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Re: 卑弥呼はヒミホ

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月17日(日)15時03分28秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.553[元記事へ]

福島雅彦さんへのお返事です。
大三元さんへのお返事です。

 古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)の福島さん、
 アイヌ語の大三元さん、
 言語音痴の神奈備が、両巨頭を煩わしてしまいました。

 卑弥呼は ヒミコ ではない。
 邪馬台国は ヤマタイコク ではない。

 このあたりで・・・・.


 
 

Re: 卑弥呼はヒミホ

 投稿者:大三元  投稿日:2017年12月17日(日)14時29分39秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.549[元記事へ]

神奈備さん、ご無沙汰してます。

「卑弥呼」の読みに関する私の最近の立場は「ひみを」です。
(万葉集でも「呼」は「を」)
http://www.dai3gen.net/himiwo.htm


> 邪馬台国はヤマトと発音します。位置論はこれで片付くと思います。
「邪馬台」は「やまで」=「やましろ」として考えています。
http://www.dai3gen.net/yamatai.htm
http://www.dai3gen.net/nokagami.htm#yamade

 

Re: 卑弥呼はヒミホ

 投稿者:福島雅彦  投稿日:2017年12月17日(日)13時10分44秒 p3042-ipad03fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp
返信・引用 編集済
  > No.549[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 卑弥呼と邪馬台国のことが書いてある魏志倭人伝はいうまでもなく中国の文献です。古代の中国語でかいてあります。
> 西暦500年ごろまでの中国語の発音は 上古音 といわれます。
> 3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)
> われわれが、卑弥呼と呼んでいる女王ですが、このヒミコと言う読み方は
> 江戸時代に定着したようです。しかし「呼」は現在の中国でも「こ」と発音しません。古代から「ホ」という発音です。「こ」平安時代以降の日本の発音で、古代の中国語に適用してはいけません。
>
> 卑 pieg pie pi p?i ヒ甲
> 彌 mier mie mi mi ミ甲
> 呼 hag ho hu hu ホ、でしょう
>
> 邪馬台国はヤマトと発音します。位置論はこれで片付くと思います。

ご無沙汰しております。が、何時も訪問して興味深く拝読しています。
私は、中国の漢字音の正確な復元は必ずしも有効ではない、と存じます。
中国正史の書記官の耳に聞こえた「倭語」の音写(当て字)に限っては、或る程度の揺らぎを考慮すべきか、と。
即ち、彼らの未知の「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」を書き留めていますから、近似音的か、と。
例えば「倫敦」、「紐育」の漢字音を正確に復元しても、ネイティブの"London"、"New York"には至らない、と。
「倭人」が何の意味を何と発音したら、彼らが此の文字撰びをするかを考察すべきです。
※「卑彌呼」="?"尊(みこと)の「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」音写と観ます。
*"?"="him"=最高位の意。現代九州弁に残存。
・「ひンの叫(おら)び」=この上もなく大音声で叫(おら)ぶ、こと。
・「ひン投げる」=圧倒的力量の差で相手を投げ飛ばす(相撲などで)こと。
・「ひンだれる」=この上もなく疲労困憊すること。
*「尊」=「水事・米事」で、水稲稲作の統帥者の意。"mikot"の様な発音ではないかと。
私のE-mailのアドレス=himmikot@mocha.ocn.ne.jp は「卑彌呼」に由来しています。
因に、「邪馬臺國」「邪馬壹國」問題もどちらが正しいとか間違いとがではなく、両方とも「倭語」の音写であ、両方とも正しいと観ます。謎が解けないのは、二者択一に陥っているからだと思います。

*文字化けは「古代倭語(方言と朝鮮語に片鱗を留める)」のハングル表記。

 

王朝交代

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月15日(金)16時30分17秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   中国は王朝交代の国です。徳を失った王に対し革命を起こして新王朝が発足。これを易姓革命と言います。

 唐という王朝には二王後制という制度がありました 前王朝と前前王朝関係の子孫を優遇するという制度です。
 王朝の初代は賢者であるが、末代は愚か者不肖の者、したがって徳のある人があたらしい王朝を開く、これで王朝が交替する。
 それでも前王朝と前前王著の初代の賢者を尊ぶ意味で後裔を丁重に遇するという制度です。
 唐の高祖の武徳元年(618)に定められました。日本ではこの年は推古二十六年でしす。

