島です。

http://p3n7mthy34trualwjz93@docomo.ne.jp

 

魏志倭人伝1

 投稿者:砂川  投稿日:2021年 2月22日(月)13時07分29秒 sp49-96-21-147.mse.spmode.ne.jp
返信・引用
  続きです。  

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