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Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時29分32秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.491[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  749 天平宝字元 はたせるかな、陸奥で金が発見されたのである。
>
> 大仏拝礼のため八幡大神入京、憑坐(よりまし)の大神杜女が紫の輿に乗って上京し大仏を拝んだ。文武百官を率いた孝謙天皇・聖武太上天皇・光明皇太后の行幸いしているさなかのことである。
>
>  八幡大神一品 比売神二品 神階を受けた最初の神。一品が与えられているのは、ばくぜんと天皇霊と思われていた。皇祖扱である。
>
> 752 天平宝勝4 大仏開眼供養。
>
> 754 天平宝勝6 薬師寺の行信と八幡神宮の主神大神多麻呂、禰宜大神杜女が厭魅(呪詛)をなしたとして配流される。反聖武の光明皇太后・藤原仲朝呂に怨念。
>

大仏拝礼のため八幡大神入京、憑坐(よりまし)の大神杜女が紫の輿に乗って上京し大仏を拝んだ。

=============

位違いの輿行列では、逆鱗に触れるのは当然ですが、
この配流先が日向のどこか?
どうも識者によると高千穂らしいのですが。。

しかしここに「大神氏」が土着したのはこの後で、

仁和二年(886)には、大神朝臣良臣が下向している。


仁和二年(八八六)正月十六日丙申

外従五位下行
左大史大神朝臣良臣為肥後介。


===== 三代実録巻四十九 ====

大神系図

始祖大神太夫惟基

大和大三輪の一族
豊後介大神良臣の孫

惟基の嫡子 政次は
高知尾太郎と呼ばれる

日向の三田井に入植する


==== 大神系図(都甲家蔵) ====

実は、宮崎の神社伝承(古文書)を読んでいたら
「采女」が出てくる由緒があります。
精査が必要ですが、他県の史資料は皆目。
特に宮崎、大分の古書はオークションでも
破格の高値、到底手が出ません。
在野の謎解きは大変です。

余談ながら、
島津藩は、高千穂から延岡辺りまで
知行していました。

http://yorihime3.net/mado/chinoo.html

 
 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊4 2

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時14分12秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.490[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 724 神亀3 聖武天皇~749 菩薩国家、即ち誰もが仏の道を目指す国造りを目指した。した。八幡神は軍神として律令国家の西方の境界を守り、放生と云う仏教的手段によって。殺生によって引き起こされる病から国を護った。その意味で、八幡は日本初の鎮護国家の神であった。

この15日は
鹿児島神宮の「お浜下り」でした。
神宮から約4㎞の浜辺のご神幸地迄の御幸でした。
なんとか雨も揚がって曇天の行列でした。

天気予報では時々雨の予報でしたので
今回は、神宮境内での行列を撮影しました。

https://youtu.be/K6L4eAn55Rg

http://yorihime3.net/mado/hohjoe.html

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊 2

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時03分50秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> 『託宣集』の「大隅宮(正八幡、鹿児島神宮)縁起」年不明 以下の伝承がある。陳大王の娘大比留女は、七歳にして懐妊す。略。只朝日の光、胸の間にあり。しかる後懐妊して子を生む。三歳の時、問ひて云く。君は誰人ぞ。答えて云く。「我が名は八幡」と云う。
>

楽しく拝読しました。
これの出典は、

☆八幡愚童訓☆

震旦國陳之大王之娘
大比留女之七歳眩朝日ノ光胸ノ間ニ
指入ヲ御懐妊有テ
皇子ヲ生給シ王臣是ヲ怖テ
空舟ニ奉乗テ流シ着タラン所ヲ
所領トシ給ヘトテ
大海ニ奉浮ニ日本國鎮西大隅ノ磯之岸ニ
着船フ
其太子ヲ八幡ト奉號シヨリ
御舟ノ着タル所ヲ八幡崎ト名付タル
是ハ継体天皇之御宇也
又大比留女筑前國若杉山ヘ飛入給テ後ハ
香椎聖母大菩薩ト現給ヘリ
皇ハ大隅之國に留テ
正八幡ト現シ給ヘリ