 周の武王は、夏の子孫を杞に、殷の子孫を宋に封じました。「二王之後」の故事は直接的には武王に由来します。

 これを行うことで、自らの王朝がいかに「正統」な後継かを主張するようです。
 

「日本の建国史 三替統合の精華」元皇學館大學学長 田中 卓著

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月13日(水)14時08分14秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
   田中卓先生の講義をベースにした話。
 田中先生は皇學館大學の名誉教授で、皇国史観・右翼の中でも最右翼の方と言われています。この先生は、右翼にもかかわらず、女性天皇を認める立場を表明されています。
 その理由は、男系天皇にこだわると皇統が途絶えてしまい、天皇制が維持できないからとの立場からです。

 それに対して、最近テレビによく出てくる竹田 恒泰(たけだ つねやす)さんは、それは天皇制ではない、と言われます。遠くに遡っても男系を探してくるとの立場でしょう。
 竹田恒泰さんは明治天皇の女系の玄孫にあたりますが、男系では崇光天皇の19世子孫であります。崇光天皇(すこうてんのうは、建武元年4月22日(1334年5月25日) - 応永5年1月13日(1398年1月31日))の頃の天皇です。14世紀末の南北朝時代の天皇です。

 一般の人々の中で、皇室に最も近い男系の方は、江戸時代前期の、東山天皇の子孫の方です。
1687年5月6日 - 1709年7月27日東山天皇の皇子の閑院宮直仁親王宝永7年(1710年)に世襲親王家の一つ、閑院宮家を創設する。
華園真準[4]、華園真暢[4] 梶野行淳(歴代当主は男爵)実子の梶野行良さん。
 河内長野の長野神社の宮司をされています。

 現在は、幸いにして秋篠宮家に悠仁親王(ひさひとしんのう)が居られますので、子だくさんんの天皇になってほしいものです。
 

卑弥呼はヒミホ

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月12日(火)21時06分37秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  卑弥呼と邪馬台国のことが書いてある魏志倭人伝はいうまでもなく中国の文献です。古代の中国語でかいてあります。
西暦500年ごろまでの中国語の発音は 上古音 といわれます。
3世紀末(280年(呉の滅亡)- 297年(陳寿の没年)の間)
われわれが、卑弥呼と呼んでいる女王ですが、このヒミコと言う読み方は
江戸時代に定着したようです。しかし「呼」は現在の中国でも「こ」と発音しません。古代から「ホ」という発音です。「こ」平安時代以降の日本の発音で、古代の中国語に適用してはいけません。

卑 pieg pie pi p?i ヒ甲
彌 mier mie mi mi ミ甲
呼 hag ho hu hu ホ、でしょう

邪馬台国はヤマトと発音します。位置論はこれで片付くと思います。
 

Re: ページ下のリンクについて

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月11日(月)20時03分21秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.546[元記事へ]

ふぁんトントさんへのお返事です。

ありがとうございます。早速訂正いたしました。感謝です。
 

枚方

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年12月11日(月)19時57分35秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  『播磨国風土記』
 朝廷が各国に土地が肥えて居るのか痩せているのか、古老が伝える伝承など、地域のことをまとめて提出するように命令を出し、ほぼ全部が残っているとされる風土記の一つが播磨国です、兵庫県中南部をさします。
 この中に 枚方 と言う地名が出てきます。
 枚方と名づけるわけは、河内の国の茨田の群の枚方の里の漢人(あやひと)がやってきて始めてこの村に住んだ。だから枚方という。
 枚方市倉治に機物神社が鎮座そています。七夕はにぎやかです。だいぶ前のことになりますが、ここの宮司さん、そうとう高齢の方だった、に中国は西安を訪問されたときのことをお伺いしたことがあります。その頃は市会議員さんだった。中国側の人は、「大昔にここから枚方へ行った中国人がいます。織物の技術を伝えたのです、」とのこと。
 中国の人というのは、枚方の人がくると聞くと、いろいろ調べてこのような話をするというのは客をもてなすのでしょう。たいしたものだと感心いたしました。
 

