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2.ウケモチ神話
『日本書紀』 天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。
この神話は、①自分の身体から食物や貴重な物が出る。②殺される。③死体の色々な部分から種類の違う農作物が発生する。にまとめられる。これとよく似た神話がインドネシアで採取されている。
ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。
保食神の話で挙げられている作物は焼畑農業で作られる物に加えて、発達した農業を思わせる牛馬や稲がある。古栽培時代に伝承されてハイヌウェレ神話が奈良時代にかけて発展して来たものと思われる。
和歌山に伝わる名草戸畔の伝承にも、頭・腹・足とバラバラに埋められたとされる。
縄文時代中期の土偶が打ち壊されて、破片が別々な場所に処理された遺跡が多く発見されている。土偶は縄文初期の段階でも作られており、乳房の誇張的表現などが見られ、女性をかたどったものと考えられる。
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