・・・・・・・・


==== 八幡大菩薩愚童訓 上p24 ====

鹿児島神宮史 p26
はここから引用しています。

「継体天皇の御世、
中国の陳大王の娘
大比留女(おおひるめ)が
七歳にして
朝日を受けて懐妊し、
生まれた子と共に
空船(うつろふね)
に乗せられて流され、
大隅八幡崎に着いた。

生子は
ここで正八幡となって
隼人を討ち、
生母は筑前香椎(かしい)
に飛んで
聖母(しょうも)大菩薩
となった」


2017年現在、
到着地の「かご山」には石碑が建立されています。
私がこの所在を知ったのは
この「かごやま」の探訪をしていた2000年頃のことです。
今春、神宮に興味をお持ちのご夫婦をご案内しました。

http://yorihime3.net/jisya/hachiman.html

 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:大三元  投稿日:2017年10月14日(土)20時54分42秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.535[元記事へ]

神奈備さん
レス有り難うございます。
この「詳細な説明板」では「素邪那岐命」を「いざなみ」と読ませたり、「疱瘡」を「抱瘡」としたり「神武天皇御祭神」という意味不明なことが書いてあったりして、首をかしげています。電話番号も判らないのでいつか訪れてお伺いしてみようと思います。
いずれにしても、はい、ロマンがあります(^_^)


> 大三元さんへのお返事です。
>
>  宇井邦夫著『東京の熊野神社』から。
>  古木も聳える境内には、詳細な説明板が掲出され、親切である。由緒についてみると、祭神は「素邪那岐命」であった。
>  創建は不詳であるが、その昔、諸国行脚の老婦人が、この地に紀州熊野本宮大社を齊祀したという。古文書(現存せず)では、「応安(1268)の頃片倉城主毛利備中守師親が創建した」と伝えている。
>
>  伊と素、普通は書き間違いはありえないと思います。熊野では植樹の神は素戔嗚尊とする由緒もあり、五十猛・伊太ての神との混同は十分ありそうですが、八王子市の熊野神社10社(この中には高尾山の熊野は含まれていません。)の殆どが、イザナギ・イザナミ・速玉緒男で、素戔嗚尊は1社のみです。五十猛はありません。
>
>  「素邪那岐命」からは、古い記憶の蘇りがあったかもとのロマンを感じますね。
>
>
>
>
 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年10月13日(金)20時21分37秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.534[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

 宇井邦夫著『東京の熊野神社』から。
 古木も聳える境内には、詳細な説明板が掲出され、親切である。由緒についてみると、祭神は「素邪那岐命」であった。
 創建は不詳であるが、その昔、諸国行脚の老婦人が、この地に紀州熊野本宮大社を齊祀したという。古文書(現存せず)では、「応安(1268)の頃片倉城主毛利備中守師親が創建した」と伝えている。

 伊と素、普通は書き間違いはありえないと思います。熊野では植樹の神は素戔嗚尊とする由緒もあり、五十猛・伊太ての神との混同は十分ありそうですが、八王子市の熊野神社10社(この中には高尾山の熊野は含まれていません。)の殆どが、イザナギ・イザナミ・速玉緒男で、素戔嗚尊は1社のみです。五十猛はありません。

 「素邪那岐命」からは、古い記憶の蘇りがあったかもとのロマンを感じますね。



 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:大三元  投稿日:2017年10月 9日(月)05時52分58秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.533[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。
> 穂見神社と高尾とは何故かつながっているようです。
どんな関連があるのでしょうね。
穂高、穂高見、穂穂手見、高千穂、なんかも含めて何か原点がありそうな・・・
そこへ「熊野」という変数を追加して益々難しく考えたりしてます。

東京の高尾山も熊野神社があり、祭神は「素邪那岐命」とのこと。
https://kzmuraoka.files.wordpress.com/2012/08/m-51086.jpg
「素邪那岐命」と書いて「イザナミのみこと」とフリガナしています。
こんな漢字列は他に例がない(みつからない、知らない)のですが
実は私は「スサナキ」「イサナキ」が「スサノヲ」の古い形ではなかろうか、と考えています。
http://www.dai3gen.net/susanaki.htm
従って「素邪那岐命」というスペルに出会い歓喜してます。
しかし余りに珍しい表記なので、なんかの間違いかなぁ、とも不安でもあります。