ページ下のリンクについて

 投稿者:ふぁんトント  投稿日:2017年12月11日(月)17時10分1秒 softbank220034090131.bbtec.net
返信・引用
  いつもお世話になります。
http://kamnavi.jp/en/kawati/kuninaka.htm
↑上のページでは、ページ下のリンク(トップページと一覧ページ)のURLが".net"になっているため、海外のサイトへ飛んでしまいます。修正の程、よろしくお願いいたします。尚、上のページは、当サイトの記事内にて紹介させていただきます。現在作成中ですので、公開しましたらご連絡申し上げます。
失礼いたします。
 

古代を偲ぶ会案内

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年11月16日(木)13時43分30秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  古代を偲ぶ会案内
2017 11 18
大阪大学大学院教授    福永 伸哉
大阪市立大学大学院教授  岸本 直文
40周年記念シンポジウム 「倭国形成過程を考える」
時間;13:30~17:00
エル大阪 本館 6F 大会議室
http://kamnavi.jp/link/sinobu.htm
 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:より  投稿日:2017年10月20日(金)07時17分42秒 124-159-56-92.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.543[元記事へ]

よりさんへのお返事です。

> 神奈備さんへのお返事です。
>

大分の寺社関連は、ここが詳しいです。
鹿児島にも何回かお見えです。

http://nabaanooyado.blog.fc2.com/blog-entry-387.html

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:より  投稿日:2017年10月19日(木)22時00分2秒 124-159-24-9.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> yoriさんへのお返事です。
>
>
> 黒男神なる神様が八幡神に絡んで鎮座しています。

>
>  八幡古表神社の相撲神事では「おんくろう神」と呼ばれる住吉大神が全勝して勝ち残ります。
>  この「くろう神」のことかとも思っています。
>

こんばんわ。
先週の木曜日、3年に一度の「くぐつの舞いと神(紙)相撲」の奉納がありました、
1回は見物したいもので。

南大分の城跡に鎮座する「永興(りょうご)正八幡社」があります。
なんとま、宇佐八幡の御膝元に、鹿児島神宮の勧請社があるとは。。

また、霧島六所権現信仰の開祖「性空聖人」の修行地には霧島神社が鎮座しています。
湯布院、大分、別府 ら
大分県社寺名勝図録では、由緒が不明とありますが。


http://www.komainu.org/ooita/ooitasi/ryogosyoutachiman/ryogosyoutachiman.html

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年10月18日(水)20時32分40秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.541[元記事へ]

yoriさんへのお返事です。


黒男神なる神様が八幡神に絡んで鎮座しています。

佐賀県武雄市 黒尾神社(神母影媛) 摂社黒尾神社
福岡市中央区 今川鳥飼八幡宮摂社黒殿社
福岡県大野城市 黒男神社
福岡県田主丸町 黒島神社
大分県日田市 玉垂神社<通称>黒男社
福岡県築城町 八幡神社摂社黒男殿神社
大分県東国東町 黒雄社
大分県宇佐市 宇佐八幡宮摂社黒男社

八幡古表神社の相撲神事では「おんくろう神」と呼ばれる住吉大神が全勝して勝ち残ります。
 この「くろう神」のことかとも思っています。
 
 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月17日(火)12時24分9秒 114-142-45-102.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.540[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> yoriさんへのお返事です。
>
> 八幡神を勧請したかも知れない鹿児島神宮の祭神が彦穂穂出見尊であることは極めて重要なことだと思っています。この神宮の祭神がいつ頃に定まったのか、途中で変遷があったのか、興味深いところです。


こんにちわ。
新燃岳が噴火して警戒区域が拡大され
登山が難しくなって残念です。

さて、この大隅國正八幡宮に参詣された方の
記録としては、

●平家物語
●時宗・一遍聖人
●橘 三喜「諸国一宮巡詣記」
●橘 南谿 参拝「西遊記」
●高山彦九郎「筑紫日記」

ですが、この頃、既にご祭神はご指摘の通りだったようです。

興味をそそる記録としては、
橘 三喜「諸国一宮巡詣記」の絵図には
旧地の現在の石體神社には仁徳天皇を祭祀していたようですが。。
現在のご祭神は、本社と同じです。

神宮の史資料が明治の廃仏毀釈で焼却されて
いるので、なかなかです。

http://yorihime3.net/mado/hachiman_sankei.html#junkeiki

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年10月17日(火)11時46分28秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.539[元記事へ]

yoriさんへのお返事です。

八幡神を勧請したかも知れない鹿児島神宮の祭神が彦穂穂出見尊であることは極めて重要なことだと思っています。この神宮の祭神がいつ頃に定まったのか、途中で変遷があったのか、興味深いところです。
 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊5

