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Re: ご機嫌伺い

 投稿者:神奈備  投稿日:2022年 4月20日(水)09時35分45秒 ab228023.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.917[元記事へ]

福島 雅彦さんへのお返事です。

> 神奈備さん、お変わりありませんか?
>
> コロナ禍の最中ですが…。
>
> 投稿が途切れていて心配しています。


ありがとうございます。

teacupの掲示板は後2ケ月ほどで、廃止になるそうです。

あたらしい掲示板は、こちらです。

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/dp01034933/

よろしくおねがいします。
 
 

ご機嫌伺い

 投稿者:福島 雅彦  投稿日:2022年 4月19日(火)21時15分39秒 p2061-ipad109fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用
  神奈備さん、お変わりありませんか?

コロナ禍の最中ですが…。

投稿が途切れていて心配しています。
 

単純明快 ! 理路整然 !! ー2.

 投稿者:福島 雅彦  投稿日:2022年 2月19日(土)22時51分0秒 p5067-ipad109fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ※『所謂「邪馬臺國」問題は文献から解明できる』
*日本中の研究者は、永遠の謎との先入観に陥っている。

≪「邪馬壹國」=「高天原」≫

※前項で「邪馬壹國」=「伊都國」の南千五百里に「投馬國」と東西に位置している、とした。
※「投馬(つま)國」=八女郡=「上・下妻(つま)郡」の東には「奴國-2」がある。
※「奴國-2」=水縄連山(耳納山地)北麓の「野(棚田)國」=北野・草野・竹野・大野原・星野。

※「高天原」
 『古事記』書き出し、神話の舞台で神々がいる天上界の事を思わせる記述。
「天地初発之時 於高天原成神 名天御中主神<訓高下天云阿麻下效此>次高御産巣日神次神産巣日神 此三柱神者  …」に、<訓高下天云阿麻下效此>と註がある。
即ち「高天原」の「高」の下の「天」は「あま」と読み以下は此れに效く(倣う)、と。何故「天」を「あま」と読むかには触れていない。これは、時の権力者(藤原不比等)から隠蔽を命じられた太安万侶が反骨精神から、後世の賢者が読み解ける様に仕込んだ「鍵」と観る。私は、それを以下の通りに読み解いた。
≪ハングル=「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」≫

*「高」=高低の意ではなく、寄って「集(たか)って」の当て字で 朝鮮語“??-”(taka=[傍へ寄り付く、寄り添う、近付く、詰め寄る]と同じ語幹。

*「天(あま・あめ)」とは…。
 (イ)“?-”(a-)=朝の「あ・さ」=朝の来る方向(処)=東の意と同義。
東(あづま)(あ・詰(つま))=東の端。朝(あした)、明日 (あした)、(夜が)明ける、皆「あ」が付くのでもいえる。
朝鮮語の朝=“??”(a-chim)=朝、あした<雅>(『民衆書林・韓日辞典』)。
NHKハングル講座(ラジオ) 講師イ・ユニ先生 2007年4月号。
[ハングル物語―母音字はどうつくられたか]
母音字は「陰と陽の調和」という自然の法則を基に作られています。
母音[a]=「天(太陽)が人の東」→朝の明るいイメージ。≪一部抜粋≫

 (ロ)“?-”(mæ-)の母音は現代朝鮮語では“e”となっているが、本来は「ま・め」の中間音。故に「天(あま・あめ)」の両方に読める。
“?”=「山」の古語的表現(民衆書林・韓日辞典)。
*「山」が(やま)なのは「天(あま)」の九州弁訛り。「蟻」を「やり」と訛る。
 「山」は「(国の)東の聖なる山」=「高天原」限定用語だったのが他に敷衍した。

*「原=ばル」とは、“?”(beol)=[原;野原(民衆書林・韓日辞典)]で、筆者註としては、「耕作地=邑」である。
※従って、「高天原」=「東の山(聖地)に寄って集(たか)っている原」。
水縄連山(耳納山地)の東の端のうきは市(旧・浮羽町)の狭い谷間に、百箇所近くの「○○原」の字地名が犇(ひしめ)いている。此地に「日向」の地名が現存。朝日に向いた地の意で「筑紫の日向」(国生み神話の舞台)である。「○○日向」の地名が十二ヶ所。
「浮羽」の地名も[旭日原] =“???”(u-kil-beol)の語尾子音欠落発音である。漢字音由来なのは、「徐福」渡来後の影響か。「高天原」=「阿斯達」とも同義。旧・浮羽町役場の地名は「朝田」=「阿斯達」と同義=「朝日に輝く」の意。
≪「水縄連山(耳納山地)」は谷沢に刻まれた東西25㎞の保水力のある水源の山である。水耕稲作に必要な水量を必要な期間供給、棚田稲作の穀倉を潤した。『記・紀』神話は弥生文化を背景に語られている。今の平野部は未だ低湿地の荒野である。『記・紀』が古く見せたがっても馬脚を現している=太安万侶の仕込んだ鍵≫
*「高天原」の東西の入り口に「三春原(うらせばる)」と「牛鳴(うしなき)峠(とうげ)」がある。
・「三春原」は「うらせばる」と読む。東側にあるが普通では読めない。
“??-?”(ul-soe-beol)=「鳴く鉄・原」(直訳)=鉄が唸る原(意訳)。
・「牛鳴峠」=“??”(soe-ul)峠=「鉄鳴く峠」=鉄が唸る峠。鉄⇔牛は同音。
・“??”(ul-soe)=「五月蝿い」の語源か。製鉄の音は「ウルセェ!」。
・「高天原」には、東多々羅、南多々羅、西多々羅と製鉄地名がある。
方位から見て北風自然送風の製鉄炉か。「素盞嗚尊」追放前の製鉄集団跡か。
・「高天原」には「諏訪神社」=「“?-?”(soe-wa)鉄来る神社」がある。
古代に在っては、鉄を制する者が国を制した。「高天原」の東西の入り口が製鉄絡みの地名である。韓国の首都の“??”はこれの訛りを疑う。