> 大三元さんへのお返事です。
>
> 大三元さん、投稿ありがとうございます。
>
> 穂見神社と高尾とは何故かつながっているようです。
> 平成祭CDから由緒などをひっぱりました。
>
> 1.
> 穗見神社(ほみじんじゃ
> <通称>高尾さん(たかおさん)
> 400-03 山梨県中巨摩郡櫛形町高尾498
> 旧甲斐国 巨摩郡    中巨摩支部 05098
> 【祭神】保食神
> 標高八百五十米櫛形山中腹に鎮座する当社は延喜式内社で文治三年の古碑に穂見神社とある。今の本殿は寛文五年に再建された桃山時代の様式が残る江戸初期の建物で規模雄大で装飾性に富む建物である。天福元年と銘ある鎌倉時代の鏡があり、共に県指定の文化財とされている。
> 十一月三十日より十二月一日に亘って夜を徹しての例祭には講者として遠くは長野・静岡新潟各県より、県内では富士吉田・大月方面より其の他近郷近在の崇敬者多数の参詣がある。
> 以上
>
>
> 2
> 穗見神社(ほみじんじゃ)
>
> <通称>高尾山(たかおさん)
> 403 山梨県富士吉田市松山485
> 旧甲斐国 都留郡    南都留支部 07043
> 【祭神】保食神
>
>
> 3 高尾山古墳の
> 熊野神社(くまのじんじゃ
>  静岡県沼津市東熊堂24
> 旧駿河国 駿東郡    駿東支部 03182
> 【祭神】伊弉册尊
> 摂社
> 【境内神社001】穂見神社(ほみじんじゃ)
>  静岡県沼津市東熊堂24
> 旧駿河国 駿東郡    駿東支部 03182
> 【祭神】宇迦之御魂神
>
> となります。
>
>
 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年10月 7日(土)21時29分52秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.532[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

大三元さん、投稿ありがとうございます。

穂見神社と高尾とは何故かつながっているようです。
平成祭CDから由緒などをひっぱりました。

1.
穗見神社(ほみじんじゃ
<通称>高尾さん(たかおさん)
400-03 山梨県中巨摩郡櫛形町高尾498
旧甲斐国 巨摩郡    中巨摩支部 05098
【祭神】保食神
標高八百五十米櫛形山中腹に鎮座する当社は延喜式内社で文治三年の古碑に穂見神社とある。今の本殿は寛文五年に再建された桃山時代の様式が残る江戸初期の建物で規模雄大で装飾性に富む建物である。天福元年と銘ある鎌倉時代の鏡があり、共に県指定の文化財とされている。
十一月三十日より十二月一日に亘って夜を徹しての例祭には講者として遠くは長野・静岡新潟各県より、県内では富士吉田・大月方面より其の他近郷近在の崇敬者多数の参詣がある。
以上



穗見神社(ほみじんじゃ)

<通称>高尾山(たかおさん)
403 山梨県富士吉田市松山485
旧甲斐国 都留郡    南都留支部 07043
【祭神】保食神


3 高尾山古墳の
熊野神社(くまのじんじゃ
静岡県沼津市東熊堂24
旧駿河国 駿東郡    駿東支部 03182
【祭神】伊弉册尊
摂社
【境内神社001】穂見神社(ほみじんじゃ)
静岡県沼津市東熊堂24
旧駿河国 駿東郡    駿東支部 03182
【祭神】宇迦之御魂神

となります。

 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:大三元  投稿日:2017年10月 7日(土)17時39分38秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.527[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

高尾山古墳には以前「熊野」神社と「穂見」神社があったそうですね。
天照大神と須佐之男のウケヒにより生まれた5(6)神の中に「熊野忍踏(ホミ)命」があり「熊野」も「穂見」も入っているのがオモシロイと思いました。
(そこから発展できないのがもどかしい・・・)


> 昨日の「古代を偲ぶ会」の講演内容は、沼津の高尾山古墳でした。  卑弥呼以前の前方後方墳で、ヒョットシタラ、狗奴国王の墓かもしれません。箸墓より20年ほど昔の造営。 日本の古代史が変わるかも高尾山古墳 http://www.shizufan.jp/netamap/tobu/55279/
 