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時29分32秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.491[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

>  749 天平宝字元 はたせるかな、陸奥で金が発見されたのである。
>
> 大仏拝礼のため八幡大神入京、憑坐(よりまし)の大神杜女が紫の輿に乗って上京し大仏を拝んだ。文武百官を率いた孝謙天皇・聖武太上天皇・光明皇太后の行幸いしているさなかのことである。
>
>  八幡大神一品 比売神二品 神階を受けた最初の神。一品が与えられているのは、ばくぜんと天皇霊と思われていた。皇祖扱である。
>
> 752 天平宝勝4 大仏開眼供養。
>
> 754 天平宝勝6 薬師寺の行信と八幡神宮の主神大神多麻呂、禰宜大神杜女が厭魅(呪詛)をなしたとして配流される。反聖武の光明皇太后・藤原仲朝呂に怨念。
>

大仏拝礼のため八幡大神入京、憑坐(よりまし)の大神杜女が紫の輿に乗って上京し大仏を拝んだ。

=============

位違いの輿行列では、逆鱗に触れるのは当然ですが、
この配流先が日向のどこか?
どうも識者によると高千穂らしいのですが。。

しかしここに「大神氏」が土着したのはこの後で、

仁和二年(886)には、大神朝臣良臣が下向している。


仁和二年(八八六)正月十六日丙申

外従五位下行
左大史大神朝臣良臣為肥後介。


===== 三代実録巻四十九 ====

大神系図

始祖大神太夫惟基

大和大三輪の一族
豊後介大神良臣の孫

惟基の嫡子 政次は
高知尾太郎と呼ばれる

日向の三田井に入植する


==== 大神系図(都甲家蔵) ====

実は、宮崎の神社伝承(古文書)を読んでいたら
「采女」が出てくる由緒があります。
精査が必要ですが、他県の史資料は皆目。
特に宮崎、大分の古書はオークションでも
破格の高値、到底手が出ません。
在野の謎解きは大変です。

余談ながら、
島津藩は、高千穂から延岡辺りまで
知行していました。

http://yorihime3.net/mado/chinoo.html

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊4 2

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時14分12秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  > No.490[元記事へ]

神奈備さんへのお返事です。

> 724 神亀3 聖武天皇~749 菩薩国家、即ち誰もが仏の道を目指す国造りを目指した。した。八幡神は軍神として律令国家の西方の境界を守り、放生と云う仏教的手段によって。殺生によって引き起こされる病から国を護った。その意味で、八幡は日本初の鎮護国家の神であった。

この15日は
鹿児島神宮の「お浜下り」でした。
神宮から約4㎞の浜辺のご神幸地迄の御幸でした。
なんとか雨も揚がって曇天の行列でした。

天気予報では時々雨の予報でしたので
今回は、神宮境内での行列を撮影しました。

https://youtu.be/K6L4eAn55Rg

http://yorihime3.net/mado/hohjoe.html

 

Re: 八幡大菩薩の成立と応神天皇霊 2

 投稿者:yori  投稿日:2017年10月16日(月)17時03分50秒 58-3-23-45.ppp.bbiq.jp
返信・引用
  神奈備さんへのお返事です。

> 『託宣集』の「大隅宮(正八幡、鹿児島神宮)縁起」年不明 以下の伝承がある。陳大王の娘大比留女は、七歳にして懐妊す。略。只朝日の光、胸の間にあり。しかる後懐妊して子を生む。三歳の時、問ひて云く。君は誰人ぞ。答えて云く。「我が名は八幡」と云う。
>

