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6. 渤海その後

 投稿者:神奈備  投稿日:2018年10月11日(木)11時43分49秒 ah201220.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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   朝鮮半島の情勢にも変化がでてきた。百済の農民出身の甄萱が892年に南西部に後百済を、新羅王族の弓裔が901年に北部に後高句麗を建て、後三国時代に入る。新羅の孝恭王は、これに対抗する事ができず酒色におぼれ、新羅の領土は日増しに削られて行き新羅は滅亡の道をたどることになる。935年、長く朝鮮半島を支配していた新羅が滅びた。
 後高句麗の武将であった王建は弓裔の暴政に対して政変を起こして弓裔を追放し918年に高麗を興した。
 高麗国は高句麗の後裔とされて、国力の衰えた渤海国から高麗へ行く者が絶えなかった。こういうことも渤海の滅亡に拍車卯をかけた。契丹は渤海を破壊し、文書などは焼き、栄えた文化が消えてしまっている。

 渤海国の滅亡後、その地に国をつくるものはいなかった。ただ、女真族の民人が住み続けたのである。

 渤海国を復興させたのは、日本軍であり、満州国を建国したが、僅か14年弱で滅びた。

 渤海貞孝公主墓壁画は前期渤海の絵画技術の高さをしめしている。石像の彫刻も優れていた。また、唐三彩もよい。

渤海の技術ではないが、「唐鴻臚井刻石」は、唐の憲宗が713年、大祚栄を「渤海国王」に冊封した時に送って遼寧省旅順に建てたものである。どうやら皇室にあるようで、中国が返還請求をしてきている。渤海を独立国と認めず、唐の属領の扱いである。
                                    以上
参考文献
『渤海』上田雄 講談社学術文庫  『渤海と日本』東北亜歴史財団 明石書店
 
 
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