筑前琵琶演奏会のお知らせ

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 9月19日(火)17時36分12秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  10月13日(金) 17時30分
伴林氏神社 土師の里下車10分
http://kamnavi.jp/en/kawati/hayasi.htm

http://kamnavi.jp/link/biwa.JPG
 

大物主も

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 9月 3日(日)21時28分57秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  崇神朝での武埴安彦の謀反とは、天香ク山の麓に鎮座する畝尾坐健土安神社[ウネヒノタケハニヤス・・]の神の反乱ということ。  

蘇我氏5

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月23日(水)11時46分36秒 ah227158.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  593 敏達天皇と炊屋姫の皇子の嫡流である竹田皇子はまだ幼く、敏達の最初の皇后が生んだ押坂彦人大兄皇子(舒明天皇の父)を推す反蘇我派の声を押しつぶし、馬子は蘇我腹の豊御食炊屋姫を推古天皇として擁立した。
600 遣隋使の最大の目的は任那地域の倭の統治権を隋に認めさせること。
601 聖徳太子は飛鳥では蘇我の力が強すぎる また 皇族が一網打尽にされる恐れがあると考え、別処にもう一つの皇族の拠点が必要と考えた。それが斑鳩である。蘇我氏としては目障りな存在であったろう。
 飛鳥と斑鳩を直線で結ぶ太子用の道が斜めに施設された。太子の権勢がよくわかる。
(余談)
斑鳩は東に20度傾いた都市計画になっており、若草伽藍も傾いている。
20度という角度は正月を迎える真夜中にシリウス星が真南から東に傾いた向きと一致している。シリウス星は古代ペルシャの「ミトラ教」という宗教が信仰の対象にした星です。
聖徳太子をモデルとした法隆寺(夢殿)の救世観音菩薩立像の身長が180cmで、日本人離れをしており、遠く、砂漠と海を越えて渡来した人物とする説もある。また寺院建立でまねかれたペルシャ人と穴穂部間人皇女との間に何かあったのかも知れない。(余終)
604 十七条の憲法をつくる。
605 聖徳太子、斑鳩宮に移る。
612 馬子と推古、お互いを称える歌を詠む。蘇我、馬なら日向、太刀なら呉の真刀に例えられるほど優れている。蘇我氏はいつの間にか馬と鉄の利権をつかんでいた。
618 隋滅亡、唐興る。
620 蘇我馬子と協議して「天皇記」、「国記」などを選録する。
622 聖徳太子没する。譲位の習慣がない時代、推古天皇は長生きをしすぎて、皇位を譲るべき欽明の孫の世代がいなくなった。聖徳太子には王子8人、王女6人がおり、将来は大勢力になる
624 馬子、推古天皇に葛城県をねだったが拒否された。
626 馬子、死去。桃原墓を墓所とする。これを石舞台古墳とする説がある。前述。
628 推古、病臥する。田村皇子、山背大兄皇子をよび、遺訓を与える。

嗣位(ひつぎのくらい)をめぐって、推古天臭の遺詔を群臣が協議。推古は山背大兄皇子に自重を求めている。
 田村皇子(舒明天皇) 父親は敏達天皇の皇子の押坂彦人大兄皇子、母親は敏達天皇の皇女の糠手姫皇女、嫡流である。
 山背大兄皇子の父親は聖徳太子で用明天皇の皇子、しかし蘇我腹であり、傍流である。
 画期の継体朝以降は、天皇の皇子で母は皇女である皇子が皇位につくのが慣例となりつつあった。嫡流という。一方、母が皇女でない皇子は傍流という。嫡流に適材がいない場合に皇位につくことがある。

 皇位をめぐって、推古天臭の遺詔を群臣が蝦夷の私邸で協議。遺詔は田村皇子。蝦夷、山背大兄皇子を推す蘇我氏の長老の境部臣摩理勢を殺し、田村皇子を擁立する。蘇我氏内部の談合で決められた。一族の結束を乱した者を許さない姿勢である。

