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戌の話4

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年 1月22日(月)20時36分23秒 ac108236.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  4 空海
空海は宝亀5年(774)四国の善通寺の近くで生まれた。幼名は真魚(まお) といい、大変賢い子供であったので叔父に勧められ奈良の大学に学ぶ。
しかし大学で教えられる儒学では社会の矛盾を解決できないのではと悩む。その時一人の僧と出会ったて、大学をやめ、修験者の中に身を投じて自然の中で荒行を積むようになった。正式に出家したのは20歳の時。やがて空海と名乗る。「空海」の名は、室戸岬の近くの御蔵洞という洞窟で虚空蔵 求聞持法の修行をしていた時「わが心空の如く、わが心海の如く」という境地を体験したことから付けた名前であるとされる。
 空海は自然の中で修行をするとともに、奈良の寺院にも出入りして理論的なこ とも学んだ。二十歳前半のころ、経蔵の中で「大日経」を発見、内容 に興奮。しかし、その経を解説できる者は当時日本にはいなかった。彼は中国へ渡ることを決意したとされる。
25歳から31歳頃までの空海の足跡は全く分かっていない。
和歌山市の田福寺の瀧智真住職さんの独特のものの見方。
 空海中国密航説である。大師の若き頃の空白の数年間、また中国へ遣唐使の時の文章、会話など語学等併せて考えると留学以前に一度密航していたと想像できるとの説である。
また渡航に必要 な巨額な費用は、高野山の水銀朱であったと思われる。

空海 は31歳の時、私費留学生として中国へ渡ります。留学の予定は20年間でしたが、実質2年で目標を達成し、帰国します。

さて、若いころに高野山について熟知していた空海には案内人が必要だったのだろうか。このあたりは高野の地を浸食したい空海の弟子たちのでっち上げた物語と思われます。
しかし壇場伽藍に山王院と丹生明神・高野明神が祀られています。丹生都比売神社も同様の神が祀られています。この高野明神の正体は一体何でしょうか。そうです、山の神、弘法大師空海のことだと思われます。
 
 
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