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Re: 邪馬臺の語義

 投稿者:Indukmu  投稿日:2021年 9月 4日(土)00時21分56秒 ap1-233-25-127-153.bbtec.tokyo
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  > No.891[元記事へ]

クラリンさんへのお返事です。

引き続き、日外親王について私の思うところを申し上げます。

親王宣下を受けた方々の一覧をまとめて下さっているページがあります。

■親王宣下一覧<花筐館>
h□□p://www.hanagatamikan.com/hollyhock/royal/shin-no.html

「日外親王は後花園天皇の御子」という伝承があるようですので、
上記一覧データから〈後花園天皇の子〉を、データを補いながら抜き出します。

1:成仁親王(=後土御門天皇)
後花園天皇の皇子(ただ一人の男子実子)

2:貞常親王 、
伏見宮貞成親王王子、後花園天皇猶子(猶子:かたちの上で親子の縁組み)、親王宣下、文安2(1445)年

3:堯胤親王、
伏見宮貞常親王王子、後花園天皇猶子 親王宣下、文明3(1471)年。

――
貞常親王およびに、その王子である堯胤親王が共に、後花園天皇の猶子となることについての異常な感じは、現代人の感覚なのでしょうかね。
――

日外親王は、上のお三方のうち誰なのか……

まず、成仁親王は不可です。京の都を離れて淡路島に避難している形跡はありません。
仮にそうなら、日外氏は後土御門天皇の子孫を名乗りそうなものです。

次に、貞常親王ですが、こちらも政争の台風の目にはなっているものの、洛内で権力を保持し続けました。戦前の旧宮家である伏見宮の血脈の祖でもあります。

日外親王となりえるのは、堯胤親王だけとなります。
堯胤親王は、実は堯胤法親王です。政争の表舞台から身を引くていで、いったん出家した後に、親王宣下を受けています。
堯胤は、出家後の法名でして、出家前の名については今回はいくら調べてもわかりませんでした。
堯胤は、後に天台宗の座主になっています。天台宗の代々の座主の名には「堯」が含まれる場合がしばしばあります。さしずめ「胤」は皇統の一員であることを意味していたのでしょう。

堯胤法親王が、日外親王の有力候補ですが…辻褄があうのでしょうか。

・「文明元年(1469)日外親王は、京から淡路島の志筑に渡られ、中田の里に入られました。」と口碑にありました。一方、

・親王宣下、文明3(1471)年。
でした。


すなわち、名前不明の伏見宮貞常親王の王子が、
応仁2年(1468年)京都三千院で出家し、
文明元年(1469)に淡路島に渡り、
そこで子をなし(=内蔵助)

まもなく都に帰り、
文明3年(1471)に親王宣下を受けたことになります。

ちょっとおかしいのが、出家時に10才であったことから、淡路島にわたったのが11才であることです。
ことによると親王宣下のちにも淡路島と京とを往来し、子をなしたのかもしれません。
※伏見宮の男子は必ず親王となる、そのようなルールがあるとも聞いたことがあります。ならば、
伏見宮の堯胤法親王の子は親王になりえるので、それなりの名乗りがあっても良さそうですが…内蔵助という名になっているのは解せません。

――

ここまで、かなり強引に見えますでしょう?

この話はまだ続きます。
 
 
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