629 舒明天皇、飛鳥寺の南側の継続的な王宮として飛鳥岡本宮を造営した。飛鳥の都市空間創造は蘇我氏の願いであった。
632 山背兄大王は唐の使節・高表仁といさかいを起こす。これがもとで舒明後にも皇位につけなかった。
636 飛鳥岡本宮、火災により全焼。
 舒明天皇、百済川のほとりに 西に百済大宮 東に百済大寺の建立開始。蘇我の勢力圏から離れたい。
641 舒明死去でこの構想はつぶれた。
642 舒明の大后であった宝皇女が皇極天皇として皇位につく。入鹿、国政の権をにきり、父以上の勢いをもつ。山背兄大王の次の世代は未だ成人していなかったので、宝皇女がリリーフにたった。飛鳥岡本宮の跡地に飛鳥板葺宮を造営した。
 

蘇我氏4

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月20日(日)21時30分56秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  586 敏達天皇の崩御後、息長系の皇子・押坂彦人大兄皇子を無視して、敏達の弟の蘇我系の用明天皇を即位させた。
587 物部守屋と敏達天皇の弟・穴穂部王は三輪逆探索として用明の皇后の宮を兵に囲ませる。用明の死期を早めたとされる。
馬子の仲介で穴穂部王、用明に謝罪。守屋はすべてをかぶらされて、逆賊とされる。物部の財産を狙う絶好の機会が到来した。

炊屋姫の権威を利用して穴穂部王と宅部皇子を殺害する。

馬子、物部守屋討伐に全ての皇子を味方につける。背景に「逆らえば殺される。」がある。
泊瀬部皇子(崇峻天皇)は守屋退治の皇子達の先頭にたった。
守屋、死去。物部本家滅亡。財産は皇室(四天王寺建立)と妹とで分ける。

588 崇峻天皇即位。宮を山間部の倉梯に置き、大伴連の小手子を皇后的な妃とした。連の氏族からの妃は珍しい。馬子の言いなりにはならないとの宣言であろう。蘇我氏にとって危険な状況となった。
592 馬子、東漢直駒を使って崇峻天皇を暗殺させる。馬子の過剰な自己防衛である。さらに口封じに東漢直駒を殺す。馬子、どこふく風。

崇峻天皇は任那の速やかな復興を考えていた。征新羅論である。
百済の協力で新羅を攻めたい所が、馬子は百済の協力をとりつけて飛鳥寺の造営に力を注ぎ、今のところ百済の力を頼んでの新羅と戦うのは無理。飛鳥寺の造営と都の都市計画により中国から文明国家と認められて新羅より有利な立場に立つというロングレンジで進めるのか戦争するかの政策論があった。これが支配者間の内部分裂であり、暗殺の契機となった。
 

沼津の高尾山古墳

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月20日(日)11時10分52秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  昨日の「古代を偲ぶ会」の講演内容は、沼津の高尾山古墳でした。  卑弥呼以前の前方後方墳で、ヒョットシタラ、狗奴国王の墓かもしれません。箸墓より20年ほど昔の造営。 日本の古代史が変わるかも高尾山古墳 http://www.shizufan.jp/netamap/tobu/55279/  

蘇我氏3

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月17日(木)15時39分57秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  2.蘇我の嫡流はやはり悪者。
出自不詳 渡来人説もある。蘇我石川宿禰は蘇我本家滅亡後の石川氏が創った人物だろう。近鉄大阪線真菅駅の側に宗我坐宗我都比古神社(橿原市曽我町)が鎮座、菅と蘇我、蘇我のルーツを思わせる。
系譜 武内宿禰 蘇我石川宿禰 満智 韓子 馬背 稲目 馬子 蝦夷  入鹿
                    高麗       雄当  倉山田石川麿
実質初代とされる蘇我稲目は皇室の財産管理の官僚であった。
『古語拾遺』雄略天皇の段 「大蔵を立てて、蘇我朝智宿禰に三蔵(斎蔵、内蔵、大蔵)を検校させ、秦氏に物の出納をさせ、東西の文氏に帳簿をつけさせた。」とある。
蘇我氏はこの立場を利用して財産をくすねて太ったようだ。零落していた葛城本家筋(襲津彦系)に恩を売ってそこの娘を手に入れ、葛城本家の地位と権利の後裔者となり、大臣になる資格を得た。