※「高天原」=天孫降臨の地でもある。
*「筑紫の日向の襲の高千穂の槵触る嶽」=水縄連山(耳納山)を表現している。
・「筑紫の日向の」=うきは市妹川地区の日向。(妹川小学校前の元・日向バス停)
・「襲の」=“?”(seo)の=「西の」『民衆書林・韓日辞典』。
・「高千穂の」=「高」は前述「集(たか)る」の当て字。「千穂」は、水縄山の山頂がノコギリの歯状を呈しているのを「千の穂」と描写。
・「槵触嶽」=水縄山の山腹が、千本の櫛の歯で梳った様相をしている描写である。
「触る」⇒“?”(ful)=扱(しご)く(民衆書林・韓日辞典)でもある。
火瓊瓊杵尊は「膂宍(そじし)の胸副(むなそう)國」を丘続きに歩いた、ともある。
・「膂宍の胸副國」=痩せた動物の背骨(山頂のノコギリの歯状)と肋骨が浮き出た(櫛触る)様、のことである。水縄連山(耳納山地)の稜線描写であろう。
※其処で、天津彦彦火瓊瓊杵尊は「此地は韓國に向ひ笠紗の御前にま来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。かれ此地ぞいと吉き地」と詔りたまひて…、と。
ここからは、二日市地溝帯の御笠山(宝満山)の御前を引き通して「韓國(からくに)」が真正面になると強調。
*「韓國(からくに)」=「拘邪韓國」、「大伽耶國」、「駕洛國」の「倭人」の故地=「同胞(はらから)」の国の意。
・この立地条件は畿内にはナイ!!!!!!

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。
 

Re: 単純明快 ! 理路整然 !!ー1.

 投稿者:神奈備  投稿日:2022年 2月15日(火)16時27分53秒 ab229200.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.913[元記事へ]

福島 雅彦さんへのお返事です。

ありがとうございます。
水行二十日
これがポイントですね。

> ⑱ 「水行二十日」は内陸河川航行=(陸行不能=末盧國~伊都國の五百里=前人を見失うような藪道だし…、現・筑紫平野は、弥生時代は低湿地の荒野)。
>
> ⑲ 「水行二十日」=「伊都國」の三雲遺跡~瑞梅寺川~今津湾~博多湾~御笠川~「只越」~宝満川~筑後川~有明海~矢部川=八女福島(「投馬國」)。

土地勘の有無がこのような推測ができるということですね。
 

単純明快 ! 理路整然 !!ー1.

 投稿者:福島 雅彦  投稿日:2022年 2月11日(金)20時59分49秒 p4130-ipad28fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  ※『所謂「邪馬臺」問題は文献から解明できる』
*日本中の研究者は、永遠の謎との先入観に陥っている。

≪行程から≫
① 楽浪郡徼帯方郡庁から「萬二千餘里」

② 同上から「拘邪韓國」=「七千餘里」

③ 「萬二千餘里」-「七千餘里」=残り「五千餘里」

④ 「五千餘里」-海峡横断「三千餘里」=残り「二千餘里」

⑤ 「二千餘里」-「末盧國」~「伊都國」五百里=残り「千五百里」

⑥ 「伊都國」の南千五百里が終点。太平洋へは届かない!(福岡県内に収まる!!!)

⑦ 郡使(魏使)は「伊都國」までしか来ていない。⑫の理由で。

⑧ 「伊都國」の南「水行二十日」で「投馬國」に至れる。

⑨ 「投馬國」と「邪馬壹國」は東西に位置し等距離と文脈で述べている。

⑩ 「邪馬壹國」以北の九ヶ国=「狗邪韓國」「對海(馬)國」「一大國」「末盧國」「伊都國」「奴國-1」「不彌國」「投馬國」「邪馬壹國」と北から順次南下して来て最後が「投馬國」。

⑪ ∴「邪馬壹國」も「水行二十日」の範囲である。

⑫ この「水行二十日」は陸行困難=衣冠束帯の貴人(郡使(魏使))は歩けない。

⑬ 「参問倭地…周旋可五千余里」=郡使(魏使)が実地に踏査した倭地の総延長。

⑭ 郡庁~「拘邪韓國」=七千餘里-その内韓は四千里=残り三千餘里。

⑮ 郡治の海岸水行千五百里+「拘邪韓國=倭地」領域千五百餘里 に仮に按分。これで⑬の成立が立証される。

⑯ 「投馬國」と「邪馬壹國」へは「伊都國」から「水行二十日」が立証できる。

⑰ ∴「邪馬壹國」の後ろに「水行十日陸行一月」とあるのは、郡庁から「伊都國」までの所要日数である。此れで萬二千餘里の所要日数が判るのである。「水行十日陸行一月」の水行十日は外海の事である。郡治の海岸六日+海峡横断四日(洛東江河口~巨済島一日+「對馬國」へ一日+「一大國」へ一日+「末盧國」へ一日)。

