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Re: 二王後制9

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年 4月 2日(月)09時21分18秒 ah206061.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  > No.572[元記事へ]

 日前国懸神が現在地に鎮座する際、先に鎮座していた伊太祁曽神社が別の場所に遷っています。和歌山では、これを 国譲り と呼んでいます。

 『日本書紀』では、饒速日尊は神武東征の際、大和を支配していた長隋彦を殺して、神武天皇に帰順したことが語られています。神武東征の最大の功労者とも言えます。大和の人々から見ると裏切り者とみている方もおられます。

 なお、日前国懸神宮は現在は日前神と国懸神の二柱の神を祀っており、共に天照大神としています。朱鳥元年(686)、天武天皇が奉幣を、紀伊国国懸神と飛鳥四社=飛鳥坐神社の四神(大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神)、住吉大神に行っています。紀伊国は国懸神の一柱のみにでした。その頃の日前国懸神は日神である国懸神という意味だったのでしょうが、奈良時代以後に、日前神と国懸神に分離したと思われまます。


 『日本書紀』神武さんが東征の開始前に相談したとされる塩土老爺が「東に美き地あり。青山四周せり。その中に亦、天の磐船に乗りて飛び降る者あり。是れ、饒速日をいうか。」とあり、これが東のよき地の大和への移動を決断させたのです。奈良時代に編集された『日本書紀』に、神武天皇の前の大和の支配者は、饒速日はっきりと書いてあります。


 弥生時代を代表する祭祀道具に銅鐸があります。
 大阪では。四条畷市 八尾市、高槻市、茨木市などから出土しています。交野や枚方からも出てくると思います。この銅鐸の製造にかかわったのが物部氏と言われており、饒速日命の子孫といえます。

 
 
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