537 仁賢即位。稲目大臣に指名される、欽明派と仁賢派の和解に功があったのか。
552 欽明13年、仏教公伝。稲目、神々の祭祀権を持つ物部氏・中臣氏から蕃神(仏)の祭祀権を巧みに奪いとった。仏教については奉仏反仏の争いではなく、誰が祀るかの祭祀権の争いと思われる。物部氏は仏敵ではない。渋川廃寺、石上廃寺が本拠地にある。蘇我と物部は倭王権の主導権争いをしていた。

稲目は二人の娘を欽明の妃とし、用明・推古・崇峻の三天皇を輩出。外戚として力を得た。
馬子に物部の娘を娶らせた。守屋の妹である。

 

蘇我氏2

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月16日(水)10時19分0秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  古墳の形に似合わない古い副葬品が出土している。祖先の墓を改装してシシヨツカ古墳が造営された。改装にはツカマリ古墳、アカハゲ古墳の被葬者が関与したと思われる。
用明陵や推古陵も改装されている。改装は蘇我馬子の意向が強く働いていた。

平石谷の古墳は大型方形墳で、同規模で並んでいる。飛鳥前期の造営で蘇我の全盛期に当たる。被葬者は皇族か蘇我氏の有力者の墳墓と思われる。

これらの古墳の被葬者は誰か。
 近つ飛鳥博物館の山本彰氏は、蘇我三代の蘇我馬子、蝦夷、入鹿と推測した。

これらの古墳は、蘇我氏に共通する特徴がある。それは、榛原石(流紋岩質溶結凝灰石) の利用である。普通は二上山の凝灰岩 蘇我の遺跡 島庄 甘堅丘東麓遺跡 飛鳥寺 山田寺 等 蘇我系の遺跡はことごとく榛原石を利用している。

さて、馬子の墓とされている石舞台古墳についてはどう考えるのか。
馬子は推古三四年(626)に死去した。桃原墓に葬るとある。弟の摩理勢が造営の為の庵を壊して帰ってしまった。推古の後の天皇について蝦夷は田村皇子を推し、摩理勢は山背大兄王を推して対立し、蝦夷によって殺された。馬子は桃原で殯が行われ、別所に造墓されたようだ。
石舞台古墳から出土した家形石棺の破片から、古墳の年代は馬子の没した624年より遡り、見瀬丸山古墳と同じ時期と確認された。500年代後半のもの、馬子とは時代があわない。

 シシヨツカ古墳、アカハゲ古墳、ツカマリ古墳は壮大な墳丘の方形墳 飛鳥前期の特徴であるほぼ同規格の横口式石槨がある。これらは手前から奥に造営されている。シシヨツカ古墳には500年代後半の須恵器が出土している。
シシヨツカ古墳は500年代後半の造営で稲目の墓。馬子の墓は不明。アカハゲ古墳、ツカマリ古墳は蝦夷・入鹿の墓と考えられる。
なお、シシヨツカ古墳とアカハゲ古墳の間に破壊された墳墓があり、馬子の墓かもしれないが、不明である。
 

蘇我氏

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月14日(月)11時13分46秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  1. 500年代前半までの古墳は百舌鳥・古市などの平野部に営まれていた。後半になって大阪府の東南部、太子町と河南町の谷合が王陵の谷とよばれる墓域になる。磯長谷(しながたに)古墳群である。またその南山麓には、蘇我一族の墓域と考えられている一須賀古墳群が営まれる。一須賀古墳群は100基を越える大型の群集墳で、500年代前半から600年代にかけて造営された。

 この山麓の南側に平石谷がある。谷の北斜面には、ツカマリ古墳、アカハゲ古墳など、終末期の切石造の古墳が点在している。

 シシヨツカ古墳が造営された平石谷には、この古墳以外にも終末期古墳としてツカマリ古墳、アカハゲ古墳が存在し、それらも最近の調査によっていずれも墳丘規模が数十メートルあるのが明らかにされているが高度な技術で鏡面加工した石槨をそなえ、サイズは推古陵や用明陵と同等である。磯長谷の王陵の被葬者と同じ時期に活躍した勢力の墓域と考えざるを得ない。
 