⑱ 「水行二十日」は内陸河川航行=(陸行不能=末盧國~伊都國の五百里=前人を見失うような藪道だし…、現・筑紫平野は、弥生時代は低湿地の荒野)。

⑲ 「水行二十日」=「伊都國」の三雲遺跡~瑞梅寺川~今津湾~博多湾~御笠川~「只越」~宝満川~筑後川~有明海~矢部川=八女福島(「投馬國」)。

⑳ 「邪馬壹國」へは「筑後川」~巨瀬川=うきは市「邪馬壹國」である。

※「投馬(つま)國」=八女郡=「上・下妻(つま)郡」=“??”(tu-mæ)國。

 對馬と同義=双山国(上県・下県)。水縄山地と筑肥山地の間國の意。

∴「邪馬壹國」=「投馬國」と東西に位置する「奴國-2」と重なる。
「奴國-2」=水縄連山(耳納山地)北麓の「野(棚田)國」=北野・草野・竹野・大野原・星野。

※「邪馬壹國」戸数七万戸=「投馬國」五万戸+「奴國-2」二万戸、の誤通訳。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

≪「邪馬壹國」=「高天原」≫へ、つづく。
 

皇族の継続

 投稿者:神奈備  投稿日:2021年12月27日(月)20時56分28秒 ah205241.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   皇族の継続性に関する答申案があり、解説されています。日本人として御一読してください。
 私は秋篠宮家に皇位が移らず、愛子内親王が先ず天皇になり、彼女と結婚する旧皇族(がいれば)との間に生まれた子が皇位を継承していくことが望ましいと思っています。なぜなら、まともな人間で継承してもらいたいからです。
https://www.youtube.com/watch?v=1trl6qBCRDg
 

狐憑き

 投稿者:神奈備  投稿日:2021年11月30日(火)14時46分47秒 ah039156.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  昔は狐憑きなどは日常茶飯事だったそうです。明治9年の話。越前の漁師に狐が憑きました。ある人の忠告で、名前、年齢、憑いた事情を葉書に書き、京都の伏見稲荷大社へ投函しました。それから30日後、狐が離れ、伏見の大神様の命令で二度と人に憑きませんと言ったと新聞記事になっていたそうです。  

Re: Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 9月23日(木)08時52分31秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  > No.907[元記事へ]

Indukmuさんへのお返事です。


> day なのでしょうか、 sun なのでしょうか、それとも両方なのでしょうか。



英語語源辞典によれば、dayは「熱」が語源のようです.日本語の「や」「ひ」に

つきましては、日本語内部でのみの淵源捜索は無理ではないかと考えています.
 

Re: Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月22日(水)23時00分35秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.906[元記事へ]

Indukmuさんへのお返事です。

> 凄く興味深いです!!
>
> 歩行「=かち」と関連づけることも可能ですね。
>
>
> それにしてもクラリンさん、すごいですね… 本気で感嘆しております。


――

冷静に考えたら、副詞「やがて」と副詞「かつ」との関係性が想起されてくるのでした。

古語では共に、コアイメージに《近接》があるのです。

現代語とは違いまして……


――



※day と sun とを共に 日 で表記するのは中国特有のものだと私は思っています。

クラリンさんの【ヤ】は、ヤマトコトバとして、意味のコアイメージは、
day なのでしょうか、 sun なのでしょうか、それとも両方なのでしょうか。

わからなくなってきました。

 

Re: Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月22日(水)22時40分38秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.905[元記事へ]

クラリンさんへのお返事です。
> Indukmuさんへのお返事です。
>
> 「やがて春が来る」の「やがて」は、「や・がて」と形態素分析ができます.
>
> 「や」は「日」、「かて」は「進む」といった意味辺りでしょうか.

凄く興味深いです!!

歩行「=かち」と関連づけることも可能ですね。


それにしてもクラリンさん、すごいですね… 本気で感嘆しております。
 

Re: Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 9月22日(水)19時25分20秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  > No.904[元記事へ]

Indukmuさんへのお返事です。

「やがて春が来る」の「やがて」は、「や・がて」と形態素分析ができます.

「や」は「日」、「かて」は「進む」といった意味辺りでしょうか.


日が進み春が来るというわけです.

石川県鳳至郡方言に「やがて行かんしのー(早く行きなさいよ)」(日本方言大辞典)が

あります.これは「日が進むから早く行きなさいよ」ということになります.


方言にはまた、「いつか。今に。将来」という意味があるとのこと.

「やがて来るだろう」は「日が進む(のちの)いつか」です.


沖縄県首里 「やがてぃしぬたん(もう少しで死ぬところだった)」は転義でありましょう.

以上から、「弥・がて」も考えましたがこれは上例に当てはまりませんので、「日・がて」で

ありましょう.


なお「夜前」という言葉があります.

これは「前日の夜」(『時代別国語大辞典室町時代編5』)という意味とされますが、

であれば「前夜」ではないのか、訝しい解釈です.