楽しく拝読しました。
これの出典は、

☆八幡愚童訓☆

震旦國陳之大王之娘
大比留女之七歳眩朝日ノ光胸ノ間ニ
指入ヲ御懐妊有テ
皇子ヲ生給シ王臣是ヲ怖テ
空舟ニ奉乗テ流シ着タラン所ヲ
所領トシ給ヘトテ
大海ニ奉浮ニ日本國鎮西大隅ノ磯之岸ニ
着船フ
其太子ヲ八幡ト奉號シヨリ
御舟ノ着タル所ヲ八幡崎ト名付タル
是ハ継体天皇之御宇也
又大比留女筑前國若杉山ヘ飛入給テ後ハ
香椎聖母大菩薩ト現給ヘリ
皇ハ大隅之國に留テ
正八幡ト現シ給ヘリ

・・・・・・・・


==== 八幡大菩薩愚童訓 上p24 ====

鹿児島神宮史 p26
はここから引用しています。

「継体天皇の御世、
中国の陳大王の娘
大比留女(おおひるめ)が
七歳にして
朝日を受けて懐妊し、
生まれた子と共に
空船(うつろふね)
に乗せられて流され、
大隅八幡崎に着いた。

生子は
ここで正八幡となって
隼人を討ち、
生母は筑前香椎(かしい)
に飛んで
聖母(しょうも)大菩薩
となった」


2017年現在、
到着地の「かご山」には石碑が建立されています。
私がこの所在を知ったのは
この「かごやま」の探訪をしていた2000年頃のことです。
今春、神宮に興味をお持ちのご夫婦をご案内しました。

http://yorihime3.net/jisya/hachiman.html

 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:大三元  投稿日:2017年10月14日(土)20時54分42秒 170.103.232.153.ap.dti.ne.jp
返信・引用
  > No.535[元記事へ]

神奈備さん
レス有り難うございます。
この「詳細な説明板」では「素邪那岐命」を「いざなみ」と読ませたり、「疱瘡」を「抱瘡」としたり「神武天皇御祭神」という意味不明なことが書いてあったりして、首をかしげています。電話番号も判らないのでいつか訪れてお伺いしてみようと思います。
いずれにしても、はい、ロマンがあります(^_^)


> 大三元さんへのお返事です。
>
>  宇井邦夫著『東京の熊野神社』から。
>  古木も聳える境内には、詳細な説明板が掲出され、親切である。由緒についてみると、祭神は「素邪那岐命」であった。
>  創建は不詳であるが、その昔、諸国行脚の老婦人が、この地に紀州熊野本宮大社を齊祀したという。古文書(現存せず)では、「応安(1268)の頃片倉城主毛利備中守師親が創建した」と伝えている。
>
>  伊と素、普通は書き間違いはありえないと思います。熊野では植樹の神は素戔嗚尊とする由緒もあり、五十猛・伊太ての神との混同は十分ありそうですが、八王子市の熊野神社10社(この中には高尾山の熊野は含まれていません。)の殆どが、イザナギ・イザナミ・速玉緒男で、素戔嗚尊は1社のみです。五十猛はありません。
>
>  「素邪那岐命」からは、古い記憶の蘇りがあったかもとのロマンを感じますね。
>
>
>
>
 

Re: 沼津の高尾山古墳

 投稿者:神奈備  投稿日:2017年10月13日(金)20時21分37秒 ah230151.dynamic.ppp.asahi-net.or.jp
返信・引用
  > No.534[元記事へ]

大三元さんへのお返事です。

 宇井邦夫著『東京の熊野神社』から。
 古木も聳える境内には、詳細な説明板が掲出され、親切である。由緒についてみると、祭神は「素邪那岐命」であった。
 創建は不詳であるが、その昔、諸国行脚の老婦人が、この地に紀州熊野本宮大社を齊祀したという。古文書(現存せず)では、「応安(1268)の頃片倉城主毛利備中守師親が創建した」と伝えている。

 伊と素、普通は書き間違いはありえないと思います。熊野では植樹の神は素戔嗚尊とする由緒もあり、五十猛・伊太ての神との混同は十分ありそうですが、八王子市の熊野神社10社(この中には高尾山の熊野は含まれていません。)の殆どが、イザナギ・イザナミ・速玉緒男で、素戔嗚尊は1社のみです。五十猛はありません。

 「素邪那岐命」からは、古い記憶の蘇りがあったかもとのロマンを感じますね。



 

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