物部守屋8

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 8月13日(日)09時17分36秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.522[元記事へ]

http://kamnavi.jp/uga/ugamoriya.htm

に、まとめました、


継体天皇は

http://kamnavi.jp/uga/ugakeitai.htm

にまとめてあります。
 

物部守屋7

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月29日(土)14時31分33秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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   四天王寺の守屋祠は現在は朱塗りの美しい祠であり、元禄七年の石燈篭が建っている。江戸時代、守屋祠を見た参詣者は石礫を祠に投げつけたと言われる。一時、熊野権現と名を偽ったという。毎月21日に絵堂への扉が開くので、参拝できる。守屋祠を願成就宮と呼んでいるのは、聖徳太子の誓いによって物部氏の土地を没収し物部氏の部民を使役して四天王寺を建立したのであるが、これを守屋公の霊がお許しになった事、さらにお助けになった事で、無事四天王寺が出来た事を願いが成就できたとして、守屋公を祀ったと伝えられている。祟り神への褒め殺し策である。

 『紀』崇峻即位前期 時の人、相語りて曰く。「蘇我大臣の妻は、是物部守屋大連の妹なり。大臣、妄りに妻の計を用いて大連を殺せり。」という。谷川健一氏は*3で、馬子が守屋を殺す必然性がなかったことを暗示していると書く。

 『紀』時げ経て皇極二年 643 蘇我大臣蝦夷、病によりてつかまつらず。私(ひそか)に紫冠を子入鹿に授けて、大臣の位を擬(なずら)ふ。復(また)その弟を呼びて、物部大臣と曰ふ。大臣の祖母は物部弓削大連の妹なり。故母が財に因りて威(いきおい)を世にとれり。
 守屋の妹の思惑通りにことが運んだようだ。これでは守屋は怨霊になるしかない。四天王寺は守屋の財産の半分と家人半分で建造されたという。残り半分が妹の手に入った。

 ここから見えてくるのは四天王寺の建立の目的である。即ち、守屋鎮魂である。守屋を鎮魂せねばならないのは聖徳太子ではない。馬子である。四天王寺の建立は馬子によるものである。

 四天王寺は崇峻即位前の587に難波の玉造に作られ、推古元年593に現在地に移転したと考えられている。守屋鎮魂は急がれたであろうから、守屋の死後すぐに守屋の館を接収して霊魂を慰める社と原四天王寺にしたのであろう。現在の玉造稲荷神社の場所と思われる。若干高台になっていること、白竜が住むとされる亀池があること、西向きの鳥居があること、などが四天王寺と共通している。
 四天王寺は荒陵の地すなわち古墳の上に建立されたようである。この時代は古墳や神社の杜を寺院の建立場所と見なしていたのだろう。
 

物部守屋6

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月27日(木)20時18分42秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  5.物部守屋の殺害 -1
 二皇子を殺した馬子としては、守屋を殺すことに躊躇はなかった。幸いなことに皇族には奉仏派であり、皇位の安定継承・仏教の守護をキャッチフレーズに、物部守屋討伐の挙兵をすることになった。

 即位前の崇峻天皇(泊瀬部皇子)・厩戸皇子(聖徳太子)など殆どの皇子達と紀氏・葛城氏・巨勢氏らが軍勢を整え、賊軍とされた物部守屋軍の構える河内の渋川(八尾市)へ攻め込んだ。軍事氏族である物部氏は稲城(いなき)を積み上げて奮戦し流石に強かった。稲城は稲魂をもって守護する神道の呪術である。稲束に矢を射かけるのは兵士と雖も抵抗があったようだ。*2

 藤井四段より一つ若い14歳の聖徳太子は白膠木(ぬるで うるしの木、カチノキとも言う。)を切り取り四天王の像を彫り、勝たせてくれたら四天王のために寺塔を建てようと誓った。太子も呪術で対抗したのである。馬子も同様の誓いを行った。呪詛返しである。守屋は討たれた。守屋の神道呪術に対する聖徳太子の仏教呪術の勝利である。