すなわち、「夜前」は当て字であって、実際は「日前」ではなかったか・・・.

「やがて」とは逆の意味で、「今日という日の前」であろうかと思います.


日本国語大辞典には「漢語の「昨夜(宵・晩・夕・暮)」の意味を表わす和製漢語」と

あります.









 

Re: Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月21日(火)16時40分25秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.903[元記事へ]

クラリンさんへのお返事です。


お返事が遅れましたことをお詫び申し上げます。

>
> 和語私臆鈔に「八代」を「陽代の義」と解く説があります(日本国語大辞典).
>
> これは誤説でしょうが、「や」を「陽」にあてています.
>


凄い例を見いだしたのですね。御努力に頭が下がります。

ただ、陽と書いてヤと読ませることは、上代では普通にあったことと思います。

それとは別に、現代でも、陽と書いてヤと読ませることは[名乗り]にはあるようです。大辞林だったかにでているはずです。話を元に戻します。

上代で陽の字をヤと訓むことは、所謂、【略音仮名】といわれる用字の一例となりましょう。

日本書紀で、地名カミツヤメに「上陽■」と字をあてています。(■は、口へんに羊のつくり)

後の時代に、例の好字令が出まして、上八妻と書くようになりましたが…

驚いたことに現代でも地元に参りますと「上陽■」表記がありますが、恐らくこれは日本書紀に倣って復活させた用字なのでしょう。

当方、勉強不足ですし当てにはならないことを申すかもしれませんけれども、
和語私臆鈔に「八代」とあるのがヤシロと訓むものであるならば、日本書紀の「陽■」に倣っての発想にて、これを「陽代」と考えたくなった気持ちもわからなくはないです。

しかしながら「陽代」の陽の字は、音仮名ですので、ここから日・太陽まで概念を引くのは和語私臆鈔のやり過ぎではないかと思います。

※ヤシロ地名は大概【社】が起源ですし、ヤツシロ地名は、ヤツ(谷地・湿地)+シロ等々などが起源ともされている、そうした事情もありまして、陽から日に発想を飛躍させることには一抹の不安もございます。

以上となります。
 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 9月13日(月)08時13分47秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  Indukmuさんへのお返事です。

ともあれ、日外で「あぐい」と訓むことに着目しました.

和語私臆鈔に「八代」を「陽代の義」と解く説があります(日本国語大辞典).

これは誤説でしょうが、「や」を「陽」にあてています.

「陽」は「日」の意味ですから、これも「や」を「陽」と言っていたことを窺わせます.


「や」は口蓋化で「あ」となりえます.淡路島に残る名ということで、

何らか「流された」貴人のように思われます.

この「や」は一種のダイグロシアであったのかとも思わせるところがあります.




また、「利囂(とかま)」がどのような意味であれ、やかましく鳴きわたると解されても、

文法上のクレームがなかったことが注目されます.
 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月12日(日)23時24分1秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.901[元記事へ]

その後も
「日外親王」の「日外」は、何故この字が選ばれたのかについて時々考えておりました。
あえてナイーブではありますが「日外親王」は本当に親王であったと仮定して考えています。

畿内中央の資料には「日外親王」の記述が見えないことの理由として最も考え易いものとしては、《「日外」は諱ではない》というものがあります。
すなわち避諱、実名敬避俗が働いていたと考えられます。

堯院法親王の堯院は天台宗において与えられた法諱であり、法親王という貴人ゆえに、やはり実名敬避俗の対象たりえると判断しました。

さて平安時代以降に貴人は目下の者からどのように呼称されていたかについてですが、その貴人が居住する邸宅の名、邸宅の所在地の名や官職の名が多用されるようになりました。
さて、室町時代、清涼殿母屋の南五間を日御座・昼御座(ルビ:ひのおまし)といったりしています。
天皇に準じる貴人が昼間いる部屋、または邸宅のことを日殿・昼殿(ルビ:ひのとの)と言ったようです。
淡路島に一時的に住まわれた親王(または法親王)の実名や諱を忌避する実名敬避俗が淡路島の人々に働いたとするならば、その親王がお住まいになられている建物の名で親王を呼ぶことも十分にありえることと思われます。

以上を踏まえて、あらためて「日外」について考えますと、「外」の字の訓に【との】という珍しいものもあることに行き当たります。すなわち、「日外」は「ひのとの」と読まれていた、「日殿」が本来の用字ではあったものの、「日外」でもって実名敬避俗を実現していた、このようにも考えてみたくなります。

淡路島の地元の郷土資料にある、日外親王が住まわれた土地の地名は、《御所山》なのですが、この地名は現在でも残っています。
《御所》は、室町時代には、だんだんと天皇のお住まいだけを指すのではなく、貴人の住まいを表すようにもなっていきましたし、【大御所】なぞという実名敬避俗の例も江戸時代には発生していたもののようで、親王が住んでいた場所を御所の山と言ったとしても不自然ではありません。一方においては、この御所を、当時の人々が【日殿:ひのとの:日外と書かれた】と呼んでいたこともあり得ます。

実名敬避の結果として「日外(ひのとの)」が生まれた、このように考えてみたいのです。

なお、先日も書きましたが、この時代には既に「日外」という和製漢語に「いつぞやの」あるいは「過日」といった意味があったわけで、「日殿」を書くために「日外」と書くのは変なのですが……

