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渤海国 3

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年 9月28日(金)20時40分44秒 ah201220.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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3. 建国
不満のたまっていた連中は挙兵、満州の奥地の山岳部にはいり抵抗。手に負えない唐は道路阻絶として討伐中止した。唐は則天武后の時代であった。
高句麗王族の大祚栄が698年、辰(震)国を建国した。民族自立に見える。後の渤海国である。高句麗の北半分に沿海州を領土とした。
唐から友好のよびかけに応じて次男を唐に送り藩屏下に入り、渤海郡王を贈られる。
718年、大祚栄卒す。長子・大武芸即位。総べての靺鞨族を配下にするべく動くが、北方の強力な黒水靺鞨は抵抗、唐と通交していた。
   大武芸は弟と折り合いが悪く、唐・渤海戦争になりそうだったが玄宗皇帝が兄弟の仲を説き、穏便に収めた。
大武芸は沿海州に版図を広げ、海を越えて日本との通商に便利な立地を得た。
   727年10月 第一回渤海使。出羽に漂着、24人の内、16人は蝦夷に殺され、残った8人が命からがら、国書と土産の貂皮300張を持って平城京にたどりついた。
   国書には、「高麗の旧居を復して、扶余の遺俗を有(たて)り云々」とあった。
   本音は新羅の頭越しでの軍事の提携だったようだが、高句麗国の後裔として友好関係を進めたいとのこととなっていた。この年に陰謀を企てたとして殺される長屋王も邸宅に招待し歓迎の宴を持った。渤海使8人を送り届けるために、舟を建造し、62人の送使団を編成、728年8月に送っていった。
 
 
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