 物部守屋は殺されなければならないほどの罪をおこしたのであろうか。別の天皇候補を推薦したことか、仏教に反対したことか、馬子に逆らったことか、そうではない。財産を狙われて冤罪をかぶせられた死であった。これは恨み骨髄である。怨霊となる死である。

 谷川健一氏は*3で難波の四天王寺に奇怪な伝承があると書く。「四天王寺の寺塔は、合戦で戦死した物部守屋の怨霊が悪禽となって来襲し、多大な損傷を受ける被害に悩まされた。そこで聖徳太子は白い鷹となって悪禽を追い払うことになった。」という話である。
 守屋が怨霊になったことは世間の常識であったと思われる。即ち、冤罪である。

 四天王寺に願成就宮と言う物部守屋を祀る守屋祠が鎮座している。この宮の確認に四天王寺寺務所に行ったところ、宝塚の中山観音にも守屋が祀られているヨと教えてくれた。
 安産祈願で有名な中山寺から約40分程山道を登ると奥院である。奥院前の掲示によれば、「聖徳太子は大仲姫のお告げによりこの山をお開きになりまして悲運の忍熊皇子の鎮魂供養の為、逆臣物部守屋の障りを除く為に当寺を建立されたのであります。」とあった。大仲媛は仲哀天皇の妃で忍熊皇子の母である。ここでも守屋は障りをもたらす厄神とされている。
 

物部守屋5

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年 7月21日(金)08時40分40秒 ag089165.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
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  4.崇峻天皇の時代
 用明天皇は二年に病死した。物部守屋は穴穂部王を立てて即位させようと淡路島で挙兵しようと企てたが、その計画が洩れたとされる。なぜ淡路島なのか疑問。蘇我が流した噂に過ぎないかも知れない。
 蘇我馬子は炊屋姫を奉じて、穴穂部王と宅部皇子(宣化天皇の皇子とか穴穂部の同母弟などの説がある。)を殺害させた。蘇我氏は皇族を殺すことに躊躇がなかったようだ。
 殺された穴穂部王は皇位を狙っていた存在ではあるが、大人の皇子であれば皇位を望むのはあたりまえであり、いちいち殺されていてはかなわない。おそらくは恨みを残した死であったろうが、皇子としては日々暗殺の覚悟はあったのではなかろうか。怨霊にはならなったと思う。

 用明天皇は蘇我稲目の娘の堅塩媛と欽明天皇の間の皇子であり、所謂蘇我腹の天皇であった。蘇我氏は外戚として力を増し、物部大連を上回る力を持ってきた。仏教の受け入れについても、用明天皇の意思に見るように、奉仏派が優勢であり、物部大連の反仏の旗色が悪いことは明らかであった。ここに蘇我腹の崇峻天皇が即位するにあたって物部守屋は慣例通り大連になるだろうが、蘇我馬子大臣との力の差は大きかったと思われる。政治的には既に問題外の存在であったものと思われる。

 『紀』蘇我馬子の妻は物部守屋の妹であり、名前は伝わっていないが、『紀氏家牒』には、太媛とある。大媛の生活費は実家である物部本家(当主は守屋)が工面していたが、蘇我氏との対立激化、大和物部等の離反などがあり、本家は力を失いつつあった。それでも太媛が生活費に窮することはなかったと思いたい。しかし、夫の馬子の朝廷での力が増す従って、豊御食炊屋姫などの皇女との交際機会が多くなり、贅沢な交際に費用に窮することもあったろう。

 太媛は兄の守屋に支援の増額を求めたのであろうが、戦いの準備も必要と考えていた守屋には聞き入れられなかった。そこで、太媛が目を付けたのが物部本家の膨大な資産である。守屋を罪人として滅ぼせば、一族の者には相続ができず、朝廷が没収、また一部は妹である自分(太媛)のものになると考えても不思議ではない。

 川に落ちた犬はたたけ。この際、物部本家を滅ぼしてしまえ、後世の禍根を断て。守屋の実の妹である太媛が国家と蘇我家の将来を慮るふりをして夫の馬子をそそのかしたのであろう。



 

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