殿村という名字もあれば外村という名字もある、そうした当て字は昔から当たり前にあったと考えてみたいのです。

――

日外を「あぐゐ」と訓むのは熟字訓である、こうした可能性が少しばかり増えてきた気がいたします。
 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月 5日(日)20時00分57秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.898[元記事へ]

クラリンさんへのお返事です。


> 例えばに古事記・歌謡にある「比佐迦多能(ひさかたのノ) 天(あめ)の香具山
> 利鎌(とかま)に さ渡る鵠(くび)の」の「とかま」については古来より
>
> 「鋭利な鎌」と解釈されて,「利鎌(よく切れる鎌)のような(月の)光の形容」と
>
> されています.ですがこれは考え過ぎでありましょう.
>
> これを「利囂(とかま)」と解して,「鋭くやかましく鳴きわたる(鳥)」という解釈も
>
> あります.この説ですと「かまし」ではなく「かま」を容認しています.
>
> ただ、空高く渡っている鵠が五月蝿く聞こえるものかどうか,疑問があります.
>
>
> とはいえ、「かま」の存在を許容しているところは注目されます.
>
>
>

これは興味が引かれます。初めて知りました。ご教示を有り難うございます。
日本国語大辞典の項目「利鎌」にも以下のようにありました。

《[補注]「古事記伝‐二八」以来、挙例の「古事記」の「とかま」も「利鎌」と解されてきたが、「と」は「とし」(鋭・利・敏)の語幹として、「かま」は「かまし」「かまびすし」の語幹で、鋭くやかましく鳴きわたるものと見る説がある。これによれば、「古事記」の「とかま」は他の「利鎌」とは別語とすべきことになる。》

――

トカマの刃の冴えざえとした光を、月の光に喩える……?

三日月の形と鎌の形との同型性に着目されることも多いものとも思われます。

ただ、この歌謡では トカマ は トカマニ として現れていること、この助詞 ニ に注目すべきと存じます。

トカマに さ渡る鵠の

トカマのように 空を渡る白鳥の

と助詞 ニ の語義を限定します。

ここで、白鳥は一羽ではなく群れをなしていることとして思い描きたいと考えます。

さわたる白鳥をはじめ、渡り鳥の多くは、編隊飛行をします。 その姿は、逆Vの字型、ないしは、への字型とも言われていて、長距離飛行を省エネで行うための自然の智恵とされています。

このV字編隊を、 利鎌の形のようだとヤマトタケルは捉えた、そのように受け止めたいところではあります。

もしかしたら白鳥の色の白も、イメージ喚起される歌ではないかとも思います。

というのは、ミヤヅヒメの 細い腕 への修飾と見たいからです。

ヒメの白く細い腕が、ひじのところで角度をなしている(口元に手をもっていっているのか、胸に手を当てているのか) …

その腕の形と色とを、白鳥たちが空を渡るイメージと重ねたと、そのように感じます。

ぎゃあぎゃあ鳴きながら飛ぶ鳥たちと、ヒメのたわやかな腕とは、どうにもつながりません。


――

有坂法則についてのご教示を有り難うございます。
当方の勉強不足でした。

――

随分と脱線してしまいました。

個人的にはこういうのが大好きです。

―――

焼鎌神社 敏鎌神社まであれこれ読みまくりました。こういうのも楽しみです。

――

古墳時代には、鎌が使われはじめたようです。

―――

長々とすみませんでした。
 

Re: アラハバキについて

 投稿者:羽村の縄文人  投稿日:2021年 9月 5日(日)16時19分7秒 softbank060069235157.bbtec.net
返信・引用
  > No.899[元記事へ]

羽村の縄文人です。

美保神社の「となえごと」について調べてみました。美保神社の氏子組織は、客人対応の組織のように見えます。秘伝の「となえごと」は神職さえ知らない門外不出の言葉だそうですが、もしかして、客人を迎える「外国語」なのかなと、勝手に想像しています。
諸手船神事の直前、「客人社」で神事を行い、諸手船神事を行うことを報告し、神事を行うことを知らせる「とーめー」という掛け声が湾内に響くそうです。
この「とーめー」をアイヌ語で見てみると、「とーマゥ」を「海の風」というと書いてあります(地名アイヌ語小辞典P130)。これを解釈すると、船出に適した風が出てきたことを客人に告げ、客人がいとまを告げて、船出するという事象を行事化したように思えます。

蛇足ですが、「アイヌ地名散歩」の中で大友幸男氏は魏志倭人伝の中の投馬国は出雲だろうと言っています。美保神社の近くの松江をアイヌ語に(強引に)当てはめると、マ・たンネ が近く、「入江が長くある」という意味で、中海・宍道湖の大きな潟胡に当てはまります。


羽村の縄文人さんへのお返事です。

> パスカルさんへのお返事です。
>
> パスカルさん、いろいろ考察、参考になります。
>
> アラハバキの神事というか、昔のアラハバキ(来訪者、交易者)を迎えた様子が神事に昇華したのが、出雲の神迎え神事ではないかと想像しています。昨年はコロナで参列できませんでしたが、この10年くらい、毎年神迎え神事に参列しています。
>
> この神事は、
> ① 稲佐の浜で旧暦10月10日の夜、焚火を燃やし、出雲国造が神様を迎える
> ② 神様を客殿(神楽殿)に案内し(エスコートする)、その後宿舎(十九社)にお連れする(かなり速足なので、真っ暗な中、外来者はついていくのに一苦労ですが)
> ③ 会議室(上社)で、縁結びが行われる
> ④ 来訪者は、一週間後、近隣の佐太神社に移動する。佐太神社でも同様の神事が行われる。
> ⑤ 佐太神社の後、来訪者は万九千神社に移動する。
> ⑥ 万九千神社では「なおらえ」(宴会)が行われ、その後、出立(神去出)となる
>
> この一連の神事を見ますと、
> ・来訪者を、その地の長老が、海に目印(焚火)を置いて迎える。(稲佐の浜の稲佐は、アイヌ語の「イナウサン」からきていると思われます)
> ・来訪者は、縁結びのはかりごと、つまり物々交換のマッチングをする
> ・来訪者は、近隣を回る(実は、神在祭は朝日神社から始まります)
> ・来訪者を歓迎して、宴会が催される
> ・現地ではこれを「お忌み様」と呼び、期間中は音を出さないように静かにしている→これは、来訪者に娘などが見つかって差し出されないようにしたのでは?(これはヤマタノオロチと櫛稲田姫の関係)
> ・来訪者は近隣を回り、交易をする
>
> アラハバキと土偶の関係、アラハバキの神様としての性質に関してですが、縄文時代はアイヌと同じで、神様(精霊)があちこちに宿るという考え方で、特に人格化や偶像化はなかったのではと考えています。これは、現代にも伝わる磐座や、滝がご神体という考え方と同じではないかと思っています。
> この神が「子孫繁栄」につながったという考え方は、昔の地方では、来訪者に娘を差し出し、外部からの血を入れて、近親婚を防いだということがあったと聞いたことがあります。これに近いのかなと思います。
>
> 恵比寿に関して、恵比寿様の総本山、美保神社も出雲にあります。恵比寿は蝦夷(えみし)の転訛という方もいて、来訪者という位置づけなのかなとも考えられますね。美保神社には「となえごと」の秘儀も伝わっており、このあたりも研究すると面白いかもしれませんね。
>
>
> > 羽村の縄文人さんへのお返事です。
> >
> > いろいろと勉強になります。
> > ありがとうございます。
> > アラハバキが縄文=アイヌ語由来であること、縄文が漁労民であること等、私も共感できることです。
> >
> > 私が抱いている最大の疑問は「アラハバキとは一体どのような神であるのか」ということです。
> >
> > ①アラハバキの名称がアイヌ語由来であるとするなら、今のアイヌの習俗の中にアラハバキに該当する神(神事)の痕跡を見出すことはできないでしょうか?
> > ただアイヌの神は大半が男性とされているそうなのですが(日本民俗宗教辞典)、土偶の性質から考えて、女性神が多いと思われる縄文の神々とは、やや趣が異なるように感じるのですが。
> >
> > ②このサイトでも紹介されていますが、谷川健一さんが言うようにアラハバキとは「サエの神」であるということに落ち着くのではないかと私には思えます。
> > サエの神は異界との境にあって、外部からの侵入を防ぐ守護神であったと考えると、海辺に何らかの標(しるべ)が立てられていたことは想像できます。
> > また、文化人類学でいうところの「贈与・交換」は、結果としてそれが「交易」になったとしても、あくまでも神の監視の下で行う儀礼的行為(神事)であったと考えます。
> > あるいは、縄文人が海の民であり、アラハバキが海からの収穫を祀る神であったと考えても、矛盾は起こりません。
> > なぜなら、サエの神はのちに道祖神に変化していくように、子孫繁栄や豊穣を願う神でもあったからです。
> >
> > ③これはあくまでも“思い付き”でしかないのですが。
> > 海の神で思い出すのが、異境異端の神であるエビス神です。
> > 記紀に登場せず、神無月の集まりにも呼ばれず、一説によると不具の子ヒルコに同定されたりもします。
> > このような異質さを考えると、もしかするとアラハバキはエビス神に変化変形していったような気もするのです。
> > もちろんこれを証明(あるいはある程度の説明)するのは難しいのですが。
> >
> > 以上、あくまでも一笑に付すような私見にすぎませんが、何らかのヒントになれば幸いです。
> >
> >
> >
> >
> > > 大三元さんへのお返事です。
> > >
> > > 大三元様、わざわざのお返事ありがとうございます。また、例文を挙げてのご指摘、ありがとうございます。これから少しずつ、アイヌ語を勉強してみようかと思っております。
> > > 私も「客人」という解釈に賛成です。舟で(おそらく何艘かの船団で)交易で回っていて、アラハバキの目印で上陸、現地の人々と交流・交易がおこなわれたと想像すると、舟で訪問してきた人たちは見方を変えれば「客人」といえます。長野正孝氏の「古代史の謎は海路で解ける」を読みますと、長野氏がご自身の船乗りとしての経験から古代の航海を想像されていますが、そんな状況が想起されます(古墳が宴会場だったというのには賛同できないのですが)。アラハバキ神に航海の無事を祈り、客人社に饗応のお礼をするようなこともあったのではないかと、勝手に空想しております。長野氏の言われる「神社は交易の場だった」という考えには賛成しております。網野善彦氏も、中世においても神社が地域へ経済的役割を果たしていたと述べられています。
> > >
> > > 長々とお邪魔いたしました。
> > >
> > >
> > >
> > >
> > >
> > >
> > > > 羽村の縄文人さんへのお返事です。
> > > > 神奈備さん、リファありがとうございます。
> > > >
> > > > 「大山氏はこれを「かしら=首領」と解釈したようですが」:
> > > > 私の解釈ではありませんで、萱野茂さんの辞書(p371)に出ています。
> > > >
> > > > pake 首領,頭./コタン オッタ(オロ タ) ウタラパケ シコロ ア・イェ クル インネ コロカ タプイキクル ア・イェ ヒ ウタラパケ ネ ワ=村には仲間の首領と言われる人大勢いるが,今来て行った人,あの人のことを言うのが村の首領だよ.
> > > >
> > > > 例文を見るとこの文脈では「首領」(村長、集落の長)あたりに理解して好いようですね。
> > > >
 

Re: アラハバキについて

 投稿者:羽村の縄文人  投稿日:2021年 9月 5日(日)12時35分36秒 softbank060069235157.bbtec.net
返信・引用
  > No.881[元記事へ]

パスカルさんへのお返事です。

パスカルさん、いろいろ考察、参考になります。

アラハバキの神事というか、昔のアラハバキ(来訪者、交易者)を迎えた様子が神事に昇華したのが、出雲の神迎え神事ではないかと想像しています。昨年はコロナで参列できませんでしたが、この10年くらい、毎年神迎え神事に参列しています。

この神事は、
① 稲佐の浜で旧暦10月10日の夜、焚火を燃やし、出雲国造が神様を迎える
② 神様を客殿(神楽殿)に案内し(エスコートする)、その後宿舎(十九社)にお連れする(かなり速足なので、真っ暗な中、外来者はついていくのに一苦労ですが)
③ 会議室(上社)で、縁結びが行われる
④ 来訪者は、一週間後、近隣の佐太神社に移動する。佐太神社でも同様の神事が行われる。
⑤ 佐太神社の後、来訪者は万九千神社に移動する。
⑥ 万九千神社では「なおらえ」(宴会)が行われ、その後、出立(神去出)となる

この一連の神事を見ますと、
・来訪者を、その地の長老が、海に目印(焚火)を置いて迎える。(稲佐の浜の稲佐は、アイヌ語の「イナウサン」からきていると思われます)
・来訪者は、縁結びのはかりごと、つまり物々交換のマッチングをする
・来訪者は、近隣を回る(実は、神在祭は朝日神社から始まります)
・来訪者を歓迎して、宴会が催される
・現地ではこれを「お忌み様」と呼び、期間中は音を出さないように静かにしている→これは、来訪者に娘などが見つかって差し出されないようにしたのでは?(これはヤマタノオロチと櫛稲田姫の関係)
・来訪者は近隣を回り、交易をする

アラハバキと土偶の関係、アラハバキの神様としての性質に関してですが、縄文時代はアイヌと同じで、神様(精霊)があちこちに宿るという考え方で、特に人格化や偶像化はなかったのではと考えています。これは、現代にも伝わる磐座や、滝がご神体という考え方と同じではないかと思っています。
この神が「子孫繁栄」につながったという考え方は、昔の地方では、来訪者に娘を差し出し、外部からの血を入れて、近親婚を防いだということがあったと聞いたことがあります。これに近いのかなと思います。

恵比寿に関して、恵比寿様の総本山、美保神社も出雲にあります。恵比寿は蝦夷(えみし)の転訛という方もいて、来訪者という位置づけなのかなとも考えられますね。美保神社には「となえごと」の秘儀も伝わっており、このあたりも研究すると面白いかもしれませんね。


> 羽村の縄文人さんへのお返事です。
>
> いろいろと勉強になります。
> ありがとうございます。
> アラハバキが縄文=アイヌ語由来であること、縄文が漁労民であること等、私も共感できることです。
>
> 私が抱いている最大の疑問は「アラハバキとは一体どのような神であるのか」ということです。
>
> ①アラハバキの名称がアイヌ語由来であるとするなら、今のアイヌの習俗の中にアラハバキに該当する神(神事)の痕跡を見出すことはできないでしょうか?
> ただアイヌの神は大半が男性とされているそうなのですが(日本民俗宗教辞典)、土偶の性質から考えて、女性神が多いと思われる縄文の神々とは、やや趣が異なるように感じるのですが。
>
> ②このサイトでも紹介されていますが、谷川健一さんが言うようにアラハバキとは「サエの神」であるということに落ち着くのではないかと私には思えます。
> サエの神は異界との境にあって、外部からの侵入を防ぐ守護神であったと考えると、海辺に何らかの標(しるべ)が立てられていたことは想像できます。
> また、文化人類学でいうところの「贈与・交換」は、結果としてそれが「交易」になったとしても、あくまでも神の監視の下で行う儀礼的行為(神事)であったと考えます。
> あるいは、縄文人が海の民であり、アラハバキが海からの収穫を祀る神であったと考えても、矛盾は起こりません。
> なぜなら、サエの神はのちに道祖神に変化していくように、子孫繁栄や豊穣を願う神でもあったからです。
>
> ③これはあくまでも“思い付き”でしかないのですが。
> 海の神で思い出すのが、異境異端の神であるエビス神です。
> 記紀に登場せず、神無月の集まりにも呼ばれず、一説によると不具の子ヒルコに同定されたりもします。
> このような異質さを考えると、もしかするとアラハバキはエビス神に変化変形していったような気もするのです。
> もちろんこれを証明(あるいはある程度の説明)するのは難しいのですが。
>
> 以上、あくまでも一笑に付すような私見にすぎませんが、何らかのヒントになれば幸いです。
>
>
>
>
> > 大三元さんへのお返事です。
> >
> > 大三元様、わざわざのお返事ありがとうございます。また、例文を挙げてのご指摘、ありがとうございます。これから少しずつ、アイヌ語を勉強してみようかと思っております。
> > 私も「客人」という解釈に賛成です。舟で(おそらく何艘かの船団で)交易で回っていて、アラハバキの目印で上陸、現地の人々と交流・交易がおこなわれたと想像すると、舟で訪問してきた人たちは見方を変えれば「客人」といえます。長野正孝氏の「古代史の謎は海路で解ける」を読みますと、長野氏がご自身の船乗りとしての経験から古代の航海を想像されていますが、そんな状況が想起されます(古墳が宴会場だったというのには賛同できないのですが)。アラハバキ神に航海の無事を祈り、客人社に饗応のお礼をするようなこともあったのではないかと、勝手に空想しております。長野氏の言われる「神社は交易の場だった」という考えには賛成しております。網野善彦氏も、中世においても神社が地域へ経済的役割を果たしていたと述べられています。
> >
> > 長々とお邪魔いたしました。
> >
> >
> >
> >
> >
> >
> > > 羽村の縄文人さんへのお返事です。
> > > 神奈備さん、リファありがとうございます。
> > >
> > > 「大山氏はこれを「かしら=首領」と解釈したようですが」:
> > > 私の解釈ではありませんで、萱野茂さんの辞書(p371)に出ています。
> > >
> > > pake 首領,頭./コタン オッタ(オロ タ) ウタラパケ シコロ ア・イェ クル インネ コロカ タプイキクル ア・イェ ヒ ウタラパケ ネ ワ=村には仲間の首領と言われる人大勢いるが,今来て行った人,あの人のことを言うのが村の首領だよ.
> > >
> > > 例文を見るとこの文脈では「首領」(村長、集落の長)あたりに理解して好いようですね。
> > >
 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 9月 5日(日)09時43分5秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  Indukmuさんへのお返事です。


> ●その2
>  上代から平安時代にかけての資料上では、形容詞「喧し(かまし)」の存在の、具体的な確
> 例は存在せず、「あなかま」他から、【このような形容詞があったものと推定される】存在な> のでした。
>

具体的な例は「日香天之」として存在します・・・とはいえ、これでは循環論法となってしまいます

が、このような推定を必要とする語彙は上代文献には豊富に存在します.もし、これら推定形が

ずべて排除されたとすると、極言すれば万葉学などは成立しなくなると言えるかも知れません.

例えばに古事記・歌謡にある「比佐迦多能(ひさかたのノ) 天(あめ)の香具山

利鎌(とかま)に さ渡る鵠(くび)の」の「とかま」については古来より

「鋭利な鎌」と解釈されて,「利鎌(よく切れる鎌)のような(月の)光の形容」と

されています.ですがこれは考え過ぎでありましょう.

これを「利囂(とかま)」と解して,「鋭くやかましく鳴きわたる(鳥)」という解釈も

あります.この説ですと「かまし」ではなく「かま」を容認しています.

ただ、空高く渡っている鵠が五月蝿く聞こえるものかどうか,疑問があります.


とはいえ、「かま」の存在を許容しているところは注目されます.


 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:クラリン  投稿日:2021年 9月 5日(日)09時14分44秒 ZP118057.ppp.dion.ne.jp
返信・引用
  > No.895[元記事へ]

Indukmuさんへのお返事です。

> ●その4
> クラリンさんが有坂法則について言及なさっておいででしたけれども、《~アマよりも~アメのほうがよい》理由とは無関係のように思います。以下に有坂法則をあげておきます。
> 第一則:甲類のオ列音と乙類のオ列音とは同一結合単位内において共存することがない
> 第二則:ウ列音と乙類のオ列音とは同一結合単位内において共存することが少ない
> 第三則:ア列音と乙類のオ列音とは同一結合単位内において共存することが少ない


その4でご指摘の有坂法則はご存じの「有坂・池上法則」,即ち母音調和

という法則です.

私の申しましたのは、sak・e=ya→sak・a=yaという合成語の変音現象の方

です.もっとも、有坂「上代音韻論」(三省堂.s30)では露出形・被覆形の

名を与えておりますが、これも音韻法則の範疇ですので有坂法則と書

きました.わかりにくい記述で申し訳ありません.



 

Re: 「日香天之天之(やかましあめの」

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月 4日(土)18時33分44秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
返信・引用
  > No.895[元記事へ]

クラリンさんへのお返事です。
>
> 以上は後述の参考文献1を学んだところによります。

失礼いたしました、書きおとしました。


●形容詞「かしかまし」小考|森脇茂秀

h□□p://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/kg04506.pdf?file_id=3861

 

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